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映画、ドラマ:戦争映画や時代劇が中心。アイドルやトレンディドラマの類は興味なし
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竹島はわれらが領地なり

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絶倫ロボに見る男女の性差45

「絶倫ロボに見る男女の性差」第45回目です。
江戸時代における知行地の値として石高が用いられています。だからと言って、実際に知行地から得られる収入が石高通りになっている訳ではありません。所詮は天候の良しあしによって諸行無常でしかありません。とは言え、幕府なり大名なり、家臣に領地を与えるのと引き換えになにがしかの奉公を命じるからにはその奉公の度合いは一定であるべきでして、そこからするに石高と言うのは、ある種のフィクションであると言えましょう。
大名や一部の高禄の旗本は知行地を自ら統治するのが基本ですが、もっとも大名の中にも支藩の場合は必ずしも自ら統治する必要がなく、本家任せという小藩も存在しております。自ら統治する分には、一定の奉公。幕府が認めた表高分だけ行えば、後は独自の才覚によって内高を釣り上げるのは勝手次第と認められていました。
戦国時代ならば、いくさによって領地の拡大が成り立っていましたが、江戸時代においては勝手にいくさをする事は禁止であり、幕府が加増してくれないのであれば、自らの統治によって内高を釣り上げる事に徹するしか領地の拡大は望めないのでした。それは、新田開墾などの経済政策に他ならないのですが、それはそのまま自身の収入拡大につなげて良いと言うのが幕府の公認でして、内高が増えたからと言って、必ずしもそれに合わせて表高を増やす必要はありませんでした。
しかし、部屋住み対策と言う視点からすれば、まったくそれをしないで済ます事も出来ません。そうしてできた新田を元来部屋住みであった庶子に分知する事で大名に認めてもらうためであります。
既に述べたように、幕府の側もある程度部屋住み対策として、どこかの大名の庶子にささやかな領地を与えて、形式的にでも大名に取り立てると言事がありました。それは、元々が幕府が与えた領地である以上、何かあったら幕府へ返還する必要に迫られる物であるのに対して、新田開墾によって自ら創出した領地であれば、そのような事態に出くわしたとしても、今度は返還先は幕府ではなく本家に他ならない訳です。
そうした事態とは、本家が自前の後継ぎを用意できないで分家頼みになった時を指します。その分家がその分家を維持するだけの余分な人間を有していなかった場合、分家を閉じて本家へ吸収と言うと言う事になります。それは文知されていた新田を本家へ携行の上と言う事でありました。

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役職・身分のかけ持ちと転籍①

世の中、いろんな形で大かれ小かれ役職や身分のかけ持ちと言う物がある物です。例えば議院内閣制の下では、総理大臣が与党の頭であると言う事が当たり前でして、またそれ以外の大臣にしても総理を含めて、ほとんどが国会議員でもあると言うと言う事です。
そして、その他の議員もまた選挙区にあって、地域密着の団体の役職に就いていると言うケースが多い物です。
とかく世の中は、役職、身分のみならず、権限のかけ持ちと言う物だらけだと言う事です。
まず我が国において、大日本帝国の天皇、当然今の日本国とでは天皇の立場と言う物は異なっております。その1つと言えるのは「天皇は陸海軍を統帥す」と言う規定がある事です。いわゆる最高司令官としての権限を言う訳ですが、国によっては、公式に最高司令官と言う役職を用意して、国家主席のかけ持ちとするか、あるいは別途誰か軍人を任命するかと言う事があるようですが、我が国においては、公式にそのような役職は存在せず、天皇の権限の範疇として存在しており、それに合わせて大元帥と言う称号が用いられていました。
口さがない左巻きにしてみれば、こんな事も例によって軍国主義の範疇でののしるのでしょうが、かつては君主が最高司令官としての権限を有する事は当然でして格別異常な事ではありませんでした。それはそれは国によっては単に君主は国家主席だからと言う、ある意味漠然としたところから始まっているのでしょうが、少なくとも我が国においてはそうした漠然とした物とは言えませんでした。
事によったら我が国における「軍国主義」と言うのも几帳面な所から始まっているのかも知れません。共和制を取っている国においては、往々にして文民である大統領に最高司令官として権限が付いて回る物ですが、当時の我が国の発想は軍隊指揮権は軍人にしか認められないと言う事でして、そこから導き出される結論として、天皇は公式に軍人でなくてはならないと言う事でありました。
さて、我が国の場合、よその国に比べて陸海軍の敷居が高い所があった事は周知の事であります。よその国ならば、軍種の違いを度外視しての指揮権が成立する事が現実にあるのですが、当時のわが軍の場合、軍種のこだわりが強かったのでした。

