プロフィール

DUCE

Author:DUCE
趣味:緑地や山のほうへのハイキング
映画、ドラマ:戦争映画や時代劇が中心。アイドルやトレンディドラマの類は興味なし
外国関連:中国、韓国、北朝鮮と言った反日三馬鹿国は嫌いです。

竹島はわれらが領地なり

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

キター!

キター

plugin by F.B

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

一旦死んでしまえば大した事ないかも

「死後を考えるとゾッとする」死ぬのが怖い人の叫び「明日が来ない、目が見えない、時間が進まない、自分に戻れないことが怖い」

「死んだらどうなるんだろう」という素朴な疑問は、誰しも抱いたことがあるだろう。考えても明確な答えは出ないのに深く思いつめ、どうしようもない不安や恐怖に襲われるのはなぜなのだろうか。(文:ツマミ具依)

先日のガールズちゃんねるの「死にたくない人が集まるトピ」では、「死にたくないです。死後のことを考えるとゾッとします」というトピ主が、「なぜ人は死がこんなにも怖いのか」と問いかけていた。

「死んで明日がこないこと、目が見えないこと、時間が進まないこと、永久に自分に戻れないことが怖いです。死なない特別な存在に自分はなりたいです」

「死よりも死に方が怖い。痛くて、寂しくて死ぬのはやだ」
スレッドには、死を怖がる様々な理由が集まった。各々の死生観が垣間見えて興味深い。

「誰も死後の事を知らないから。 未知が人間にとっての一番の恐怖」
「死のなにが怖いかって、自分との別れが一番怖い」
「本能だよ。死ぬの怖くなかったら人類絶滅してるから」

こういった哲学的な命題は答えが1つではないからこそ、いろんな考えに触れて納得のいくものを見つけることが一番だ。

問題は死ぬこと自体ではなく死に方だという見解もあった。

「死よりも死に方が怖い。痛くて、寂しくて、死ぬのはちょっとやだなぁ」
「死んだあとというよりは、死に行く過程が怖い」

言われてみれば確かに、死ぬことではなく死を迎える過程に怯えているのかもしれない。「死ぬなら一瞬で死にたい」とよく言われるのは、その過程を最短化させたいからだ。

「子ども達の行く末を見たいから死にたくない」と、子どものためにも死にたくないという人も多かった。自分以上に大切な我が子をしっかり育てたい、少しでも長く見守りたいという気持ちは、気力を奮い立たせるのかもしれない。

「引っ越しみたいなもんだよ」と楽観的な見方も

死の恐怖に苛まれるトピ主にポジティブな意見を投げかける声もあった。

「人生がなんとかなってるように、死ぬことそれ自体も含めなんとかなる。死にたい人が増えてる中、死にたくないなんて思えるのは幸せなことだよ」
「健康で年取って、ピンピンコロリ。 死なないより、これが幸せだよ」
「死んだら死んだで、また別の世界で楽しみがあるんじゃないの? 引っ越しみたいなもんだよ」

生きていればいつか必ず死ぬ。避けようがないからこそ、前向きに捉えることも向き合い方の1つだと心得ておきたい。


引越しのような物。何とも面白い表現です。
ちなみに今の住所に引っ越してきて20年経つわけでして、当然、それは前の居住地よりも好条件を追求した結果に他ならなかったのですが、それでも引越しを行う事自体は、その直前は精神的に相当な負担でした。いざ当日になって動く時にはそれなりに全力疾走でして、引っ越しを否定的に考える事などなかったのですが、何にしても、大きな変化が生じる直前の方が不安になってしまうと言う事ですな。

