プロフィール

DUCE

Author:DUCE
趣味:緑地や山のほうへのハイキング
映画、ドラマ:戦争映画や時代劇が中心。アイドルやトレンディドラマの類は興味なし
外国関連:中国、韓国、北朝鮮と言った反日三馬鹿国は嫌いです。

竹島はわれらが領地なり

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

キター!

キター

plugin by F.B

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

絶倫ロボに見る男女の性差30

「絶倫ロボに見る男女の性差」第30回目です。
一口に部屋住みが厄介者だとしても、それはあくまで後継ぎとして決定した長男が自前の後継ぎを用意した上で天寿を全うできると言う事が前提となっており、必ずしもそのようにならない不確定要素が多く生じてしまうのが現実であります。前回は、部屋住みでは正式に結婚ができないと書いた物ですが、杓子定規にそのように決めてかかるのもやはり無理があると言う物です。兄が早死にで、その弟が若くしてその後継ぎと出来るのであれば、それから結婚しても遅くはないでしょうが、兄がさんざん長生きしても自前の後継ぎを用意できなかったならばいかがするでしょうか。
兄が死んだら弟が後継ぎと言うのは、若い時に言える事でして、よしんば弟だからと言っても、自身が高齢になっていて、その次の後継ぎを用意できなかったならばいかがでしょうか。それを思えば、部屋住みとされている者にも、便宜分家を立てさせると言う事が必要になっているのではないでしょうか。それは事実上は部屋住みと変わらないにしても、形式的に独自の家をあてがっておけば、曲がりなりにもその中で結婚を推し進める事ができ、その過程で子供を得る事も可能となっており、本家の方で自前の後継ぎを出す事が出来なかった場合に、その後継ぎとして提供できるようにするのです。要するに、そこでは小さな「御三家」が出来上がったと言う事です。
もっとも、それはあくまで便宜上の分家ですから、いったん立ち上げたからと言っても必ずしも恒久的に存在させなくてはならない物ではないと言う事です。本来ならば、部屋住みとして余計な負担となって来る存在だからです。はなから余分に子供が産まれなければ、そのような配慮は必要ない訳でして、たまたま余分に生まれた分を掛け値なしの部屋住みにしないで済ますための便法でして、そうした分家で独自の後継ぎが生じなければ、あるいは、本家に後継ぎを提供して、それによっても分家の後継ぎが用意できなかったならば、その時はその分家はたたんでしまえば良いと言う程度で考えられていたのです。
それは大きな所では、甲府、舘林両宰相家に言える事でして、家光に余分に子供がいなければ、このような家は必要なかったのですが、それでも最終的には将軍家の後継ぎを提供して、その役目を終えたのでした。両家の存在価値は、御三家に優先できる将軍世子を提供する事にあるのであって、必ずしもその家自体を存続させる事ではなかったのです。

長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^

クリックお願いします。<(_ _)>


クリックをよろしくお願いしますです。(人∀・)タノム


韓国(海外生活・情報) ブログランキングへ

ブログランキング・にほんブログ村へ 















スポンサーサイト

女相手だとしかるべき結果が問われるから

約8%もの殿様が!?江戸時代に男性同士の恋愛が多かったのはなぜなの?

江戸時代に男性同士の同性愛者が多かったのは、なんだか意外に感じた人も多いのでは?当時、同性愛の傾向があった殿様は、全国の大名のうち約8%もいたそう。これって、結構な比率だと思いませんか?なぜ江戸時代に同性愛者が多かったのか時代背景を探ってみました。
絆が固い男性同士の恋愛

多くの武士にとって、恋愛結婚は夢のまた夢で、本人の意思とは関係なく結婚を決められるのが一般的でした。恋愛や結婚に対してロマンもなく、あるのは武士としての義務だけ。そんなわけで、純粋な恋愛をするならば、同性愛になるのです。(以下略)

今のところ「絶倫ロボに見る男女の性差」では、スケベのプロセスではなく、その結果、すなわちどれだけ子供ができて、そうした子供をどのように配置するかと言う事を書いている訳ですが、女が相手だと、かようによしんば相手が側室だろうと、と言うか、将軍の場合はもっぱらそうした側室からしか子供が生まれない訳ですが、やたらとしかるべき結果が求められるのが倣いでして、それに引き換え男が相手ならば、そのような結果が問われる事がなく、もっぱらプロセスだけが問われるだけで良いですから、ある意味気楽ですよねぇ。

