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映画、ドラマ:戦争映画や時代劇が中心。アイドルやトレンディドラマの類は興味なし
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部屋住みは不確定要素⑪

「部屋住みは不確定要素」第11回目です。
本来ならば、後継ぎが決まっていない時点で上杉家は改易になるはずでしたが、隣藩の保科正之が、吉良家の長男を跡継ぎにすればいいと提案した事で知行は半減させられた物の、改易だけは免れました。上杉綱勝の妹が吉良上野介に嫁いでいて、息子を産んでいたので、それを養子にしろと言うのです。
しかし、当然の事としてそれは吉良家にとっても大事な後継ぎだったのですが、上杉家は改易の危機にあると言う喫緊時であるのに対して、吉良家の方はそうした危機は直ぐと言う事でもなく、新たに息子が生まれる事を期待しての事でしたが、結局の所吉良家で二度と息子が生まれる事はなく、吉良家の後継ぎは上杉家頼みとなりました。
吉良家からの養子で上杉家の当主となった綱憲は、後を継いだ上杉家のみならず、実家の吉良家に対してもさらなる後継ぎを用意しなくてはなりませんでした。その点では共にクリアする事ができまして、長男は上杉家の後継ぎとして、次男は吉良家の後継ぎとして共に改易を回避する事が出来ました。赤穂浪士の討ち入りで吉良家は改易となりましたが、それは後の話であります。



長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^

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売っても買っても殿の御恩⑦

「売っても買っても殿の御恩」第7回目です。
時代劇でも往々にみられる場面として、財力や権力を有している人間にとって女遊びに際して、自ら目を付けた芸者だか花魁だかを呼び寄せるのに金惜しみをしない事が往々です。仮にその女が、その有力者の誘いに対して出渋るような事態になっても、せいぜいの所が、自分が出す金が少ないのだろうと高をくくって、もっと出せば来てくれるだろうと言う程度の事しか思わず、すなわち自分が呼び寄せようと思った女が来て当然だと見なしているのです。
何しろ、それもまた殿様商法の感覚で物を考えれば当然の事でして、その女に対して大枚を出してやるんだからと言う、御恩の意識がそこにも存在していると言って良いのです。
そして、その発想は同時に側室を獲得する際にも現れているのです。側室の場合も、自分が指名すれば来てくれると言うのが当然でして、それもまた御恩なのです。実際、側室に選ばれれば、その女自身もまた優遇されるでしょうし、その恩恵は家族にも波及してくるのです。その一例が徳川家斉の寵愛著しいお美代の方でして、養父中野碩翁は一時は、その権勢著しい物がありました。


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数あればなんぼの高射砲

遅すぎ、少なすぎたB-29迎撃のための“優秀砲”【5式15cm高射砲】


かつてソ連のスターリンは、軍司令官たちを前にして「現代戦における大砲の威力は神にも等しい」と語ったと伝えられる。この言葉はソ連軍のみならず、世界の軍隊にも通用する「たとえ」といえよう。そこで、南方の島々やビルマの密林、中国の平原などでその「威光」を発揮して将兵に頼られた、日本陸軍の火砲に目を向けてみたい。

 第1次世界大戦後の航空機の発達は、1920年代末から1930年代にかけて急速に進んだ。そのため世界の軍隊では、より高高度をより高速で飛ぶ航空機に対処するため、高射砲の高性能化の研究が続けられた。

 航空機という動的(動く的のこと)を精密に狙える照準器と、適切な高度で正確に砲弾を炸裂させる信管についての話は除外して、高射砲という兵器に求められる性能をごく簡単にいうと「1:飛んでいる航空機を狙った際の見越しの距離をできるだけ短くするために、弾速は可能な限り速いこと。2:とにかく高高度まで砲弾が届くこと。3:砲弾が炸裂した際の有効範囲をより大きく得るために大口径なこと。4:高速で移動する航空機に対し、短い時間でできるだけたくさんの砲弾を撃ち上げられる速射性」となる。

 つまり「高初速」で「長射程」で「大口径」で「速射」できる砲ということだが、当時の技術では「大口径で速射できる」という点が難題となっていた。

 こういった世界共通の事情がありながらも、日本陸軍も高射砲の研究を続けていた。ところが、1943年3月に起きたB-29試作機墜落事故のアメリカ国内における報道で同機の開発が進められていることを知ると、日本陸軍は、既存の3式12cm高射砲でも対抗可能ながら、やや心許ないという判断を下した。

 そこで、かねてより研究が進められていた新しい大口径高射砲の開発順位が急遽繰り上げられ、口径15cm(実際は14.91cm)、砲身長9mという試作砲が1944年中旬に完成。翌年に5式15cm高射砲として制式化された。

 照準は、ドイツ製ヴュルツブルク・レーダーと連携した射撃管制装置で行い、信管の調定も支援する半自動装填装置を備え、最大射高19000mで、15cmという大口径にもかかわらず毎分9~10発の高い発射速度を誇った。

