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メンタリティ低き外国人の受け入れに疑問

ヾ(@^▽^@)ノ みなさん、今日は結構な晴天で温暖でいいですね。では早速本題行きましょう。まずいつもの通り引用文からです。

外国人試験、日本語では無理
経済連携協定(EPA)により看護師や介護福祉士を目指すインドネシア人やフィリピン人の受け入れが、2010年度は大幅に減ると言う。主な理由は、受け入れ施設が1人当たり60万円もの費用を負担しなくてはならないことと、日本語での受験のため国家試験に通りにくい事だと言う。今月、EPAによる受け入れを始めてから2年目にしてやっと3人が看護師試験に合格しただけだ。
わたしはたまたまこの2か月ほど、大学進学生の小論文の添削をしたが、10年以上日本で教育を受けてきた日本人の高校生でさえ、論文の内容以前にまず漢字の訂正からはいらなくてはならなかった。まして外国から来てわずかな期間学んだくらいでは、医学用語などの難解な漢字は書けないし読めない。
もともとEPAは、相手国への日本製品の輸入条件緩和の代わりに設けられた仕組みであり、この施策により利益を享受している企業も数多く存在している。看護師らがほとんど受け入れられないようでは、相手国から「だまされた」と思われても仕方がない。
ここは国策として、出身国の言語で受験できるような態勢づくりや、費用を受益企業が中心になって補助する仕組み作りをいそぐべきだろう。(引用ここまで。3月31日分)

開かない日本
3人も合格したと言うべきか、たった3人だけと考えるべきなのか。
インドネシアやフィリピンとの経済連携協定に基づいて来日し、研修中の254人が2度目の看護師国家試験に挑んだ。その結果の数字である。
辱瘡とか誤嚥とか、日本人でも分かりにくい日本語を使っている試験だ。そんな難しい試験を合格出来っこない。その見方に立てば「3人」もとなる。
病院では先輩看護師たちが、働く合間を縫って日本語を教えている。その苦労とコストをたるや大変な物だ。そこから見れば「たった3人だけ」となる。
3年目となる来年の試験に落ちれば残り全員が帰国せざるを得なくなる。来年の受験に向けて、日本語教育の支援態勢の強化と言った論議が起きているが、そうした改革だけでは合格率1パーセントという障壁を崩すのは難しいだろう。
看護師や介護福祉士の受け入れについて日本の閉鎖性は際立っている。
欧州では出身国で取った資格を認めあうと言う考え方が基本だ。日本はそれを全く認めない。
アジアでもシンガポールや台湾は看護や介護の現場に積極的に外国人の力を活用している。だが日本には人材不足をを補うと言う視点が抜け落ちている。
受け入れ施設が減るため今年来日する人数は半分以下になる。なのに厚生労働省も外務省もその責任を問われない。
超高齢化社会は目前だ。政治が乗り出すべき時ではないのか。(引用ここまで。4月9日分)

日本の閉鎖性がどれほどの物かはさておくとしても、どうもわたしにはそれに輪をかけて日本で働こうと言う外国人のメンタリティの悪さの方が問題じゃないのかと思います。
日本で働くのであれば日本語が入用であろうことは分かり切っている事なのに、これらの連中は、来日前に習うと言う発想はないのでしょうか。看護師や介護の勉強の方は来日後からと言う発想でも仕方がないにしても、日本語くらいは来日前に行うべしと考えるべきじゃないのでしょうか。
こんなありさまでは、日本人でも難しい専門用語云々なんぞは小さな事で、問題のすり替えに過ぎません。そのような心がけの悪い人間では、果たして日本で役に立つのだろうかと疑問に感じます。
ましてや、彼らの言語で試験を認めたならば、彼ら自身の方で、日本語抜きでも仕事ができると勘違いして、ますます日本語学習を怠る事でしょう。そんな心がけの下でよしんば試験に受かったとしても、そんな連中を雇いたがる施設があるとは思えません。そうなってからの方が「だまされた」と思う人が続出すると思います。
出身国で取った資格を認め合うと言う考えも、日本との医療技術などの乖離によっては無理があると思います。EPAで利益を得られる企業から費用の一部を負担させると言うのは良いとして、少なくとも日本語学習くらいはフィリピンやインドネシアでやってもらうべきではないでしょうか。あまりにこうした当然の考えに至らない者が多すぎるのはいかがな物でしょうか。

