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竹島はわれらが領地なり

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第二次世界大戦兵器没落列伝⑬

皆さんこんにちは。「第二次世界大戦兵器没落列伝」13回目となります。ついに歴史カテゴリーの中では「韓国抵抗運動馬鹿列伝」に続く長編物として確定しました。ではどうぞ。

従来の対戦車砲としての常識として、厚い装甲を撃ち抜くための徹甲弾に高い運動エネルギーを与えて、目標へと送り出さなくてはなりませんでした。これに対して、目標に届いてしまえば、砲弾に詰まった炸薬の爆発によってなんかしらの効果が期待できる榴弾の場合はそうした配慮が必要ないために、低初速で発射しても構わないために、無反動砲において発射するには不都合がない訳です。
ただ、現実には、軽量化が必要とされない師団砲兵ではこうした兵器のメリットが低く、その代りに対戦車砲ではメリットが高くなります。よってもし、上記における榴弾に対戦車能力を持たせる事が出来るとしたら、対戦車砲の軽量化が可能になるのではないのでしょうか。
かくして出来上がったのが成形炸薬弾と呼ばれる特殊な榴弾であります。従来の榴弾は周囲にまんべんなく爆発の効果が広がるのですが、成形炸薬弾の場合は、特定の方向に爆発効果が集中します。
こうした効果をモンロー効果とか、ノイマン効果と言いますが、これを利用すれば、装甲板に対して集中的に爆発効果が行ってくれれば、装甲を撃ち抜く事が出来る訳で、とにかく目標に届けばなんかしらの効果が得られる榴弾の特性を対戦車戦闘で用いる事が出来る事になります。
したがって、それには従来の対戦車砲のような高初速で砲弾を送り込む必要がないので、歩兵砲や榴弾砲のような低初速でしか砲弾を発射できない大砲にも対戦車能力を持たせる事が出来るようになりました。
しかも、その事は、軽量ゆえに長砲身の威力のある戦車砲を搭載できかねる戦車にも、より高い対戦車能力を持たせる事ができる点でも有利です。たとえば、3号突撃砲や4号戦車は元々歩兵直協重視で開発されたために、24口径の7.5センチ砲を搭載していました。これらの戦車自身はまだ搭載能力に余裕があって、後に48口径7.5センチ砲を搭載する事で徹甲弾によっても対戦車能力を高める事が出来るようになりました。
問題はこれより軽量の戦車や装甲車の場合、そうした改造すら容易ではなく、車体だけを利用した自走砲としてでなくては長砲身の7.5センチ砲を搭載する手段がありません。ただ、3号戦車の場合、上記の改造でいらなくなった24口径の7.5センチ砲を搭載する事で、対戦車能力を高める事が出来るようになりました。これまで搭載していた60口径の5センチ砲の場合、射距離1000メートルで5センチ足らずの貫徹力でしかなかったのが、7.5センチの成形炸薬弾ならば7センチの貫徹力を有するようになったのです。

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テーマ : 歴史 - ジャンル : 政治・経済

入学式の主役は誰だ

<(_ _)> 皆さんこんにちは。今日明日と、それほどよろしい天気ではないようですね。では早速本題行きましょうか。

親ばかならぬ「じじばか」を決め込んで、小学生になる孫の入学式に参列した。延々1時間20分。中には飽きたのか、こっくりする子もいた。
校長先生とPTA会長のあいさつはともかく、20人ほどの来賓の紹介。さらに国会議員などの祝電が読み上げられて、ようやく終わった。子供の紹介はなく、クラスの代表が帽子や教科書を受け取っただけだった。
入学式は、子供の成長を祝い、義務教育の始まりを記念して、学校や家族、地域社会がともに祝う式ではないのか。ならば子供たちが主役のはずだ。わたしは「1年○組、○○○○さん」と呼ばれて、「はい!」と元気に立ち上がる孫の姿を見たかったのだ。
入学式は毎年行われている。教師も父母もこれでいいと思っているのだろうか? 不思議でならない。上級生の歓迎の言葉が頼もしかったのが、唯一の救いだった。(引用ここまで。4月14日分)
なるほど。この主張は真理ですな。卒業式などは、全卒業生の名前を一人一人読み上げて、校長先生から卒業証書をもらうと言う場面がメインともなれば、入学証書なる物はなしにしても、入学生の名前を読み上げて、個々の入学生に返事をさせると言う場面を主張するのは正論です。こんな内容では入学生も退屈するのは仕方がありますまい。

