fc2ブログ

プロフィール

DUCE

Author:DUCE
趣味:緑地や山のほうへのハイキング
映画、ドラマ:戦争映画や時代劇が中心。アイドルやトレンディドラマの類は興味なし
外国関連:中国、韓国、北朝鮮と言った反日三馬鹿国は嫌いです。

竹島はわれらが領地なり

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

キター!

キター

plugin by F.B

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

他人願望②

皆さんおはようございます。今日は、昨日の「鬼と呼ばれたい女」の続きとして、カテゴリーを変えて「他人願望」の2回目としてお送りします。
昨日のエントリーの締めくくりとして、「おしゃれ願望」は必ずしも自身がいい奴でありたいとは限らない願望と書きました。単にいい奴であると見せたいだけである、と。
実際、いかに世間からいい奴だと自身を見られようとも、常にどこでも同様でなくてはならない必要はないし、そもそもおんなじ状態でいられるはずなどないじゃないですか。昨日書いたお六にしても、親なし子を養うために鬼と言う、一種の悪人を装っただけの事であって、子供の前では善人なのです。
逆に、化粧をして、きんきらきんの衣装に身をまとって外で見栄えの良い恰好をしても、帰宅してしまえばそうした装いを維持できるはずがありません。顔はすっぴんにし、服は脱いで地味な寝巻きに代わってしまうでしょう。したがって、そこには世間に見せるのと違った自身があるのです。そこでは、別段、いい奴でいる必要はありません。そのように演出しなくてはならない他人が存在しないからで、いい奴でいるメリットがないのです。
そう考えると所詮は「おしゃれ願望」も本来の自分と言う物から離れて、別の人間でいたいと言う「他人願望」とたいして変わらないのではないでしょうか。要するに、人間はいろんな状況に応じて、いろんな人間になりたい、あるいはそうならなくてはならないと言う厄介な生き物なのです。そうした事が「変身願望」と言う言葉に集約されているのだと思います。

長くなりましたので、いったんここまでといたします。

クリックお願いします。<(_ _)>

クリックをよろしくお願いしますです。(人∀・)タノム

にほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村 歴史ブログへにほんブログ村 その他ブログへブログランキング・にほんブログ村へ 


スポンサーサイト



テーマ : 私の見解 - ジャンル : 政治・経済

鬼と呼ばれたい女

皆さんこんばんわ。今日は前回に引き続き「暴れん坊将軍」からネタを取ります。前回のは「暴れん坊将軍」の全体像としてのコメントでしたが、今回は今週再放送であった「鬼と呼ばれたい女」からコメントしていきます。
そこでは、お六なる女が厳しい借金を返済を迫っていて、そのために周囲から鬼と呼ばれていました。この種の人間は往々として鬼呼ばわりされる事をお構いなしにする物ですが、主人公はこの女が自ら鬼と称している事に違和感を持ちました。何で自ら進んで鬼と称するのだろうか?
そこでひそかにお六の後を追って行くと、その真相が判明しました。お六は何人もの親なし子を引き取って育てていました。しかし、そうした善の要素を表に出そう物ならば、借り手の方で甘く見て借金の踏み倒しに走る事でしょう。そうならないためにも鬼に徹してしっかり貸した金の返済を迫るのです。そうしなければ、子供を養う金に事欠く事になるからです。
さて、わたしは既に既存の自分をよりよく見せる願望を「おしゃれ願望」と定義しました。お六のケースは本来全く逆になってしまうのですが、曲がりなりにも既存の自分をこのように見せたいと言う願望ですから、これも一種の「おしゃれ願望」と見て良いでしょう。
お六の場合は、悪を装った善人ですが、たいていの人は鬼呼ばわりされるとしたら、やはり内面も悪人である場合が多いでしょう。しかし、本物の悪人としても、公然と鬼呼ばわりされるとしたら、そう言う風に見られることで得をするケースが多いのではないでしょうか。その点ではお六の場合と共通しています。
そう考えると、「おしゃれ願望」の元に、いい奴だと見られようとする願望も案外似たような物ではないでしょうか。周囲にいい奴だと見られる事が大事であって、必ずしも自身がいい奴である必要はない訳ですからね。

クリックお願いします。<(_ _)>

クリックをよろしくお願いしますです。(人∀・)タノム

にほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村 歴史ブログへにほんブログ村 その他ブログへブログランキング・にほんブログ村へ 