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テーマ : 外国人看護士・介護福祉士受け入れ - ジャンル : 政治・経済

第二次世界大戦兵器没落列伝⑧

対戦車戦闘と対陣地の射撃とでは、用いられる砲弾が異なってきます。後者の場合は炸薬が大量に詰まった榴弾が用いられる関係から、目標たる敵陣地に対して大量に炸薬を送り込むためには大口径の大砲の方が好まれる訳ですが、それに対して対戦車戦闘では、戦車の装甲を撃ち抜く事が大前提であって、大口径の砲が好まれるのも、そうした大前提ありきであって、必ずしも不可欠な要素ではありません。
既に述べたようにドイツ軍では8.8センチ高射砲が対戦車戦闘で活躍したのですが、いかに専用の対戦車砲よりも口径が大きいと言え、徹甲弾でなしに戦車相手に効果があった訳ではありません。
戦車相手の場合は、装甲に対する貫徹力こそが最も重視される要素であって、もし、この条件が満たされるのであれば、小口径の砲でも充分対戦車砲として役に立ち得る訳で、それならば軽量の対戦車砲が出来上がる事になります。
そのような発想の下でドイツで開発された対戦車砲として、開発者の名前を取って、通称「ゲルリヒ砲」なる物が存在しました。
この対戦車砲は砲尾と砲口とで口径が異なっていると言う奇怪な代物で、実体としての砲弾は砲口に合わせ、装填時に生じる隙間をふさぐように、砲弾の周囲に軽金属のスカートが巻かれています。この砲弾を発射するための装薬の方も砲尾の口径に合わせてあるので、発射時に生じるエネルギーが狭い地域に集約される結果となり、砲弾に非常に速いスピードを与える事ができ、小さな砲弾に対しても高い貫徹力を持たせる事が出来るある意味では画期的な兵器と言えます。
しかし、この対戦車砲はドイツ軍の中においてすらも大してはやらなかった代物でした。なにしろ、このようなややこしい構造を持った砲身は製造で手間がかかるくせに、その一方で、発射時にかかる負担が大きいために、すぐ擦り減ってしまうので、すぐに交換が必要となってしまうのです。
そして、決定的と言えるのが、使用する砲弾が小さいために、対戦車砲以外での使い道が無きに等しい事にあります。通常の対戦車砲ならば、榴弾を使用して、他の用途にも流用できますが、ゲルリヒ砲で使用する砲弾は小さいために、仮に榴弾があっても効果は小さいだろうし、そのような役目のために高初速で発射する必要はありません。ましてや砲身命数の短い砲の下ではもったいなくてよその役目では使えないじゃないですか。

