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我が主張は差別にあらず

(*゜▽゜)ノ みなさんおはようございます。
さて、わがブログで主張している内容の中には、ある人に言わせれば「差別」に相当する物があると思われることでしょう。しかし、自分に言わせれば、それは決して「差別」とはみなしません。
よしんばわたしが、ある条件に当てはまる人をさげずんだとしても、それは差別ではなく、単にその人が婉曲に自身を乞食として吹聴した結果に他なりません。こちらに差別の意図がなくとも、彼らの方で勝手に自身を卑しい存在だとみなしている訳ですから、こちらとしても乞食を乞食としてみなしているだけの事でしかないのです。
例えば、これまで取り上げたケースにしても、国籍法改悪の元凶となった私生児親子しかり、フィリピン移民二世しかり、中国残留孤児本人ないし縁者しかり。全てが、自身を勝手に日本人よりも卑しい存在だとみなしているから往々にして外国人問題として顕在化したのです。
もし、彼らか自身を日本人と同等の立場にあるとみなしたのならば、別段、日本にやって来る必然性はなく、自国でやっていけるはずです。よしんば日本にいつきたいにしても、これはあくまで自身の意思である訳ですから、これにふさわしくあるべく、自身を整えるはずであって、もし、自身の能力度外視で、日本との何がしかの縁でいつこうと欲して行動を起こしたとしたら、結局、それは金持ちの親戚を頼って居候を決め込む乞食の有様を示したと言うべきでしょう。
これらの連中は、万事、日本にいつきたいと欲する欲求ばかりが目立つだけで、決して自身の能力を応分に高める事をせず、往々にして、援助団体やお上にすがって日本に居つくケースが多いです。
この種の支援団体は、日本社会は往々にして彼らに対して冷ややかだと差別を口にしますが、はなからよそ様の負担に依存してまでいつこう連中を乞食とみなすだけの事であって、日本社会が彼らに対して冷ややかだとしても不自然な事ではないでしょう。

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テーマ : 難民、移民問題 - ジャンル : 政治・経済

日本ではなぜ、大将が少ないのか⑤

( ゚∀゚)ノィョ―ゥ みなさんこんばんわ。今日で「日本ではなぜ、大将が少ないのか」5回目に入ります。(*゚▽゚ノノ゙☆パチパチ

大東亜戦争当時、日本の人口は1億人に達しましたが、それは台湾、朝鮮と言った、元来徴兵の対象となっていない所も含んだ数字であって、それらを除くと大体7000万人程度であって、当時のドイツとほぼ拮抗する数字となります。
となると、軍隊の規模もほぼ同じとなるべきなのですが、前回述べたように常備軍の規模には大きな開きがある事が分かります。日本陸軍の規模がドイツのそれを上回っていたのは、ヴェルサイユ体制によってドイツ軍の規模が著しく制約されていた時期であって、その時ですら日本軍は軍縮していて、17個師団に減らされていました。
昭和12年、支那事変の勃発によって、以降軍備の拡大が進行して行ったのですが、それでも、ドイツ軍に比べれば、その拡大のペースは遅く、大東亜戦争開戦時になってようやく51個師団にまで達しました。
それに対してドイツ軍は対ソ戦争だけでも140個師団以上を投入しました。
こうして見ると、かつての日本があたかも侵略を国是としていたかのように言われているのは少なからずいんちきだと言う事を立証すべき事ではないでしょうか。
当時の日本は徴兵制を取っていましたが、普段から兵士として徴用していたのは甲種合格者に限られており、普通に健康とみなされた乙種合格者はせいぜい補充兵としての役目を与えられていたのに過ぎませんでした。
もし、わが国が侵略を国是としていたのならば、そのためにより多くの兵力を必要とするはずで、普通に健康な乙種もどんどん徴用するくらいのことをしなくてはとてもおっつかないと思います。よその国ならば、日本の乙種程度も現役兵として徴用していたのです。
こうした結果、日本では普段から軍隊の規模が控えめとなってしまい、軍団を編成する余裕がなくなり、普段は師団が天皇直属と言う形になって行ったのです。