テーマ : 時代劇 - ジャンル : テレビ・ラジオ

馬の骨願望の主人公

皆さんこんにちは。今日は、「他人願望」の派生で、「暴れん坊将軍」をネタに書いていきます。
「暴れん坊将軍」は、「水戸黄門」や「遠山の金さん」同様、主人公がより身分の低い他人に成りすましての勧善懲悪にいそしむと言う点では共通しているのですが、他の2つのドラマと決定的に異なっている点があります。その点を段階的に解説していきましょう。
3つのドラマの主人公はすべて元の立場で持っている正義の心を貫徹させるために別人物に成りすまして登場するのですが、「水戸黄門」や「遠山の金さん」では制裁する対象は常に見ず知らずの他人ですが、「暴れん坊将軍」に限っては、「余の顔を見忘れたか」と言う言葉に象徴されるように、吉宗が知っている大名や旗本だったりするのです。
同じ勧善懲悪でも、見ず知らずの他人であれば制裁する行為に快感が生じる事だってあるでしょう。しかし、自身にとって良く知った人間が悪者で、それを制裁しなくてはならないとしたら、それは自分自身に対する裏切りと言う感覚になってしまうでしょう。ましてやそうした事が日常茶飯事となったならば、人間不信や自己嫌悪と言う物が込み上げてはこないでしょうか。
上杉謙信も、家臣同士の対立が頻発した時にうんざりして、一時春日山城から出て行ったなんて事があります。「暴れん坊将軍」の吉宗もこんな感覚だったのでしょう。
ドラマの中の吉宗は決して江戸から出奔と言う事をせず、しかるべき使命感の元での外出でしかなかったのですが、毎回「余の顔を見忘れたか」と口にせざるを得ない事態に出くわす以上は、江戸城内部において少なからず人間不信になってしまった事は否めないでしょう。
徳川吉宗と言う立場を離れて徳田新之助なる別人物に成りすまして江戸城外に出て行くのは、最終的には自身の正義を貫徹すると言う使命感からの物でしょうが、その中には馬の骨願望と言う物が存在していた事は間違いないでしょう。
将軍と言うべらぼうな身分の下にあっては、取るに足らないことでも、いちいち注目の対象となり、友人付き合いをしたくとも、相手の方で恐縮してしまうわけで、ここに馬の骨願望の意義があるのです。
最後のシリーズでも、め組みの頭栄五郎に対して正体をばらしたときなどは、案の定、
栄五郎は一時恐縮してしまったのです。こうした事を見れば、容易に正体をばらす事は出来ず、将軍に比べれば取るに足らない旗本の部屋住みと言う馬の骨に成り下がることで、その他の連中とも気安く交流する事が出来たのです。
これらの連中は、主人公の正体を知らずに済むおかげで往々にして無遠慮な態度をとる傾向が多いのですが、それでも悪事をなさない連中であると分かっていれば、主人公としては、江戸城内における人間不信に陥りやすい場に比べれば、そうした事は却って安らぎの時であったと思います。

クリックお願いします。<(_ _)>

クリックをよろしくお願いしますです。(人∀・)タノム

にほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村 歴史ブログへにほんブログ村 その他ブログへブログランキング・にほんブログ村へ 

テーマ : 時代劇 - ジャンル : テレビ・ラジオ

子供の人権と言う欺瞞

皆さんこんばんわ。今回のエントリーは「カメレオン並みな語学認識」の続編といたします。
子供の人権と言う言葉があります。はっきり言って胡散臭いですね。とりわけ外国人の子供の人権と言ったらますます以って空々しいと言う事例が続出しているのが現状であります。
カルデロン事件に代表される不法滞在者の場合、子供の意志が強調されるのに対して、逆に来日する外国人の場合、まず子供の意志なんぞが詮索された試しは皆無と言わないまでも、めったにされた事はないと思います。
既に述べたように、事前に何の準備もなく、来日したのですから、親に連れられてくる子供にしてみれば問答無用であった可能性が濃厚であるのに違いありません。かつて、当ブログでエントリーした記事のタイトルに「ジャピーノにビザ。夢抱き父の日本へ」と言うのがありましたが、タイトルは引用記事のタイトルを引用した物でしかありません。その辺の所はDUCE自身のコメントでもお分かりでしょう。そこでは批判的に書いています。
自分にいわせれば、これらの子供の「夢」と言っても、案外、母親に強制されてでっち上げた代物ではないかと思います。母親にとっては始めから来日できればこっちの物だと物を考えていたわけで、子供は単なる自身の欲求を正当化するための駒でしかなかったのです。
真に子供の人権と言う物を考慮するのであれば、事前の準備もなく来日して、いきなり公立学校にぶち込むと言う事例などあってはいけないでしょう。この種の行為は悪質な親の怠慢でしかありません。この段階で子供の人権が尊重されていない事は明らかではないでしょうか。
そう考えると、公立学校やボランティアの場で語学教育を実施した所で、子供の人権尊重に何の役にも立たない事に気づくべきでしょう。何しろ、来日は親の意志であるのにもかかわらず、依然として、自身の日本語学習を怠り、子供にだけはそうした負担を押し付ける行為でしかないのですからね。
自ら日本語学習の意志を積極的に持っていたならば、事前に自己負担を以ってしても子供の日本語学習にも熱心に推し進める事を意図するでしょうし、もっとも控えめな場合でも、ボランティア学習の場に子供と一緒に来れば良いでしょう。
しかし、昨年当ブログでエントリーしたNPO団体においてすらも親子一緒に日本語学習にいそしむと言う例が載るという事はなく、日本語学習にいそしむのは子供だけでありました。
親子一緒に日本で暮らすのであれば、共に日本語能力が入用であるはずなのに、ここで見る分には、自身の意志で来日したはずの親が怠り、子供ばかりがその種の学習にいそしんでいるようで、こんな有様で果たして、繰り返しになりますが子供の人権なる物が尊重されているとはとても思えません。
こうした行為があたかも子供の人権のように見なされていますが、早い話が、親のエゴに対して帳尻を合わせているだけでしかないと言うのが真相ではないでしょうか。問答無用の子連れ来日しかり、事前の準備なしの公立学校への子供の就学、無償での語学教育の場の利用。すべて、親の意志が貫徹されている一方で、子供や赤の他人に負担がかかるだけで、親自身が負担を極力逃れているではありませんか。
そう言う点を指摘すると、外国人子供の人権を尊重しようと言う主張は、その少なからずが親のエゴの片棒を担ぐ子供の人権蹂躙そっちのけの糞垂れ行為であると見なすべきでしょう。

子供の人権を尊重するのならば、まず親に応分の負担を強いるべし!