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テーマ : 歴史 - ジャンル : 政治・経済

「赤旗」配布無罪について

国家公務員が休日に、公務と関係なく、政党の機関誌を配布した事を処罰するのは、表現の自由を保障した憲法に違反する。そんな判断を東京高裁が示した。
公務員の政治活動に対するこれまでの規制の範囲は、不必要に広すぎた。表現の自由は民主主義国家の政治的基盤を根元から支えるものだ。そう言いきった判決の論旨を高く評価したい。
被告は旧社会保険庁職員。2003年の衆院選前に、共産党機関紙「しんぶん赤旗」を自宅近くのマンションの郵便受けに配ったとして、国家公務員法違反(政治的行為の制限)の罪に問われた。同法とそれに基づく人事院規則は政党の機関誌などを発行、編集、配布してはならないなどと定める。
公務員の政治活動については、「猿払事件」についての1974年の最高裁大法廷判決が、長く合憲性判断の基準とされてきた。衆院選で社会党(当時)の選挙ポスターを掲示、配布した郵便局員を有罪とした判決である。
猿払判決は、国家公務員の政治活動について、その公務員の地位や職種、勤務時間であったか否かなどのいかんを問わず、幅広く禁止できるという判断を打ち出した。
今回、高裁判決は、この点について明確に疑義を呈した。公務員に対する国民の意識が変わったからだと言う。
猿払事件当時は東西冷戦下、左右のイデオロギー対立が続いていた。社会情勢の不安定さもあって、公務員の政治活動についても、その影響力を強く考えがちだった。しかし、現在は民主主義が成熟し、表現の自由が大切だという認識も深まっている。
こんな見方にたち、判決は被告への罰則適用について「必要な限度」を超えていると指摘。公務員の政治活動そのものについても、許される範囲などについて「再検討され、整理されるべき時代」が来ていると述べた。
妥当な、思慮深い判断である。
元より猿払判決には、かねて学会などから批判が多かった。今回の高裁判決は、時代や国民意識の変化がようやく国民に追いついたと言う方が正確ではないか。その事は指摘しておきたい。
今回の事件では警察の捜査手法も問題となった。大量の捜査員を投入し、長期間尾行し、ビデオに撮るなど、異様さが際立った。
ここ数年、ビラを配布しただけで刑罰に問われる事件も目立つ。如何にも軽微な行為を罪に問う事が横行すれば、社会も委縮してしまう。民主主義にとっては大きな妨げである。
裁判は上告審に移り、論争が続く可能性が高いと言う。最高裁には、今回の高裁判決を踏まえた賢明な判断を求めたい。(引用ここまで。3月30日分)

まずもって公務員にも参政権なる物があるのであれば、全く政治活動を禁じると言うのもなんですな。もちろん、社会的に影響の高い地位にある人の場合は論外ですが、下っ端の職員の場合は、勤務地から遠く外れた、たとえば自宅近辺で無報酬で勤務日以外に行う分には問題ないのではないでしょうか。
当然、日教組の教師のように勤務する学校近辺で行うようなケースは禁じてしかるべきであります。ましてや勤務をサボって政治活動なんてのはもっての外であります。
また、たかがビラ配りを禁じるのはまずいんじゃないかと主張する人もいるようですが、これは例によっての話のすり替えと言う奴でして、ビラ投函そのものではなく、投函のやり方が問われたにすぎないのです。そのやり方に問題があれば、罪に問われるのであって、合法的なやり方であるのならば、あたかも言論統制が起こっているみたいな主張自体が存在する必要もないのではないでしょうか。

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テーマ : 表現規制問題 - ジャンル : 政治・経済

隔離された場所での通貨の価値は?

みなさんおはようございます。今回は久々に映画ネタでお送りしましょう。
「エスケープ・フロム・LA」という映画があります。これは「ニューヨーク1997」と言う映画の続編でして、地震で荒廃し、大陸から分離してしまったロスアンゼルスが作品の舞台となっています。
この作品におけるロスアンゼルスは合衆国内で増大した凶悪犯の追放先として利用されている、一種のゲットーと化しています。当然、脱走に関しては厳重な警戒がなされていて、アルカトラズのような態がなくもないですが、内部では意外と「自由」が認められている有様です。まあ、悪党どもの追放先である訳ですから、「自由」と言っても、弱肉強食の世界でしかない訳ですが、それでも、そんな中でも自給体制が成り立っていると言うのがより意外と言うべきかも知れません。
地道にエネルギーや食糧やその他の日用品を作っている連中が存在していればこそ、自給体制が成り立っているのです。ただ、一番意外だと感じたのは、こんな社会の中でもUSドルが流通している事でした。
この荒廃した地に特殊任務で潜入を命じられたスネークは、自分の仕事に協力を求めるべく、昔の知り合いである、ハーシーと名乗るニューハーフに声をかけたのですが、ハーシーは、この地でもうまく商売が行っていて大量のUSドルを持っていて、別段、スネークの仕事に加担しなくても構わないと最初は断っていました。
さて、現実にUSドルは合衆国の需要をはるかに上回る量が世界中に出回っていて、多くの国でありがたがられる存在となっています。合衆国相手は言うに及ばず、第三国同士の貿易でもUSドル決済は珍しくなく、一部の国では独自に通貨を設定せずUSドルを公式の通貨として流通させています。
こうした事が現実となっているのは、合衆国のぶっちぎりの経済力に起因している現実に尽きます。第二次世界大戦でも、よその国の兵士がたばこで賭け事に高じているのに、アメリカ兵だけが現金で賭け事に高じている場面は映画でも見られます。
さすがに捕虜になってしまえばアメリカ兵とてもたばこで賭け事をせざるを得ない訳で、この辺の所は「第17捕虜収容所」でも見られる場面です。
これは経済的に本国と隔離されてしまうからで、収容所でUSドルを持っていても、USドルを公式に流通させていないドイツにその価値を保証できないのは当然だからです。ちなみに日本軍も、バターン半島にこもるフィリピン兵相手に、我々が銀行を抑えたから、諸君がもらう給与の価値はないぞと、投降勧告のビラをばらまくと言う事をやっていました。
話は戻りまして、「エスケープ・フロム・LA」の世界でも、どんな通貨を用いるにせよ、周囲から隔離された状態にある以上、独自の価値観に基づいてしか成り立ちえない訳で、よしんばUSドルを用いるにしても、その価値は合衆国の物とは全く異質な物でしかあり得ないのです。