クリックお願いします。<(_ _)>


クリックをよろしくお願いしますです。(人∀・)タノム


韓国(海外生活・情報) ブログランキングへ

ブログランキング・にほんブログ村へ 


人気サイトランキングへ



















スポンサーサイト

ナバロンの要塞に見る要塞論②

「ナバロンの要塞に見る要塞論」第2回目です。
前回の続きとして、要塞は人間にとって渇望してやまないあこがれと言う事でしたが、さすがに狭義としての要塞では語弊があるでしょうが、抽象的な意味合いとしては間違いない事なのです。それは別段人間に限った事ではなく、その他の動物にとっても言える事でしょう。外部からの脅威を遮断して自身の安泰を維持したいと欲するのであれば、要塞とはそうした欲求をかなえてくれる格好な代物なのです。
とりわけ眠る時などは、動物にとっても、よその生き物にとって目に付きやすい場所で眠ると言う事は格好の標的とされやすい物ですから、必然的に目に付きにくい場所で眠ると言う事は当然でしょう。魚の場合でも、岩陰とか水草の中とかならば、そうしたよそから目に付きやすいと言う事から逃れやすい場所として珍重されるのではないでしょうか。
あるいは穴を掘るなどの巣を作る行為などは、彼ら動物にとってはれっきとした要塞構築と言うのに値するでしょう。て、戻って人間にとっても住居を持つと言う事は、外部からの脅威を遮断して自身の安泰を図れる場所として、一種の要塞足り得ているのです。
1つの視点からすれば、俗に言われる引きこもりと言うのはけしからんと言う事になるのでしょうが、考えようによれば、それは人間にとっては一種の本能なのかも知れません。外部からの脅威から我が身を守ると言う事も本能の1つだと考えれば、引きこもりとはたまたま、わが身防衛の本能が強く出てしまっただけと言う事になるのです。
胎児にとっては母体こそが要塞と言う事でして、誕生するその時まで引きこもりにふける事ができる訳ですが、誕生とはそうした引きこもりを否定されて、外へ出撃をしなくてはならないと言う行為に他ならず、そのために万人が泣いて誕生した物です。
別段ここで引きこもりを大々的に肯定しようと言う事が趣旨である訳ではありませんが、当然推奨できる事ではありません。しかし、万人、外部からの脅威を遮断して我が身の安泰を図りたいと言う欲求がある以上は、大かれ少かれ引きこもりになり得る要素を抱え込んでいると言えるのではないでしょうか。

長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^

クリックお願いします。<(_ _)>


クリックをよろしくお願いしますです。(人∀・)タノム


韓国(海外生活・情報) ブログランキングへ

ブログランキング・にほんブログ村へ 

















不便の便利

世の中、単純に言って不便であるよりも便利である事の方が良いはずですが、万事が必ずしもそうとは限らない事がある物です。便利になったがために、却って新たな不便が出来上がるなんて事がある物です。
例えば爆撃機が爆撃をする場合、かつては照準器で頭上から狙いを定めてしかるべき状態に達したら爆弾を落とすと言うやり方が取られていた事がありましたが、それを行う場合、その最中は一定の速度、一定の高度を保って飛行する必要があり、その場合、爆撃機自体の性能が上がっても肝心の時には役に立たないと言う事で、そう言う意味で大戦末期に、ヒトラーがジェット戦闘機Me-262を高速爆撃機として使用した事は失敗だったのです。
正確に爆撃をするためにはスピードを落とさなくてはならない。スピードを速くしたまま爆撃をする事はターゲットからかけ離れた所へ爆弾が落ちてしまうのです。だからと言って、爆撃機の性能が低いままで良いはずがなく、爆撃のやり方の方で改善がなされて、ピンポイントでの場合は誘導弾頼みと言う事になってしまいましたが、よその世界では、スビートか遅い方が良いと言う事は依然として存在しています。
昔は列車がホームから走り出してからでも、走って、ドアの両サイドに付いている取ってにしがみつく事が出来れば、その列車に乗車可能なんて時代もありましたが、それは今に比べて列車のスピードが遅かったからこそ、容認されていたのであって、今ならば危険でとても出来た物ではありません。
そんな次代の産物とも言えるSLですが、純然に便利不便で物を考えたならば、不便だらけなのでしょうが、便利を度外視してもっぱら道楽で乗る物だと割り切ってしまえば、決して捨てた物ではないと言う事がいろんな所で見る事ができるのです。
スピードが速いと言う事は、迅速に遠くへ行ける事を意味しますが、それは同時に同じ距離を短時間で全うする事でもありまして、その場合、途中で新たな判断が必要な場合、迅速に行わなくてはならないと言う事になって行きます。「水戸黄門」が時代劇の中でもかなり人気の物であるとしたら、それは寄り道だらけの物語となっている事にもあるのでしょう。現代的な発想でならば、迅速に目的地に到達して、寄り道なんかできた物ではない。よしんば理論上でできたとしても、迅速な判断が必要になって、迷っている間に不可能になってしまう事も少なくないでしょう。「水戸黄門」の世界においては、歩きと言う鈍足の旅ゆえに、必要に応じて立ち止まっての熟考が可能になっているのです。

