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君主の出撃37

「君主の出撃」第37回目です。
少将と言えば、せいぜいの所が旅団長がいい所ではありましたが、ヴィルヘルム二世が、皇太子ヴィルヘルムにあてがったのは、第5軍司令官でした。参謀長は中将のクノーペルスドルフが任命されました。ヴィルヘルム二世としても、我が子の軍事的才能には幻想は抱いていないようでしたが、さりとて、そのような前近代的な人事を行う事自体は、暴挙以外の何物でもありませんでした。
ヴィルヘルムは1916年11月まで第5軍司令官の地位にありましたが、さりとて、それで軍務から引いた訳ではなく、その後は、ドイツ皇太子軍集団(Heeresgruppe Deutscher Kronprinz)の司令官に就任して、終戦までそれで続きました。
第二次世界大戦ではドイツだけがヒトラーと言う国家主席が、首都を離れていろんな所に大本営を定めていくさの指揮を執った事は良く知られた事ですが、それは第二次世界大戦に限った事ではなく、第一次世界大戦においても、ドイツだけがそうした事をやっていました。つまり、ヴィルヘルム二世もまた首都を離れていろんな所に大本営を定めて、そこでいくさの指揮を「執った」のでした。



長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^



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役職・身分の掛け持ちと転籍98

「役職・身分の掛け持ちと転籍」第98回目です。
外国の元帥に任命されると言う事は、よしんば形式的にでも、その国の軍人を兼ねると言う事になるのですが、ザクセン国王ヨハンの2人息子、アルベルトとゲオルクの場合は、2国の元帥を兼ねると言う事でもありました。
まあ、そうした事例はこれに限った事ではなく、ある意味良くある事と言っても良いでしょう。何しろ、それはある種の名誉職的な要素もある訳ですからです。プロイセンに限って言えば、その最初の事例として上げられる事ができるのは、老デッサウ人こと、アンハルト・デッサウ侯レオポルト一世でして、プロイセン(1712年)と神聖ローマ帝国(1733年)の元帥を兼ねていました。
その次に挙げられるのが、ワーテルローの戦いでも有名な、ウェリントン公アーサー・ウェルズリーでして、彼の場合はイギリス軍人ですから、まずはイギリス軍元帥でして、次いでそれに並行、あるいは後追いした物も併せて、プロイセン、ロシア帝国、ハプスブルク帝国、ハノーファー王国と都合5か国の元帥を兼ねる事となりました。
ハノーファーと言えば、当時としてはイギリスと同君連合にもあった事から、この辺の所でも若干イギリスとのつながりが窺える所がありまして、後にハノーファー国王に即位するカンバーランド公アーネスト・オーガストがイギリス軍元帥に任命され、次いで、1816年にハノーファー副王ケンブリッジ公アドルファスがイギリス、ハノーファーの元帥を兼ねました。



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役職・身分の掛け持ちと転籍97

「役職・身分の掛け持ちと転籍」第97回目です。
第二帝国における陸軍が4王国の寄り合いで成り立っている以上、それぞれの王国のどこかで軍務に就いて、そこで昇進を果たせば、その階級に応じた形でよその王国のにおいても軍務に就く事が可能と言う事です。要するに、4王国のどこかで階級を得ていれば、別によその軍隊での階級はなくても構わない訳でして、それゆえに昨年は、事実上、4王国の軍隊とドイツ陸軍の軍隊を兼ねていると言う解釈をした次第です。
ましてや皇帝ともなれば、そのドイツ陸軍の最高司令官としての権限を有しているはずでして、別段階級などいらないのです。しかし、それが名誉職と言う風に割り切るのであれば、話は別でして、ヴィルヘルム二世が与える元帥の階級は、あくまでプロイセンの物として、それと別個によその王国の元帥と言う概念が必要と言うべきでしょう。その概念において、ヴィルヘルム二世はバイエルン軍元帥と言う、「外国」の元帥の階級を得る事ができたのでした。
もっとも、帝国内においてすら、プロイセン軍元帥以外の元帥の階級が「外国人」に与えられる事は、この一例のみでして、本来の意味での外国人に対して与えられると言う点では、プロイセンのそれがもっぱらドイツを代表する物となっていました。所詮は、バイエルンですらも、ドイツの外へ「出て」しまえば、取るに足らない小国と言う事でして、自国の軍隊においてすら、元帥の階級を与える事では、プロイセンに比べればその機会に恵まれない状態にあったと言えましょう。
バイエルンがもっぱら自国の判断で自国の軍人に元帥の階級を与えた事例として唯一存在するのが、1905年の、国王ルートヴィヒ三世の弟レオポルトに対しての物でした。
バイエルンよりも規模の小さいザクセンにおいては、元帥の制度が存在していたものの、事実上、18世紀において終焉を迎えていて、19世紀においては2人だけが与えられたのに過ぎないのですが、その2人と言うのが、国王ヨハンの2人息子のアルベルトとゲオルクでして、普仏戦争に従軍した事で、皇帝ヴィルヘルム一世およびフリードリヒ三世よりプロイセン軍元帥に任命された事との抱き合わせでザクセン軍元帥にも任命された物でした。つまり、そこではザクセンにおいての独自の任命ではなかったと言う事なのでした。


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転封と言う人事異動

江戸時代の人事異動 殿様も悩んだリストラや引き継ぎ


『お殿様の人事異動』

現代の企業人と同様、江戸時代の武士たちも人事異動に一喜一憂していた。なかでも殿様と家臣・家来が一族郎党を引き連れて引っ越しさせられる「国替え」は巨額の出費と手間のかかる難事業で、資金繰りと人員確保に苦心した例は多い。今回紹介する『お殿様の人事異動』は、いったん命じられると拒否できなかった幕府の人事権をめぐるエピソードを通じて江戸社会を読み解いていく一冊だ。