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テーマ : 歴史 - ジャンル : 政治・経済

私生児差別は差別にあらず

みなさんおはようございます。早速本題行きましょう。

非嫡出子(婚外子)の法定相続を嫡出子の半分としている民法の規定をめぐり、最高裁第2小法廷は3日までに「合憲」と認める決定をした。ただ、関与した4人の裁判官のうち1人が「違憲」とし、合憲とした3人の内1人が「違憲の疑いが極めて強い」と意見を述べた。
この規定は最高裁大法廷が95年の決定で合憲と認めた後も「違憲だ」との主張が絶えず、小法廷で反対意見が付くのは00年以降で少なくとも5回目。一方で、法改正に反対する声も根強くあるが、千葉景子法相は改正に意欲を見せており、今回の決定が改正論議に影響する可能性がある。
決定は9月30日付け。遺言状を残さないまま00年になくなった沖縄県の男性の遺産分割をめぐる審判で、規定を適用した那覇家裁名護支部決定を婚外子側が不服とし、最高裁に特別抗告。小法廷の多数意見は大法廷決定を引用して。これを却下した。
しかし、今井功裁判官(裁判官出身)は違憲の立場かで反対意見を述べ、「婚姻関係から出生するかそうでないかは、子供の意志や努力ではいかんともすることができない。このような理由で相続を差別することは、個人の尊厳と相容れない」と主張。大法廷決定後の96年に法制審議会が法改正を答申しているのにもかかわらず改正が実現しない事も指摘、「もはや立法を待つ事は許されない」と結論付けた。
また、竹内行夫裁判官(行政官出身)は多数意見の結論に賛成しながらも、海外で相続差別が撤廃され、日本もなくすよう国連から勧告を受けていることなどを補足意見で指摘。「差を設けていることを正当化する根拠は失われつつある上、規定は婚外子が格下の存在だと言う印象を与える」とし、「現時点においては、違憲の疑いが極めて強い」と延べた。(引用ここまで。10月3日分)

こうした婚外子だか、私生児「差別」の問題って、外国人問題と共通する事じゃないでしょうか。外国人問題でも、ある人たちから「かわいそう」なんぞと言われて、わが国が負担を食らう前提で動くのは、結局外国人の側が恩恵を被る形になります。これらの外国人の場合、それがよしんば先進国の人間ならば、これほどまでに「かわいそう」が主張される事はないでしょう。
それゆえにわたしは、往々にして、世間と逆の事も考えてしまいます。例えば、父親がフィリピン人で、日本人女性に私生児を産ませた場合、その子供は父親の血統に応じてフィリピン人にすべきなのか? 昨年の国籍法改悪の論法からすれば、そうあるべきなのですが、現実にはありそうにもないこのケースの場合は、従前通り、日本人によって育てられるならば、子供には日本国籍が与えられる事でしょう。
しかし、この後で、昨今の下らない現況からすれば、フィリピン人の父親にも、子供への面会を容易にすると言う「人道的配慮」で日本滞在許可が与えられると言う馬鹿馬鹿しい話になってしまうのではないのでしょうか。
さて、私生児問題に戻りまして、こうした問題が生じるのも、所詮は分割できる遺産が存在するから生じただけの事でしょう。外国人問題に関しても、得にならない主張はされないじゃないですか。
もらえる遺産があるから、私生児側も、○○の子供だと主張しているのであって、よしんば血統上の父親が借金持ちだとしたら、血統上の子供の端くれとして、借金返済に一肌脱いでくれるのでしょうか。
本来私生児側からすれば、そうした血統上の父親に対する情が薄くても当然であって、その程度の思いならば、遺産相続にしゃしゃり出ると言うのは、却って尊厳を欠く行為として恥じるべきでしょう。
私生児に対する差別反対を唱えるのは安易ですが、嫡出子とても、楽をしてばかりとは言えないでしょう。たんまり遺産が期待できるような家ならば、家業継承のための苦労に従事させられる人だって少なくないのではないと思います。
逆に私生児の場合、血統上の父親から分離状態で別の人生を独自に設定できる訳ですから、ある意味気楽な物です。家業継承の苦労をしないで済むままに遺産相続の時だけ「差別するな」で分配に与って良い物なのでしょうか。