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テーマ : ニュース - ジャンル : ニュース

スターリングラードへ向けられた「ノアのはこ舟」

さて、本日2度目の更新は映画ネタと行きましょう。戦争映画でドイツ軍の存在はご定番でありますが、その一方でドイツ映画は希少価値の存在でめったに見られる物ではありません。その中の1つとして「スターリングラード」を今回は取り上げます。

知る人は知っている、この戦いの途中にてドイツ軍は包囲する側から逆に包囲される立場となり、彼らに対する物資補給は2つの飛行場を通しての空中補給だけとなりました。そのために空軍は既存の輸送機だけでは足りず、爆撃機も動員し、パイロットも訓練部隊から引き抜くありさまとなりました。
現実にはこうした努力にもかかわらず、送られた物資が充分需要を満たす事はありませんでした。さて、これらの輸送機は帰路に負傷者を収容して帰還の途につく訳ですが、1943年1月に入ると、ソ連軍の包囲網に対する攻撃が本格化して来ると、飛行場にも危機が迫ってきます。
こうした環境の下では飛行場こそ、唯一の脱出路となる訳ですから、いんちきをしてでも飛行場へ出向いて脱出したいと言う者が出ても不思議ではありますまい。現に、主人公からして、同道する部下ともども飛行場へ出向いて、途中で、死体に付いていた負傷者である事を証明するタグを取って、負傷者をたばかって飛行場へ向かいました。
現場はまさしく修羅場と化していました。後のベトナム戦争最後の段階において、サイゴンのアメリカ大使館において、出国しようと欲するベトナム人が押し寄せてきて、中には柵をよじ登って大使館内に入り込もうとする者が出てきた事は、ドキュメント映像や、映画「地獄のヒーロー3」で見た人もいるでしょう。それと似た光景が着陸してた輸送機でも起こりました。
当然、それはお行儀良く順番を守ってなんて物ではありませんでした。機関拳銃を持った憲兵が忠実に任務を果たすためには頻繁に威嚇射撃を行いました。また、自傷兵である事がばれた兵士はその場で処刑となりました。
さて、主人公一行は自分の番になるまでに、輸送機の到着よりもソ連軍の進撃の方が先行してしまったので、飛行場を去ってスターリングラードへと戻り、最終的には自殺したり、凍死してしまいます。
ここで感じた事は、負傷者の収容場面が左翼人権派の行っているえせ人道行為を連想させる事です。これまで当ブログでも取り上げたそうした行為は、往々にして、「救済」の対象に定めた諸外国を貧しい、そんな場所で暮らさせるには気の毒だ、と言う発想から行われています。
要するに、それは向こうの国の悪口を言っているのに他ならず、決して現地を良くしようとするために人道行為を行う訳ではありません。一部の条件に見合った人間を「ノアのはこ舟」に押し込んで引き上げるだけの事であって、それ以外の人間は、えせ人権団体にけなされた国に置き去りのままで、何の得にもならないではないですか。
これでは、普通に「ノアのはこ舟」に乗れない者にとっては面白くないでしょう。いんちきをしてでも乗りたがる者が出てくるのは当然です。

国内における外国人の諸所のいんちきは、日本の甘さがもたらした人災である。
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テーマ : 洋画 - ジャンル : 映画

第二次世界大戦兵器没落列伝⑫

( ゚∀゚)ノィョ―ゥ みなさんおはようございます。今日も昨日同様の雨天です。しかも、昨日よりも若干雨脚が強いような。これならば、昨日の方がましだったようですな。大して量が多くなくて済むのならば、書留オンリーで済む昨日の方が配達物が濡れる可能性が少なくて済むのです。