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第二次世界大戦兵器没落列伝⑦

ここ数日来の寒い日がすぎ去り、ようやく春らしい温暖の日となりましたね。さて今日は「第二次世界大戦兵器没落列伝」の7回目をお送りいたします。(ノ^∇^)ノ

アメリカ軍ではドイツ軍ほどに対戦車砲では自走砲を登場させる事はありませんでした。厳密にはアメリカ軍にも対戦車自走砲がなかった訳でもなかったのですが、ドイツ軍に比べて大量に戦車を登場させる事が出来た所から必然性で劣っていたと言う事です。それに引き換え、アメリカ軍でも榴弾砲や加農砲の方面ではシャーマン戦車の車体をベースとした自走砲を登場させています。この違いはどの辺にあるのでしょうか。対戦車砲と榴弾砲、加農砲とでは運用法に大きな違いがあるのです。
まず対戦車砲の場合は、個々の砲において直接照準で目標を定めて一発必中狙いで射撃を行うのに対して、榴弾砲、加農砲の場合はどちらかと言うと、一定の範囲に対して弾幕を張ると言う射撃方に徹する所から、個々の砲においての直接照準は行わず、観測所からの間接照準での集団戦法であるために、対戦車砲に比べて照準で甘くても充分効果が見込めるのです。
この場合、対戦車砲に比べて目標に対して距離を多めに取って射撃を行っても差し支えない事になります。対戦車砲の場合、大口径長砲身の物が往々にして好まれる傾向にありますが、これは砲弾その物の貫徹力を高めるために必要であるのであって、別段、遠距離射撃を前提としている訳ではありません。
まあ、対戦車砲でも遠距離から射撃できればそれに越した事はないのでしょうが、今のようにレーザーを照射させて照準できる訳ではなく、照準器の中に小さく、しかも迅速に移動する戦車を捉えて命中させる事を考えると遠距離では至難の業となってしまいます。しかも遠距離では既に述べたように砲弾の貫徹力が弱くなってしまうので、必然的に引き付けて撃つしかないのです。
こうした事情から、対戦車砲は接近戦闘が不可避となってしまうので、敵からの攻撃を避けるためには偽装を徹底して、低視認性を高めるか、あるいは重防御に徹するかしないといけなくなる訳です。全くの静止状態で使用するのならばトーチカにでも収めて運用する事も出来ますが、頻繁に移動するとなると対戦車砲その物の機動力も考慮しなくてはならない訳で、ドイツの駆逐戦車への発展となって行く訳です。
これに対して榴弾砲や加農砲の場合は主に陣地に対する射撃で用いられるために、遠距離からの射撃でも問題ないために、突進してくる敵戦車に対する備えと言う物が必要なくなるので、着陣した位置さえ敵に知られなければ対戦車砲のように低視認性や重防御に対するこだわりと言う物を強く持たなくても良いので、こちらの方では駆逐戦車や突撃砲のような物を登場させる必然性がなく、車両牽引の大砲や自走砲程度の物で満足する余地が高かったのです。