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日本ではなぜ、大将が少ないのか④

(*゜▽゜)ノ みなさんおはようございます。今日で「日本ではなぜ、大将が少ないのか」第4回目をお送りいたします。前回は、日本では師団長のほとんどが中将で任命されていた所まで書きました。
これに対して外国の例を改めて取り上げてみましょう。第二次世界大戦において史上最大規模の地上戦を繰り広げた独ソの場合、ドイツでも中将で師団長になる者がいないでもありませんでしたが、ソ連同様、少将ないし大佐の師団長は珍しくありませんでした。
アメリカの場合は、独ソと違って階級に准将があったために、少将ないし准将で師団長が任命されるのが普通でした。
では、改めてなぜ日本の場合、師団長が中将なのかと言う点を考えて見ましょう。そのキーポイントとして考えられるのが「軍団」の有無にあると思います。
当時の階級として、独ソは准将がない代わりに上級大将が存在した事で、両国は比較的大将の創出が容易だったと思われます。アメリカ軍の場合、元々元帥が存在しなかったために、大将の創出が控えめにならざるを得ず、軍集団司令官は大将、軍司令官は中将が普通でした。そうしたバランス上、軍団長が少将で任命されるケースが多かったようです。
これに対してドイツ軍の場合、軍団長は大将ないし中将で任命されていました。
これに対して日本では周知の通り軍団なる物が存在しませんでした。日本の師団長が中将で任命されると言うのは、この辺の所に理由が尽きるのではないでしょうか。その辺の所はドイツの軍団との比較で見ていきましょう。
ドイツ第2帝国の場合、創設時で18個軍団、第一次世界大戦直前で25個軍団が平時編成として存在していました。これらは普段は軍管区として存在していて、個々の軍管区はそれぞれ2個師団を指揮下に置いていました。
これらの軍管区が有事の折に軍団として出征する訳で、その際は軍司令部に指揮下に入ります。軍司令部は有事のみの編成となるので、軍団長は普段は軍管区司令官として皇帝直属の立場になります。
では日本の場合、普仏戦争以降、陸軍はドイツの流儀に倣う傾向が強くなった割にはどうしてこうした軍団は存在し得なかったのでしょうか。要するに軍団を編成するには師団の数が少なすぎたと言うべきでしょう。日清戦争時には7個師団、日露戦争時には13個師団、第一次世界大戦開戦時には19個師団が日本の常備軍だったのです。
軍団対応の軍管区を組織するだけの兵力を持ち得ないとしたら、師団にその役割を持たせるしかありません。軍管区の代わりに師団管区が全国に創設されました。そうなると、普段は師団長が天皇直属の地位と言う事になります。必然的に、日本の師団長はよその国に比べて地位が高いと言う事になるのではなのでしょうか。