では本題行きましょうか。「第二次世界大戦兵器没落列伝」の第12回目です。意外と長くなったなぁ。(;^_^A

元々大砲は大きな破壊力があるために、人間相手ほどに精密な照準を必要としませんでした。単に、丸っこい塊を船や人工建造物と言う大きな的にぶつけるだけですからね。
しかし、もっと時代が下ってより精密な照準が要求されるようになってくると、射撃の時に生じる反動で大砲自体が後ろの方に動いてしまうと言う事は不都合で、そうした反動を抑え込む装置として、駐退復座器なる物が出来ました。これは反動を砲身だけに抑え込む物で、いったん後ろに下がった砲身を自動的に元に戻す事が出来ます。
この結果、砲座そのものが後ろに動いてしまうことなく、迅速に次発装填を行って射撃ができるようになった所から、日露戦争当時には日本軍では速射砲と呼ばれるようになりました(よって第二次世界大戦時の速射砲とは別物)。
しかし、こうした事を行った結果、大砲の重量はますます大きくなってしまい、これまで述べてきた諸所の不都合が起こってきた訳です。
そこで、もし、発射時に生じる反動をなくしてしまえる手段があるのならば、大砲の軽量化が成り立つのではないかと言う発想から登場したのが無反動砲です。この原理は、元来、砲弾を前に送り出すための発射ガスの一部を砲尾から排出させてしまう事で、反動をなくしてしまうと言う物であります。
中には、ドイツ製の「プッピェン」のように、そうした事をしないで済む大砲もあって、大砲の操作がさながら重機関銃のごとくできる物もありますが、そうした性格を有した大砲であるために、従来の大砲に比べて最大射程で劣る傾向があります。
しかし、この結果、駐退復座器を省略出来て、大砲の重量を軽減できれば非常に有用性が大きい物である事は既に述べた事から理解できると思います。
まずは歩兵砲などは、真っ先に最大射程よりも軽量である事が望まれる訳だし、師団砲兵レベルでも降下兵や山岳兵のように移動や作戦地域の都合上、歩兵砲に近い物が望まれていて、これらの部隊では無反動砲が登場する以前から独自の大砲が別個に製造されて使用される状態です。
特に山岳兵で使用される山砲は、稜線の反対側を射撃できるよう、最大仰角が高くなっているだけでなく、分解して馬の背中に載せて運ぶ事が出来るようになっています。
さて、肝心の対戦車砲に関しても、軽量化が望まれる兵器の1つである以上、無反動砲向きの兵器と言えるのですが、ただ、上記のような理由から、砲弾に与えるエネルギーが弱くなるので、徹甲弾が全く供給されなかった訳でもないですが、決して徹甲弾向きの兵器とは言えません。
では、その辺の所の矛盾はどう解決したのかは、次回にお送りいたします。

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第二次世界大戦兵器没落列伝⑪

みなさんおはようございます。今日は昨夜以来続いている雨天状態であります。では、本題行きましょうか。「第二次世界大戦兵器没落列伝」第11回目となります。

威力よりも、軽量である事の方が好まれ、使い勝手が良くあるべし兵器の1つとして歩兵砲があります。日本軍の場合、歩兵連隊に配備されている事から連隊砲とも呼ばれています。
ここではドイツ軍中心で書いている訳ですが、ドイツの歩兵師団の場合、砲兵連隊所属の大隊がそれぞれ1個の歩兵連隊の火力支援を行う事が往々として定められていますが、必ずしもそれができない場合や、直接照準で敵陣を確実に仕留めたい場合に、歩兵砲中隊の歩兵砲が活躍します。
より敵陣に近い所で使用する関係から、最大射程の方はそれほど必要なく、むしろ軽量であった方が好ましい事は当然であります。
ただ、この場合、やはり敵からの反撃に対する防御力と言う物が欲しくなると言うのも否定できない話でありまして、こう言う所から、戦車が登場してきたのであります。
ドイツ軍ではこうした歩兵直協を意識して、3号突撃砲や4号戦車が開発されました。これらは後々対戦車戦闘が重視されるようになってくると長砲身の7.5センチ砲を搭載するようになりましたが、初期の段階においては24口径の短砲身砲を搭載していました。近距離から敵陣地を叩くのであれば、短砲身にしてでも、より大きな口径の大砲を搭載すべきだった訳です。
ちなみに初期のイギリス軍の戦車は、2ポンド砲と呼ばれる、口径4センチの戦車砲が主流でありましたが、あまりに小さな砲弾ゆえに、戦車相手ならばいざ知らず、対陣地戦闘では著しく不利となってしまったため、7.5センチ砲を搭載したアメリカ製のシャーマン戦車の導入でようやくドイツ軍の陣地に対して互角な戦闘が出来るようになったと言われています。

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帰化するなら我が国に同心せよ

石原慎太郎東京都知事は17日、永住外国人への地方参政権付与などに反対する集会で、親などが帰化した与党幹部が多いとした上で、「ご先祖への義理立てか知らないが、日本の運命を左右する法律を通そうとしている」と発言した、と報じられた。以前にも石原知事は「三国人」発言で問題になった事がある。
わたしは尋常小学校時代に徹底した外国人差別の教育を受けた。中国人を「チャンコロ」、韓国・朝鮮人を「鮮人、半島人」、色の黒い人々を「クロンボ」と言って差別し、「帰化」と言う言葉の中にも差別感情がにじんでいた。長期にわたる朝鮮半島の占領と抑圧、中国への侵略戦争。皇民教育や国粋主義教育によって外国人差別が子供たちに刷り込まれて行った。
石原知事の度重なる発言を聞くと、わたしは小学校時代の大人たちの言葉を思いおこす。大和民族・天孫民族・純粋な皇国の民、その周辺にいる差別されて当然な外国人。こんな図式が依然として生きているような気がする。日本に永住する外国の人々と協力して、みんなで住みよい社会を築こうとする人間の善意を、石原知事に切望する。(引用ここまで。4月27日分)

