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バーチャルとどっちが先に実現するか

人間はロボットとセックスするようになるのか


凄まじい進化を遂げているAI、そしてセックスロボット。これらの発展は寂しい男女を救うのか。それとも侘しさを増やすだけか。「プレジデント」(2019年11月29日号)の特集「孤独を100倍楽しむ」より、記事の一部をお届けします――。
■力を発揮するのは孤独より孤立の解消

AIの進化が人の孤独を癒やすかといえば、そうとは言い切れません。

人間が犬や猫などのペットに限らず、ソニーのロボット犬aiboにも癒やされるのは、なぜでしょうか。それは、人間が彼らと双方的にコミュニケーションが取れていると“感じることがある”からです。つまり、飼い主である人間がペットやaiboに一方的に愛着を抱いている場合がほとんどです。当然ながら、aiboに人格と呼べるような意識はありません。人間の親近感や愛着とは、極めて主観的なものです。

現在、自律的に思考できるAIの技術開発が進んでいます。また、人間と自然に会話できるAIの開発研究も進んでいます。普段、苦労なくしゃべっている私たちは気づきにくいですが、人間同士の会話は複雑な構造によって成り立っています。

人間が言葉の意味を理解するときには、その言葉以上の、あるいは以外の文脈も同時に理解しています。例えば、カップルで交わされる「大キライ」という言葉は、本当に相手のことを嫌いだから言っているのではなく、愛着を持って甘えているときに使われるケースもあります。
■人間と会話を成立させるための開発

文脈を理解するためには、情報が必要です。前後の文章や話すスピード、抑揚によって意味は大きく異なり、それらをくみ取って私たちは初めて言葉の意味を理解できるのです。そのため、AI研究において、人間と会話を成立させるための開発には長い時間を要してきました。

仮にいま、こうした会話の文脈の理解ができるAIが開発されたとしましょう。その場合、我々の生活にどのような影響を与えるでしょうか。

例えば、一人暮らしをしている高齢者にとっては、そのAIが話し相手になってくれるでしょう。しかし、いくら会話ができても、そのAIに親近感や愛着、あるいは掛けがえのなさを感じなければ、やはり孤独が癒えることはないでしょう。場合によっては、AIと話をするほど、自分の境遇をかえりみて、孤独を感じることがあるかもしれません。

ところで、そもそも、人間にとって孤独はどんなときも悪いことでしょうか。実は、必ずしもそうとは言えません。ドイツの哲学者マックス・シュティルナーは「孤独は知恵の最善の乳母である」と言っています。孤独感は、創造性を育む土壌である、そう考えられることもあるのです。

アカデミックな文脈で言えば、孤独(loneliness)とは、「ひとりぼっち」と感じる心理状態のこと。いくら友人関係に恵まれていても、本人が孤独と感じれば孤独ですし、友人が1人もいなくても、本人が孤独と思わなければ孤独ではないのです。哲学者の三木清の言葉を借りれば「孤独は山になく、街にある。1人の人間にあるのではなく、大勢の人間の『間』にある」わけです。

その点で、社会学は「孤独」よりも「孤立(solitude)」を問題視します。ここに言う孤立とは、社会的に福祉の対象から外れてしまい、生存が危うい状態に置かれている状態のことです。近年問題になっている独居老人の孤独死は、正確に言い直せば「孤立死」です。

AIに何かを解決できる能力を期待するとしたら、それは会話によって孤独を埋め合わせることよりも、一人暮らしの高齢者が家から出ず、寝たきりになっていないかを判断し、適切なタイミングで行政や民間の福祉サービスに接続するような社会的な役割、その意味でのソーシャルロボットの役割でしょう。AI搭載型ロボットが福祉に貢献するのは、人々の孤独よりも孤立の手当てにおいてではないでしょうか。