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テーマ : 歴史 - ジャンル : 政治・経済

恥よ高く

みなさんこんばんわ。本日2回目の更新は嫌韓替え歌集をお送りいたします。タイトルは「恥よ高く」。
元歌はナチ党党歌 Die Fahne hoch です。では始まり始まり。 (*゚▽゚ノノ゙☆パチパチ

1番
はーじーよーたーかくー くーにーはーみーだれー
理性をかーいてー 彼らはーすーすむー
世界じゅーうがー 彼らーのたーめにー
被ったーめーいわーく 数知ーれずー
世界じゅーうがー 彼らーのたーめにー
被ったーめーいわーく 数知ーれずー

2番
みーちあけーろー 彼らがさーけぶー
人がいーてもー 構わーずすーすむー
はなはーだー迷惑なー 彼らーとーはー
共存なーどー ふーかのうだー
はなはーだー迷惑なー 彼らーとーはー
共存なーどー ふーかのうだー

3番
彼らはーさーけぶー ウリナーラマーンセー
唯我どーくそーん 彼らーのーにーちじょうーう
すさまじもうそーうの かーれらー
世界一のー ぐーみんぞくー 
すさまじもうそーうの かーれらー
世界一のー ぐーみんぞくー 

4番
彼らははーげむー くーにーのーおーせんー
衛生かーんねーん  かーけーたーやーつらー
とーこーろーかーまわーず 糞尿撒き散らしーてー
国中をー くーさらせるー
とーこーろーかーまわーず 糞尿撒き散らしーてー
国中をー くーさらせるー

5番
はーじーとはーんたーい 信頼はひーくくー
ウーリーのたーめー だましあいがーつーづくー
世界中を欺かんとほっすー
いつまでもー 尊敬さーれずー
世界中を欺かんとほっすー
いつまでもー 尊敬さーれずー

6番
義務はー拒否ー 権利はよーうきゅーう
なまけるためー 悪知恵をめーぐらーす
勤務をさーぼりて デーモーにいーそしーみ
没落にー つーきすーすむー
勤務をさーぼりて デーモーにいーそしーみ
没落にー つーきすーすむー

今回の替え歌はいかがでしたか。
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テーマ : 韓国について - ジャンル : 政治・経済

ダブルリミテッドは親の大なる怠慢

サムイヨー((((;゚Д゚)))ガクガクブルブル 今日は朝からの雨天で寒いですね。いまだに温暖が当たり前の気候となっていません。では、いつもの通り、引用からご覧ください。

日本語、母語双方苦手な在日外国人の問題を取り扱った「ルポにっぽん・ダブルリミテッド」を読んだ。調停の仕事に従事して6年、最近は在日ブラジル人事件を取り扱う事例が増え、対応に苦慮している。
日本社会に生きながら、日本語や文化、慣習を理解できず日本人との接触が少ない。それで日本人、ブラジル人双方が偏見を抱く。長年住んでも通訳なしでは意志疎通できない例、日本の流儀を理解できず対立するケース、そして親が多忙で自国語習得が遅れる「ダブルリミテッド」のケースなど様々だ。
彼らは元来明るい気質で、日本人にはない魅力がたくさんある。少子高齢化社会の今、彼らとは共存すべきだ。意志疎通の環境を整え、犯罪を防ぐ上でもまずは日本語教育が肝要る日本文化も理解してもらう事だ。約1世紀前、日本からの移民を受け入れてくれた国。真の友人となるべく日本社会に受け入れたい。(引用ここまで。3月29日分)

