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趣味:緑地や山のほうへのハイキング
映画、ドラマ:戦争映画や時代劇が中心。アイドルやトレンディドラマの類は興味なし
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犯罪擁護の解釈

去る12月には、ボクのおとうさんは桃太郎に… 衝撃コピー、授業題材に当記事に関してエントリーした物ですが、これに関する記事は既に平成27年6月にも出ていました。「国内その他」の範疇でエントリーした物だから、発見するのに時間がかかりました。今では、「昔話考察」にカテゴリーを映した結果、今回のエントリーを含めて都合6件になりました。
さて、このような解釈をするコピーライターしかり、それに賛同する教師しかり、どのような感覚なのでしょうかと不可解に思う次第であります。現実に悪党の側だって、アニメーションに往々にして存在する悪の秘密結社でもあるまいに、独自の私生活と言う物がある以上、家族と言う物があるでしょう。しかし、それは被害者の側だってなおの事あるじゃないですか。
一般犯罪の視点からしても、よしんば加害者の側にもなにがしかの訳あるがあるのでしょうが、それは被害者にとっては与り知らない事じゃないですか。加害者側のなにがしの訳ありのために、こう言う事をやっても構わない、仕方がないでは被害者にとってやられ損と言う事に他なりません。
このカテゴリーで10年前に「新説桃太郎」と言うタイトルで、物語を創作した物です。そこでは、プチャーチンの来日や鉄砲伝来の時のエピソードを組み込んだ形で、鬼呼ばわりされていたのは、単なる漂流者と言う形で設定しました。そこでは「鬼」たちは別段悪さをしていた訳ではなく、自身の困りごとに関して助けを望んでいただけでした。そのような内容であれば、相手の立場に対して配慮する意味もあるでしょうが、平成27年、そして昨年の記事に関する物はれっきとした犯罪ですからね。どうして犯罪する側の立場に立って物を考えなくてはならんのか。
このような記事は、一方では、犯罪者擁護になって、ある意味犯罪をする事を正当化してしまう物になってしまいます。

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そこまで明確に悪事をなすやからに配慮しろと言うのか

ボクのおとうさんは桃太郎に… 衝撃コピー、授業題材に

「ボクのおとうさんは、桃太郎というやつに殺されました」。こんなキャッチコピーの新聞広告をもとに道徳の授業が生まれた。多様な価値観がぶつかり合う時代に、異なる視点を持つことの大切さを考える。桃太郎伝説の故郷、岡山県で始まった授業が全国に広がるか――。

 12月上旬、岡山県津山市の市立西中学校。2年生の道徳の授業で、担任教諭の谷本薫彦(くにひこ)さん(39)が生徒へ問いかけた。

 「もし桃太郎が鬼にも家族がいることを知ったら、どうしたいと思うだろう」

 授業ではまず、昔話の「桃太郎」を学ぶ。おじいさんとおばあさんから「鬼が村を荒らして困る」と聞いた桃太郎が鬼ケ島に渡り、鬼たちを退治して物語は終わる。そこへ谷本さんが鬼の子ども「鬼太郎」というキャラクターを示す。

 生徒からは「やっぱり退治するしかなかった」という意見の一方、「家族がいると分かれば、村に帰ろうと思うはず」という声も出た。次に、どんな選択肢があれば桃太郎が鬼を殺さずに済むのか議論すると、「鬼に農業を教えたら村を荒らしに来ない。鬼ケ島に農機具を持っていこう」といった発想も生まれた。

