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DUCE

Author:DUCE
趣味:緑地や山のほうへのハイキング
映画、ドラマ:戦争映画や時代劇が中心。アイドルやトレンディドラマの類は興味なし
外国関連:中国、韓国、北朝鮮と言った反日三馬鹿国は嫌いです。

竹島はわれらが領地なり

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何ともとんまな狼だ

「狼と七匹の子山羊」では、狼が、羊たちが暮らしている家に出向いて、母親がいない隙に子羊をだまして家を開けさせて、ほとんどの子羊を飲み込んでしまいました。
その状態で狼は爆睡をする訳ですが、おなかの中の子羊はいまだ消化される事なく、単に中の閉じ込められたのに過ぎない状態にとどまっていました。
フィクションの世界では、往々にして飲み込まれても、消化される事なく、単に袋の中に閉じ込められたと言う手合いが多いようでして、それ幸いに、狼が爆睡しているのをいい事に、羊の母親は狼のおなかをはさみで切り裂いて、子羊を救出する事に成功しました。
ここで突っ込みを入れたいですね。おなかにはさみを入れられたら、それだけで激痛が走って狼としては目を覚ますでしょうが、依然爆睡状態で、代わりに石を詰められて、その状態で目を覚ました物の、おなかの中身をすり替えられた事にも気づかずに、川で水を飲もうとした所、石の重みで、川へ転落しても浮き上がる事が出来ずに溺死してしまいました。何ともとんまな狼ですね。


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あらかじめ訪問者に合わせて中身は決まっていた

「舌切り雀」と言う昔ばなしに関して思う事として、大きなつづらと小さなつづらと言う選択肢です。
おじいさんの方は、小さなつづらを持って帰り、帰宅後に中身を開けると、たいそうなお宝が入っていた事から、おばあさんは、大きなつづらを持って帰れば、より大量なお宝が手に入ったろうに、この大馬鹿者が、と言う思いを込めて、後日雀に会って、大きなつづらをもらって帰宅途中につづらを開けた所、化け物が入っていたと言う落ちでした。
はたから見れば、自分の舌を切ったおばあさんに対する意趣返しと言う感が否めない所ですが、もし、おじいさんが大きなつづらを持って帰ったならばどうでしょうか。またおばあさんが小さなつづらを持って帰ったならばどうなるでしょうか。
それとも、案外そんな詮索は無用だったのでしょうか。おじいさんが来たときは、どっちのつづらにもお宝を忍ばせ、またおばあさんが来たときは、どっちのつづらにも化け物を忍ばせておくと言う事であれば、両者がどのような選択をしようとも、「思惑」通りの結末になった事でしょう。


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場合によってはうさぎにも亀にもなる

「こち亀」で普段ふしだらな両さんをしかるために、部長は「うさぎと亀」の話を引用し、お前のようにうさぎになっていては、最後亀にだって追い越されるだろうと言う風に諭した物の、両さんは、そこではうさぎは亀を待っていたのであって優しい。むしろ亀の方が相手の弱みに付け込んで自身の利益を図るずるい奴と酷評交じりの反論に徹した物でしたが、そう言う事は両さんには言われたくないと言う内容ですね。
なるほど負け組の立場で言うのならば、うさぎにもなるだろう両さんではありますが、勝ち組に立てれば、逆に無慈悲に亀にもなるでしょう。もっとも、普段の両さんが亀の如く地道な行動に徹するとはあり得ず、一発逆転的な発想を好む物です。
実際、勝ち組に立てるのであれば、両さんの発想は、相手がうさぎ如き存在でも、ライオンは全力を出す物だと言う論法を発揮するのがお得意の様でして、そうした論法を実践するためには、いんちきも辞さず、他人を負傷させる事もまたしかりだったのです。


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王子様は脚フェチだったと言う物語

なぜ人は足に萌えるのか? 「足フェチは服従的な性格と関係がある」という仮説


<テレビドラマ『セックス・アンド・ザ・シティ』の主人公キャリー・ブラッドショーのヒール好きは知られている。性別を超えて、足フェチが多い理由とは?>

ボストン大学の認知神経科学者、オギ・オーガスとサイ・ガダムは、4億の検索ワーズ、数十万の官能小説、4万のアダルトサイトのデータを調べ上げ、男と女とゲイの「知られざる欲望」を解明。アメリカのアマゾンのコメント欄が大荒れした奇書『性欲の科学──なぜ男は「素人」に興奮し、女は「男同士」に萌えるのか』(CCCメディアハウス)より抜粋する。

【写真を見る】山で凍死した台湾のビキニ・ハイカー

■なぜ手フェチじゃなくて、足フェチなのだろう

喜劇俳優のジャック・ブラックは、こう打ち明ける。

「オレって、ちょっと足フェチなんだよな。気がつくと、だれかの足を見つめている。かかとが好きなんだよね。だれかが木のサンダルなんか履いてたら、興奮しちゃうね。ビーチサンダルとか、革のサンダルもいい。なま足は最高だぜ」

足フェチの男性はけっこう多く、学者たちも足フェチについていろいろな説を唱えている。リヒャルト・フォン・クラフト=エビングは、「感情的な印象と視覚的な印象が結びついたときに、足への性嗜好が生まれる」と主張した。