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絶倫ロボに見る男女の性差44

「絶倫ロボに見る男女の性差」第44回目です。
御三卿は本来は吉宗の血統を御三家よりも優先させようと言う発想から始まった物でしたから、実子相続でないにしても、吉宗の子孫からしか認められないはずでした。そのために、本来は、そうした意図のために将軍家、御三卿の中から後継ぎが融通されてきたはずでしたが、全体的に家斉、家慶の息子は短命の傾向が多いと言う事が、そうした事を継続できなくなった事に拍車をかけてしまい、ついには元来「よそ者」であるはずの水戸家から養子を受け入れる事によって一橋家を成り立たせることとなりました。
これが後に将軍になる慶喜でした。しかし慶喜自身も当時としては子なし状態でして、ほどなく将軍として一橋家から出て行くに当たって、一橋家の後継ぎは自前で用意する事ができませんでした。
そこで一旦このような例外が出てしまった事で、「よそ者」を受け入れないと言うタブーがなくなってしまい、またもや「よそ者」を後継ぎとして受け入れる事となりました。
そこで選ばれたのは、一旦は尾張慶勝の養子として、尾張藩を継いでいた慶勝の弟の茂徳(もちなが)でした。果たして一旦結ばれた養子関係は解消されて、茂栄(もちはる)と改名して一橋家の後継ぎとなりました。
さて、御三卿の筆頭である田安家においては、実子相続、養子縁組のいかんを問わず吉宗の血統が維持されており、それは必ずしも家斉の子孫とは言えなかった物の、最後の段階においては次善の選択肢として、田安亀之助が存在していました。血統上では一橋治済の曾孫に当たり、成人していれば、慶喜よりも優先されて将軍家を継承するはずでしたが、それがかなったのは戊辰戦争によって慶喜が隠居した後でした。
一方の清水家においては、実子相続が成立したためしがなく、家斉の息子によって継承されて行きましたが、それらは紀州藩へ養子に出て行くか、早死にかのどちらかで定着する事がありませんでした。そして最後は水戸家からの養子である昭武によって江戸時代は終了しました。
果たして、ここまで取り上げた分に限って言っても、水戸家の血統は自前の分家を全て維持したのならず、尾張家、越智松平家、会津松平家、御三卿の内の一橋家、清水家にまで進出していたのでした。

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今さらながらに解散する意味って

今日の歴史(7月31日)

1907年:大韓帝国が軍隊解散詔勅を発表 ※軍隊解散詔勅の発表は費用節減が表向きの理由だったが、その1週間前に締結された韓日新協約(第3次日韓協約)により予告されていた。詔勅も伊藤博文と李完用(イ・ワンヨン)によって偽造されたことが明らかになった。朝鮮王朝26代王の高宗を強制的に退位させた日本は、大韓帝国の軍事・司法権の無力化を試み、軍隊解散もそのような計画の一環として強行された

1948年:独立運動家出身の政治家、李範ソク(イ・ボムソク)が初代韓国首相に就任

1959年:進歩党委員長のチョ奉岩(チョ・ボンアム)が国家保安法違反の罪で死刑に ※チョは1958年1月に進歩党の同僚と共に逮捕されスパイ罪で起訴された。翌年2月に大法院(最高裁)で死刑が確定した。チョは第3代大統領選挙(1956年)に進歩党推進委員会候補として出馬し、投票総数900万票余りのうち216万票を獲得し、保守一辺倒だった当時の政界に新風を吹き込んだ。その後、大統領選での支持を基盤に進歩党を結成し、当時タブーとされていた国連監視下での南北総選挙の実施を主張。これが弾圧の引き金となり、当時の李承晩(イ・スンマン)大統領は進歩党を解散させ、政敵だったチョをスパイに仕立てた

