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役職・身分のかけ持ちと転籍42

「役職・身分のかけ持ちと転籍」第42回目です。
フランス帝国の台頭は必然的に神聖ローマ帝国の終焉へとつながり、かつて神聖ローマ帝国に属していた多くの国は、ライン同盟を結成して、フランスを新たな大樹として寄り添う事になりましたが、そうした時代は長続きせず、フランス帝国の没落によって、旧来の体制が復活する事となりました。もっとも、それは神聖ローマ帝国の復活ではなく、ドイツ連邦と言う、国家連合としての出発でした。
それから半世紀が経て、普墺戦争が起こりました。このいくさでオーストリアが敗れた事で、これまでドイツ連邦の中で議長国として神聖ローマ帝国以来ドイツ史の筆頭扱いであったオーストリアは、ドイツ史から転落し、それまで二番煎じであったプロイセンがドイツ史の代表としてのし上がる事となりました。
さて、オーストリアの方は敗北によって生じた国内でのごたごたを抑える意図もあって、ハンガリー王国の設置を認める事となりました。これまではハンガリー国王の肩書はあっても、それに合わせて独自の国家として運営される事がなく、単なるハプスブルク帝国の一部として存在するのみであったのが、大いなる譲歩であったのでした。
それは旧来のオーストリア帝国を(新)オーストリア帝国とハンガリー王国とに分割して、ハンガリー自身が独自の政府を以てその王国を運営すると言う物でしたが、それはあくまで内政上の話であって、外政上では従前どおりのハプスブルク帝国として存在し続ける事が前提でした。
内政上ではオーストリア帝国とハンガリー王国とが独自の政府の元に統治がなされる一方で、外政上では二重国家としての別の政府が設置される事となりました。そこでは外交と軍事、それ等に対して予算を提供する財政に関する省が設置される一方で、それらの上に立つ総理に関しては、オーストリアとハンガリーの政府の総理が兼ねる事となりました。
ちなみに我が国では、一部事務組合と言うのがあって、本来市町村ごとで行われる行政事務一部を複数の自治体の寄合で行う場合があり、そのためにこうした組合ができる訳ですが、その中での議会の構成員は、それぞれの自治体の一部の議員が出向いて成り立っていますが、オーストリア・ハンガリー帝国の場合もしかりで、両国からの一部の議員が出向いて二重国家の議会を機能させていました。

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役職・身分のかけ持ちと転籍41

「役職・身分のかけ持ちと転籍」第41回目です。
ヨーロッパの歴史を見れば、国王のかけ持ちならば良くある事だったと言えましょうが、皇帝の掛け持ちがあるとすればこの一例しかないのではないでしょうか。1804年、神聖ローマ帝国皇帝フランツ二世は自分の領地たるハプスブルク帝国を正式にオーストリア帝国として統合し、皇帝フランツ一世として即位しました。
神聖ローマ帝国は別段どこかの家の世襲財産と言う訳ではなく、ハプスブルク家にしても、どちらかと言えば片手間で皇帝になっていたと言うのに過ぎなかった訳でして、これがロシアや中国であったならば、そのような事は必要なかったでしょう。両国においての皇帝とは、帝国の中における絶対的な権力者として位置付けられていますからね。
もっとも、その実態は皇帝の掛け持ちが目的ではなく、神聖ローマ帝国が消滅が確実になって来たから、せめて何かで皇帝のタイトルは維持しようと言う意図から来た物であり、神聖ローマ帝国からオーストリア帝国に差し替えると言う程度の物だったと言えましょう。たまたま神聖ローマ帝国終焉の時期が同時と言う訳ではなく、重複していた時期があったと言う事に他なりません。
かつてはイタリア国王ないしローマ王の地位は神聖ローマ帝国皇帝によって兼ねられると言う傾向がありましたが、今度はナポレオン一世によってそれが継承される事となりました。神聖ローマ帝国皇帝ですらでて即位しているみたいな物でしたが、イタリア国王に至ってはその程度の形式さすら存在せず、ナポレオン一世の元においても、イタリアの一部がしか統治下に置かれているのみでした。そうした環境の下で、彼は皇太子たるナポレオン・フランソワ(のちのナポレオン二世)をローマ王に封じました。
ナポレオン一世のフランス帝国はいくさによって領地の拡大がなされましたが、そのすべてが直接帝国に組み込まれたのではなく、従属した既存の君主に任せる所もあれば、さながら総督を任命するかの如く、国王が封じられる事もありました。国王と言っても、その実態が総督程度であれば転任と言う事もあり得まして、実際、ナポレオン一世のあにジョゼフが最終的にスペイン国王に封じられたのですが、それ以前にはナポリ国王に封じられていたのでした。
ジョゼフの後任としてナポリ国王に封じられたミュラも、それ以前はドイツ西部に存在していたクレーフェ公国の君主であった所からの転任だったのでした。