さて、これまでわたしは外国人問題に関しては批判的な事ばかりを主張してきました。このケースに関しても、これより批判的な事を書く訳ですが、別段、無分別に排外主義を取っている訳ではありません。念のため。
これまでも述べた通り、上記のように来日して来る連中は要するに自分の意志で来る訳ですから、各種の不都合が生じたとしたら少なからず彼ら自身の怠慢が指摘されるべきではないでしょうか。わたしが常に思っている事は、どうも日本社会ではこうした彼らの怠慢に対して批判的なケースが多くないと言う事です。
彼らの来日が上司の命令で、いつまでに行かなくてはならないと言うリミットが存在しないのでならば、自身の能力がそれにふさわしい水準にまで達するまで来日を繰り延べする事は容易じゃないでしょうか。
ましてや、子供に至っては親の意志に引きずられて同道するにすぎないのですから、来日してから現地社会に順応できるようにする親としての務めがあってしかるべきではないでしょうか。にもかかわらず、親が多忙と言えば聞こえが良いようですが、早い話が単なる怠慢であって、子供にとっては迷惑以外の何物でもないとしか言いようがありません。
投書人は、と言うべきか、投書人に限らず日本では往々として、この種のケースを解決する手段として日本側の対応が問われるようですが、わたしとしてはまずもって、こうした能力足らずの連中は門前払いして入国させない方が良いと思います。
どうかこの種の提案に対して差別とか人権侵害とかは思わないでください。単に馬鹿を入れないだけで、無分別な差別ではないし、能力が至らなければ、彼ら自身としても面白くもないでしょう。ましてや、自身の意志と無関係で来日させられる子供に関しては親の虐待と言う事も指摘されるべきでしょうからね。
さて、ブラジルが100年前に日本から移民を受け入れたからと言っても、それがどうしたと言うのだと付け加えたいですね。わたしみたいに、やってくるのは勝手だが、この地で順応できるよう、自力で努力しろよ、と言う程度の考えしか持っていなかった人も少なくなかったのではないでしょうか。
移民する連中にしても、自分なりの利益感があって移民した訳で、始めからよそ頼みで現地社会に根を張ろうなんて思ってはいなかっただろうと思います。よって、来日するブラジル人にももっと自力更生を促そうと言う発想は当然の物と思っています。

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テーマ : 教育問題 - ジャンル : 政治・経済

来日した外国人の子供の意志はどうだ?

昨年、おととしと足掛け2年にわたって世間の話題?となったカルデロン問題が昨今再燃しております。昨年の時点では不法滞在の親が強制送還され、娘だけが「罪はない」として、日本残留を認められた事で決着が着いたはずなのですが、親子同居を主張する支持者を交えて、ノリコ・カルデロンが「両親とともに日本で暮らしたい」と主張しています。
支持者にしてみれば、子供の人権とかもっともらしい事を言う訳ですが、これも数多くある、これらの連中持ち前の矛盾をさらけ出している一例と言えましょう。なるほど、この件に関しては子供本人の主張と言う物がなされている訳ですが、別の条件に出くわしたならば、子供の権利なる物がちゃんと尊重されていると言えるのでしょうか。
ノリコは日本生まれですから、親のいんちきを別とすれば、フィリピンと言う物を知らず、日本を離れたくないと言う思いも全く理解できない訳ではありませんが、では、国籍法改悪に伴って日本国籍を認められた混血児や、出稼ぎで来日した親に連れられてやってきた子供たち、あるいは中国残留孤児二世の場合はいかがな物でしょうか。
彼らにとってはもともと日本はよその国なのですから、ノリコと反対に、日本なんかに行きたくない、生まれ国にとどまりたいと日本に対して否定的な考えを持つ者がいたとしても別段驚くには当たらないでしょう。
現実に、来日しても日本語が大してできないと言う子供が少なくない事を考えると、子供本人にしても、日本語学習に関して不熱心で、要するに来日に対して熱心だとは言えないケースが多いと思われます。
こうしたケースに対して、ボランティアで日本語教育を課そうと言う人もいたりする訳ですが、もともと本人にとって来日に対して不熱心であるのならば、そう言う事をしても、決してありがたががられないのではないのでしょうか。
要するに来日しても万事が良いとは限らないと言う事です。ましてやおのれの意志と無関係に来日した子供にとっては親の意志は迷惑になる事もあり得る事を考えるべきだと思います。


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テーマ : サヨク・在日・プロ市民 - ジャンル : 政治・経済