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改めて残留孤児帰国は胡散臭い

唐突ながら今回の分は中国残留孤児に関する記事です。朝にエントリーした分の不足を補うべく書きます。
既に述べた通り、こうし中国残留孤児ですが、帰国支援なる物は、少なからず矛盾した物であり、胡散臭い物を感じ取るべきであります。
昨年の国籍崩壊悪←本来は国籍法改悪のミス変換でしかないのですが、まさしく今の状況は国籍が崩壊してしまっていると言っても差し支えないのではないでしょうか。
さて、その国籍法改悪の元凶たるフィリピン人が私生児を産んだ事で、産んだ子供の血統を引き合いに出して日本に居つかんと欲した事は周知の事でしょう。
公平的な見地からすれば、こうした母親が苦労するのであれば、フィリピンにおいてつつがなく暮らせるようにすると言うのが支援を行う側としての筋と言うものなのですが、日本で発足した支援団体はなぜかしらんフィリピン政府に対しては何も要求せずに、万事日本に結び付ける形で支援を行おうとしているのです。
フィリピン人の母親によってのみ子供を育てるのに日本に定住する必然性はなく、却ってそれを強行するとなれば、子供が異質な環境に順応しなくてはならない苦労を必要とする訳で、そちらの方が却って人権侵害になるからです。
この事は、中国残留孤児に関しても当てはまる訳でして、はっきり言って、無理に日本定住を推し進める必要などないのですよ。
フィリピンの場合でも、移民の二世しかり、混血児しかり、安易に日本定住を推し進める事はフィリピン政府の立場からすれば、「そんなにわが国で暮らすのが嫌なのか」と憤慨してしかるべきだと思います。
話は戻って中国残留孤児に関しても、中国政府からすれば同様の思いが沸き起こっても不思議ではないと思います。にもかかわらず、彼らが残留孤児帰国に加担するとしたら、前回も指摘したとおり、厄介払いの意図でもあるのではないかと勘繰るべきではないでしょうか。
日本にあって、カルデロン一家のような不法滞在者の退去が人権侵害の如く扱われるのであれば、中国残留孤児に関しても、同様な事が指摘されるべきだと思います。しかも、残留孤児の場合は、別段、中国に居つく事自体は違法ではないのです。
従って、残留孤児にしてみれば日本に帰国できるということは、厄介払いによる追放でしかなく、住み慣れた国を追い出される人権侵害を指摘すべきではないでしょうか。
しかし、現実はこうした人たちは、中国の人道的配慮に感謝すると言う、一種のおめでたい反応をしているケースが大抵であります。彼ら自身がかくも、住み慣れた地を追放される事を恨みに思わないとしたら、それは、かの地での暮らしをすばらしい物と思っていなかった事を裏書する事に他なりません。
日本定住が可能になった人たちのこうした反応は既に指摘した通り、矛盾に満ちている物であります。嬉々として日本に居つく割には、中国に対する恨み言を口にしないのはどう見ても矛盾としか言いようがありません。北朝鮮からの脱北者なんかはかの国での過酷な生活を口にしました。
それに比べれば、残留孤児で日本に定住できた者から中国に対して批判的な発言がないとしたら、勘の良い人は既に気づいているでしょうが、残留孤児なる物がいんちきであるという事です。
中国の現状からすれば、こうした「人道的」配慮が第五列の送り込みに利用されているとしても驚くには当たらないでしょう。そうでなくても、安易に二世、三世ですらも日本定住される現状。また、日本人の女性が中国へ嫁にやってこないで、逆に日本人女性と結婚して日本に居つく国民が往々としているくせに、それを何とも思わない国は少なからず胡散臭く思ってしかるべきではないでしょうか。
中国は、「人道」にかこつけて、少なくとも、過剰になった自国民の人減らし政策を推し進めていると解釈すべきであります。
さて、そうなって来ると、日本国内にある人権団体なる物も、少なからず怪しい物であります。既にフィリピン関連の「新日系人ネットワーク」に関しても、昨年、破廉恥支援団体とみなした訳ですが、残留孤児支援団体に関しては、それ以上のおぞましい団体であるとみなすべきでしょう。
口では日中友好を主張する割には、かような行為に加担する事は、中国での生活は過酷な物と吹聴する事でしかないはずなのに、そうした矛盾を感じない訳ですからね。
ましてや、二世、三世だに公然と受け入れる事に躊躇しないとしたら、ことによったら、昨今「はやり」の人権ビジネスの類ではないでしょうか。朝に取り上げた自称残留孤児親族の姉妹の類を考慮するならば、将来にわたっても「仕事」に事欠かないで済ます事ができるからです。
そして、それは同時に第五列の潜入もお構いなしと言う売国行為に加担する事でもあるのです。

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なぜ、そこまで血統にこだわる?

みなさんおはようございます。今日は昨日に引き続いて中国残留孤児に関して取り上げていきます。

中国残留孤児の家族として一家で来日した後、「孤児との血縁関係が認められない」として国外退去を命じられていた奈良県の大学生の姉妹に、法務省は9日、異例の在留特別許可を出した。両親は06年に帰国し、姉妹だけが日本で勉強を続けていた。
姉妹は、帝塚山大学1年のチャオリュウリウさんとチャオチュンヤンさん。母親が日本人の子だとして、97年に中国黒龍江省から来日。翌年には3女も誕生し、大阪で一家5人で暮らしていた。だが02年、日本人との血縁関係はないとして、全員が在留資格を取り消され、国外退去を命じられていた。
一家は裁判で争ったが、06年5月に最高裁で敗訴が確定。翌月、両親と当時7歳の3女は中国へ帰ったが、入管に毎年出頭する事などを条件に、送還のための収容を一時的に解く「仮放免」の状態で滞在を続け、大学に進学した。出国すれば日本に再入国できなくなるため、両親に会うこともできなかった。
チュンヤンさんは「やっと安心して日本で暮らせるのでうれしい。冬休みに両親に会いに行きたい」と声を弾ませた。
国外退去処分をめぐって最高裁で敗訴しながらも、子供にだけ在留許可が出たのは、埼玉県蕨市のフィリピン人一家のケースがある。(引用ここまで。10月10日分)