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大奥同様中国でも後宮では給与が支給されていた

絢爛豪華なはずが…、清の皇妃たちの“年俸”は意外と安い?末端はわずか「15万円」か―中国

2018年8月30日、現在大ヒット中の時代劇ドラマ「延禧攻略」で作品をきらびやかに彩る清朝の皇妃たちだが、実際の彼女たちの年俸は意外に低かったようだ。新浪が伝えた。

【その他の写真】

清の第6代皇帝・乾隆帝の後宮を舞台にしたドラマ「延禧攻略」が現在、中国だけでなく香港や台湾など、中華圏全体で大ヒットしている。このドラマの中で、ある皇妃が弟を救うため自分の嫁入り道具を売って現金に換えようとするシーンが出てくるが、「皇妃なのにお金に困っているのか?」と疑問に思った視聴者も多い。このほど、微信(WeChat)公式アカウントの「満州文化網」が、清朝の皇妃たちの年俸を、現在の価値に置き換えて紹介。ドラマでは絢爛(けんらん)豪華な後宮ながら、支給額は意外に低かったことが分かる。

後宮のランクは大きく分けて9段階あり、皇太后・皇后・皇貴妃・貴妃・妃・嬪・貴人・常在・答応の順となる。皇帝の母親である皇太后の場合、年俸は黄金20両、銀貨800両で、現在の100万元(約1620万円)前後に相当する。

皇后は銀貨1000両で、人民元では30万元(約490万円)前後に当たる。皇貴妃は同800両で、24万元(約390万円)余り。末端の答応になると同30両で、わずかに9000元(約15万円)ほどとなる。

もちろん衣服代や食費、生活の必需品はこの年俸に含まれていない。しかし毎日配られる食事は、侍女や太監たちも一緒に食べるため、もし足りない場合はお付きの数を減らして調整することになる。

この年俸の低さについては、明の始祖・朱元璋(しゅ・げんしょう)が貧農出身のため金銭にシビアで、官吏への年俸が低かったことを清が継承したからだとも言われている。なお、皇妃たちの年俸についてネットユーザーからは、「食費も光熱費も医療も学校も無料なら、いい仕事」「昔は物価が安いでしょ?」「年俸は全額お小遣いってことだよね?」「銀の価値はこの100年で大幅に下落した。記事にある人民元の数字は低過ぎ。たぶん本当は倍以上ある」「今すぐ後宮に入りたい!」などといったコメントが寄せられている。(翻訳・編集/Mathilda)


我が国でも大奥の女中に給与が出ていたと言うそうですから、そう言う意味では中国王朝の後宮にも給与が出ると言う事があっても良いでしょう。
そして中国王朝ではそうした後宮に属する女たちの数がべらぼうらしいですからねぇ。一方で豪華絢爛にする事が出来ても、その上で個々人に給与を払っていたら、その出費の度合いもまたべらぼうになってしまう事でしょう。どうせ、日々の生活に要するコストが青天井状態ならば、別途支給される給与の値などはあまり意味がないように感じられるのですがねぇ。まあ、実家の栄耀栄華に貢献するとか、自身が隠居した後の事まで考えるのであれば、そうした給与にも意味はありますがね。