むろん、ソーシャルロボットが普及し、社会的孤立の問題が解消されることで、個人の孤独も解消されることもあるでしょう。ソーシャルロボットが遠隔的にであれ、孤立した高齢者が何かしらのコミュニティに参加する手助けができれば、間接的に「AIが孤独を解消した」と言える場面も出てくるはずです。
■セックスロボットに交換不可能性を見出す

冒頭の話に戻ります。人間が対象物に親近感や愛着を抱くのは極めて主観的な作用だと説明しました。では、そうした感情や感覚は何に由来するのか。それは、その人がある対象物に見出す「交換不可能性」です。

同じ犬種でも、うちの犬が一番かわいいと思う、あの感情です。実は、人間がこの感情を抱くのに、対象物と会話できるかどうかはあまり重要ではありません。

その証拠として、長年連れ添ったaiboが壊れてしまったとき、涙を流す人の例を挙げられるでしょう。aiboは人間と会話ができません。しかし、飼い主はそのaiboと何年もコミュニケーションを取ってきたという履歴により、そのaiboに固有性を見出します。

aiboは鉄の塊にすぎず、一つひとつのパーツは交換可能な存在でも、飼い主は勝手にそのaiboに固有性を見出すのです。つまり、AIの技術発達とそれが孤独を埋め合わせるなど、親近感や愛着を感じやすくなるかは全く別の議論です。

それはいま話題となっている、セックスロボットも例外ではありません。最新のセックスロボットは、人間の肌に限りなく近い全身シリコン製で、人間の触感をほぼ完璧に再現できています。また、センサーが全身に埋め込まれており、タッチされることで本当の性行為のときのように反応するという生身の人間に近い高度な機能を持ち合わせています。

現在、WHO(世界保健機関)は「セクシャルヘルスケア」の文脈で人間が性的に充足した生活が送れるという意味での「健康」の重要性を説いています。セクシュアリティと性的関係への積極的で敬意を持ったアプローチと、強制、差別、暴力のない、楽しく安全な性的経験を持つ可能性が必要であるというわけです。

このような観点から、例えば機能性重視の女性向けラブグッズも開発されており、セックスロボットの開発者は――性暴力に関連する諸問題が指摘されていますが――、セックスロボットはむしろ、「セクシャルヘルス」に貢献すると主張しています。

そんなセックスロボットの開発は、プレーのときに相手(オーナー)のニーズに的確に応えるという意味で優秀であることを目指しています。

しかし、オーナーに対するある調査研究は、aiboの例と同様に、オーナーが本当にロボットに求めているのは、性的快楽というより親近感や愛着などを感じる「パラソーシャル」な関係であることを発見しています。彼らがセックスロボットに本当に見出している価値は、「彼女」と一緒に旅行したり、部屋で映画を見るなどして同じ時間を過ごしているうちに形成される経験であり、思い出だったりするわけです。
■セックスロボットに固有性

そのような思い出が増えるに従って、オーナーはセックスロボットに固有性(=交換不可能性)を見出し、性的関係はそのような「パートナーロボット」との、付帯的な、二次的なものでしかなくなるようです。

つまり、オーナーの主観によって、そのセックスロボットは単なる性的快楽を満たす道具にも、自らの孤独を埋め合わせる掛けがえのない存在にもなりうるわけです。

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堀内 進之介(ほりうち・しんのすけ)



ロボットの発達からすれば、そう言う事が思い付く事も大ありでしょうな。それが現実になれば、既に存在しているリアルドールよりも有利になる所があるでしょう。リアルドールの場合は、重たいですから、万事ユーザーが持って動かなくてはならないですから、必然的に、行為に関して制約が生じると言う物です。それ故にてめえで動いてくれれば、その分楽になる事は間違いないだろうし、敏感であるべき所を刺激すれば、しかるべきリアクションをしてくれると言うのであれば、ユーザーにしてみれば、行為にふけりがいが出てくると言う物でしょう。
ただ、それでも、ユーザー自身が早漏であったならば、逆にドールからけちを付けられるなんて落ちがあるでしょうな。まあ、その辺の所は、調整できるようになるのでしょうが、結局、既存のリアルドールよりも高くなるだろうし、よしんば購入できるだけのお金があっても、昨年指摘したように、それ以外の要因によっても結構ハードルがあると思います。やはり、それよりは映画の「トータル・リコール」にあるようなバーチャルな体験の方がある意味実用的なんじゃないかと思う次第です。バーチャルの世界でならば、普段は早漏な人間も絶倫になれるとなれば、そちらの方がありがたいのではないでしょうか。


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にんじんは煮込み物のみ

「ニンジンの皮はむかなくていい」投稿話題、野菜や果物の皮は食べてもOK? 栄養は?