クリックお願いします。<(_ _)>

クリックをよろしくお願いしますです。(人∀・)タノム

にほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村 歴史ブログへにほんブログ村 その他ブログへブログランキング・にほんブログ村へ 



テーマ : これでいいのか 日本の教育 - ジャンル : 政治・経済

他人願望①

皆さんこんばんわ。本日2度目の更新はまたまたタイガーマスク寄付をネタにしていきます。どうもこのネタに関しては、まだ今回では書ききれない、いろいろ思い当たる物となってしまいました。よそのカテゴリーをまたいで何回かに分けて書かざるを得ないと思います。まあ、気長にやっていきましょう。
さて、実名を伏せて養護施設への寄付を行う者の心理と言う物を突き詰めて行くと、変身願望、他人願望、ヒーロー願望、馬の骨願望とまあ、いろいろな願望が思い当たります。
人間、誰でも大なり小なり変身願望と言う物がありますが、その後に続く願望もこうした変身願望の1つと見て良いでしょう。ただ、そう考えると、別に狭義の変身願望と言う定義を設定しなくてはならないでしょう。
何しろ、広い意味での変身願望にはいろんな物があります。単に、自身をかっこよく着飾って、余人の目を引くと言う、おしゃれな物の他に、既存の自分から全く離れて異質な人物を創出するなんて物もあります。これは上記の他人願望であります。
また、おしゃれ願望と対極的に他人の注目から逃れたい欲求は馬の骨願望と定義します。周囲の注目を集めうる従来の自分から離れて、注目の対象となりえない、不特定の存在となりたいと言う願望です。
これに対してヒーロー願望の方はその時の状況に応じて、おしゃれ願望であったり、他人願望であったり、人によっては馬の骨願望である場合もありえます。
同じヒーローになりたい場合でも、既存の自分の注目を集めたいならば、それはおしゃれ願望の1つであるし、既存の自分から離れて自ら創出した別人格の元でヒーローになりたいのならば、それは他人願望なります。
さて、タイガーマスク寄付に走る人の場合、人様の役に立ちたいと言う、一種のヒーロー願望がありながらも、別段、目立ちたがり屋ではないから、実名で寄付を行わない訳ですから、他人願望でやっている事は間違いありません。そして、現実には多数のタイガーマスクが登場していると言う事は、他人願望が先鋭化した馬の骨願望があると考えるべきであります。
何しろそれは、単なる他人願望の元でのヒーロー願望であるのならば、自ら創出した独自のヒーローを名乗れば良いだけの事であって、それすらしないで、同じ良心を持った多数の人の中にうずもれてしまう事を欲しているとしたら、それは馬の骨願望に他なりません。広く周囲に寄付を呼びかけている赤い羽根の共同募金や献血に応じるのと同じ感覚でヒーローになりたいだけなのです。

長くなりましたので、いったんここまでといたします。

クリックお願いします。<(_ _)>

クリックをよろしくお願いしますです。(人∀・)タノム

にほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村 歴史ブログへにほんブログ村 その他ブログへブログランキング・にほんブログ村へ 



テーマ : 私の見解 - ジャンル : 政治・経済

カメレオン並みな語学認識(下)

関東地方は山沿いはいざ知らず、大抵の所は晴天が続いています。雨なんぞ降られたならば、ただでさえ寒いと言うのに、なおの事手がしびれてしまって仕事をするのに非常に不都合と言う立場の者にとってはありがたいことです。

さて、先週に引き続き「カメレオン並みな語学認識」の続きと行きましょう。
往々にして来日する外国人どもは事前に日本語を学ぶと言う常識が欠如しているケースが見られる訳ですが、そこにはまず来日ありきで物を考えているとしか言いようがないでしょう。
一方、マスゴミでは「日本語の壁」と言う言葉を頻発させるようになりました。この種の言葉を用いる連中の発想はいかがな物でしょうか。わたしとしては、別段、排他的発想で日本語と言う要塞が存在しているとは見なしていません。ただ、来日する連中が、必要に応分な勤勉さを持たないから、「壁」に勝手にぶち当たる馬鹿をさらけ出しているだけでしかありません。
大方、マスゴミの言い分は、始めから外国人受け入れありきで物を考えているだけの事であって、いちいち我々日本人に対して譲歩すべしと言う発想でいるのです。
さて、前回はわたしは来日する外国人子供の立場に関して否定的な事を書きました。本人にしてみれば、来日なんかしたくないと考えている子供が少なくないと思います。何しろ、親からして、日本語学習なんか必要ないと言う前提で来日している手合いが少なくないのですからね。
大人自身は自分の意志で来日するから、何かしらの都合の良い発想でいるのでしょうが、そんな愚かしい大人に連れられて来る子供にしてみれば、たまった物じゃないでしょう。
こうした子供が公立学校で、語学上の事情から苦労させられると言うケースは非常に多く、学校の側で特別な配慮をする。あるいは近所のボランティアに依存するなんて記事がよく新聞に載ります。
これらの事例がどうして起こるのでしょうか。結局の所が親の大なる怠慢からです。少なからずの親が、始めから子供の日本語教育ばかりか、中には自身の母語まで学校その他、要するにいちいちよそ任せで済ませてしまうケースが多いです。
それに対して、自分自身が率先して日本語学習にいそしもうとしないとしたら、案外、子供に対しても日本語の能力が不可欠とは考えていないのだと思います。そこには、子供には教育が必要と考えても、決して、自身の負担をまぬかれようとする虫の良い発想があるからに他なりません。公立学校ならば学費はただないしは安価(高校の場合)ですからね。要するに子供の教育負担を軽くする事が第一義的であって、日本語学習は物のついでだと考えているのです。
だからこそ、公立学校に自身の母語教育まで平然と欲する者まで登場するのです。そこには、日本鎮座ができれば、日本語なんかは必要ない。よそに対する迷惑なんか考えも及ばないと言う自己中の発想があります。
そして、不法滞在がばれて強制退去の憂き目を見る時になって初めて、日本語能力を誇示するケースに出くわします。よその言語は知らない。日本にい続けるのだから日本語だけあれば充分だ、と言うことです。
追放されずに済む時は平然と日本語能力抜きでいつこうする連中が、そうした「権利」を否定されかねない時に限って日本語能力を誇示し、自身の母語を平然と捨て去ろうとするのです。