1992年:新幸州大橋が工事中に崩壊

1995年:故・文益煥(ムン・イクファン)牧師夫人のパク・ヨンギル氏が当局の許可無く訪朝、板門店に帰還したところで拘束

1995年:朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)が国連駐在米国代表部で総会を開催、30カ国余りの代表らが参加

2000年:厳弘吉(オム・ホンギル)氏がヒマラヤ8000メートル以上の14峰を制覇

2007年:アフガニスタンで武装勢力に拉致された人質のうち、シム・ソンミンさんが殺害されたことを確認

2009年:医学書「東医宝鑑」が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産に登録 ※「東医宝鑑」は1613年に編さん責任者の許浚(ホ・ジュン)が自ら刊行に携わった初版御製本で、国立中央図書館(五台山史庫本)と韓国学中央研究院(赤裳山史庫本)にそれぞれ所蔵されている

2009年:初の国産機動ヘリコプター「Surion(スリオン)」が公開 ※Surionは山岳が多い韓国の地形に合わせて設計された。9人の重武装兵力を乗せ、最大140ノット以上の速度で2時間以上の飛行が可能。韓国は世界で11番目のヘリコプター開発国となった


>大韓帝国の軍事・司法権の無力化を

考えようによれば、そう言う事は日露戦争にこそ行ってしかるべきではなかったのでしょうか。常備の師団はすべて満州へ行き、韓国駐屯の軍隊は野球で言う二軍のような後備役で成り立っている韓国駐箚軍でした。
それだけに我が国ははなから韓国が思っているような形で仕置き(と言っても制裁の意味ではありません)を行っていた訳ではなかったと言う事です。むしろ我が国にしてみれば、韓国は期待するほどの存在ではなく、ぐずだったからこそ、今さらながらに軍事の無力化が必要になったと言う事ではないでしょうか。はなから危険視していたのならば、日露戦争時にとっとと解散してしまえば良かった訳でして。

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絶倫ロボに見る男女の性差43

「絶倫ロボに見る男女の性差」第43回目です。
尾張藩の血統はまず分家たる高須藩から絶えてしまっていました。そのために最初に入って来た養子は一橋家からでして、治済の数ある息子の中の1人でした。うまく行けばこちらの方から、治済-家斉の血統の尾張家への浸食が可能でしたが、実際は将軍家ないし御三卿からの直接養子によってそれがなってしまって、高須藩からの浸食は必要なくなったのみならず、こちらの血統は一代限りで、その次の養子が水戸家からやってきました。
前にも取り上げたように、五代ぶりに将軍家からの押し付け養子から解放された形での家督継承となった尾張慶勝はその孫と言う事になります。そしてその弟たちもいろんな所へ養子へと出向いて、高須藩経由での水戸家の血が広がって行く事となりました。
慶勝の次弟となる武成は家宣の弟である松平清武を祖とする越智松平家の浜田藩へと養子へ出て行きました。この越智松平家は前にも取り上げた、松平斉厚も含まれている家であります。この家は養子の後継ぎが多く、その中でも斉厚は自身も父もこの家の生まれと言う、最もましな状態にあったと言えましょう。祖父は水戸家の分家たる府中藩からの養子で入ってきていて、その後二代続いて実子相続となった所で、斉厚の後継ぎの段階で養子が必要になり、最初は家斉からの養子だった所、その養子が早死にだったため、別途養子として、高松藩から受け入れて、その後継ぎが武成でした。
そして武成自身も後継ぎを養子に求める事となり、今度は水戸家からの養子と言う事になりました。果たして、それは水戸一族からの養子のリレーでつないで行ったと言う事なのでした。
さて、家光の異母弟たる保科正之を祖とする会津松平家はほとんど自前の血統で続いていたのでしたが、幕末に至って入り婿によって後を継がせる事態になりましたが、その婿が、高須藩から入った容保(かたもり)でした。容保自身はいったんは後継ぎとして水戸家からの養子として松平昭則改め喜徳(のぶのり)を受け入れたのでしたが、会津戦争によって藩は改易となって、斗南3万石で再建を許された時には実子である容大(かたはる)でした。
要するにいずれにしても、水戸家の血統がこの家でも続いたのみならず、ここから後に徳川本家の主が出たのでした。

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