クリックお願いします。<(_ _)>

クリックをよろしくお願いしますです。(人∀・)タノム



韓国(海外生活・情報) ブログランキングへ

ブログランキング・にほんブログ村へ 


ねたみの心理45

「ねたみの心理」第45回目です。
いくさにおいては、撤退の折に往々にして、撤去できない陣地の破壊とか、搬出できない武器、弾薬、食糧、燃料の処分がなされる事があります。それは放置しておくと、敵に捕獲されて利用されてしまうからであって、自身が持ち出して、これからも利用できると言う状態にできるのでなくては処分する事で敵に利用されないようにしなくてはならない必然があるからなのです。
そこには徹底的な実利の視点がある訳なのですが、一般社会にあって、そのようなもっぱら実利の視点だけでものか論じられる事はなく、少なからずねたみによって成り立つ事が多い物です。そうしたねたみによって、それを行ったからと言って格別自身にとって得になるような事が訪れる訳でもないのに、他人にとって得になる事態を阻止しようと言う衝動に駆られる事が少なくないのではないでしょうか。
現に超過勤務に関しては、それである者にとっては格別必要でもなく、定時での帰宅が可能な状態にあるのにもかかわらず、超過勤務を強いられる事があるのではないでしょうか。それは別のある者にとっては、自分だけ超過勤務をするのは不公平だ。お前もお前もお前もおれと一緒に超過勤務をするのだ、と言う、自分に降りかかった不利益の巻き添えを食らわす事で、自身の溜飲を下げているのです。
世の中には競争の原理と言う事が言われていまして、競争をさせる事によってより高い成果を引き出す効果がある事が指摘されているのですが、必ずしもそればかりが良いとも言えないでしょう。競争はもっぱら自身が他人よりも前に出ようと言う心理が働くばかりではなく、他人の足を引っぱって少なくとも自分よりも前に出ないようにしてしまうと言う、後ろ向きの発想も少なからず存在する物なのです。
それは競争によって必然的に優劣が決まる過程でねたみと言う物も出て来るからです。もっぱら個々人の優劣だけが決定するだけでねたみが生じないのであれば、足の引っ張り合いが生じる事はないでしょうが、いかんせん、人間に大かれ少かれねたみの心が生じてしまう以上は足の引っ張り合いをしようと言う衝動に駆られる物でして、それだけに競争をさせる側としては他人の足が引っぱれないようになにがしかの規制をする必要が出て来るのです。

長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^

クリックお願いします。<(_ _)>


クリックをよろしくお願いしますです。(人∀・)タノム


韓国(海外生活・情報) ブログランキングへ

ブログランキング・にほんブログ村へ 

















絶倫ロボに見る男女の性差49

「絶倫ロボに見る男女の性差」第49回目です。
人間、往々にして、こう言う事をやってみたいと思う事が多々あります。しかしそれはあくまで思うだけの事であって、実際にそれを行うかどうかと言う点では話は別です。大抵の事はうまくできればなんぼの話になるのでして、これをやりたいと思っても、うまくできないと言うのであれば、よしんば着手してもやめてしまうなんて事は珍しくないでしょう。
その代替的な手段として、達人の行為を見るにとどめると言う事が多々あります。諸所のスポーツ観戦しかり、映画やドラマ、アニメーションの観賞もそう言う側面が少なからずあると言えるのではないでしょうか。スポーツ観戦は現実の行為であるのに対して、映画以下はフィクションとは言え、いずれにしても所詮は自分が直接行わない、他人が行う行為となれば、ある意味では大して変わらない事でしょう。
エロ事だって結局同じ事が言えるはずでして、自分自身がやってみたいと思う事と、うまくやれるかどうかと言う事はおのずと別問題になる訳でして、うまくできないくらいならば、こちらの方でも別な方向において追求しようと言う発想に至ったとしても大ありな話でしょう。
スケベに至ると言う点では女は男に比べてはるかにハードルが高く、まずは恋愛ありきで始まっている所から対処しないといけないのです。そしてそこからうまく行くかどうかと言う事もまた別問題な話です。女にとってのエロ事はさながらボイラーの水が沸騰するに至るように手間がかかる物でして、そこまで男が保ってくれない事が多いのが、世の女としての数多くある不満となっているのです。
それゆえに、しかるべき所に塗る薬の存在意義がある訳ですが、そこまで行きつくと、逆に女の方が自身の悦楽に関して貪欲なのかなあと言う風にも感じます。それは男に比べてそちらの方でのハードルが高いからと言う事にも起因するのでしょう。して男の方は、己の行為によって相手が卑猥な状態に至る事の方がより悦楽に値する事だと言えるのではないでしょうか。(完)

クリックお願いします。<(_ _)>


クリックをよろしくお願いしますです。(人∀・)タノム


韓国(海外生活・情報) ブログランキングへ

ブログランキング・にほんブログ村へ 
















| ホーム |


 BLOG TOP  » NEXT PAGE