 このように5式15cm高射砲は優秀だったが、わずか2門しか実戦配備できず、その2門とも東京の久我山高射砲陣地に配置された。そして、一説では1発で2機のB-29をまとめて撃墜し、その威力に驚いたアメリカ軍が久我山上空を飛行禁止区域に指定したという逸話もあるが、戦後の検証の結果、これはどうも事実ではないようだ。

 5式15cm高射砲は、確かに優秀な高射砲といえる。だが航空機の性能向上がはるかに先に進んだ結果、当時、高射砲による防空はすでに限界を越えていた。加えて、高射砲は対戦車砲のように「狙撃的」な運用をする砲ではなく、弾幕を張ることで防空帯を構築する兵器である以上、一斉に射撃する「砲の数」がものをいうが、実戦配備数わずかに2門では、いくら毎分発射速度が9~10発と多いとはいえ、活躍のしようもないというのが厳しい現実であった。

白石 光




対戦車砲も高射砲も第二次世界大戦を最後に没落して行った兵器として、当ブログでも紹介した事がある兵器です。
もっとも、対戦車砲と高射砲とでは、その没落の意味合いが若干違っていました。対戦車砲は1発必中狙いを前提とした兵器であったのに対して、高射砲の方は、決してそのような事が期待できる兵器ではありませんでした。
空を高々と飛んでいる代物に対して、直撃弾を食らわす事は非常に困難な事でして、それゆえに高射砲弾は、直撃狙いではなく、近距離で炸裂させて、その時生じる爆風や破片で撃墜を狙うと言う物でした。
しかし、そのような手段ででも、1発で仕留めると言う事は至難の業でして、周囲に多数砲弾を放つと言う事が求められる物だから、そのためには多数の高射砲が必要になって来ます。
そんな有様だから、高射砲弾の1発に比べて今どきの対空ミサイルの1発の方がはるかに高価だとしても、全体的には1発必中が狙えるミサイルの方が安価で済むのです。そうした事から、高射砲は廃れて行って、より軽くて済む高射機関砲だけが現存できるのです。


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諸国大将比較70

「諸国大将比較」第70回目です。
第二次世界大戦開戦時、ドイツの軍団長は全て大将で任命されていた中、グデーリアンが当時51歳で最年少の状態にありましたが、彼よりも3歳年少のロンメルは49歳で大将に昇進しました。少なくとも陸軍ではロンメルこそ最年少の大将と言って良いでしょう。翌年にはさらに上級大将、元帥へと昇進して陸軍最年少の元帥となったのです。大将の時点でも最年少と言うのは間違いないでしょう。
それに対してイタリア軍の大将はそれほど若くしてなれる物ではありませんでした。もっとも王族であれば話は別でして、その点では第一次世界大戦の頃までのドイツと同様でして、王太子ウンベルトは1942年に元帥に昇進するのですが、すなわちそれ以前、1941年時点では大将でありました。1904年生まれで、まだ30代でした。
それに引き換え、リビア総督としてロンメルの上司となっていたガリボルディ、バスティコとそろって高齢でした。ドイツ基準で言ってもそれは間違いありませんでした。ガリボルディは1879年生まれ。バスティコはさらに年長で1876年生まれでした。




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長春から先のレールはどう言う扱いだったのだろう

「JR九州とJR西日本の境目」が“意外なところ”にあると話題→各地の“境界線”が続々集結


 JR博多駅の商業施設内で目撃された、「JR九州とJR西日本の境目」が注目を集めています。またぐと何か起こりそうでワクワクしますねこういうの。

【画像】話題の「境目」

商業施設の床に“まさかの境界”
 X(Twitter)ユーザーの泉山塁威さんが投稿したのは、施設の床に埋め込まれた境界標の写真。赤い矢印と青い矢印がぶつかり合うように配置され、その接点に2社の管轄を分ける境界線があると示しています。

 意外な場所にある境界は「そんなしっかり境目でるんだ」「こういうの大好き」「見に行きたい」と話題に。似たケースは各地にあるようで、「JR仙石線下馬駅は、ホームの中間に多賀城市と塩竈市の境界線が」「大阪の天王寺駅にはJRと南海の境界が」といった情報も続々と集まっています。

画像提供:泉山塁威さん

ねとらぼ



なんだ。「そっちの」方の境界線ですか。自分の場合は、エリアの方の境界線の方にしか興味がない物でして、今回の記事の場合も、下関が思い付いた次第です。山陽本線に関して言うならば、下関から東側がJR西日本で、下関から関門海峡を越えると、後はJR九州になると言う事です。
国内の路線の場合は、そのように駅で境界線を定められるから、ある意味楽なんでしょうが、国際線の場合はどうなんでしょうかねぇ。
かつて存在していた南南洲鉄道の場合、我が国は日露戦争で、長春以南に関して獲得できたのですが、その場合、長春駅はもっぱら我が国の権益と解釈できるのですが、その際、いまだロシアの勢力圏に属するハルビンとの間にあるレールの扱いはどうなるのだろうかと思ったりします。


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