ニンジンは皮をむいてから料理に使うのが一般的ですが先日、ある男性料理研究家の思い出話がSNS上で話題となりました。付き合っていた女性にカレーを作ってもらった際、ニンジンが皮付きだったことに仰天し、口論になったという内容でした。その後、男性は女性が正しかったことを認め、「ニンジンの皮はむかなくてもいい」と呼び掛けており、SNS上では「皮はむきたい」「むくのが面倒くさい」などの声が上がっています。

 ニンジンを含め、野菜や果物は皮をむかずに食べても問題ないのでしょうか。料理研究家で管理栄養士の関口絢子さんに聞きました。
ベータカロテンは実の2.5倍

Q.ニンジンの皮をむかずに食べても問題ないのでしょうか。問題ない場合、栄養価の面で、皮付きと皮をむいた状態ではどちらがよいのですか。

関口さん「ニンジンの皮は食べても問題ありません。むしろ、皮に栄養素が多く含まれており、ベータカロテンは実の部分の2.5倍も多く含まれています。泥や汚れはきれいに洗い流した上で、むかずに食べた方がよいです。時間がたつと皮が黒ずむことがありますので、サラダなどを作る際に色が気になる場合は、薄く皮をむくとよいでしょう」

Q.ジャガイモはフライドポテトなどで、皮付きで提供されることもあります。皮付きと皮をむいた状態では、どちらの方が好ましいでしょうか。

関口さん「ジャガイモもニンジン同様、皮ごと食べた方が栄養的には好ましいです。皮にカルシウムや鉄分が含まれるためです。マッシュポテトやコロッケ、サラダのように皮が邪魔をするような場合は、ゆでる際に皮ごと調理することで栄養の損失が少なくなります」

Q.リンゴをそのままかじって食べる人もいますが、やはり、皮付きで食べた方がいいのでしょうか。

関口さん「リンゴも皮にポリフェノールや食物繊維が多く含まれるため、皮付きの方が栄養的には優れています。全ての野菜や果物にいえることですが、皮の部分は紫外線やバクテリアから身を守るため、抗酸化作用や抗菌作用のある『フィトケミカル』という機能性物質を多く含んでいます。ポリフェノールもフィトケミカルの一種です。

また、ペクチンなどの食物繊維も皮に多く含まれています。皮をむいて食べるのは、むしろ栄養素を捨てることになりますので、食べられる皮は食べた方がよいでしょう」

Q.それでは、皮は食べられるものの、極力むいてから食べた方がよい野菜や果物はあるのでしょうか。

関口さん「ミカンなどのかんきつ類や、毛の生えたキウイ、アボカドのような硬い皮、玉ねぎの茶色い皮などを除き、ほとんどの野菜や果物は皮も食べられます。例えば、ダイコンは皮にビタミンCが多く、ゴボウやショウガは皮に香り成分が多いといわれます。ナスは水分がほとんどでビタミンは少ないものの、皮に含まれる紫色の色素が『ナスニン』というポリフェノールで、高い抗酸化力を持つことが知られています。

ブドウも皮にポリフェノールが多く含まれ、皮をそのまま使う赤ワインにはポリフェノールが多く含まれます。皮をむいて食べるのは個人的な嗜好(しこう)ですが、皮には多くの機能性物質が含まれています」