民主党の幹部には帰化人が多いようですが、別に帰化でもなんでもいいですけど、日本国にあって、政党に参加して公務についている以上、まずは日本国第一で動いてもらいたい物ですな。それが怪しいと感じられる法案を提出しているからこそ、帰化と言う行為が胡散臭く感じられるようになったのではないでしょうか。単に日本から個人的に利益を取り上げるだけのために国籍を持って、別段日本国に同心する気がないとすれば、嫌悪感を持つのは当然でしょう。
同じ国に同居していても、異なる身分の下では追求する事も異なっているケースが少なくない訳で、その結果、日本国の立場で考えて何の得にもならない事のために政治が動いてはいけないでしょう。いいかげん、外国人との共生と言う考えは、きれいごとでしかなく、危険な考えであると言う事に気づいてほしい物です。

日本国に同心しえない外国人との「共生」は疑ってかかるべし。
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新党結成の前に議員辞職を

みなさんこんばんわ。いつもの通りと言うべきか、まずは投書の引用から始めます。

自民党を離党した与謝野馨氏らと無所属だった平沼赳夫氏が新党を旗揚げした。5人がそろったことで、新党は政党交付金も受ける事が出来るのだと言う。しかし、法律上は可能なのだとしても、政党政治の基本精神からすると何とも筋が通らない。
自民党を離党した面々は、長らく自民党の看板の下で国会議員を務めてきたのであり、しかも衆院議員は、わずか半年あまり前に自民党の政策を掲げて戦い、当選したのではなかったのか。さらに、与謝野氏に至っては小選挙区で落選し、比例区で復活当選したはずだ。与謝野氏が信任を受けたと言うよりは、自民党の得票によって当選したに過ぎない。
彼らには次の選挙までは、自民党の政策を支持した有権者の意志を代弁し続ける責任があるのではないか。もし、主義主張や政策の点で自民党と決別したと言うのであるのなら、いったん議員辞職し、比例区選出の場合は議席を自民党に返上してから新党を結成し、選挙で有権者の信を問うべきであろう。
議員の身分は、あくまで国民の負託の上に成り立つ物である。それをまるで個人の持ち物であるかのようにほしいままにする行動を許してはならない。(引用ここまで。4月13日分)

わたしはこれまで、選挙区で当選した議員と比例区で当選した議員とはおのずからその立場が異なる物とみなしていました。前者の方は議員個人に対する信任で成り立っているのに対して、後者の方は所属する政党の代理人としての立場でしかない以上、後者は常に政党の立場で動かなくてはならないとみなしていました。
しかし、前者にしても、なるほど所属する政党とのかかわりが少なからず影響していますね。現実に、個々の有権者にしても、どこの政党に属しているかを見るケースが少なくないだろうし、それゆえにこうした議員も所属する政党からの後押しで選挙に参加してきたとなれば、この投書人の主張が正論と言えましょう。
ヒトラーにしても、もともと外国人の身分で自身は参政権を有しないのにもかかわらず、ナチ党の党首として権力を握りえたのも、当時の選挙制度が完全に比例代表制であった所に起因します。要するに党首たるヒトラーに抗う者は党籍剥奪を行う事で、議員資格を無効にする事が出来る訳で、これならばナチ党が与党になった場合でも、ヒトラー自身が帝国宰相とならずとも、忠実な代理人に任せるだけでいいのです。