クリックお願いします。<(_ _)>

クリックをよろしくお願いしますです。(人∀・)タノム

にほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村 歴史ブログへにほんブログ村 その他ブログへブログランキング・にほんブログ村へ 

テーマ : これでいいのか 日本の教育 - ジャンル : 政治・経済

良心を悪用するろくでなしに対する対抗策

本日2回目の更新はタイガーマスク寄付に関して別の視点から書いてみます。
犯罪や失敗ならばいざ知らず、かような慈善行為ならばなぜ実名で行わないのか。公表しても、賞賛こそされ、非難を食らう事はないでしょう。にもかかわらずかくも匿名同然の寄付が相次ぐのはなぜでしょうか。
匿名で行うからには、始めから自己顕示的な意識は捨ててかかっているに他なりません。要するにそれは世間の賞賛を受ける事を望んでいない事になります。
ここで思いついた事として、こうした人は世間の賞賛を受ける事に関して迷惑がる。嫌がる。そんな否定的な思いが存在してはいないでしょうか。
こんな事を書いたからと言って、別段、こうした人たちを変人呼ばわりしているわけではありません。場合によっては、そう言った発想が真理と言える事もあるのです。昨今は個人情報の保護に過剰にまでこだわる人が多くなりました。その結果、自身の居住地に表札を出さないなんて人がいます。
これらの個人情報隠蔽を欲するのは、いろんな勧誘に出くわすだろう事に対する未然防止の意図が働いている事が一因にあります。
話しはずれて、たとえば宝くじに大当たりした場合、そうした事が公になったばかりに、見ず知らずの人まで自宅に押しかけて、身内面をしたり、慈善団体を装っておごってもらう事、寄付を募る事を要求されるなんてケースもあります。
またまた話は転じて、会社でたまたま良い成果を得た社員がいたとします。本人自身にしてみれば、それは単なる基本給の範囲内で行ったのに過ぎない、始めから成果は会社の物として提供して差し支えない代物と割り切っても、会社の側で名指しで賞賛し、更なる期待をかけられたとしたらいかがな物でしょうか。
別段給与が上がるでもなしに、ただひたすら会社の側で期待ばかりをして、そのうちに自身の許容限度を超過した期待を当然のごとく要求し、それに応えられなかったばかりに会社から非難を食らう。そんな未来もあり得ます。
さて、寄付の場合も、実名で行ったばかりに、最初は感謝されていたのが、その時の個人情報を元に後々再度の寄付を求められ、それが次第にエスカレートして行き、しまいにはたかりまがいな物となり、それに応じられない物ならば、「けち」「人非人」などの非難中傷に出くわしてしまうなんて事もあり得るのではないでしょうか。
要するに、タイガーマスク寄付を行った人の中には、過去にそうした嫌な思いをした事があるのではないでしょうか。自身の清い心に付け込んで、横暴な振る舞いをする他人に対する警戒心や憎しみがあって、実名を出す事をはばかっているのです。
そこに「伊達直人」なる他人に成りすまして寄付を行う人が登場したことで、安心して自身の良心を貫徹させる手段が見つかったとして、この種の寄付が続出したのではないでしょうか。

クリックお願いします。<(_ _)>

クリックをよろしくお願いしますです。(人∀・)タノム

にほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村 歴史ブログへにほんブログ村 その他ブログへブログランキング・にほんブログ村へ 


テーマ : 私の見解 - ジャンル : 政治・経済

カメレオン並みな語学認識(上)

皆さんおはようございます。今日は「カメレオン並みな語学認識」をお送りいたします。
要するにこれは日本に居つく諸外国人の少なからずが持っている語学認識に関してこれまでわたしが持っていた所見を述べる場であります。