◇   ◇   ◇

著者の安藤優一郎氏は歴史家で文学博士(早稲田大学)です。1965年に千葉県で生まれました。早稲田大学教育学部卒、同大学院文学研究科博士後期課程満期退学。「JR東日本・大人の休日倶楽部」など生涯学習講座の講師を務めています。『幕末維新 消された歴史』『明治維新 隠された真実』『30の名城から読む日本史』『徳川慶喜と渋沢栄一』ほか多数の著書があります。

拒否できない突然の国替え

豊臣秀吉は天下統一の過程で国替えを積極的に活用しました。その後、関ケ原の戦いを制して天下統一を果たした徳川家康もまた、国替えを政治の道具として積極的に利用しました。
□   □   □
 国替えの命令は突然にやってくる。
 もちろん、例外もあった。幼少の身で姫路など要衝の地の藩主になると、幕府は幼児が城主であるのは軍事上好ましくないとして国替えを命じるのが慣例だったからだ。当の大名側は事前に予測できた。
 しかし、国替えの大半は突然の通告である。現代風にいうと、幕府からの国替えの命令は人事異動の内示にあたり、それに異を唱えることは許されない。異動命令に従いたくなければ退職の道を選ぶしかないが、江戸の大名の場合は改易の運命が待っていた。御取り潰しだ。大名はその地位を失い、大勢の家臣が路頭に迷うことになる。
(第3章 国替えの手続き~司令塔となった江戸藩邸 79ページ)
□   □   □

江戸時代には参勤交代がありました。かなりの費用がかかる事業で、諸大名を経済的に疲弊させる幕府側の意図もあったようです。国替えは殿様を始め家臣全部が家族や家来ともども引っ越すわけですから、その経済的、物理的負担の重さは参勤交代の比ではありません。著者は国替えを巡る武士たちの悲喜こもごもを、興味深いエピソードとともに活写しています。国替えを捉えるときに現代の企業社会と比較する視点を取り入れたのが本書の特徴です。「リストラ」「引き継ぎ」「資金調達」といったキーワードに、身のつまされる思いを持つビジネスパーソンもいるのではないでしょうか。



現代で言う、給与に相当する部分として、武家社会においては、知行地と言う、特定の土地の支配がそれに当てはまっていました。お金であれば、単にその値を大きくしたり小さくしたりすれば良いと言う事でもあるのですが、知行地とは、かように特定の土地の支配権ですから、固定化してしまえば、いかに誰かの家臣と言う立場にあっても、そこに関しては、さながら独立国家のような体をなし得る物でして、それを思えば、映画「ラストサムライ」で、渡辺謙が演じる侍のリーダーが、その地を1000年も支配してきたと言うのは、より上の立場にある者にしてみれば、容認出来る物とは言えなかったでしょうな。
日本全体の支配者たる、江戸時代ならば将軍としては、あくまで、自分が日本全体の領主であって、大名はその一部を代理で支配しているのに過ぎないと言う建前も欲しいですからね。そう言う視点からすれば、いろいろ転封と言う物が必要となった訳です。しかも、現代で言う、給与のアップなどの行為を土地の上で行うためには、幕府直轄地の中のどこかと言う事でして、その結果、飛び地を与えられるなんて事は少なくないだろうし、あるいはなるべくひとまとまりの状態で与えようならば、その段階でも転封と言う物が必要となって来る訳です。
後は、この記事にはなかった事として、譜代大名の場合は、幕閣の中での役職就任とのリンクで、転封と言う物も存在したようでして、そうなって来ると、大抵の場合は、負担でしかない転封も、その場に限っては、ある役職に就くのに、あの地に封じられなくてはならないとすれば、その地への転封を希望すると言う形で行動を起こすなんて事も大ありでした。
さて、大岡忠相と言えば、町奉行であった事が有名ですが、後年は寺社奉行へ栄転したとされています。町奉行であれば、知行3000石の旗本で事足れたのに対して、寺社奉行になるのには大名である必要があって、そのために知行アップがかなった訳ですが、その代わり、それほど顕職とは言えないようですね。「一休さん」のようには行かなかったようでして。(^0^;)
室町幕府において寺社奉行の役目の重要性はどのような物かは知りませんが、少なくとも、あの作品の中では重要不可欠と言って良いでしょう。


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なんかあべこべだな

サンライズのアニメーションのひとつである「勇者警察ジェイデッカー」の登場人物にムドラーと言うインド人がいます。
主観的には、それはインドと言うよりはドイツの名前じゃないかと思い、あまつさえ別のつづりを連想した物ですが、検索をかけてみると、ヨガにある印相の事でして、それならば、インド人に名前として納得が行った物ですが、そのムドラーと言うつづり、mudrāでありますが、これと似たつづりを持った将軍が、インドではなく、ドイツに存在しました。

ブルーノ・フォン・ムドラ
 Buruno von Mudra

第一次世界大戦開戦時には第14軍団長でして、皇太子ヴィルヘルムを司令官とする第5軍に属して西部戦線で従軍し、1916年には、東部戦線に移動して第8軍司令官に就任しました。翌年にはA軍支隊(Armeeabteilung A)の司令官として西部戦線に戻り、さらに翌年7月には第1軍司令官、次いで10月には第17軍司令官に就任して、終戦を迎えました。

とまあ、なんとも非独的な名前のように見受けるようですが、結構、かような非独的な名前の持ち主は、高位の人間にも少なくないようでして、一例としては、Hermann von François なる、ばっちしフランス語な名前の持ち主も存在していました。


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