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役職・身分のかけ持ちと転籍40

「役職・身分のかけ持ちと転籍」第40回目です。
18世紀の初めに行われたスペイン継承戦争では、神聖ローマ帝国の中ではバイエルンだけがフランスに与力しました。我が国の感覚からすれば、バイエルンは朝敵と言う事になるのですが、向こうの方では別段そのようには考えなかったと言う事です。そもそもが所詮はスペインと言うよその国における遺産相続の争いでしかなく、それ自体が別段帝国の利害にかかわる事とは言えず、遺産相続をめぐってパスブルク家とブルボン家の間で繰り広げられたお家騒動だと言う事でした。
かように皇帝たるハプスブルク家からして、帝国の利害ではなく、お家の利害と言う個人的な争いに突っ込んだと言うのでは、バイエルンからすれば、皇帝と言うタイトルを有したよその国相手のいくさに過ぎないと割り切って、しかもそれが国際的にも認められたと言う事だったのでした。
だからこそ、後年、そのバイエルンからハプスブルク家の縁戚と言う事で皇帝が一代限りとは言え、皇帝が出たのでした。
さて、肝心のハプスブルク家では、ドイツ史では珍しく、マリア・テレジアなる女君主が登場して、皇帝の地位とハプスブルク帝国君主の地位とは別物と言う状態を作りだしていました。そう言う状態が物を言ったのか、次の皇帝はマリア・テレジアの夫たる、ロートリンゲン公フランツ・シュテファンでして、皇帝としてはフランツ一世を称しました。
フランツ一世はハプスブルク帝国に関する権限を認められる事がなく、そのために少なからず嫌な思いをしたようです。それでも蜂や蟻の雄のような役割は果たしたと言って良いでしょう。マリア・テレジアとの間に生まれたヨーゼフは女系とは言え、曲がりなりにもハプスブルク家の血統を有している事から、フランツ一世の死後、皇帝ヨーゼフ二世として即位したのみならず、マリア・テレジアの死後はハプスブルク帝国の君主として君臨する事ができるようになりました。
ヨーゼフ二世が死んだ1790年からそれ以降フランスでは革命の勃発によって急速に国際情勢は変化して行きました。そして1804年にはナポレオン・ボナパルトが皇帝ナポレオン一世として即位すると、神聖ローマ帝国も終焉が間近と見られるようになり、当時皇帝であったフランツ二世はこれまで多数の君主国の集合体に過ぎなかったハプスブルク帝国を正式にオーストリア帝国として統合しました。もっとも、その状態に置いても既存の多数の君主のタイトルは有効であり続けましたが、その上に新たにオーストリア帝国皇帝のタイトルを加えたのでした。

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役職・身分のかけ持ちと転籍39

「役職・身分のかけ持ちと転籍」第39回目です
神聖ローマ帝国は、皇帝が別段世襲で成り立っている訳ではなく、ある意味あまり皇帝に即位する事に関して魅力が感じられる地位とは言えませんでした。
皇帝の地位は選帝侯と呼ばれる、帝国内の選ばれた等族の中で選ばれる物でして、その選帝侯からしてプロバーの地位とは言えず、その選ばれた等族によって兼務する地位と言う事でした。ハプスブルク家にしても、ベーメン国王と言う地位に基づいて、その権限を有している状態でした。また、後に第二帝国の頭、すなわち皇帝として君臨するホーエンツォレルン家も、当時としてはブランデンブルク辺境伯と言う地位の元に選帝侯の地位を得ていました。
1519年、神聖ローマ帝国皇帝としてカール五世が即位していた訳ですが、それはオーストリアを中心としたハプスブルク家とは別物として成り立っていたと言う事であります。前回も述べたように、そちらの方では弟のフェルディナントが統括していて、カール五世はドイツ第一帝国たる神聖ローマ帝国皇帝でありながら、その帝国の中にいなかったと言う事でした。彼の意識としてはスペインの方に軸を置いていたのでした。
その結果、晩年の1556年、カール五世は神聖ローマ帝国皇帝の地位はフェルディナント(一世)に譲り、スペイン国王の地位は息子のフェリペ(二世)に譲り、日本で言うのならば、大御所のような状態で余生を全うしました。これによってハプスブルク家のオーストリア系とスペイン系との分離が完了したと言っても良いでしょう。後のスペイン継承戦争では、オーストリア・ハプスブルク家がスペイン国王の地位を要求した所、実際国王の地位を得たのは、フランスのブルボン家でした。
その話は18世紀が始まっての事でしたが、その後になって来ると、オーストリア自身にとっても男系での継承が困難になってきて、これまで事実上ハプスブルク家の世襲で成り立ってきた神聖ローマ帝国皇帝には、バイエルン選帝侯カール・アルブレヒトがカール七世として即位しました。
この時まではハプスブルク家の頭が皇帝を兼ねると言う状態でしたが、皇帝は決してはハプスブルク家の私財ではなく、家の私財たるハプスブルク帝国とは別物と考えなくてはなりませんでした。果たしてハプスブルク家と言う私的な地位には家の血統を有したマリア・テレジアが就いたのでした。

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