\(^∇^*) (*^∇^)/ みなさんおはようございます。今回は12月の1回目の更新であります。早速行ってみましょう。まずは引用文からです
全国に暮らす中国残留孤児45人が「中国人民に養育の恩を感謝する中国訪問団」を組織し、11月初めに訪中した。命を救い、育ててもらった感謝の気持ちを伝えるためのこうした旅を、孤児自らが企画するのははじめて。誤解に基づく中傷も受けてきた孤児たちは悲願を果たし、「これから本当の日中友好に役立ちたい」と誓い合った。
訪中団は、衆議院議員、弁護士ら、秋田から鹿児島までの孤児の計60人。2000人を越える孤児らが02年から老後の生活保障を求めて全国で裁判闘争に立ち上がった末に勝ち取った新支援策が昨春から実施されて実現した。
今回の訪中が悲願だったのは、中国東北3省などで「育ての親を忘れた」「恩知らず」などとする声が聞かれていたがらだ。
新支援策実施以前は、約7割の孤児が生活保護で暮らし、海外に出かけると保護費が支給されなくなるため、養父母の見舞いに思うようにいけない状況だった。中国側の親族には日本語が不自由な孤児が日本で悪戦苦闘している事は想像できず、また孤児も厳しい現実を養父母らに語ることはできなかった。そのため、豊かな日本に帰国したのになぜ訪中しないのかと不信感を強くしがちで、4年程前には黒龍江省のテレビや新聞で病気の養母と連絡を絶っている孤児を非難する報道が相次いだ。
当時、取材を受けた訪中団団長の池田澄江さんは「多くの孤児が気持ちはあっても訪中できなかった。区切りが付いたらみなと養父母感謝のたびに出ると決めていた」と振り返る。
一向は9日に、最も孤児が多かった黒龍江省の省都ハルビン市で養母や地元政府関係者らを招き、「中国人民に養行くの恩を感謝する交流会」を開催。11日には北京市で、普段は外国の要人しか招かれない中南海で恩家宝首相と面会し、感謝の気持ちを伝えた。
「お帰りなさい」と出迎えた恩首相は孤児らの話に熱心に耳を傾け、「みなさんは日本で仕事が見つけにくく、収入が少ない中、強い精神力で生活を支えてこられた」などと発言。自ら中南海を案内、1時間半に及ぶ異例の対応に孤児らは感動しきりだった。
訪中団の動きは中国のテレビや新聞で連日大きく取り上げられ、中国社会の孤児らへの誤解を解く一歩となった。孤児問題に30年近くかかわってきたハルビン市紅十字会の胡暁彗会長補佐も「なぜ日本に帰ったままで連絡も取らない孤児がいるのかと言う事情が今回はじめて分かった」と話した。
訪中団の1人、、石川千代さんは「恩知らずといわれている状況が今回の訪中で変わればうれしい」はと話している。(引用ここまで。11月25日分)
さて、今年は夏以降、中国残留孤児に関する記事が目立ってきました。それに関して既にここでも6件取り上げました。それを見れば、この種の記事に対して好意的になれない事はお分かりでしょう。
中国よりも日本の方が経済水準か高い事を考えれば、「孤児」本人に謝恩の意志があろうとなかろうと、帰国すること自体が恩義よりも自身の利益のほうを優先したとはたでは考えるじゃないですか。別段、異常でもなければ、誤解とも言えないんじゃないでしょうか。
なぜ、彼らが中国に鎮座したままでは恩返しができないのか。なぜ、彼らにとって長年住み慣れた国を、血統が日本人だからで出て行かなくてはならないのでしょうか。なぜ、そうした人たちを中国政府は終生保護してやろうとしないのか。なぜ、「孤児」の親族だから、縁者たる中国人だに一緒に日本に行かなくてはならないのか。なぜ、彼らを「孤児」として「差別」をするのか。なぜ、彼らを長年一緒に暮らしてきたのならば、等しく中国人として扱わないのか。
これまで当然の如く残留孤児の日本「移住」が推し進められてきましたが、孤児自身や中国政府はそうした疑問に対して答えるべきじゃないのでしょうか。
この種の疑問に対して答えられないようでは、まともな日中友好が成り立つとは思えません。所詮は、単なる厄介払いと差別と集りのために両者が暗黙の合意があったからに他なりません。
日本に移住してきた連中が異質な環境で悪戦苦闘していると言うくだりにしても、くだらない事だと思います。始めから日本に行くが当然と言う発想自体が間違っているのであって、そんな苦労をするのならば、始めからいかないで、慣れた中国で暮らせばいいのです。
長期の不法滞在者が日本に順応できたからで、特別滞在を認められると言うケースが存在するほどに、馬鹿馬鹿しいほどに甘い日本に比べて中国はこの程度の人権も尊重できない国家であることを示しているのです。
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