ドモドモ\(´▽`*)(*´▽`)/ドモドモ みなさんおはようございます。
さて、これまでわたしは歴史問題に関しても外国人・差別・人権問題に関しても従来流布されている事に関する矛盾指摘と言うやり方を頻繁に用いてきました。後者の方の外国人・差別・人権に関しては改めて大いなる矛盾を指摘してきましたが、その矛盾に関しては結局のところ一つの線に結びついて行きます。
いずれにして日本の負担になるような形で人権が主張されているのであって、そのためには国内と外国とでは差別の定義が異なっている事です。それが矛盾を形作っています。
マスコミでは、中国残留孤児、あるいはフィリピン残留日本人二世なんぞと言う言葉が用いられています。後者の方に関しては単に移民の二世をそのように称しているのに過ぎない訳で、フィリピン移民二世でいいでしょう。ただ、前者に関してはもっとましな表現はない物か。元来差別でしかない言葉であるのにもかかわらず、ふさわしい言葉がないために、わたしの方も仕方なく使わざるを得ない状態です。
これらの表現がなぜ差別に値するのか、それは条件を逆さにすれば簡単な事です。中国人の孤児で日本人の里子として日本で暮らしている場合、日比混血で日本で暮らしている場合、それらは日本残留・・・なんて表現されるでしょうか。確実に彼らに対する差別として糾弾の対象となるじゃないですか。
現実に日本では、不法滞在者だに久しく日本で暮らしている者を退去させる事を、あたかも人権弾圧や差別として非難の対象とするケースが存在しています。
反対に、いかに経済水準が低い国での生活だろうと、そこの国の人の里子として暮らして行けば、もはや孤児ではなく、そこの国の人間として定着していると言う事で万事解決でしょう。にもかかわらず、それを向こうに取り残された気の毒な人として「救済」の対象とする事は真なる人道なのでしょうか。
しかも、中には現地生まれで日本の事など何にも知らないと言うことだっているでしょう。ある筋の人道支援なんぞと言うのは、低い水準なりにその国に定着している者を引き離す事でしかありません。日本で暮らしている者を引き離す事を人権侵害のように言うのであれば、そうした事は人権侵害ではないのでしょうか。
こうしてみると、いかにこの種の人道支援にいそしむ連中にとっての人権感覚と言う物がいかにいかがわしいかを物語っていると思います。国内における不法滞在者退去に対しては外国人差別するなを主張する一方で、国外の外国人に対しては同様の事を差別とはみなしていないのですからね。
日比混血児に関して、「日本人」の要素を見出して日本国籍を取らせて日本定住を促すと言う事は、要するにフィリピン人の価値をよほど勘定に値しないくずとみなしているとしか思えません。だいたい、フィリピンを貧しいと決めてかかる割には、混血でない、生粋のフィリピン人は救済の対象とはせずに「貧しい」地に置き去りのままなのですからね。真なる人道支援と言う物があるとすれば、フィリピンを良くすると言う発想があってしかるべきではないですか。
中国残留孤児に関しても同様な事が言える訳で、現地で暮らす中国人の価値に関してはくずとみなしているからこそ、配偶者、二世三世を日本移住させる事で、中国を捨て去らせる事に何のためらいも感じないのです。まあ、中国残留孤児に関しては第五列の送り込みに利用されている可能性が高いために若干解釈が異なってきます。
改めて言えば、一般的に言われている差別と言うのは、国内では外国人差別ですが、国外では同様な事での差別はし放題の有様で、ある条件の者を日本人として認めない事が差別と言う事らしいですね。
外国人差別するなとか、多文化共生を主張するのであれば、外国でもやったらいいじゃないですか。混血の者を人道支援の美名の下に日本移住をさせると言う事は外国では多文化共生をする気がないからであって、外国人差別を推進しているからに他なりません。
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