はっきり言って、これらの連中って、別段、中国残留孤児本人でもなければ、日本へ行って嫁いだ中国人の子供と言うわけですらもないじゃないですか。しかも、今回のケースは現地で結婚をした残留孤児の女性が産んだ娘が母親と言うだけじゃないですか。なおの事、よその家庭出身でしかないのです。かように瑣末なまでに「日本人」の血統にこだわって受け入れなければならんのか。全く以って理解できません。
この件に関して、よそのブログではこの姉妹が偽者じゃないかと言う指摘もあります。昨年の国籍法改悪の件でも偽装認知が懸念されていました。
そうしたいんちきに関してはわたしはあまり厳しくは言いません。本物だからと言って、少なからず否定的に考えているのです。所詮はよその家庭で生まれ育った者をいちいち日本人の血統を引き合いに出する事自体がナンセンスなのです。
生まれの血統がどうであれ、生まれた環境に応じて育てれば良いだけの事であって、日本人の血統にこだわった所で、自身がそれに順応できなければ、無意味だと言っているのです。
まあ、現実としても安易に「日本人」の血統にこだわるために、そこに付け込まれて偽者が続々とやってくる事が指摘されます。偽者ならずとも、かくも三世までも受け入れ当然と考えたならば、これらの連中が大学を卒業して帰国した後、結婚して来日して来る可能性濃厚です。そうして日本に居つく中国人の拡大再生産が進行して行っているのです。

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矛盾だらけの残留孤児支援

中国・北京で1日に開かれた建国60周年の式典に、中国残留孤児国家賠償請求訴訟の原告団を率いた池田澄江さんが招かれた。希望を胸に帰国した祖国日本で冷遇された池田さんは、華やかなパレードを見て涙を落とした。「中国はわたしを忘れていなかった」
終戦直後、ソ連軍の侵攻を受けた黒龍江省牡丹江で、赤ん坊の池田さんは、子に恵まれなかった中国の養父母に引き取られた。
新中国建国が宣言された49年10月1日。養母に抱かれ、練り歩く人々を見た。爆竹と「毛主席万歳」の声。みな笑っていたのを覚えている。
極貧生活でも、養父母は娘にとうもろこし粉のまんじゅうを与え、学校でいじめられるとかばってくれた。師範学校を出て教師になった。
北海道の男性が実父の可能性が高いと分かり、81年に帰国したが、別人だった。当時は身元が確定しないと戸籍を得られなかった。日本人孤児と認められた中国の証明書を頼りに提訴し、82年に戸籍取得。その後に実姉に再会した。
3人の子を抱え、生活は苦しかった。行政の支援はない。「わたしたちが中国に置き去りにされたのは誰の責任か」。孤児約2000人を束ねて02年、生活保障を求め国家賠償訴訟を起こした。国を動かし、給付金制度を盛り込んだ改正中国史残留孤児邦人支援法が07年に成立した。
9月7日、東京の自宅に中国大使館から招待状が届いた。帰国から28年、遠くなった古巣からの招きに胸が詰まったと言う。「中国はわたしに命をくれた国。日本を愛している。それ以上に中国を愛している。そう実感しました」(引用ここまで。10月2日分)

まずは引用をごらんいただきましたか。今回のエントリーのタイトルは改めて「矛盾だらけの残留孤児支援」であります。
何が矛盾かと言えば、かような連中の帰国支援が人道にのっとった物とされている事であります。こんな事を書くと、国民同胞を捨て殺しにする人でなしのように思われるでしょうが、結局の所がこれは、本人にとって日本の方が良いか中国の方が良いかと言う選択に他ならないでしょう。
本人にとって中国が住み心地が良いのであれば、別段日本人である事にこだわる事なく中国で暮らしても良いでしょう。また、日本の方が良いと言うのであれば、それは日本人と言う自覚に基づく物ですから、帰国後の順応および身の振りように関しては自らの自己努力で解決すべき点は少なくないはずです。
後者の点が全く自力で解決できないと言うのであれば、無理に日本帰国を行う必要はないじゃないですか。国家賠償訴訟を引き起こすくだりはどう見ても物乞いの態度としか思えません。
そもそもかような置き去りが生じたのはソ連軍の侵攻によってもたらされたのであって、また、いまだに中国での暮らしが良くないのは中国政府の無策による所が大きく、万事を日本のせいに良い物でしょうか。単に取りやすい所から取ると言う、弱い物いじめの発想に他ならないのではないのでしょうか。
話は戻りまして、もし、こうした残留孤児が帰国をありがたがるとしたら、結局の所が中国での暮らしは捕虜のごとしと恨み節にしかならないはずです。それでいて、この池田さんは、日本以上に中国を愛していると、この発言に矛盾を感じないのでしょうか。
さように中国を愛していると言うのであれば、別段、日本人にと言う立場にこだわって帰国などせずとも、そのまま中国で暮らす事が好ましい選択だったのではないのでしょうか。
もし、真なる残留孤児に対する人道的配慮があるとしたら、中国政府は、せっかく、彼らが中国の家庭に鎮座しているのだから、中国こそわが祖国と思える政策をすべきであって、日本人孤児と認知して帰国支援に加担する事は、単なる厄介払いに他ならないのではないでしょうか。
まあ、こんな事を書いても、現実から著しく乖離した物に過ぎず、真なる人道配慮などありえないでしょう。先週、早々に自称残留孤児の親族の姉妹に関する事件がありましたので、残りに関してはそれとあわせて後々取り上げる事とします。