まずは外国人散在校に関してみていきましょう。これはいわゆる公立学校に少数の外国人生徒が混じっているだけでしかないために、日本語指導の先生が配置されず、いわんや専用教室なる物を設置する余裕などない所であります。
そこでは、自身のクラスに外国人生徒が混じったと言う先生の中には逆に生徒の母語を独自に習って生徒との疎通に苦心惨憺すると言うケースも見られます。昨年末の記事ではそのケースの1つとして、ネパール語に直面した先生の苦難が取り上げられました。なるほど、ネパール語はメジャー言語ではないですから、日本で習う手段などなきに等しいでしょう。
そこで日本語指導員なる、こうした言語に通じる人を雇って生徒の日本語指導を行うケースもありますが、少数人数相手では余りにもパフォーマンスが悪い事は明らかでしょう。さながらオーダーメイドのようなものではないでしょうか。
よしんばこうした外国人が多くいれば、こうした日本語指導員を活用する事のパフォーマンスが良くなる事は間違いありますまい。別段、1人の生徒に1人の指導員が専属と言うわけではないのですからね。
しかし、ここで思いつく事として、かように自身の子供を公立学校に通わせる親のメンタリティってのはいかがなものでしょうかねぇ。まずもって、上記にあげるような苦労をする側の事などお構いなしじゃないですか。
要するにその種の必要性を自覚しながらも、全く自らが負担をする気がないという、頑固なまでの身勝手自己中がそこにはてきめんに現れているのですよ。
そもそも、そこには赤の他人に対する迷惑ばかりか、自身の子供に対する迷惑に関しても全く無頓着である事をさらけ出しているのではないでしょうか。つまり、それは一種のネグレストなのです。
ある種の連中からすれば、いちいちわが国に対して人権とか子供には罪はないとか調子の良い事を言っていますが、わたしにはこうした子供が、大人のエゴに踏みにじられっぱなしで放置されているようにしか思えません。
あたかも、来日後の日本語学習が子供の人権にリンクしているように言われていますが、そんな事は、元々来日自体が親の意志からいでたる事である以上、来日前に親が率先してやるべきじゃないでしょうか。
それを来日後にのこのこ公立学校で行うという事は、事前に何の準備もないままに子供を異質な環境にぶち込んだ事に他ならないでしょう。自分の意志によらずしてこんな環境にぶち込まれた子供の気持ちはいかがな物でしょうか。
子供にしてみれば、かような異質な環境で、言葉も通じない、エイリアンのような連中に囲まれて暮らさざるを得ないとしたら、少なからず苦痛に感じると思います。
そして、そうした外国人生徒と同室させられる日本人生徒とても迷惑に思う事も少なからずあるでしょう。我々日本人からすれば、頼みもしないのに勝手に押し入った連中に他ならないのです。彼らの方こそ、こちらの環境に対する配慮があるべきなのに、全く怠っていたとしたら、快いはずがないじゃないですか。
おめでたい御仁には、そうした外国人生徒と仲良くすべく、彼らの言語を学ぶと言う事を教育の中に取り込む事を推進しますが、逆にこいつ(要するに外国人生徒のことですね。日本人生徒からむかつく存在になったならば「こいつ」になってしまう事は必然です)のために余計な負担を課せられるとして、却って反発を招く事もあり得ると思います。

長くなりましたので、いったんここまでといたします。

クリックお願いします。<(_ _)>

クリックをよろしくお願いしますです。(人∀・)タノム

にほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村 歴史ブログへにほんブログ村 その他ブログへブログランキング・にほんブログ村へ 



テーマ : 私の見解 - ジャンル : 政治・経済

戦陣訓と降伏忌避の理(ことわり)⑬

皆さんおはようございます。今日は久々に「戦陣訓と降伏忌避の理(ことわり)」をお送りいたします。

日本軍がシンガポールへ快進撃を続けて、追い詰められていたイギリス軍に対してチャーチルは「最後の一兵まで戦え」と言う意味の電文を送った事があります。この種の電文が送られても、イギリス軍にはそれを実行する力はなく、降伏してしまい、チャーチルもたいそうに落胆しましたが、別段、チャーチルにしても、その種の命令を大真面目に出したわけではなく、せいぜい努力目標程度の物でしかありませんでした。元々イギリスには降伏忌避の発想はなく、戦後、パーシバル司令官を処罰するなんて事はありませんでした。
そもそもチャーチル自身もボーア戦争に従軍して捕虜になった経験があったわけでして、無分別に降伏忌避を唱えられる筋合いではないのです。その時彼は脱走を果たし、後々武勇伝として語り草となっています。
映画「大脱走コルディッツ収容所」では、イギリスの特務機関が、赤十字を通じて、捕虜に対して手紙や差し入れができると言う国際条約に便乗して、捕虜が脱走できるように、役立つアイテムをひそかに送り込むなどして、脱走幇助にいそしむ場面がありましたが、現実の世界でも、チャーチル自身が積極的にこの種の活動を推進した可能性は高いと思います。
また、映画「ロンメル軍団を叩け」では、主人公のフォスター大尉が、半死半生の状態を装って、捕虜を連行しているドイツ軍の一隊にわざと捕まって、捕虜になっている特殊部隊員と接触して、トブルク潜入の指揮を執る場面がありました。
そこでは捕虜になるのもいくさでは使える手段となっています。捕虜になっていれば、堂々と敵中に潜入できるわけで、あらかじめ示し合わせていたイギリス軍戦闘機の襲撃のどさくさに乗じてドイツ兵をやっつけて、捕虜連行の一隊を装ってトブルクへ潜入。まんまと燃料集積所と砲台を破壊しました。
この映画は「トブルク戦線」を手直しした内容の物でして、「トブルク戦線」では、始めから捕虜連行を行うドイツ軍の一隊を装っての出撃でして、これに対して、「ロンメル軍団を叩け」では本当に捕虜となっている連中がトブルク潜入の任務を課せられていましたが、降伏忌避の発想がない国ならでは思いつく作戦ですね。
長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^

クリックお願いします。<(_ _)>

クリックをよろしくお願いしますです。(人∀・)タノム

にほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村 歴史ブログへにほんブログ村 その他ブログへブログランキング・にほんブログ村へ 