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第二次世界大戦兵器没落列伝⑩

みなさんこんばんわ。今日で「第二次世界大戦兵器没落列伝」は第10回目となります。

遮る物のない海上にあって、対艦戦闘を主とする海軍艦艇に搭載する大砲は、搭載される艦艇の大きさに応じて、可能な限り大口径長砲身である事が好まれます。よしんば大口径で大重量となっても、いったん船に載せてしまえば、大砲自身を動かす手間がかかる訳でもなく、船の移動を以て対砲自体の移動も可能な訳ですからね。
それに引き換え、地上戦にあっては、使用目的や使用する地形、持ち運びの手間などが考慮されて、多種多様な大砲が存在しています。その過程において、最低限必要な条件以外は切り捨てられるケースが少なくありません。
対戦車戦闘を主とする、対戦車砲や戦車砲の場合は標的とする戦車の装甲を撃ち抜く事が最重要となっているために、大口径長砲身は好ましいとされてはいても、それ以外の手段で貫徹させる事が出来るのならば、必ずしも不可欠な事ではありません。現にゲルリヒ砲はそうした発想の下で出来上がった物です。
ちなみにドイツ軍の歩兵師団において10.5センチ榴弾砲が軽榴弾砲として砲兵連隊に36門配備されていましたが、重戦車の扱いを受けているティーガー戦車の主砲の口径である8.8センチを上回っています。
この辺の所が、双方の大砲の役割の違いを示していると言えましょう。前者の方はとにかく敵陣に対して砲弾を送り込む事が重要であるのに対して、後者は敵戦車撃破が目的なのです。
対戦車戦闘の場合は、接近戦ゆえに敵戦車の反撃を考慮しなければならない訳で、そうなってくると、発見した敵戦車は迅速に撃破しなくてはなりません。この場合、威力のある対戦車砲、戦車砲は確実に敵戦車の撃破に役立つでしょうが、その代わり、砲弾重量が大きくなって装填に手間を要するようになってしまいます。
とりわけ、戦車のように限られた空間の中で装填を行うとなると、あまりに大きな戦車砲の下では、砲弾を、弾丸と薬莢とに分離しておかないと収納に不都合が生じるなんてケースもあり、ますます装填で手間がかかってしまい、敵に先手を取られる恐れが出てしまいます。
それゆえ、対戦車砲、戦車砲はどこの国でも榴弾砲に比べて口径でこじんまりした物とする事が避けられなかった訳です。

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残留孤児問題まとめ

ヾ(〃^∇^)ノ みなさんこんばんわ。今日は雨天につき、それほど温暖ではありませんでしたが、それはさておき本題行きましょうか。昨年はさんざん中国残留孤児の事に関して取り上げましたが、その件について今日はまとめとしてエントリーして行きます。