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となりの半島ではPartⅠ

(*^∇^)/ はぁい、みなさんお元気ですかぁ。では本日2度目の更新は嫌韓替え歌集をお送りいたします。\(^∀^*)/ワ~イ
今日の替え歌は「となりの半島では」です。元歌は「北酒場」。全部で10番までありますので、今日は半分の5番までお送りします。でははじまりはじまりー。(*゚▽゚ノノ゙☆パチパチパチパチ

1番
となりのー半島ではー 付け火がー頻発していぃるー
ちょっとーどころの物ではなぁいー 世界にー冠たるほどの物ー
今夜もーかの地でー付け火が起こるー
大火災ー 大炎上ー
彼らは常にー些細な事でー付け火にー走るー
となりのー半島ではー 付け火がー頻発しているー

2番  
となりのー半島ではー 強姦がー頻発していぃるー
ちょっとーどころの物ではなぁいー 世界にー冠たるほどの物ー
今夜もーかの地でー強姦が起こるー
年がら年中ー発情期ー
彼らのせいよーく 理性を欠いてー抑制がーきかぬー
となりのー半島ではー 強姦がー頻発しているー

3番  
となりのー半島ではー 妄想がー蔓延していぃるー
ちょっとーどころの物ではなぁいー 世界にー冠たるほどの物ー
今夜もーかの地でー妄想が続くー
年がら年中ー妄想だー
思うが勝ちでー 妄想あればー歴史ー事実ー 
となりのー半島ではー 妄想がー蔓延しているー

4番  
となりのー半島ではー 暴力がー頻発していぃるー
ちょっとーどころの物ではなぁいー 世界にー冠たるほどの物ー
今夜もーかの地でー暴力が起こるー
年がら年中ー大暴走
ささいなー事でー大いにファビョりー暴力にはしーるー
となりのー半島ではー 暴力がー頻発しているー

5番  
となりのー半島ではー パクリがー蔓延していぃるー
ちょっとーどころの物ではなぁいー 世界にー冠たるほどの物ー
今夜もーかの地でーパクリが続くー
年がら年中ーパクッてるー
よそのー国でー 良い物みつけー ウリナラー起源ー 
となりのー半島ではー パクリが蔓延しているー

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テーマ : 韓国について - ジャンル : 政治・経済

日本で介護福祉士敬遠

みなさんおはようございます。今朝は台風状態で、外は強い風が吹いている状態です。昼過ぎはなんとか晴れてくるそうですが、そうなると、かなり温度が上がるのでしょう。では、本題行きましょう。(*゚▽゚ノノ゙☆パチパチ