フロイトは、足フェチは、未成熟で服従的なパーソナリティの表れだと考えた。社会科学者たちは、女性の足の香水の匂いや、おしゃれな靴に惹きつけられて、女性の足に興味を持つようになると推測した。

しかし僕たちは、もうひとつの説として、男性の脳は、もともと女性の足に反応するように作られていると考えている。その考えの最大の根拠となるのが、女性の足のサイズの好みに、文化による差がないことだ。

人類学者のダニエル・フェスラーによれば、さまざまな地域(イラン、ブラジル、タンザニア、パプアニューギニアを含む)の出身の男性が、女性の足は大きいよりも小さいほうが魅力的だと思い、女性たちは、男性の足は平均的なサイズが一番魅力的だと思っているという。

また、「セクシーな足」専門のサイトでは、ほとんど小さな足だけが扱われている。足への性嗜好に文化が影響するなら、大きな足を褒め称える地域やウェブサイトが、ひとつぐらいはあってもいいのではないだろうか。

「シンデレラの童話で、王子が国じゅうを捜しまわったのは、グレービーボート(ソースやカレーを入れる舟形の容器)のような靴に合う足の娘ではない」

こう述べたのはドナルド・サイモンズだが、彼はこのほかにも、男性が先天的に足に惹かれることの裏づけとなりそうな事実をいくつか指摘している。

通常、女性が妊娠しているときは、足のサイズが大きくなる。半サイズ大きくなる人もいれば、ワンサイズ大きくなる人もいる。そして進化論の観点から言えば、妊娠期の女性は、そんなに魅力的である必要はない。その時期には、生殖が不可能だからだ。

過去には、中国やペルシャなどのいくつかの文化で、足を縛ることで物理的に小さくする纏足の習慣があった。

テレビドラマ『セックス・アンド・ザ・シティ』のキャリー・ブラッドショーを見ればわかるが、女性もけっこう、自分の足を見てエロチックな気分になるようだ。そのことは、女性も自分の足が男性の性的興味の対象になっていることに、(たとえ本人が意識していなくても)気づいていることを示している。

足への性嗜好が文化に根ざしたものという説に対しては、もうひとつ疑問がある。なぜ「手」じゃなくて、「足」なのだろうか? どの文化でも、足よりは手のほうが目に触れる機会が多いし、手と足は、大まかな形は似ている。女性はよく、キラキラのマニキュアで爪を化粧するから、人の目を惹きやすい。



全般的にどうでもいい話なんですが、例外的に昔ばなしの「シンデレラ」だけは例外です。
さながら「遠山の金さん」張りなお馬鹿さんな王子様は、ひょっとしたら脚フェチだったのかも知れませんね。そのように考えれば、物語中のとんまな場面にもつじつまが合うと言う物です。
あれだけ主人公に対してご執心の体を見せた割には、意外と本人の顔を覚える事がなかったのでしょう。そうでなければ、「証拠の靴」に見合う脚を有していると称した多数の女どもがやって来ても、「脚実検」するまでもなく、顔さえ見れば「君は誰だ?私は君と踊った覚えはないぞ」と斥けておしまいだったのですがねぇ。
にもかかわらず、その後、彼はシンデレラの2人の姉のいんちきにしばらくだまされていました。くだんの靴に合わせるべく、1i人目の姉は足の親指を切断し、2人目の姉はかかとを切断すると言う、単に泣くだけでは済まされない苦労をした物ですが、それと言うのもお馬鹿さんな王子様のせいです。彼がしっかりシンデレラの顔を覚えていれば、そんな苦労をしないでも済んだでしょうに。


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犯罪擁護の解釈

去る12月には、ボクのおとうさんは桃太郎に… 衝撃コピー、授業題材に当記事に関してエントリーした物ですが、これに関する記事は既に平成27年6月にも出ていました。「国内その他」の範疇でエントリーした物だから、発見するのに時間がかかりました。今では、「昔話考察」にカテゴリーを映した結果、今回のエントリーを含めて都合6件になりました。
さて、このような解釈をするコピーライターしかり、それに賛同する教師しかり、どのような感覚なのでしょうかと不可解に思う次第であります。現実に悪党の側だって、アニメーションに往々にして存在する悪の秘密結社でもあるまいに、独自の私生活と言う物がある以上、家族と言う物があるでしょう。しかし、それは被害者の側だってなおの事あるじゃないですか。
一般犯罪の視点からしても、よしんば加害者の側にもなにがしかの訳あるがあるのでしょうが、それは被害者にとっては与り知らない事じゃないですか。加害者側のなにがしの訳ありのために、こう言う事をやっても構わない、仕方がないでは被害者にとってやられ損と言う事に他なりません。
このカテゴリーで10年前に「新説桃太郎」と言うタイトルで、物語を創作した物です。そこでは、プチャーチンの来日や鉄砲伝来の時のエピソードを組み込んだ形で、鬼呼ばわりされていたのは、単なる漂流者と言う形で設定しました。そこでは「鬼」たちは別段悪さをしていた訳ではなく、自身の困りごとに関して助けを望んでいただけでした。そのような内容であれば、相手の立場に対して配慮する意味もあるでしょうが、平成27年、そして昨年の記事に関する物はれっきとした犯罪ですからね。どうして犯罪する側の立場に立って物を考えなくてはならんのか。
このような記事は、一方では、犯罪者擁護になって、ある意味犯罪をする事を正当化してしまう物になってしまいます。

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