この種の事を出しぬけに嫌中的発想で書くと、ストレートに結論に入ってしまうので、まずは中立的な所から始めて行きます。まあ、この辺の所はこれまでもそうだった訳ですからね。
ちまたでは、中国残留孤児帰国支援が人道だか日中友好だか言われているようですが、わたしにとってはこんな物は別段、人道でもなければ日中友好とも感じません。
なぜ、この種の事が人権問題のごとく取り扱われているのでしょうか。所詮は、かの地で暮らす事はうまみのないと言う思い込みが、潜在的にあるからなのでしょう。よしんば孤児だとしても、先進国のどこかの家で里子として育っていたのならば、「問題」として取り上げられたでしょうか。むしろ、現状で良しとしてそっとしておかれ、当事者を孤児として蒸し返す事こそ、差別、人権侵害として糾弾されるケースがあったのではないのでしょうか。
要するに、人道だか人権なんぞと言うのも、貧しいかの地は人間の暮らす所じゃないと吹聴することでしかなく、ただただ中国に対して悪口雑言を言うだけの事でしかないのです。かような状態で、なにが日中友好なのでしょうか。むしろ、中国の側からすれば、いたずらに我が国を悪しきざまにののしるだけで何にもしようともしない日本はけしからんとして、反日感情が盛り上がる方が自然ではないでしょうか。
詰まる所が、かような活動は中国のためにならず、いたずらに両国の反目をあおる結果だと思います。
そもそも、残留孤児本人にしても、別段、かの地で長年捕虜暮らしと言う訳でもなく、建前上でも現地の家族として養われてきた以上は、住み慣れた地として離れる事に否定的になるのが自然ではないでしょうか。
ましてや、こうした帰国支援によってやってくる者のほとんどはいんちきである事は中立的な発想からここでは抜きにしても(マスコミが伝える報道では知りえない事ですので)、配偶者や二世三世と言う、本人の何倍も存在する中国生まれの者ではないですか。
改めて言えば、来日する者のほとんどはいんちき抜きでも中国生まれである事は間違いありません。
残留孤児本人にしてみれば、家族と離れたくないと言うのは自然な発想には違いないでしょうが、その一方で住み慣れた地を離れる事に関しては何とも思わないのでしょうか。それらの家族にとっては、日本は全く未知の地でしかなく、本人以上にそこへの移住に対して否定的になる可能性が高いのではないのでしょうか。
日本人だから日本で暮らす事は自然な発想だとするのならば、中国人が中国で暮らす事もまた自然な発想なのではないのでしょうか。要するに人道支援の実態は、中国生まれの者に対して、そんな糞のような「ふるさと」は棄てちまえと言っているような物じゃないでしょうか。このどこが人道なのでしょうか。
さて、現実に来日して来た連中は、当然の事ながら嬉々として日本にいつく訳ですが、その割には、「日本人」の身内として、必ずしも日本第一でいつく訳でもありません。後ろ髪を引かれるでもないくせに、中国の肩を持つような態度を見せる者が続出しているのが現状です。
中国を離れる事に対して拒絶感を持たずに日本にいつくのであれば、せいぜい日本の側に同心して、中国に否定的な考えを持って、場合によっては中国を敵とする事も辞さない覚悟を持ってもらいたい物ですが、さにあらず、案外中国マンセーでいるケースが多いじゃないですか。
元残留孤児本人ですら、「中国はわたしを育ててくれた恩人」などと言うのであれば、中国にとどまっても良かったのではないのですか。いわんや、三世の中には、池袋でのチャインタウン建設反対のデモ活動に対して敵対的な発言をした者もいたそうです。移住者のこうした態度を見ていると、中立的な発想の下では納得が行かなくなります。
また、一方の中国にしても、まともな人権意識があるのであれば、かような「人道支援」に加担する必要はないじゃないですか。等しく中国人民として育成するのが国家としての正しい道でしょう。そのような事をせずに日本へ押しやるのは、控えめに見ても、人権侵害の行為でしかなく、この方面からしても、中立的な発想の下では納得の行く結論が出せません。
よって、ここに至って嫌中的発想の登場となります。この種の行為を表面で言われている人道や日中友好だと言うのは嘘っぱちと決めてかかってようやく整合性のある結論が出せると言う物です。
中国からすれば、建前通りの事をした所で、自国の能無し非人道ぶりを吹聴するだけですから、裏がある事は間違いありません。ましてや反日の本音がある以上は第五列の送り込みである可能性は高いとみて良いでしょう。
第五列ならば、日本にいついても中国マンセーの立場で動いても驚くには当たらないじゃないですか。したがって、それならばほとんどがいんちきであると言う事にも納得が行くでしょうし、たまに本物の残留孤児がいても、大方、中国に同心できる、さながら中帰連のような連中だとすれば、これも納得の行く結論となるでしょう。
かように中国側の本音がいかがわしいと見られるのであれば、これと同様に日本における移住促進の団体にしても同様にいかがわしい連中である事は間違いありますまい。なにしろ、連中が人道や日中友好の音頭を率先して取っていたのですからね。
日本では往々にして、この種の「人権」団体はお上からの補助金を当て込んでいるからこそ、かような非営利的行為が可能になっているのであって、裏を返せば、自身の「仕事」を大きくする事が出来れば補助金の受け取りも増やせるです。
となれば、おのずと後の答えも出しやすくなる訳でして、二世だろうと三世だろうと、よしんばいんちきだろうと、この団体にとってはとにかく日本へ連れてくる人間の数さえ増やせればいいと言う事なのです。そのためには、真なる人道も真なる日中友好も置き去りで、ただひたすら私利私欲と中国の反日政策に同心する連中でしかないと言う事です。

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テーマ : サヨク・在日・プロ市民 - ジャンル : 政治・経済

旅館の料理、多すぎるのでは

みなさんおはようございます。(*゚▽゚)ノ 今日も晴れて、かなり温度が高くなりそうですね。では投書の引用からご覧ください。

5日に旅館での食べ残しが多い日本人客に疑問を感じると言う投書が掲載されました。でも、利用者からみると、出される料理が多すぎる事が多いのです。
食事を「売り」に出している旅館が多いためか、わたしも家族も旅館に泊まると豪華な食事を完食できる事は少なく、とても残念に思っています。作った人への申し訳なさや食べ残す罪悪感、宿泊料金へ反映されているであろう悔しさなどで胸がいっぱいになります。
もう取り入れている旅館もあるかもしれませんが、夕食を複数のコースから選択できるようにすると言った工夫はできないのでしょうか。
わたしは年齢のせいか、ここ数年はホテルに泊まって、その日の体調や気分、お財布の中身を考えて、ホテル内のレストランや近くのお店で夕食を取る事が多いです。「おもてなし」は大切ですが、それが飽食につながらない事を望みます。(引用ここまで。4月9日分)

わたしは時たま、テレビ東京放送の「いい旅夢気分」を見る事がありますが、自然散策の部分しか興味がなく、食事の場面などは飛ばしてしまいます。旅館の夕食の場面ともなると決まって、何やら大艦隊(なにしろとにかく皿の数が多い!)のような豪華な内容には感心しません。ただでさえ、食いなれない代物をあんなにたくさん出されても、主観的には少なからず迷惑だと思います。あんな物を出されるくらいならば、外で自分の好みの物を選んで食べた方が良いのではないかと思います。
おそらくは、それがわたしにとって宿泊旅行と言う物を少なからず敬遠する要因ではないかと思います。日帰りで済ませれば、そんな「苦労」はしないで済む訳ですからね。

