最近は、なんとなく不精になってきていて、更新のペースが著しく減少してきたこのごろです。そこで、今日はかなり時期遅れのことですが、4月に、主権回復を目指す会の代表である西村修平さんが告訴された事に関して書いていきます。
土橋博子なる女性から、私生児発言は差別だ、と西村さんは訴えられた訳ですが、どう差別たなのかは知りませんが、そもそも私生児と言う物は、大人の心がけ次第で容易になくせる物ではないのでしょうか。子供を産むなら、相手と結婚すべし。これを守れば良いではありませんか。
結婚しない相手と○○○にふけるのは大人の勝手でしょうが、避妊をしないで妊娠して、出産に到ったならば、大人の勝手だけでは済まされないでしょう。そうした相手と結婚に到らないで、別居のままにとどまるのは大人の勝手でも、そうした事情に産まれた子供は巻き添えを食ってしまうのですよ。
私生児を差別するなと主張する連中にしてみれば、子供には罪はないと言うのでしょうが、では、こうして産まれた子供になんの罪があって、父親抜きの状態で人生を始めなくてはならないのでしょうか。子供に罪はないと言うのであれば、その点はどうなんだと主張したいですね。
本来、子供の養育費は父親の稼ぎでまかなわれるべき物ですが、母子家庭の場合は、それが困難な事があります。その結果、福祉のお世話になる必要に迫られる事があります。同じ母子家庭でも、「ロボコップ」に出てくる、ナンシー・マーフィのように夫が死亡したというのであれば仕方がないでしょうが、自身の不道徳の成れの果てで、こうした物の世話になると言うのは、はたから見て感じの良い物ではありません。国籍法改悪の元凶たる、フィリピン人親子にしても、こうした物にたかりたいがために日本国籍を狙った者が少なくないはずです。
では、こうした物に頼らずに、血統上の父親に養育費を頼れる場合はどうかと言えば、子供があって結婚しないとすれば、既に他に家族がいると言うケースが往々です。
そうなって来ると、私生児の存在は、父親の正式な家族にとって迷惑と言うべき物となってくるでしょう。本来、その男性の稼ぎは正式な家族のために提供されるべきなのに、その一部が、家族にとって何の義理もないよその親子のために使われるのですからね。
よって、私生児がそれ相応に低く扱われるべきなのは仕方がないことでしょう。家族と言う、最小の社会単位を維持し、かつ、福祉の負担を減らすためにも、妙な人権意識を持ち出すべきではありません。
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