日本とフィリピンの経済連携協定(FPA)に基づき、日本国内の介護福祉士養成施設で学んで資格取得を目指す「就学コース」で来日するフィリピン人が、派遣枠50人に満たず、30人前後にとどまる見通しになった。奨学金制度などが充分でない募集先が多く、学費の負担などを敬遠したためと見られる。
フィリピンでは今年、日本の病院などで働きながら国家試験合格を目指す「就学コース」でも看護師・介護福祉士合わせて450人の派遣枠が設けられたが、日本語で国家試験を突破する難しさや選考方法の問題点から、来日は283人にとどまった。外国人看護師・介護福祉士の受け入れは、相次いで課題に直面している。
日本側窓口の国際厚生事業団やフィリピン高等教育委員会によると、就学コースには今年の派遣枠50人に対して、日本の大学や専門学校など27施設から計158人分の募集分があった。フィリピン側からは約50人が応募したが、来日が決まったのは36人だった。
派遣枠を満たせなかった主な要因は、学費負担への懸念と見られている。就学コースでは来日後、半年間の日本語研修を経て養成施設で2ないし4年間学び、介護福祉士の資格を取得する。その間、週28時間以内のアルバイトは許可されるが、授業料や生活費の負担は重い。
このため、事業団は募集施設に奨学金など支援策を充実するよう求めていたが、制度を設けていなかったり、不十分だったりする施設が多かった。逆に受け入れが決まった施設の多くは学費などの援助を予定していると言う。
来日は今月下旬になる予定だが、経済的負担を嫌ってさらに辞退者がでる可能性があり、関係者は「最終的に30人になるのではないか」としている。(引用ここまで。9月4日分)

>日本語で国家試験を突破する難しさや
一体フィリピン人どもは、どこで仕事をするかと言う事を理解しているのですかねぇ。わが国で仕事をする以上、看護師ならずとも日本語の能力は不可欠じゃないですか。こんな事に懸念をいだくくらいならば、さっさと断念すればいいのです。英語ならば、まだ彼らにとっても難易度が低くて済みますからアメリカへ行って同様な事をチャレンジすればいいです。日本語が分からないままに日本にいつかれても、こちらとしてははなはだ迷惑です。往々にして指摘される「外国人差別」と言うのも、案外、そうした彼ら自身の怠慢から来ているのですよ。ひょっとしたら、日本語能力が欠けているから、まともに来日しようにも相手にされないから、フィリピン人の不法入国が多いというのではないでしょうか。
また、学費などに関する負担の重さに関しても、一方的に日本側から募集をしたのみと言うわけでもありますまい。フィリピン政府との協定に基づく物となれば、フィリピン側も援助と言うものを考えたらいかがな物でしょうか。これまでも、どうもフィリピンは乞食行為を国策として行っているのではないかと思われて仕方のない「実績」を残しているのです。

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戦争映画貢献度ランキング

みなさんこんにちは。今日は、戦争映画貢献度ランキングなる物を作製しましたので、公開します。まあ、我ながらマニヤの発想と言うものは計り知れない物だなぁと思います。では、行って見ましょうか。
(*゜▽゜ノノ゛☆パチパチパチパチ

1位 アメリカ
2位 ドイツ
3位 イタリア
4位 イギリス
5位 ロシア
6位 ベトナム
7位 アフガニスタン
8位 ユーゴスラヴィア
9位 フランス
10位 韓国