車を大事に使うと増税とは

先週、自動車税事務所から手紙が届いた。自動車税の納付通知書は5月に届くはずだったと不思議ながら読むと、「自動車税のグリーン化実施に伴う重課についてのお知らせ」と書かれていた。
新車登録から13年を経過したガソリン車は、その翌年度から約10パーセント重課(増税)されると言う。新車購入に伴うエコカー減税は知っていたが、このような事実が報じられるのは見た覚えがなく驚いた。大事に13年間乗り続けていたのになぜ?
現在販売されている新車に比べれば燃費は若干落ちるかも知れない。しかし、トラブルもなく同じ車を乗り続ける事は、日本人の「もったいない精神」に沿うものである。無駄な廃棄物を発生させない点では、エコでありグリーンであるし、必要以上に新車を作るためにのエネルギーや資材もいらない。エコカー減税の財源不足を補うために、行政と自動車業界の間に癒着がある、と疑いたくなる。(引用ここまで。3月12日分)
自動車に限らず、電化製品なんかでも、新しい物は消費電力が少なく、それゆえにエコであると吹聴されているケースが多い訳ですが、やはり既存の使える物を追い出すと言う事が前提となっている点では賛同できませんね。新しい物を作るためにもエネルギーの消費はあるだろうし、ましてや既存の物と取り換えると言う事で廃棄物を創出すると言うのでは、むしろこちらの方が損失が多いのではないでしょうか。
とりわけ日本製の車は性能が良く、中古程度でも外国では歓迎されるケースが多く、そのために中古車を買い取って、外国へ持っていくと言う話もあります。
そう考えると、こうしたエコなる物も、単にメーカーの方での売上推進の口実ではないかと勘ぐるのも納得がいくと言う物です。

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テーマ : 気になるニュース - ジャンル : ニュース

第二次世界大戦兵器没落列伝⑥

対戦車砲の機動力を高めるべく開発された自走砲は、その反面で対戦車砲に比べて大型化してしまい、そのために低視認性の点で不都合になってしまった事から、重防御性を欲せざるを得なくなり、駆逐戦車への発展に至るにはさほどの時間を要しませんでした。まさしく対戦車砲の究極の発展を遂げた形となりました。
しかし、そのような重防御性を持たせた状態になってしまうと、却って対戦車砲としての特性自体が失われたと言う感が生じてきます。なるほど、ドイツ軍に関して言えば、陣地への配置に至るまでの細かい機動が可能にできる事で、より威力の大きい対戦車砲を搭載できると言う点で駆逐戦車の意義はあったと思います。
たとえば、ヤークトヘッツァーだと、48口径の7.5センチ砲が搭載できます。この駆逐戦車の土台となったチェコ製38型戦車は元来、3.7センチ砲を搭載していたのですが、性能は優秀でも、より大型の戦車に直面せざるを得なくなった対ソ戦争以降、無用の物となりました。
さて、ここで取り上げた48口径7.5センチ砲とは、当時主力戦車として使用されていた4号戦車に搭載していた戦車砲と同じ威力を有しており、駆逐戦車の登場は、小さな戦車により大きな対戦車能力を持たせる事が出来る点で画期的と言えるのではないでしょうか。
しかし、この駆逐戦車と言う代物は別段、第二次世界大戦の中ですらも世界でヒットした兵器にはなりえませんでした。ソ連だけが同じ車体により大きな対戦車砲を搭載できると言う、ドイツ張りの駆逐戦車を登場させたのみで、一方のアメリカでは、逆に軽防御の代わりに超高速の出る駆逐戦車を登場させました。
さてドイツでは、歩兵支援兵器の1つとして突撃砲なる、駆逐戦車同様、完全防御の自走兵器を実用化しており、これも後には駆逐戦車同様に主に使われるようになりましたが、駆逐戦車同様、真似をするのはソ連くらいと言う有様でした。
なにしろ、よくよく考えれば、かような重防御な自走兵器ができるくらいならば戦車として作っても良かったのではないでしょうか。世界的にはやらなかった理由の極めつけはその辺にあります。実際、戦車を大量に生産して、よその国に供給できたアメリカにはこの種の兵器は存在しませんでした。突撃砲にせよ、駆逐戦車にせよ、戦車で充分その役割は果たせるのです。

