今日は「戦陣訓と降伏忌避の理(ことわり)」の9回目をお送りします。
日本では捕虜になる事は非国民扱いされると言う事で特殊な国だと言う事を前回も述べましたが、その背景の1つとしては、戦闘継続の義務を放棄した臆病者と言う解釈があります。公平に見ていけば、かつての日本のそうした考え方にも異常さがないとは言えないでしょう。捕虜になるのにもいろいろあるでしょうが、わが国の場合は、通常の戦闘での敗北ばかりが頭にあったのではないでしょうか。
なんと言っても、捕虜が多く出るのは戦線が崩れて両軍の均衡がなくなった時が多いです。戦線が崩れるような事態にならなければ、よしんば敗れるにしても、まとまった状態で撤退できるのであれば、大量に捕虜が出ると言うような事態にはならないでしょう。
戦線が崩れてしまえば、敗者の側が散り散りになってしまう事のが必然で、こうなってくるとまともに戦える状態になくなってしまい、降伏やむなしと言うケースに至ってしまうのです。
まあ、まとまった状態でも大量に捕虜が出ると言うケースもまたしかりであります。このケースに持ち込むには、包囲と言う形が取られます。
日露戦争の戦闘の進展を見ていくと、鉄道路線沿いに進撃後退がなされるのみで、線路からはなれた所は開けっぴろげ状態ではありますが、一見、敵陣を迂回して背後へ容易に行けるように見えますが、両軍の均衡が取れている時に安易にそれをやってしまうと、敵の背後に向かう部隊が退路を断たれて逆に包囲されてしまうと言うリスクを背負っているので、そういう事をやるためには、敵との均衡を破って、著しく優位に立たなくてはなりません。
要するに、包囲が出来るという事は敵に対して非常に優位に立ったと言う事を示している訳です。逆に包囲された側としては、自身の著しい劣勢を自覚して降伏に至る事になります。つまりそこには軍隊全体の優劣と言う物が起因している訳で、指揮官の命令による降伏であるケースが多いため、個々人の卑怯臆病云々の次元ではないと言う事になります。
いかに捕虜になる事が不名誉と言っても、それ自体は戦闘の敗北がもたらしたのである訳ですから、仮に非難されてしかるべき対象があるとすれば、いくさにおける敗北そのものであって、捕虜になった兵士自身ではないと言う事であります。
そうした視点から見ていくと、兵士に捕虜と言う不名誉を強いないようにするためにはいくさにおける敗北はあってはならないと言う事に他ならず、逆説的に言うならば、捕虜になると言う事は自軍の勝ちいくさに貢献する事を怠ったと解釈できるのではないでしょうか。
これは一種のこじつけみたいですが、支那事変を背景にした戦陣訓が別段負けいくさを前提にしてなかった事を考えれば当たっているのではないでしょうか。勝って当たり前のいくさにおいて捕虜になると言う事は個人の怠慢と解釈できるのならば、捕虜イコール臆病者と見なすのも無理からぬ事ではないでしょうか。
この件に関して結論を述べるならば、わが国は神州不滅を強調しすぎたのではないでしょうか。
長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^
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テーマ : 歴史 - ジャンル : 政治・経済