 「なぜ桃太郎には最初、鬼退治…


なんか前にも、似たような話があって、エントリーした記憶があるのですが、それは発見が難しいところであります。この話でまず思い付いたのは、大方、ここで言う鬼は日本にとっての敵側だと言う前提がこの御仁の脳裏に潜在的にあったと言う事なのではないでしょうか。
実際サヨクの発想は往々にしてどっちにこいても我が国が悪いと言う前提で物を考える所から始まっている物です。よしんば我が国に対する侵略の可能性ですら、我が国がこうこうしないから、相手の方がやむなく攻めて来るのだ。だから、それを防止するためには、我が国の方で歩み寄って、両国間の障害を取り除く必要があると言う結論になってしまうのです。
今回の論議にしても、鬼に対して農業を教えてやれば、襲撃にやってこないと言う話が出た訳でして、なんでこちら側が、そこまで骨を折ってやらねばならんのだ。鬼たちが農業を知らないのはこっちのせいじゃない。
現実の世界においては昨今、小田原や日光の方で猿が民家へ侵入して食い物を奪ってしまうと言うのに対して駆除が目指されていると言う事です。何しろ、猿たちにとっては善悪と言う概念などなく、ただ必要だからと言う程度の事でして、物語における鬼だって同様の事が言えるのではないでしょうか。他人の食い物を奪って悪びれる事がないやからが、今さら農業を覚えるとしたら、襲撃をしたら痛い目を見る事態になってからでして、そうならない内は決してそのような考えに至る事などないでしょう。奪う方が簡単で、地道で面倒な農作業など見向きもしないのが当然じゃないですか。

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花咲かじいさん

唐突ですが、当ブログにおいてはカテゴリーの1つとして昔話考察と言う物を設定しているのですが、その割にはこれまで2つしかそのカテゴリーの元でエントリーする事ができませんでした。せっかくそのようなカテゴリーを設定したからには、それに見合った、多数のエントリーができれば良いと思うのですが、実際それが可能になってはいません。
今回は例外的に1回程度で終わってしまうのでしょうが「花咲かじいさん」をテーマに書いて行きます。
改めて思うに、花咲かじいさんと称されている物の、そのように称された主人公にしてみれば、決してそのような物にはなりたくはなかった事でしょう。少なからずの昔話は主人公にとって良い結果となって終わる事になっていますが、この話に関しては、と言うか、他でもあり得る事なのですが、そこに至る道中は決して良い事ばかりではなく、悲劇ありきで成り立っているのです。
1つ目の悲劇として、わんこの存在に始まります。もともと、白と命名されていたこのわんこの存在において正直じいさんの夫婦は楽しくやっていけたのですが、わんこが周知の通り「ここほれわんわん」でお宝を発見した事に悲劇が始まります。
他でも言える事ですが、お宝の存在によって報われる人間に限って、案外恬淡としている傾向がありまして、このじいさんにしても、お宝があっても、1両も必要なかったのではないでしょうか。にもかかわらず壺いっぱいのお宝をわんこが発見してしまった事で、となりに住む欲張りじいさんがしゃしゃり出て来て、自分にも宝を探し出せと、強引にわんこを借りて行ってしまいました。
欲張りじいさんの思惑に外れて、見つけ出した物はお宝ではなく、ろくでもない代物だった物だから、わんこは殺されて、その穴に埋けられてしまいました。後日、その場所から木が生えて来たので、主人公はその木を切って臼を作りました。わんこの身代わりと言う事です。
臼の使い道と言えば、餅つきと言う事がすぐに思いつく事でして、早速餅をついた所、お宝が出てきました。ここから2度目の悲劇が始まります。本来ならば、そこで餅ができて、それを食べてご機嫌に終始できたところ、お宝を獲得しようとたくらむ欲張り爺さんがしゃしゃり出て来て、またぞろ臼を強引に借りて行きました。
果たして今度も思惑に外れて、ろくでもない物が出てきたものだから、そこでも欲張りじいさんの怒りが、臼を壊し、燃やしてしまうと言う方向に向きました。
最終的には、その時に出来上がった灰をまく事で、たまたまその場に居合わせたお殿様の目に留まり、枯れ木に花を咲かせたことで、喜んだお殿様から褒美に与る事になりました。しかし、改めて、ここまでの経緯を見て行けば、そこまで行く事が主人公にとっては良い事とは言えません。それ以前にとどまっていられたほうが良かったのではないでしょうか。