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国内の外国人学校よりも海外の日本人学校

みなさんおはようございます。今日は風が強いですね。この有様だと、不用意に外を歩いていると吹き飛ばされますよ。(lll゚Д゚)ヒィィィィ では本題行きましょう。例によってまずは引用文からご覧ください。

海外に赴任する会社員が連れていく子供の8割は小学生以下。そんな様子が、海外展開している企業で作る日本在外企業協会のアンケートで明らかになった。
調査は昨年4,5月に実施し、協会の会員企業116社の担当者が回答した。海外派遣者は1社当たり平均232人で、家族を連れて行っている社員は49パーセントだった。
調査によると、同行している子供は小学生が全体の41パーセントで最も多く、幼稚園児19パーセント、未就園児18パーセント、中学生14パーセント、高校生6パーセント、大学生2パーセント、という割合だった。
自由記述では日本人学校の教育レベルへの心配や、そもそも日本人学校が赴任地にない事への不安が目立った。国語教育の不足や進展の遅れを指摘する声も大きかった。
赴任先に日本人学校がない場合、その国の学校かインターナショナルスクールを選ばざるを得ないが、情報が乏しく、インターナショナルスクールは学費の面で「負担が大きい」との意見も。日本に帰った後の受け入れ体制を柔軟にしてほしいという声も多かった。
就学前の教育については、幼稚園や保育所を備えた日本人学校が少ない事や、母語を確立することの難しさを訴える声があった。(引用ここまで。3月14日分)

これこそ多くの国における外国人教育の実態と言えるのではないでしょうか。日本では「差別しないで」とか言って、外国人教育に手厚い支援を行いたがる輩がいるようですが、そもそもそう言う連中には公的教育の意味が分かっていないとしか言いようがないですね。
公的教育は国民育成を意図した物なればこそ、お上が推進して援助するのは当然であって、外国人に関しては、どこに住もうと基本的には、当該国政府が支援すると言うのが筋でしょう。くだんの外国人自身がそれぞれの国に帰属する以上、その国の規格で教育を提供できるのはその国の政府に他ならないのです。
ましてや、外国人にいつかれた国の側からすれば、外国人自身の都合によっていつかれる訳ですから、いつく側の努力で何とかせいと考えるのが自然でしょう。よって海外滞在する日本人のための学校に関しても、その国の公立学校よろしく現地政府の援助がないと言うのは別段驚くに当たらない訳ですが、日本国政府が援助を行っているという記述がないと言う事が不可解です。この件に関して、ウィキペディアでも政府が援助していると言う記述はありませんでした。
そもそも引用文からして学費が高いなんて不満の記述があるくらいですからね。日本人学校に対する財政上の援助は進出企業や現地日本人会からの寄付や、生徒の親から管理費や施設費の徴収で賄われているのが現状です。
しかし、これら日本人学校へ通う生徒の親はたいていの場合は、親が勤務する会社や外務省などの命令で行かされるのです。日本にいつく外国人のような自主的な出稼ぎとは違うのです。それならば、雇い主の方で手厚い手当を出すくらいの配慮があってしかるべきだと思うのですが、必ずしも充分とは言えず、それゆえに学費が高いと言う不満が生じるのも当然だと言えます。
しかも、彼らの滞在が雇い主の命令で成り立っているとし言う事は、海外滞在は一時的な物と割り切らざるを得ない訳で、それゆえに現地の公立学校よりは日本人学校か、それがなければインターナショナルスクールへ通うのであって、そうなってくると、日本への帰国後の再定着に備えなくてはいけないと考えるのは当然でしょう。
これらの人たちは海外にあろうとも日本国民の肩書を有している以上は、彼らこそ日本国で援助すべき対象である事は間違いありません。国内の外国人学校に関して当該国の政府が援助を行うのが筋と主張するわたしとしては、その一方で海外にある日本人学校こそ日本国で援助すべしとも主張します。

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