テーマ : 歴史 - ジャンル : 政治・経済

泥棒にも3分の理

皆さんこんにちは。まずは引用文からご覧ください。ただし、長いので完全引用とは行かず、一部だけの引用にとどめます。

金融危機(2008年秋)の後、失業者救済を目的に導入された国の「就職安定資金融資」を巡り、浜松市で不動産業者らが日系ブラジル人約4000人に「大金がもらえる」などと持ちかけて計4億円以上の融資を受けさせ、その中から高額な手数料を受け取っていた事が分かった。融資金が返済される見込みは薄く、厚生労働省は調査を始めた。
(中略)
朝日新聞の取材に対し、業者の1人は「料金についてはそのつど事前に説明している。高いと思うのなら、うちを選ばなければ良かった。いろいろと面倒を見て結果を出した。利益を得るのは当然」と話した。
(中略)
「わたしたちの大半は日本語の読み書きができない。その弱みを付け込まれたんです」と日系二世の無職男性。
(中略)
日系人の多くは製造大手の下請け会社に派遣され、社員寮に住み込み、部品組み立てなどの工場で働いてきた。だが、長時間労働で日本語を学ぶ機会や意欲も減り、在日期間が長くても日本語の意思疎通が苦手な人が多い。今回のトラブルでも温床にはやはり、こうした言葉の「壁」があった。
(中略)
国が日系人の受け入れ態勢を整えず、企業が安価な労働力としてのみ利用してきた付けが回っている。(引用ここまで。1月5日分)

泥棒に3分の理と言う物があるとしたら、これなんかはその1つじゃないでしょうか。別段、この種の仲介業者を完全に擁護する気はないし、また日系人に関しても、だまされた方が悪いとは言いませんが、過失相殺と言う発想はあってしかるべきでしょう。
そもそもここに登場するブラジル人は馬鹿ばかり。これまで取り上げてきた多くの外国人同様大馬鹿者のそしりはまぬかれません。来日する以上は事前に日本語学習すると言う事を怠っているのです。わたしにとって大馬鹿者外国人とは、常にかような当然しかるべし行為を怠ってきたと言う事であります。
要するに彼らは弱みに付け込まれたのではなく、馬鹿と怠慢に付け込まれたのであります。もし、来日前にそうした行為を怠っていなければ、そうした事態は逃れられたのではないでしょうか。来日後に行わんとする発想は、大方、自身の怠惰をごまかす意図が少なからずあるのだと思います。事によったら、派遣先の企業でただで教えてもらえると高をくくってやって来た連中もいたに違いありません。
そう考えると、ここで悪徳企業として扱われている仲介業者としても、その「悪行」に関しては割り引いて考えるべきだと思います。何しろ、日本にあって別段必然性のないポルトガル語の知識を彼らのために用意した訳ですから、その分、ブラジル人の利益が抑えられるのは当然といえましょう。
そして、もう1つ腹立たしいこととして、ここにはブラジル政府のコメントが登場してきません。まあ、彼らの発想は日本国における犯罪だから、日本国が責任を持って解決すべしと言うことなのでしょうが、元はと言えば、自国民の雇用問題をよその国に付回しにすると言う態度にも責任がないとは言えないでしょう。
よその国にあろうとも、自国民の失業に対して何もかかわろうとしないで万事他人事で済ませています。こんな有様で、新興国面をして、日本の一部の証券会社にレアル建ての債券を売り込んでいるのはいかがな物でしょうか。むしろ、こちらの方こそペテンのような気がします。

ブラジル政府は自国民の雇用問題を自国で解決するよう真剣になるべし!

クリックお願いします。<(_ _)>

クリックをよろしくお願いしますです。(人∀・)タノム

にほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村 歴史ブログへにほんブログ村 その他ブログへブログランキング・にほんブログ村へ 



テーマ : 政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル : 政治・経済

慈善行為の是非

皆さんこんにちは。前回の続編的な意味合いで、本日2度目の更新は「慈善行為の是非」を書いてみます。
わが社では、時たま、支店の周辺の掃除なる慈善活動を行う事があります。しかし、それは志願制とは言え、7時半からの30分間に行われる、勤務外の行為となっています。要するに勤務扱いにして、超過勤務手当てを払うと言う事はしないのです。
本日1回目の更新において、会社の慈善行為は万事売名であると言う主張をしました。このように書くと、一見汚らしい行為のように見なしているように見えますが、会社が金儲けのために成り立っている以上、その目的にかなう範囲で行う事は必然であって、別段、その種の売名行為を否定している訳ではありません。
売名行為は要するに、会社にとっての利益のために行う訳ですから、表面上慈善行為であっても、勤務扱いとするのが筋でしょう。よしんば会社がいい恰好をしようとしても、実際にそれを行うのは会社の構成員たる従業員な訳ですから、そうした従業員にとっての利益と言うことも考慮すべきでしょう。
よって、慈善行為に従業員を用いる以上は、彼らに対して勤務扱いとして給与を出すと言う事は当然の事であって、そう言う発想がなくては、到底従業員が付いて来る事はないでしょう。実際、わが社ではそう言う事が行われないために、わたし自身はそうした活動には参加した事はありません。
別段、私生活に親近性を持ちえるだけの近距離にある訳でもない、単なる金儲けの場でしかない遠距離の場のためにどうして給与抜きで参加したがるのでしょうか。むしろこのような行為こそ、偽善でしかないと思います。会社ばかりがいい恰好をするために、従業員に対して慈善行為である面を強調してただ働きをさせる。いかに志願とは言え、馬鹿馬鹿しいではないでしょうか。

クリックお願いします。<(_ _)>

クリックをよろしくお願いしますです。(人∀・)タノム

にほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村 歴史ブログへにほんブログ村 その他ブログへブログランキング・にほんブログ村へ 