Q.野菜や果物を皮付きで食べるときの注意点はありますか。

関口さん「汚れや泥がついている場合は、野菜専用のタワシできれいに水洗いし、ジャガイモの場合は『ソラニン』という毒素のある芽をしっかり取ってから使いましょう。カボチャの皮にはゴツゴツとした硬いイボが付いている場合がありますが、食感を損ない味的にもよくないため、削いでから使うのがよいでしょう。そのほか、洗っても落ちにくい泥や、くぼみの汚れなどは包丁で取り除いて使います」

Q.皮付きで食べても問題ない野菜についても「皮をむくもの」という認識が広がっているのはなぜでしょうか。

関口さん「調理学の教科書は丁寧に皮をむき、水にさらして白く仕上げたり、パリッとさせたりするなど、見栄えよく調理するという観点で書かれています。しかし、最近は栄養的な観点から、調理法も変化しています。できるだけ丸ごと食べるという『ホールフーズ』の考え方、栄養的な損失を極力減らす調理法など、現代人が摂取しにくくなった栄養素を少しでも取れるようにという意味合いもあるでしょう。

最近では、『ベジブロス』といって、食べるには適さない部分をだしに使って栄養素を抽出したスープが注目されています。野菜や果物に対する栄養的な関心が高まっているのだと思います」

Q.関口さんご自身は普段、ニンジンやゴボウ、ナスなどは皮をむいてから調理しますか。それとも、むかずに調理していますか。

関口さん「できるだけ、食べられる部分は捨てないで使う、あるいは栄養の損失の少ない調理を心がけています。例えば、サトイモのぬめりはゆでこぼすという調理が一般的ですが、ぬめりが大事な栄養分なので皮ごとゆでて閉じ込め、後から皮をむきます。これで、栄養の損失を防ぐことができ、さらにもっちりとした食感もプラスされて一石二鳥です。

春の味覚であるウドは、皮が硬く、厚めにむいて調理しますが、皮は千切りしてきんぴらにすると歯応えのある一品になります。ゴボウもナスも水にさらすといわれますが、さらす必要はありません。色を白く仕上げる必要がなければ、これらのアクもフィトケミカルの一種です。ゴボウもナスもよく洗って皮ごとそのまま調理します。

野菜や果物には水溶性のビタミンが含まれ、切ったものを水に漬けると流出します。目に見えないものだからこそ、見栄えより本質を考えて自然の恵みを頂きたいと思っています」


さすがに玉ねぎの皮はむくと言うのが当然ですが、この記事に出くわす前から久しく、じゃがいももにんじんも皮をむかずに食べというのか倣いとなっています。それは栄養的な視点からの物ではなく、単に皮をむくと言う手間を惜しんだからに他なりません。
もっとも、最近では、じゃがいもに比べてにんじんの場合は、消費の手段が限られていると言う事から、本来にんじんであてがう部分には、冷凍食材のミックスベジタブルに差し替えるようになって来ました。
何しろ、一回の食事で一本完全に消費すると言うのには多すぎると言う事から、何回かに分けて消費すると言うやり方であったのですが、それだと、残りは次第に中身がすかすかになってしまい、さらには腐ってしまうと言う風になってしまうと言う事が昨今意識されてきたからです。
それに対して玉ねぎの場合は、同様に一回の食事で一個完全に消費すると言う事がなく、一回で4分の1ずつと言う事にしてはいるものの、にんじんに比べて消費の手段が多くて済む物だから、腐ってしまう前に完全に消費すると言う事が可能であります。


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ポスと手下の関係

想像を絶する「シロアリの女王」の虚しい最期 人間の生死だけが特別なわけじゃない



29の生き物たちに運命づけられた、それぞれの生と死。そのユニークな生態を紹介しつつ、余韻に満ちたエッセーに仕上げている。予想した以上の奥深さ。出合えたことを幸運に思える本だ。『生き物の死にざま』を書いた静岡大学大学院の稲垣栄洋教授に聞いた。
知られざる蚊の「死にざま」