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相手の逆恨みにまで配慮していられるか

「ボクのおとうさんは、桃太郎というやつに殺されました。」が教えてくれること

最近、一方的に自分の主張ばかりをしたり、価値観が違う相手を攻撃したり無視したり、相手の立場や、自分と異なる考え方の人を尊重しないような風潮が気になっています。

せめて自分はそういうことがないように、「相手の立場を考える」ということを、常々意識するようにしていて、自分では実行しているという自負もありましたが、それは、ただ自分がそういうつもりになっているだけではないかと、考えさせられることがありました。
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それは「めでたし、めでたし?」というタイトルの、ある広告コピーを目にしてのことです。

「ボクのおとうさんは、桃太郎というやつに殺されました。」という子供が書いた文字に、涙を流す子鬼のイラスト、合わせて「一方的な『めでたし、めでたし』を、生まないために。広げよう、あなたがみている世界。」というメッセージが記されています。

これは、日本新聞協会広告委員会が開催した「2013年新聞広告クリエーティブコンテスト」の最優秀賞、東京コピーライターズクラブの2014年TCC賞最高新人賞を受賞した、コピーライターの山﨑博司氏の作品です。

山﨑氏がこのコピーを考案したきっかけは、シリア内戦に対するアメリカの軍事介入だったそうで、「世界にとって“正義”であると 世の中は思っていたのかもしれない。しかし、限られた情報の中で、ものごとを一方的に決めつけてしまうことが本当に正しいのか。それを桃太郎の話に重ね合 わせて世に問いたかった」とのことで、政治的アピールや反戦運動をしたかったわけではなく、“物事を様々な側面から考えること”、“相手の立場に立って考 えること”の大切さを伝えたかったということでした。


ここでは、立場が変われば、考え方も異なると言う事でして、要するに相手には相手の考え方があるのだから、かような一律的な考え方は良くない。相手の立場にも立って考えてみようと言う事が言いたいようですが、果たして真の意味でお互いを客観視した考えができるのかと言う事がはなはだ疑問なのですよ。
とりわけ、左巻きはかつての日本を客観視して考える事をせず、まずもって日本悪しきで物を考えていますからねぇ。
つまり、ここでは鬼が理不尽に桃太郎によって叩かれた気の毒な存在として強調されていますが、ではその鬼の立場にかつての日本を当てはめていても、そのまんまの考えを維持できるでしょうか。
彼ら的には、かつての日本は見境なしの周辺に対する侵略を行ったから、カウンターアタックを食らって馬鹿を見る結果となったのは因果応報だと見なしているのではないでしょうか。
「桃太郎」の世界における鬼とはそう言う事ではなかったのではないでしょうか。
普遍的な悪を制裁する立場に日本が就こう物ならば、制裁される鬼を、理不尽ないじめに出くわした被害者として、またぞろ日本悪しきの発言をするだけの事ではないのではないでしょうか。