クリックお願いします。<(_ _)>


クリックをよろしくお願いしますです。(人∀・)タノム


韓国(海外生活・情報) ブログランキングへ

ブログランキング・にほんブログ村へ 















絶倫ロボに見る男女の性差29

「絶倫ロボに見る男女の性差」第29回目です。
将軍家の庶子が別家を立てさせられるのは、要するに部屋住みにしないようにするためだと言う事なのでしょう。将軍家に限らず、この部屋住みと言う概念は武家社会においては少なからず大きな社会問題だったと言えましょう。現代社会のように個人個人が独自に職を求めて、その結果、親子でも別個の収入を得ると言う事は武家社会においてはなかった事であります。
武家社会においては収入とは、一定の土地を領有する事から始まっており、必然的にそうした土地は有限である以上、収入を増やすためには、他人の土地を奪うと言う事が必要になって来ますが、太平の江戸時代においてはそれすら許されなくなっていました。
そして、武家における諸所の地位、大名とかそれ以下の家臣の地位は世襲で成り立っており、そのために、それに備わる収入、いわゆる土地は家に対してあてがわれる物であって、個人に対して与える物ではないと言う事です。
そのために、よしんば成人しても、父親が隠居しない間はその本人は父親の居候と言う状態が継続する事になります。それは後継ぎと定まっている長男の場合であって、それ以下の次男以下にあっては、何事もなければ、後を継いだ兄の元で居候となり続ける事になります。
その兄が天寿を全うする事が前提となってるのであれば、次男以下の存在は無駄となって来るのですが、必ず天寿を全うできるのかと言う保証などないし、とりわけ江戸時代の大名に関しては後継ぎがなければ、その場で改易と言う事が往々にしてあった物だから、それに対する備えと言う物が不可欠なので、そのために次男以下の存在は当座としては部屋住みと言う厄介者だとしても、決して否定できる物ではありませんでした。
さて、収入が家に対してあてがわれる以上、そうした家族の頭数がどれだけあるかと言う事は基本的に主家にとっては与り知らぬ事でして、家族が多いからと言って、別段支給する給与を増やしてくれる訳ではありません。そう言う視点からすれば、やはり部屋住みの者は厄介者でして、正式な結婚はできませんでした。結婚をすれば、その後に生まれる子供も、その家の収入によって養わなくてはなりませんから、無理な話でしょう。

長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^

クリックお願いします。<(_ _)>


クリックをよろしくお願いしますです。(人∀・)タノム


韓国(海外生活・情報) ブログランキングへ

ブログランキング・にほんブログ村へ 











絶倫ロボに見る男女の性差28

「絶倫ロボに見る男女の性差」第28回目です。
徳川将軍の庶子の処遇に関しては、家康も晩年に入って御三家を創出すると言う風に、新たな家を創出すると言う傾向が多いように見受けます。ただ、保科正之に関しては例外でありました。これは、前回も取り上げたようにお江が悋気が強かったと言う事が影響していて、秀忠の方も堂々と我が子として認知する事を憚った事に一因がありました。その存在をひそかなる物とするために、武田信玄の娘である見性院に託し、その縁で武田旧臣の大名保科正光の養子となって、その後を継ぎました。それは、既存の家を継承する物で、しかも当時は親藩の範疇にも入れられませんでした。
それに対して、忠長の方はお江が溺愛していて、家光よりも彼の方にこそ将軍の地位を与えたかったほどでしたから、こちらの方は堂々と、新しい家の創出となりました。与えられた領地は駿河国を中心に55万石でして、それは御三家にも拮抗する物でして、後に改易と言う事態にさえならなければ、その家もまた御三家の範疇に入っていたのかも知れません。
俗に言う御三家も御三卿も、語呂が良いと言うだけでして、必ずしも3つの家でと言う事はなかったのかも知れません。それはあくまで結果でしかなく、ことによったら2つの家しかできなかったか、逆に4つの家を創出しても良かったのではないでしょうか。家光の庶子によって創出された家だって甲府と舘林と2つだったし、吉宗の元で創出された御三卿も、3つ目たる清水家は、家重の庶子によって創出された物でして、吉宗の代に限っては2つでとどまっていたのです。
さて、忠長は元来御三家に拮抗する堂々たる大名として存在できたはずですが、一説によれば、大坂城と100万石の地行を要求したなんて話もある訳ですが、いくら将軍の近親者だからと言って、もはやそれ以上の知行を与える余裕などないでしょう。よしんばそのような事を認めたならば、後の代になって同様な要求をする庶子が出て来る事も考えられます。
果たして、家光の庶子たる綱重、綱吉に対してはそれぞれ25万石の大名とする事を認めた物の、それは普遍的な大名と言うのには当たらず、後の御三卿のような物と言って良いでしょう。実際、綱重と、後の家宣として将軍となった綱豊は一度も甲府へ行ったことはなく、綱吉にしても、ほとんど江戸在住で舘林へはごくわずかしか行っておらず、恒久的な大名家の創出と言うよりは、余った将軍の子供の暫定的な処遇だと言う風に考えるべきでしょう。
現に、後に甲府、舘林両家とも将軍の後継ぎを供出されられた事で消滅し、家臣は幕臣へと復帰するのでした。この辺の所は改易を強いられた事もあるのでしょうが、忠長の家臣は浪人となった事とは意味合いが違います。まあ、主が将軍と言う栄転をした以上、その家臣が浪人にならなくてはならない筋合いはありませんからね。