テーマ : その他 - ジャンル : その他

タイガーマスク寄付から見る日韓の違い

皆さんこんにちは。先月来、「伊達直人」名義での寄付が各所で相次いでいます。
最初は同一人物による寄付かと思いきや、複数の「伊達直人」がいるようです。
伊達直人とは、漫画の「タイガーマスク」でタイガーマスクとしてリングに出てくる人物の事で、作品中で自身が子供のときにいたと言う孤児院にたびたび寄付を行う事から、この人物に扮しての寄付が相次いでいると言う次第です。
さて、これは悪行ならばいざ知らず、善意であるのにもかかわらず、本名を名乗り出ないで寄付を行う人が結構いると言う事になります。
これが営利法人ならば、このような事はありえないでしょう。法人の場合、この種の善意の行為を行うにしても、元来の目的が金儲けにある以上、その目的に無関係な事はおいそれと行うわけに行かず、下衆な表現を行うならば、売名を行って自社のイメージアップを図って最終的に利益向上に結び付けて行くために行われるのが普通です。
これに対して個人の場合は、金儲けばかりが目的で成り立っている訳ではない以上、純然たる良心で行う人も少なくありません。純然たる良心で行う以上、必ずしも自身が目立つ必要はなく、そうした発想から、匿名や他人に成りすましての慈善行為に走るのでしょう。なまじ本名で行おう物ならば、自己顕示に慈善行為を利用したと言う、他人から下心を勘ぐられる事を恐れてしまうのです。
よくよく考えれば、日本の文化自体もそうした所が多くはないでしょうか。別段、よそへ広めようと言う発想が弱く、内々で大事にすると言う物が多いと思います。他人に見向きされずとも、内々でそれを良い物として維持して行く。皮肉な事にそうした物の中から世界に広まって行った物が多々登場しました。
こうした発想は韓国では逆立ちしても理解できないと思います。彼らの芸能は自国での需要を拡大させていく事よりも、始めから海外への輸出で成り立たせて行こうと言う傾向が多いのです。
その発想は、常に他人の高い評価を欲すると言う自己顕示過多の傾向から来ています。それは結果として、見栄えばかりを重視し、外部から見えさえしなければ、手抜をしても差し支えないと言う事になり、最終的にできの良くない物をこしらえてしまう事になってしまうのです。

クリックお願いします。<(_ _)>

クリックをよろしくお願いしますです。(人∀・)タノム

にほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村 歴史ブログへにほんブログ村 その他ブログへブログランキング・にほんブログ村へ 

テーマ : 気になったニュース - ジャンル : ニュース

移民は秘密結社のようには行かない

アニメーションでは往々にして、悪の秘密結社なる物が登場します。たとえば「サイボーグ009」の場合は、ブラックゴーストです。この結社が根拠地としている幽霊島においてサイボーグたちは出来上がり、ブラックゴーストの手先として利用される事になっていましたが、サイボーグたちは反乱を起こし、ブラックゴースト打倒のための戦いに臨む事になるのですが、現実的に考えてこの結社の構成員たちは、別段、幽霊島を祖国として生まれた訳ではありません。
ブラックゴースト自身は、よその国同士を戦わせて、そうした国に対して武器を売り込んで漁夫の利を得る訳ですが、彼ら自身が国家と言うわけではなく、当然、独自の通貨を有しているわけでもありません。
いくさを利用して金儲けと言えば聞こえはいいでしょうが←別に良くもないですかな。 独自に国家として成り立っているわけでもなく、いわんや金儲けと言っても、他人が作った通貨に便乗するだけとなれば、儲けたお金の価値や使い道に関して違和感が込みあがって来ないでしょうか。
いくさともなれば、インフレが往々にして起こる物でして、ましてやブラックゴーストの場合、そうしたよその国の作った通貨に便乗するだけとなれば、いくさの内容によっては、儲けたお金の価値や使い道に関して否定的になってしまう可能性が生じて来るのではないでしょうか。
そして、1番の問題点となるのはブラックゴーストの構成員のなり手であります。既に述べたように幽霊島は国家ではありません。必然的に傭兵のごとくよそから集めるしかありません。そうなってくると、ブラックゴースト自体が金儲けのための結社でしかないのですから、なり手自身だって金儲けのためにやってくるだけでしかなく、控えめに見ても単なる出稼ぎ連中に過ぎません。
彼ら自身とても始めから天涯孤独の身の上と言うわけではなく、外からの渡り者である以上、家族を残してやってきた者もいるでしょう。そうした家族を養うためにも、そうでなくても、国家として成り立っているわけでもない、単なる職場に過ぎない幽霊島ではどの道、給与の使い道は外部に求めざるを得ないのではないでしょうか。
昨今、わが国では一部の馬鹿どもが大々的に移民の受け入れを推進していますが、移民とは決して単身ではなり得ないと言う事を忘れています。単身でも、国許に残した家族を養うために、彼らが得た給与の一部が流出してしまうし、多くは家族親戚帯同でやってきます。
要するに、1人認めれば5人10人やってくると言う事はヨーロッパの例を見ても確実です。そして、国家は国家と言う居住地でもあって、幽霊島のような単なる職場に過ぎないと言うわけではありません。給与をやったら後は勝手にしろと言うわけには行きません。
ひょっとしたら、移民受け入れを推進する連中の発想ってのは、自国を幽霊島程度に考えて、安価で雇った後の事は知らぬ存ぜぬなのではないでしょうか。いや、ひょっとなどしなくても、既にそうなっています。別段、個々の企業は自ら治安や福祉などに関して責任を持たなくていいのですからね。

クリックお願いします。<(_ _)>

クリックをよろしくお願いしますです。(人∀・)タノム

にほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村 歴史ブログへにほんブログ村 その他ブログへブログランキング・にほんブログ村へ 

