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趣味:緑地や山のほうへのハイキング
映画、ドラマ:戦争映画や時代劇が中心。アイドルやトレンディドラマの類は興味なし
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竹島はわれらが領地なり

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利益認識の乖離291

「利益認識の乖離」第291回目です。
「いきなり黄金伝説」の節約バトルに参加するタレント(主に芸人)にとっては、それも仕事の範疇と言う事であります。決してそれしか仕事がないと言う訳ではなく、往々にしてよその仕事とのかけ持ちでの参加と言う事になりまして、そのかけ持ちの最中で、楽屋において弁当の支給がなさる事がありますが、節約バトルでのルールにおいては、外部において用意された食事を食べてはいけないと言う事であります。そのために建前としては支給される物の、事実上は辞退と言う事に他ならず、参加者がどこかのグループの1人であったならば、そうした弁当はよそのメンバーによって消費されてしまうと言う事もあり得ました。
それと反対に、「内輪」でならば、例えばコンビニ弁当を購入すると言う事はちょんぼではありませんが、たった1万円からの出費となれば、必然的に大きなダメージとなる事から、そのような事を行う事は現実としてあり得ない事でした。
さて、この節約バトルのルールからするに、現実がどうであれ、建前からすれば、まったく仕事がなく、ナマポよろしく支給された1万円のみで食費、光熱費を賄うべしと言う事が求められている訳ですから、現実の少なからずの人間が仕事のために時間に事欠くのと反対に、それらの参加者にとっては時間余りの状態にあるのです。
そのために、一般社会においては「お金に糸目をつけない」と言う言葉がありますが、節約バトルの世界においては「時間に糸目をつけない」と言う考えが優先されるべきでした。
「お金に糸目をつけない」と言うのは、お金を潤沢に持っている人間の発想でして、節約バトルの世界においては最もべからざる発想でして、その代わりに「時間に糸目をつけない」と言う事を意識せざるを得ない状態にあったのです。そのために往々にして、ごくわずかのお金の消費を抑制するために時間的な物は度外視した行動が目立った物でした。その一例として上げられるのが、できるだけ安価で済む食材を求めるために、自転車を駆って、何時間もかけて遠方のスーパーまで出かけて行くと言う事でした。
そしてもっと極端なのが、濱口優によって行われた、山中、そして海っぺリに出かけて、魚とりに高じると言う物でした。この行動が後になって「無人島ゼロ円生活」へと「発展」して行くのですが、そこでも食料獲得のためには時間の消費度外視で深夜にまで及ぶと言う事が頻発したのでした。

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利益認識の乖離290

「利益認識の乖離」第290回目です。
昨年完結した「いきなり黄金伝説」の中での大きなテーマとして節約バトルと言う物がありました。そこでは、1万円で30日分の食費、光熱費を賄う事を前提の上で、30日たって、どれだけお金を残す事ができるかを競う物であります。バトルと言う言葉が含まれているように、一応はよそとの競争と言う事がある訳ですが、その実態はまずは自分に克つと言う事になって行きます。
さて、この節約バトルを現実に世界に当てはめて考えるのならば、仕事がなく、生活保護において毎月1万円の支給がなされと言う風に考えればよいでしょう。実際、生活保護においてはもっと多くの支給がなされると思いますが、このバトルにおいてはよそでどんな収入があるかと言う事は考慮されない事が前提となっているので、そのような物だと考えて良いでしょう。
実際、このバトルに挑戦する芸人その他にはよその仕事と言う物があるし、よその売れない芸人の中にはアルバイトを掛け持ちしていると言う話もありますが、やはりこのバトルのルールとしては、そうした事は一切無視して、よそには仕事はない、収入はないと言う事が前提となっています。
自分のように「いきなり黄金伝説」を見るだけの人間の場合、往々にして収入を得るための仕事がある物でして、お金以上に時間に事欠く人間の方が多数派でしょう。自分自身に限って言っても、いろんな意味で時間に事欠く事が指摘できるありさまでして、第一に19時までに帰宅できると言う事がなく、その段階において生で見ると言う事は不可能でして、あらかじめDVDへの収録が必要になってしまい、その上ですらも、時間の節約のために1..5倍速で見ています。このおかげでCMを飛ばす事も含めて、30分での視聴が可能となりました。
さて、時間に事欠くと言う自覚のある人にとっては料理と言う事も、時間のかかる煩雑行為として忌避してしまう事が多く、コンビニ弁当で済ませてしまうと言う人もいるでしょう。自分の場合は、コンビニ弁当も高価な代物と言う意識があって、そう言う選択もしないで、朝も夜も食パンで済ませてしまうし、勤務日の昼間は食事抜きでひたすら昼寝に徹しています。
高校生の時は今ほどやる事、できる事が少なかったせいか、10時間寝ていた物ですが、今では夜間の就寝は6時間に減少し、その代わり昼寝が不可欠となってしまいました。とりわけ、勤務地においては自宅に比べてできる事が少ないですから、めいっぱい寝ていると言う事であります。