長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^

クリックお願いします。<(_ _)>


クリックをよろしくお願いしますです。(人∀・)タノム


韓国(海外生活・情報) ブログランキングへ

ブログランキング・にほんブログ村へ 










絶倫ロボに見る男女の性差27

「絶倫ロボに見る男女の性差」第27回目です。
大奥におるエロ事は、そこに至るまででも結構面倒くさいのならず、実際事に臨むにおいても、一種の目付け役が付けられていたのです。と言っても、その目付け役に将軍が行うエロ事を拝見させるのではなく、背中を向いて、行為の最中に将軍と相手をした女がどんな事を口にしたかと言う事を聞き取る事が役目でありました。
そして翌日になったら、複数任命されていたそれらのお目付け役は、別個にお年寄りに対して、その内容に関しての報告を行いました。全員一緒の上での報告だと、口裏を合わせられる可能性があったからでして、それぞれの目付け役の報告がずれていないかと言う事が確認されて、それで信ぴょう性を確信するのでした。
こんな事までするのかと言う事がまかり通る大奥ですが、所詮は将軍の後継ぎを創出するための場でしかなく、決して純然たる享楽の場とする前提の元で存在していなかったのです。純然たる享楽の場であるのであれば、よしんば相手の女が多少年があっても、器量が良ければエロ事の対象にできる所でしょうが、もっぱら後継ぎ創出の場として大奥が存在していた以上は、妊娠ありきでエロ事が意識されており、そこには、男にとっての腎虚以上に女にとっての負担と言う物が考慮されていたのでした。
単に妊娠だけでも女にとっては負担がかかる物でして、ましてや流産、死産ともなれば、あるいはそこまで行かずとも難産でもそれで母親が命を落とすと言う事が往々にあった事から、そうしたリスクに対処するために、妊娠するのはもっぱら若い者にさせるべしと言う事で、高齢出産を回避するために、大奥におけるエロ事のリミットは30歳と言う事が規定されていました。
その結果、家斉の代におけるお美代の方のような例外があったものの、基本的には、年齢超過の女はよしんば将軍からの誘いがあっても、辞退させられると言う事が当然視されていました。まあ、大奥では若い女がより取り見取りでしたから、あえて「高齢者」をエロ事の相手に定める必要はなかった訳ですが、それに引き換え、秀忠の正室であるお江などは「がんばった」物です。家光を産んだ時点で32歳でした。
何しろお江は悋気がひどく、秀忠によその女が付く事を嫌ったのです。後の将軍にとって後継ぎはもっぱら側室が産むか、他家からの養子と言う事が倣いとなってしまいましたが、家光だけは例外でして、お江の悋気が、(唯一の)正室腹の将軍をもたらしたと言って良いでしょう。

長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^

クリックお願いします。<(_ _)>


クリックをよろしくお願いしますです。(人∀・)タノム


韓国(海外生活・情報) ブログランキングへ

ブログランキング・にほんブログ村へ 










| ホーム |


 BLOG TOP  » NEXT PAGE