以上となります。要するに、どの国が戦争映画の創出にどれだけ貢献したかと言う事を示した物です。判断基準としては、まずは映画そのものの供給量。ついで、登場人物、(戦場たる)場所の提供、出演する俳優。それらの物を考慮して、以上のようにランキングしたした次第です。
ちなみに、日本に関しては、自国の戦争を取り扱った映画が見られる事はある意味、当然と考えれば、ランキングに加えるのは不公平と言う事で除外しました。
では、ランキングの内容の詳細に関して解説していきましょう。
まず第1位たるアメリカ。万事に渡って外来文化のチャンピオンである事からすれば、文句の付けようがないでしょう。現実に、派兵先の多さは世界一である訳でして、それが反映されてか、欧州大戦、大東亜戦争、ベトナム戦争の映画が多いばかりか、自国の軍隊の出ない映画にしてもかなり製作すると言う点でも随一と言って良いでしょう。
第2位のドイツ。こちらは欧州大戦限定で考えれば、最大の出番を有しています。さすがにドイツ製となるとたかが知れているとは言え、どの国も欧州大戦となると、現実にドイツ軍の出番は非常に多かったために、ドイツ軍ないしはゲシュタポが登場する映画の創出は必然でして、アメリカですらも、アメリカ軍は出ずともドイツ軍は必ず登場すると言う有様だったのです。
第3位のイタリア。こちらはドイツと反対に、軍隊の出番でこそはたかが知れている一方、映画の製作量では2番目と言う、奇怪な条件を持っています。その量の多さは欧州大戦以外にも、ベトナム戦争、アフガン内戦を取り扱った映画を創出する事によって成り立っています。
また、イタリアの場合、女優で戦争映画最大の出番を確認できた人物シルバ・コシナを輩出したと言う点も見逃せません(3回だけの登場でも、女優では希少価値!)。
第4位のイギリス。こちらは、イギリス製だけでなく、アメリカ製でも少なくない点が指摘できるのではないでしょうか。欧州大戦物では、アメリカ映画で登場する外国軍隊でドイツ軍についで出番が多いのはイギリス軍でした。この点では俳優のリチャード・バートンの存在にもよる所が多いのではないでしょうか。なぜか知らん、アメリカ俳優であるのにもかかわらずイギリス人役が多いのが目立っています。
第5位ロシア。ソ連時代に製作された映画には、べらぼうに兵士や戦車などが登場する物が目白押しでして、この辺は買いですね。ただ、テレビで見られる事がほとんどない上に、俳優名がキリル文字で書かれてしまうと、とても俳優を覚える事ができない点では、独、伊、英に後れを取る事は否めません。
第6位ベトナム。「ベトナム戦争」と言う、特定の1つの国名を有した戦争を取り扱った物としては、ベトナムが一番目だった存在と言えるのではないでしょうか。アメリカにしても、ドイツにしても、自国名を有した戦争において出番が多いと言う訳ではないのです。
第7位アフガニスタン。こちらも、特定の国名を有したと言う点ではベトナムとほぼ同じ目立ちようと言うべきでしょう。アメリカばかりかイタリア製もある事もベトナムと共通していますが、ただ、アフガン人役で登場した俳優を覚えられないと言う点では明らかにベトナムに後れを取ってしまう評価となりました。
第8位ユーゴスラヴィア。欧州大戦では連合国側としてはソ連、ポーランドに次ぐ犠牲者の大きい国として、激戦があった所です。戦後は共産主義国ながらソ連と距離を取って西側諸国のロケを頻繁に受け入れた所から、西側でも「ナバロンの嵐」や「クロスイーグル作戦」などの映画でできました。
第9位フランス。フランスと言えば、正規軍よりも抵抗運動の方が映画に出番が多い訳ですが、ユーゴスラヴィアの抵抗運動に比べれば、個人的な有志にもとずく物であるために戦闘のレベルが低い事。また、場所だけ「提供」して、フランス軍ばかりか抵抗組織も出ないと言う映画も少なくなかったので、現地の人間がかならず戦いに加わっていたベトナム、アフガニスタン、ユーゴスラヴィアに比べて貢献度で劣る事は否めません。
第10位の韓国は、最初はオーストラリアとどっちがいいかで悩みました。両国とも、外国製の映画で彼らの軍隊が登場することが滅多にないという点で共通しています。ただ韓国の場合は「朝鮮戦争」において場所の「提供」だけは行っていたので、僅差ながら上と見てかろうじてベストテン入りとみなした次第でございます。

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日本ではなぜ、大将が少ないのか③

(*゜▽゜)ノ みなさんおはようございます。今日はしたたか雨が降っている状態です。今日も先月末に引き続き「日本ではなぜ、大将が少ないのか」をお送りします。
前回は、終戦時の状態から、陸海軍を通じて大将僅少、中将過多であった事を指摘しました。陸軍に的を絞って言うならば、どうやら師団長の急増に大将の確保が追い付いて来なかった事も指摘できます。バランスを考えるならば、これだけ中将が多くなれば、上級指揮官もそれに合わせて大将を増やすべきじゃないのかと思ってしまいます。
また、逆説的に言えば、大将を増やせないのならば、中将とてもそれほど多くできないのではないか。すなわち、師団の急増応分の中将の確保が追い付いて来ないと考えるのではないかと思うのです。
現に、外国では師団長を少将ないしは大佐で任命されると言ったケースが見受けます。
もし、日本でも師団長を少将で任命していたのならば、上級指揮官たる軍司令官が中将だとしても釣り合いが取れると言う物です。ちなみにアメリカでは、第二次世界大戦の頃、軍司令官は大抵、中将で任命されていました。そして、軍司令官の下には軍団長がいた事を考えれば、師団長が少将ないしは准将で任命されると言うのは妥当な所ではないでしょうか。
しかし、日本では軍司令官以上の上級指揮官のほとんどに大将を任命できなかったのにもかかわらず、師団長に中将を任命して中将過多の状態を創出してしまったのでしょうか。前回も指摘したように、日本軍の師団長は、一部の例外を除いて中将で任命されていました。次回は、その点の所を書きたいと思います。

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