長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^

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利益認識の乖離289

「利益認識の乖離」第289回目です。
NHKで放送されている「知恵泉」で一番嫌いだったのが、安易に下々の者がこう言う事が好きだと決めてかかって独りよがりになってしまう事でした。だからその中でも「すべての社員が成長したがっている」と言うようなとある自動二輪の社長である徳重などは最も好きになれない存在でした。自分自身の心得にとどまっている分には良いでしょうが、安易に他人に期待するのが良い事ではありません。
褒めてやれば、認めてやれば、と言う話にしても、受け手にしてみれば、しかるべき利益を追求するための道具でしかなく、はなからそれ自体を追求している訳ではない。少なくとも、利益を度外視する事を前提にそうした事をやれば喜ぶなんて経営者としては考えてはいけないのですよ。
しかし、少なからずの経営者はしかるべき利益の提供には触れないままに、そうする事で、結果として肝心な事に関してはごまかしてしまおうと言う人間が少なくないと思います。ただ、ひたすらに褒めてやることが素晴らしい事だと言う考えに浸りきって、そのくせ、そこに至るまでにべらぼうな高望みをしてはいないでしょうか。
主観的には、ある意味、楽ができる状態で良い評価が受けられる望みが必要だと思います。既存の負担の中でできるようでなくてはいけません。余計な負担がのしかかるくらいならば、どうしてもっぱら業績評価をよろしくしようと努力するでしょうか。負担が重くなるほど、そうした物に対する拒絶感、抵抗感が強くなるのが必然なのではないでしょうか。
しかし我が国にあっては、そうした物に与るためにも、少なからず高望みがされている以上、少なからず余計な負担がのしかかってしまって、とどのつまりが大かれ小かれ超過勤務が必要になってしまうのが現状なのではないでしょうか。超過勤務がのしかかればのしかかるほど、よしんば業績評価がよろしかろうとも、そのうまみは薄まってしまう物です。
超過勤務手当がでない、そして超過勤務が出ない環境だからこそ、業績評価かよい事で得られる手当にも多分に意味があるのでしょうが、超過勤務が頻発してしまえば、超過勤務手当の方が大きくなってしまう事だってあるでしょう。それくらいならば、始めから超過勤務に徹してしまった方が良いに決まっているでしょう。必要もないのに、わざとのろく仕事をやって超過勤務手当に与る人間が続出したとすれば、そうし高望み志向に原因があるのだと言えましょう。