──蚊(アカイエカ)の物語、切なかったです。

交尾を終えたメスが、幾重もの困難を突破して家に進入し、人間の肌に着地し血を吸い取ることに成功する。後は屋外へ脱出し産卵という最後の最後、ピシャッとたたかれて死ぬ。1匹の蚊の命を懸けた大冒険は突如幕引き。でもそれは、「ただ、それだけの夕暮れ」。

──そのあっけなさと、生をつなぐための緻密な機能のコントラスト。無常感さえ漂うような。

蚊の口は1本の針のように思われてるけど、実際には6本の針が仕込まれていて、まずギザギザがついた2本の針で人間の肌を切り裂き、別の2本の針で開口部を固定する。さらに1本の針で麻酔成分と血液凝固を防止する唾液を流し込み、もう1本で目当ての血を吸う。いろんな道具を駆使する手術みたいなものです。

──それでも、死は容赦ない。

自然界の生き物は、ケガか病気か事故か、食われて死ぬ。その最期の瞬間まで精いっぱい生きていることで輝いている。人間は「自分はどんな死に方をするのか」とか「死は怖い」とか考えるけど、今生きてることに関しては割とうつろじゃないですか。今を生きていないというか。ここで書いた蚊の死に方はあっけないし、残ったのはゴミ箱に放り込まれたティッシュの血痕とペシャンコに潰れた死骸。でもそこにこそ生命の尊厳があるのかな、って思う。

──シロアリの女王アリを待つ残酷な運命も、結構シビアでした。

シロアリは家屋の基礎部分に巣を作り、腐った木材を食糧にします。そこを食べ尽くしたら新たな巣へ移動するのですが、巨大な女王アリは自力では移動できず、働きアリに運んでもらわなければならない。



人間の感覚で言うならば、働きハチや働きアリは女王ハチ、女王アリが生んだ卵から孵った以上は、それらは親子の関係にあると言えるのでしょうが、その関係は親子と言うよりはポスと子分の関係でしかないのです。よって、子分にしてみれば、ボスがボスとして役割を果たさない事には、ボスとして仰ぐ必要がないと言う事なのです。そして、ここで取り上げる分には、そのボスの役目とは、新たな子分、すなわち、古参の子分にしてみれば舎弟、と言うか、働きハチや働きアリは全て雌だから舎妹と言うべきでしょうか。それを創出する事こそ、ポスたる女王ハチ、女王アリの役目でして、その役目を果たせなくなったら、ご隠居様にすらしてもらえないで捨て殺し。まあ、虫なんて物は、往々にして、産卵を終えたら、それで生涯を全うすると言う事が往々ですからね。


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よその価値観に付き合う筋合いなどないからな

【読書感想】イスラム教の論理


内容紹介
神の啓示の言葉を集めたコーランによれば、異教徒は抹殺すべき対象である。彼らを奴隷化することも間違っていない。ジハードは最高の倫理的振る舞いである。その意味で、カリフ制を宣言し、シャリア(イスラム法)によって統治し、ジハードに邁進する「イスラム国」は、イスラム教の論理で見れば「正しい」のだ──。

気鋭のイスラム思想研究者が、コーランを典拠に西側の倫理とはかけ離れた「イスラム教の本当の姿」を描き出す。

「イスラム国」は、2017年にイラクのモスルとシリアのラッカという二大拠点を失い、その勢力は弱体化していると伝えられています。
まあ、「世界」が本腰を入れれば、こうなるよな、と僕は思ったのですが、著者は「イスラム国」という地域が失われても、「イスラム国」が主張していたイスラム教の理想が全世界のイスラム教徒をひきつけつづけることには変わりはない、と述べています。

イスラム教徒にとっては国境も国民国家も民主主義もグローバル化も、所詮は「人間の産物」にすぎません。しかしイスラム教はそうではありません。イスラム教徒にとってのイスラム教は、神が人間に恩恵として与えたものです。神の恩恵であるイスラム教が、人間の産物である民主主義に優越するのは、彼らにとっては「当然のこと」です。