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テーマ : 食に関するニュース - ジャンル : ニュース

鳩山よ

みなさんこんばんわ。今回は嫌韓替え歌集の番外編として、「鳩山よ」をお送りします。なにしろ、いまどきの内閣の唖叛堕羅ぶりは過去にないほどの凄まじさを呈しているではないでしょうか。よその国ではなく、自国の総理を誹謗するほどまでに落ちぶれてしまった事にがっかりです。
ではどうぞ。元歌は「姦酷よ」でも用いたGiovinezzaです。

1番
うーちゅうじんゆえかー こーかを理解ーせずー
しーんねん欠如ーしてー せーいさく定まらーずー
しゅーにん以来ー こーんらんはひどくーなる
日本のー秩序はー いつのことかー

鳩山よ 鳩山よ おろかーなー総理
そのーおろかー ぶーりーは世界にとどろーく

鳩山よ 鳩山よ おろかーなー総理
そのーおろかー ぶーりーは世界にとどろーく

2番
のーうなし たいまーん うーそに だつぜーい
マーニフェストなどーは すーっぽらかしーさ
はーはからたいまーいのー てーあてをもらいーつつー
きんせーんかんかーく からっあきしー

鳩山よ 鳩山よ おろかーなー総理
そのーおろかー ぶーりーは世界にとどろーく

鳩山よ 鳩山よ おろかーなー総理
そのーおろかー ぶーりーは世界にとどろーく

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テーマ : ルーピー - ジャンル : 政治・経済

大リーグそのものを報じて

(^皿^) みなさんこんばんわ。今日はゴールデンウィーク最終日にして、結構すぎる晴天のために暑かったようですね。では早速本題行きましょうか。まずは引用文からどうぞ。

プロ野球に続いて、5日からアメリカ大リーグも始まった。その大リーグ報道に毎年うんざりしている。「○○がヒットを打った」「△△が無安打」などなど。どのマスコミも日本人選手の結果しか報じないのだ。こんな事ばかり知らされても面白くもなんともない。
わたしは時にこじつけとも思える日本人選手だけの「活躍」より、今大リーグで何が起こっているかを知りたい。その時々の首位を走っているチームはどこで、その中心選手はだれなのか、最も本塁打を打っているのはどのチームの何という選手なのか、投手で良い成績を打っているのは誰なのかなどなどだ。
野茂英雄が日本人大リーガーのパイオニアとして米国に渡ってから、既に15年。その野茂も2008年に引退している。もういい加減に「大リーグの日本人」ではなく「大リーグ」そのものを伝えてくれるマスコミが現れても良いのではないだろうか。(引用ここまで。4月6日分)

確かにこの主張が正しいですな。ゴルフやフィギュアのような個人プレイならばいざ知らず、チームで勝利を追求するスポーツならば、個人の成績も所詮はチームの勝利ありきじゃないですか。それなくしては、個々の選手の活躍の意義と言う物も成り立たないでしょう。
まあ、この辺の所はお隣韓国により強調して猛省してしかるべきでしょうか。外国の映画で自国の俳優が出演したと言う報道ならばまだしも、日本やアメリカ行って活躍する野球選手の報道に至ってはある意味正気の沙汰とは言えません。
いかに自国の選手の偉大さを強調する意図があるにせよ、所属するチームの勝利抜きにはそうした偉大さも意味がないのですよ。外国のチームに寄生してまでウリナラマンセーする事のばかばかしさに早々に気づくべきです。