長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^

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利益認識の乖離288

「利益認識の乖離」第288回目です。
去る1月に「高望みがひどいからだろう」と言うタイトルでエントリーした事がありました。
そこでは日本で仕事をした中国人が、日本人は単独で責任を負いたがらず、多くの人間に分散させる傾向が多いと言う点を指摘していました。それに関しては、タイトルにあるような解釈をした物です。ただでさえ限定されていて、かつ低く抑えられている傾向にある給与に比べて、どれだけ責任が課せられるか分かった物ではないとなれば、すなわち、課せられている責任が給与応分にとどまる事ができないと言う懸念があるのならば、どうして自身の責任を自覚して動く事ができるでしょうか。報酬不相応に無制限の責任を課せられるなんてとんでもないと言う風に考える人間が続出するのが自然な成り行きではないでしょうか。
にもかかわらず、責任を課す側の方の中には、あたかも責任を負う事が素晴らしいかのような感覚で物を考える傾向がある事があります。給与が低いままに、〇〇リーダーの様な、御大層な肩書をあてがうなんて話がどこかであった物です。結局それは経営側にしても、少なからず責任逃れをしようと言う意図があって、このような一見見栄えの良い物によって、体のいい責任転嫁をもくろもうとしているのです。
さて、責任逃れをしたくなるような環境の下では、一方では業績評価なんかも放棄してしまう事になるでしょう。しかし、そのような環境の下では案外業績評価なんて代物は嫌われ者状態になっているのではないでしょうか。
いくら出来が良ければ褒められるなんて建前があった所で、所詮は、そこに至る過程で高望みが強いられているとしたら、できて当たり前とみなされる物ですら、高望み状態にあり、良い評価に与ろうと言うのであれば、それ以上の物を目指さなくてはならないでしょうし、しかも、そのような物を嬉々として自主的に目指したがる物だと言う前提を押し付けられる事になってしまう物なのです。
それでも、良い結果として認められた場合、それ応分な報酬が出るのであれば良いのでしょうが、必ずしもそうでないとしたらいかがな物でしょうか。我が国にあっては、決してそのような懸念を抱くようなケースは珍しくないと思います。

長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^

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利益認識の乖離287

「利益認識の乖離」第287回目です。
去る6年前にはタイガーマスク寄付にちなんで「他人願望」なる物を書いた物ですが、そこではよしんば善行だろうとも、正体を隠ぺいして行う事に関する心理を書きました。その第一の理由としては、できる奴だと目を付けられてさらなる高望みをされる事を回避しようと図ったのではないかと解釈しています。
それが悪事であるのならば、自身の正体を隠ぺいしようと言う思いにも、理解がしやすいでしょうが、善行だにそうなってしまうのには、やはり周囲の高望みと言う物があるからなのでしょう。外国からすれば、往々にして日本人は謙虚な所があるからと言う指摘がなされるでしょうが、決してそれだけではないと言う事です。
昨今での宅配での悲劇と言う物を見れば、所詮は、寄付もまた受益者からすれば、必ず見返りを提供しなくてはならない行為ではないと言う事です。見返りがないと分かれば、かさにかかって、さらなる高望みをしようと言うやからが出てきたとしても異常な事ではありません。
寄付を行う過程で、そのような嫌な思いをする可能性がないとは言えないでしょう、漫画の話で、前にも紹介した事がある話ですが、「マカロニほうれん荘」に出て来るトシちゃん25歳などは七味とうがらしと言うペンネームで売れっ子作家になっていた物の、その時の稼ぎを横暴な慈善団体に略奪同然に寄付を強いられた物でした。
そのような事例があるのであれば、個人情報保護に関しても、著しく過敏になってしまうのも納得が行くと言う物です。不特定多数の他人が、どこでどんな自分に関する事を嗅ぎつけて、どんな高望みをしてくるか分かった物ではありません。そうした物に対する警戒を強める事で、少なからずの人間が、いろんな形で「伊達マスク」を着用していると言えましょう。
さて「他人願望」の中では馬の骨願望と言う一種の概念を書いた物でした。少なくとも自分にとって好ましくない状態の下では、他人に注目されないで済ましたい。そんな思いをそのように表現した訳であります。伊達マスクをしている人間は、そう言う願望を抱いていると言う事でしょう。そして、伊達マスクをしないでいる人間だって、その点では大して変わらないのだと思います。自分の望んだだけ馬の骨になれていると言う意識があれば、伊達マスクは必要ないからです。問題は自分の望んだだけ馬の骨でいられるかどうかと言う事なのです。

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