私たち人間には「確かな真実」がわからないのに対し、神は全知全能だからです。私たちは未来の世界について想像することしかできません。しかしイスラム教徒にとっては、いつか神の法が世界を統治する日が必ずやってくるというのが確定された未来です。なぜなら彼らは、全知全能の神が世界をそのように創造したと信じているからです。

世界には様々な価値観を持つ人がいます。その中には私たちにとって好ましく、憧れの対象となるような人々もいれば、全く関わりたくないような人々もいます。私たちは一般に、それを「多様性」という言葉で肯定的に受け入れます。しかし世界にはこの「多様性」を否定的に捉え、世界はひとつの価値観に収斂されなければならないと考える人々もいます。

イスラム教という宗教は後者に属します。イスラム教徒ではない人にとってあまり嬉しいことではありませんが、それが事実です。イスラム教徒は従来の国家や地域の枠組みを越えた地球規模の拡大を目指すという意味では確かにグローバル化を志向しますが、それは私たちの考えるグローバル化とは全く異なるものなのです。

私はイスラム法の文献読解とフィールドワークを通して、イスラム教徒自身がイスラム教をどのように認識し論じてきたかについて研究してきました。本書はそれらを踏まえた上で、現代のイスラム教徒にとって世界はどのように見えているか、そしてそれは私たちの世界認識とどのように異なっているかと、具体的な事例から解き明かす試みです。

僕はけっこうイスラム教やキリスト教に関する本を読んだり、日本で生活しているイスラム教徒、あるいは、中東のイスラム教徒のなかで生活している日本人が書いたものに触れたりしてきました。

それらのなかでは、「イスラム教は基本的に平和な宗教であり、異教徒に対しても(とくにキリスト教やユダヤ教については)比較的寛容で、自爆テロを起こすような人々は、過激な狂信者なのだ」と言われていることが多いんですよね。

しかしながら、イスラム教徒が多い国では、「イスラム原理主義者」たちが支持されて政権を握ったり、アンケートでアルカイダのテロを支持する人のほうが多数派だったりしているのも事実です。  

2017年6月、オーストリアのイスラム教指導者たちがイスラム過激派テロに抗議する「反テロ宣言」に書名し、「イスラム教は平和の宗教であり、イスラム過激派やそのテロ活動はイスラム教の教えとはまったく一致しない」と高らかに宣言しました。ヨーロッパのイスラム教指導者たちがこうした宣言を行うのは、初めてのことです。

この宣言は冒頭で、「人を殺した者、地上で悪を働いたという理由もなく人を殺す者は、全人類を殺したのと同じである」というコーラン第5章32節を引用し、「イスラム国」は「我々の平和的宗教であるイスラム教を自身の政治的目的を達成するために悪用している」と非難しました。

しかしこの宣言にあるように、本当に「イスラム国」を初めとするイスラム過激派はイスラム教に反しているのでしょうか。
「イスラム国」の指導者バクダーディーは、2014年7月カリフとして初めて行ったモスルの大モスクでの説教において次のように述べています。

「神は我々に紙の敵と戦うよう、神の道においてジハード(聖戦)をするよう命じられた。それは宗教(イスラム教)を成就させるためである。至高なるお方(神)はこうおっしゃった。『あなたがたには戦いが定められた。だがあなたがたは戦いを嫌う(コーラン第2章216節)』。至高なるお方はこうもおっしゃった。『騒乱がなくなるまで戦え。そして宗教すべてが神のものとなるまで(戦え)(コーラン第8章39節)』」

結論からいうと、この説教内容はイスラム教の教えに反してなどいません。なぜならこの説教が典拠としているのは「神の言葉」とされるコーランであり、コーランの章句に立脚していればそこから導かれる複数の解釈はすべて等しい価値をもつ、というのがイスラム教の教義だからです。どの解釈が最も正しいのか、あるいは間違っているのかを判断、決定する権威者や機関はこの世には存在しません。