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第二次世界大戦兵器没落列伝⑨

みなさんこんばんわ。「第二次世界大戦兵器没落列伝」第9回目となります。

これまで対戦車砲に関して取り上げてきましたが、ここで見て行くと、威力と言う物も万能と言う訳ではないようですね。威力ばかりが取りざたされても、使い勝手が悪ければ場所によっては使えないなんて事もあるのです。
それゆえにゲルリヒ砲なる物も、最終的には失敗作となってしまったとは言え、登場するだけの必然性があったのです。任務、あるいは作戦地域の都合上、山岳兵や降下兵の場合は自走砲と言う物に頼りがたい訳で、あらゆる兵器の軽量化が望まれたのです。
さて、軽量化が望まれるのは野戦に関しても言える訳でして、そうした事が具現化された兵器の1つとして、日露戦争において主に旅順攻略に用いられた28センチ榴弾砲があります。この大砲を映画や写真で最初に見た時には、短砲身のなんたる不格好な代物だと言う印象を持ちました。短砲身ならば最大射程が稼げないゆえに敵陣に対してあまり遠くに配置できないだろうにと思いましたが、そうなってしかるべき必然性があったのですね。
この大砲は元々沿岸砲台として固定配置されていたのを、旅順攻略のために取り外されて搬送されて行ったのですが、映画で見る分では、特別に架設されたレールの上をさながら城普請よろしく多人数の兵士がロープを持って引っ張っている場面がありました。
なにしろ戦艦主砲並みな巨砲ですから、重さの方も半端じゃない訳でして、短砲身にしても、かような苦労が必要となると、長砲身だと人力では不可能でしょう。現実に当時としては戦艦の主砲にするか、列車砲にするしか移動の手段はなく、そうでなければ沿岸砲台として固定配置と言うのが常識的な用法でしょうか。
大砲その物の重さが半端ではないので、地面に固定配置と言うのが正論なのでしょう。現場では地面に穴を掘って、砲架を埋めて、さらにセメントで固定すると言うやり方でした。
射撃は短砲身ゆえに、高い仰角をかけて行わない事には、すぐ前に砲弾が落ちてしまうので、水平射撃には向かない大砲と言えるのですが、それ自体がある種の長所と言えるかも知れません。最大射程で不利が生じる以上、敵から見えにくい場所に陣取るしかなく、そうなってくると、高い仰角で射撃ができると言う事は好ましい事であります。
しかも、相手は静止状態にある陣地である以上、低進弾道で狙いを付けるのには低すぎて、砲弾が上を通り過ぎると言う事にもなりかねません。単純に言っても、塹壕にこもる敵を効果的に叩くと言う事を考えれば、上から飛んで来るような形で射撃を行う方が好ましく、そう言う目的のためにも短砲身砲も捨てがたい部分があると言えます。
さて、二百三高地を攻略した後、ここを観測所として港に停泊しているロシア戦艦を28センチ砲で壊滅させて行くのですが、徹甲弾でなく榴弾で仕留めるのは考えようによっては違和感がなくもありませんが、当時の海戦はそれほど遠距離で行える物でなかったために、艦砲も対戦車砲同様低進弾道で飛ばせれば事足りたようで、それに対抗するための装甲も横方向が主体で、甲板に対しては後の時代のように重装甲ではなく、曲射弾道で砲弾を飛ばせれば徹甲弾でなくとも、充分な効果があった訳です。
この辺の所は、弾幕射撃による対戦車戦闘の場合でも同じ事が言えます。砲塔の天蓋とかエンジン部分に対して上から命中させる事が出来れば、正面に比べれば防御力でたかが知れているので、榴弾でも効果があったのです。

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二重国籍は日本の負担でよそ者を野放しにする愚行

(*^∇^)/ みなさんおはようございます。今日は二重国籍に関して取り上げていきたいと思います。感が良い人ならばお気づきでしょうが、ここではあえてMと称しておきます。さて、このMなる御仁は国籍に関して矛盾した主張をしています。
同じハーフでも、外国生まれならば、日本で暮らせるか否かの瀬戸際ならば、二もなく少なくともかたっぽの親が日本人なのだから、本人に日本国籍を認めるのは当然で、そうしようとしないとしたらそれは差別だと主張する一方で、国内に住むハーフに関しては、もうかたっぽの親の国に対してもシンパシーを持つのは自然じゃないか。それを尊重すべく、二重国籍を認めるべきだと言うような意味の主張をしています。
この件に関して皆さんはいかがな感想を持たれたでしょうか。結局の所が、日本鎮座ありきで物を考えているのではないのでしょうか。前者のような海外生まれの場合、現地の国の人間となっても別段不自然でもありますまい。わたしとしては、日本人として暮らす能力がないのならば、本人としても面白くもないでしょうから、無理して日本国籍を持たされても迷惑なだけだと思います。
それを安易に「差別」なんぞと主張するとしたら、日本とその外国とを等しく考えていない前提があるからに他なりません。この御仁の場合、不法滞在の二世に対して肩入れしている割には、親の、日本にいつきたい欲求の巻き添えで(外国生まれの)子供が迷惑に感じる可能性に関しては何の配慮もしていません。
かように、日本に比べて外国の価値観と言う物を尊重する意志が欠けているくせには、日本定住のハーフのためには二重国籍の導入を主張する発想は矛盾と言うか、日本の負担で外国人として暮らそう連中を野放しにしかねない危険発想だと思います。

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