皆さんこんばんわ。この時期といえばクリスマスが信心と無関係に風物詩となっております。
さて、松本零士原作のアニメ「わが青春のアルカディア」でも作品中クリスマスが登場しますが、なにやらはちゃめちゃと言う感があります。
後々、よその星に居住可能な星があって、地球人が移住するとなれば、その地でもクリスマスを祝う事もあるでしょうが、この件に関しては前にも書いたとおり、自転、公転がそれぞれの星でまちまちである以上、地球と同じ瞬間にクリスマスが訪れるという事はありえないでしょう。
そんな中でも、大山トチローが「雪が降らないと、クリスマスの雰囲気が出ない」などと言う場面がありました。こう言う時こそタカアンドトシの「欧米か!」ですな。日本人ならば、12月の雪といえば、忠臣蔵と言って欲しいですな。
どうせ宇宙船に乗っているのですから、雪が見たければ、緯度の高い所へ移動すればいいじゃないですか。それでいて、次の週には自作の餅つき機でついたもちで正月気分に浸ると言う、紛れもなき日本風正月になっています。
このクリスマスに関して、敵であるイルミダス人は「地球人の下らんお祭り」とこき下ろしています。くだらないかはともかく、別段、地球人はキリシタンか日本人ばかりと言うわけでもありますまい。
さて、本題として、この時期、キリシタンや日本人に当てはまらない人たちはどうしているのでしょうか。先月、先々月取り上げた在日イスラム教徒に再び的を絞ってみましょう。
熱心なイスラム教徒としては、キリシタンのお祭りなんぞにはかかわってはいけないのでしょうか。もし、そうだとしたら、子供に対する人権侵害が指摘されるべきではないでしょうか。これは大げさのように思えますが、決して的外れな事ではありません。
既にわたしは、イスラム教徒に対して棄教の勧めを書きました。ましてや、在日イスラム教徒の中には子供にとっては何のためらいもなく日本はふるさとであると言う人がいます。まさか、そんな事を口にするのであれば、子供にイスラム教を吹きこんではいないでしょうねぇ。
イスラム教の国にあればこそイスラム教を信仰する事は常識のような物でしょうが、日本にいつく分には別段、そんな必然性はありません。イスラム教の国はもはやかかわるべきでないよその国と言う前提を子供に持たせてしまった状態ではむしろ厄介物でしかないと解釈すべきでしょう。
まあ、信教の自由はわが国では保証されているでしょうが、イスラム教に関しては何の保護もないわけで、勝手にやれ以上の何者でもありません。これに比べれば、まだキリスト教の方がひいきされている事はクリスマスを見れば一目瞭然でしょう。
子供にとって日本はふるさとと言う主張は正論でしょう。それだけに、わが国に何の定着も見ないイスラム教に固執した所でも何の得にもならないのです。子供にしてみれば幼稚園や学校にあっても、イスラム教徒であるばかりにクリスマスのお祭りから蚊帳の外と言うのでは殺生な、となると思います。
わが国の流儀に倣うならば、イスラム教徒でなければ、クリスマスに参入するのに何の制限もありますまい。こうした事を考えると、家族のためとか子供のためとか奇麗事を言うのであれば、いっその事イスラム教を捨て去るべきだと思うのです。
一向にそうしないのは、禁煙ができなくて子供の面前で煙草を平然と吸いまくるような物でとても感心できることではありません。
他でも言える事ですが、子供の人権なる物が強調されるのは、大抵、それを唱える大人に取っての利益と相反しない場合が多く、よしんば相反するような事態になってもこじつけてしまうケースが多いじゃないですか。
イスラム教徒の移住の場合も、子供のためと言うのも、所詮は自身の利益に外れない範囲で言っているのに過ぎず、別段好物でもない、捨てても差し支えない物の「断ち物」をしているだけなのです。
もし、掛け値なしに子供のためを口にするのであれば、イスラム教棄教と言う一種の「断ち物」をする事も考えるべきだと思います。そうでなければ安易に子供のためなどと奇麗事を言うべきではありません。
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