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世界一馬鹿な物語

みなさんこんにちは、わが居住地たる関東地方は、元旦以来、ほぼ晴天が続いております。すでに述べたように、今日は、今年2回目の休みでして、いまだ見正月の有様であります。今日は、ようやく、大晦日放送の「風林火山」の総集編に入りました。
まあ、それはさておき、急いで本題に入ります。今回は、昔話考察の2回目として「世界一馬鹿な物語」をお送りします。その元となりますのは「シンデレラ」です。
この「シンデレラ」は漫画の「こち亀」でも、秋本麗子が女性の夢として、単純に羨望の物語とされています。ところが、それに対して両さんは「あんなものは、単なるミス・ユニバーサルのようなもので、主人公が器量よしだから、ああいう結果になっただけで、器量がよくなければ、王子から見向きもされんぞ」と批判的でした。
では、わたしはというと「世界一馬鹿な物語」と称したくらいですから、もっと突っ込んでみたいと思います。
周知のとおり、主人公は、早くして生母を失い、連れ子を有する継母と、その子供たち、すなわち、主人公にとって義理の姉によって嫌がらせを受けます。平成13年度のラジオドイツ語講座では毎月1回、ドイツの物語を紹介していましたが、その中の「灰まみれ」というのが「シンデレラ」に相当する物語でして、その中では、義理の姉たちは、豆を灰にばら撒いて、それを主人公に拾わせていました。ゆえに「灰まみれ」と称されたわけです。
さて、お城では、王子の后を決めるための舞踏会が開かれることとなり、継母は、自身の娘を玉の輿にすべく、送り出します。当然、シンデレラは残されるわけですが、ここで見る分では、主人公の家はそこそこに裕福だったようですが、よこしまな継母のために主人公は女中のごとき身分に落ちぶれていたわけです。
そうした失意の主人公のために、魔法使いが、かぼちゃの馬車をしたてて、主人公を舞踏会に送り込みました。ただし、夜半過ぎになると魔法は解けるので、それまでには撤退すべしという条件で。果たして、主人公は王子の歓心を受くこととなり、次回の舞踏会の折にも、やってきた主人公がよその男と躍らせないよう、かっさらうほどのご執心でした。
ご存知、この後、夜半過ぎになって主人公は片一方の靴を脱げた状態で撤退を行います。彼女に執心の王子は何とか彼女を見つけ出そうと、その靴を手がかりにするわけですが、多くの女性が玉の輿を狙って、自分こそが、と名乗り出てきます。早い話がうそつきですね。
物語では、その靴は主人公以外には合わないものとして、足実検によってことごとく別人だとして斥けられてしまいます。
よくよく考えてみれば、この段階で、王子の馬鹿っぷりが現れているではないでしょうか。こういう場では、何も靴を手がかりに足実検などせずとも、首実検で良いのではないでしょうか。何しろ、彼はよその男と躍らせないほどに主人公に熱心だったのではないでしょうか。シンデレラと踊っていたとき、どこを見ていたのでしょうか。相手の顔を至近距離から拝むには格好の状態ではなかったのでしょうか。それとも、彼は足フェチで、足を見ていたのでしょうか。
このあとに、彼の馬鹿っぷりがエスカレートします。何とか、主人公の住居をかぎつけたところ、継母が、チャンス到来とばかり、件の靴に合わせるべく、まずは長女の足の指を切ってしまいます。
普段の主人公は灰まみれ状態で、舞踏会に登場したときの垢抜けた状態とは異なっていますが、それでも、王子が、意中の異性を見抜けないというのも、あまり良い気分ではありませんが、だからといって、件の靴に合った足を持っていると自称した別の女性と間違えるとは、王子の馬鹿はここに極まれりというべきでしょう。しかも、彼は2度も間違えました。先の長女の妹はかかとを切って、でっち上げを行いましたが、いずれも、王宮へ出向く途中、足から血が出てとまらない状態になってようやく気づく有様でした。
まったくもう、意中の異性の顔なんだから、しっかり覚えときなよ。

まあ、こんなことを書いてみましたが、それをいうならば、「遠山の金さん」なんかは「世界一馬鹿ドラマ」かも知れませんね。
このドラマでは、毎度毎度、桜吹雪の刺青を見せ付けられて主人公に痛めつけられた悪者たちが、奉行所に引き立てられて、そのときとおんなじ顔をした男、すなわち遠山金四郎が正面にでても、再び桜吹雪を見せて初めて同一人物だと気づく馬鹿っぷりを示していますからね。
いやいや、悪者どもは、それが1回限りだからまだしも、レギュラーで登場する北町の若い同心の場合は、頻繁に、奉行と金次に会う機会があるわけですから、こちらは、もっと不審がらなくてはいけません。
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