人間には本当のことはわからず真実は神だかがご存知、というのがイスラム教の大原則であり、解釈が複数存在する場合にどの解釈を採用するかは個人の選択に委ねられています。

つまり共にコーランに依拠してはいても相反する主張をしている「反テロ宣言」とバクダーディーの説教との勝負は、イスラム教の論理では引き分けとなるのです。「反テロ宣言」で引用されているコーラン章句が否定のできない「神の言葉」であるように、バグダーディーの説教で引用されているそれも「神の言葉」なのです。

しかし一方で私たちは「反テロ宣言」には納得し同意できるものの、バグダーディーの説教には納得も同意もできません。なぜなら前者は私たちの常識に近いため理解可能であり、後者はそれとは隔絶しているため理解不可能であるわけです。

私たちはイスラム教の教義や論理について全く知らないにもかかわらず、私たちの価値観に反しない理解可能なイスラム教徒だけが「正しい」イスラム教だと決めつける傾向にあります。


我々の価値観。あいつらの価値観。どちらが正しいと言う事は一概に言える事ではありませんが、連中が自身の価値観に関して最大限の自信を有しているのならば、なぜその国にとどまらないのかと言う事です。連中自身の価値観に外れたよその国に居ついて、その環境の下で、従前どおり、自身の価値観を振りかざされては迷惑と言う物です。キリスト教ほどに自身の心の内で完結する事なく、よそを振り回すなと言う事ですよ。

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冥王星は直参だぞ

冥王星、やっぱり惑星? 研究者が「格下げ」に異議

(CNN) 2006年にそれまでの惑星から準惑星へと区分が変更になった冥王星について、「格下げ」に異議を唱える声が一部の研究者から上がっている。当時の判断の根拠となった惑星の定義に関する説明がそもそも有効ではなかったというのが理由だ。

国際天文学連合(IAU)は惑星の条件として、太陽の周りを公転する天体であること、球形もしくはそれに近い形状を維持していること、公転軌道上の他の天体を排除していることを挙げている。冥王星に関しては他の天体を排除できるだけの質量を有していないとの見方から、惑星の条件を満たしていないという結論が下った。

準惑星への「格下げ」の決定をめぐってはこれまでも議論が起こっていたが、改めてこれに反論する内容の論文がこのほど米科学誌に掲載された。論文を執筆した研究チームは「他の天体の排除」という条件に着目。過去2世紀以上の文献を調べたところ、この条件を惑星の定義に使用している研究は、19世紀初頭に発表された1件のみだったという。

研究チームはさらに、惑星を区分する基準が1950年代に改められたと指摘する。そこでは惑星かそうでないかを決定するのは、当該の天体がどのように形成されたかによるとされた。

論文の主執筆者である米セントラルフロリダ大学のフィリップ・メッツガー氏は惑星の区分について、十分な質量があり、重力によって球形を維持しているかどうかを基準にするべきだと提言。それこそが「惑星の進化にとっての重要な段階であり、それが起きたときに天体内での活発な地質活動が始まるからだ」と主張した。


要するに質量の大小を言っているのでしょう。なるほど冥王星は小さい。惑星か準惑星かどちらかと言う詮索。さながら小大名か旗本かと言う分かれ目と言う事ですかな。
ちなみに「暴れん坊将軍」では、とある小大名が当家の知行を万石未満にしてほしいと言う要求をしてきて、田之倉孫兵衛を憤慨させる場面がありました。万石未満であれば大名でなく、旗本に「転落」するわけですが、その代わり参勤交代をしなくて済むからです。
冥王星が惑星であれば小大名。準惑星であれば旗本のような存在だとみなすのであれば、木星や土星の場合はさながら大大名であって、そうした大大名に従う重臣たる衛星には大名並みな知行を持つ物がいます。
と、一旦はそのように思ったものの、直後になって調べて見た所、我が地球の家臣たる月も冥王星より知行が上でした。
しかし、冥王星は、なりは小さくとも、それら陪臣と違って直参であります。

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