テーマ : 政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル : 政治・経済

いっその事週末婚にしてみては

皆さんこんばんわ。正月の事を新春と言う事があります。温度はまだまだ低く、春どころかいまだ冬なんですけど、旧暦では新年から春と言う扱いになるのです。
ちなみにわたしの場合は、業務が通常モードに戻ってきましたので、天候が穏やかであれば、新春と言う気分は少しは感じます。

さて、ただいま、とある元高校教師が夫婦別姓なる物を主張して、裁判沙汰を起こしています。
この手の連中と言うのは、どうも極度の自己中だと思います。自身のオーダーメイド的な発想を法律に持ち込もうとしているのです。要するに自分ひとりの主張にあわせて法律をへし曲げようとしています。なんとも身勝手ではありませんか。

さて、かなり昔にTBSで「週末婚」なるドラマが放送されました。別段時代劇ではないので、見向きもしませんでしたが、そのタイトルからするに、今回の原告にお勧めの代物ではないかとふと思いました。
週末婚とは、普段は別個の住居に暮らし、独自に仕事を持って別個の生活を送る一方、休みになる週末だけ会合して、夫婦の営みを持つと言う内容です。
これで行けば、結婚していようがいまいが、相互に依存する物がない訳でして、そもそも別居している状態なのですから、別姓であったとしても格別不自然な有様とはならないでしょう。
別姓を欲するのであれば、これくらい徹底したらどうですかと思います。従来の別姓願望は、夫に依存する部分が多いくせに、すきさえあらんば、よそ者としてとんずらする機会をうかがっているのでかはないかとかんぐってしまいます。

別姓を欲するのならば、徹底的に夫に対する依存を否定すべし

クリックお願いします。<(_ _)>

クリックをよろしくお願いしますです。(人∀・)タノム

にほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村 歴史ブログへにほんブログ村 その他ブログへブログランキング・にほんブログ村へ 


テーマ : 私の見解 - ジャンル : 政治・経済

韓国芸能は一種の輸出産業

皆さんおはようございます。
先日の新年の挨拶では、昨年が在日外国人問題で顕著化していた事を示唆した次第でして、おそらくは今年も同様の事がもっと強烈に進行して行くのではないかと思います。思えば、当ブログの場合、そうした問題を取り上げるのは別段「在日外国人諸問題」と言う新設されたカテゴリーに限った事ではなく、「歴史」や「映画、アニメ、ドラマ」と言う別のカテゴリーでも取り上げた事があります。ともあれ、わが国にとっては極めて大きな問題と化している事が窺い知れます。

さて、今回は「映画、アニメ、ドラマ」のカテゴリーにおいて、そうした問題を取り上げてみましょう。昨今、マスゴミでは←これまでも結構偏った報道をしている事が指摘できていますから、この表現でいいでしょう。 K-popなる代物が盛んに報道されているようです。要するに韓国出身の歌手がわが国で幅を利かせていると言う事を言いたいようです。
当然、寒流嫌いのわたしがこの件に関して肯定的に述べるはずがありません。しかし、さりとても無分別にこき下ろす訳にも行かず、控えめな所を述べるだけにとどめます。まあ、控えめと言っても、寒流マンセーのマスゴミからすれば、こき下ろす側である事は否めません。
前にも述べたように、この種の代物の場合、取捨選択と言う概念はないのかと言う違和感があります。たとえば、「冬のソナタ」が面白ければ、ペ・ヨンジュンをひいきにするのもいいでしょう。また、人によっては「アイリス」が好きで、その結果、イ・ビョンヒョンをひいきにすると言う人もいるでしょう。要するに、逆を言えば、これらの俳優が主演の別のドラマで見ると言うのであれば話は別ですが、見もしないドラマの俳優までひいきにする必要はないでしょう。
自分の場合、時代劇に良く出てくるから古手川祐子はひいきに値しますが、そうでない藤原紀香はひいきに値しないのです。
話は戻りまして、寒流マンセーの発想は、却ってクローンでもあがめているのではないかと違和感が募ります。上記のように個々のドラマの中でも取捨選択の発想があっても良いでしょう。これまで日本でも見る事が出来たアメリカ芸能に関してはそうした事が当たり前に行われて来たのではなかったのではないでしょうか。
それでも、ドラマや映画の場合は、韓国で収録した物を日本に持ち込むだけで良いのですからまだましでしょうが、それに対して K-popなる代物の場合はいかがでしょうか。こちらの方は安易に日本公演が行われているので、それだけ余分に違和感がよぎってきます。
「韓国で大人気」と言う触れ込みでわが国にやってくるようですが、いくらとなり国だからと言っても、これは自国の需要を置き去りにしていると言う事になるのではないでしょうか。ましてや韓国で大人気ともなれば、かの国のファンの側に不満が生じるのではないではないでしょうか。
しかも、もっと奇怪なのはこれらの歌手が日本語で歌うと言う事です。いくら日本公演だからと言っても、日本語で歌う事は決して当たり前な事ではありますまい。外国の映画がよしんば日本語吹き替えで見れたとしても、歌だけはオリジナルのままと言うのが当たり前でして、アメリカ映画でも、ドイツ人のキャストにドイツ軍の役を英語で演じさせると言う事はあっても、ドイツ語の歌はそのままドイツ語でと言うのが普通でした。
必ずしも意味が通じなくとも、真に韓国歌謡曲を流布するのであれば韓国語のままで歌うと言うのが筋じゃないでしょうか。日本語で歌われた場合、彼らの名前を見れば、人によっては韓国人である事に気づかずに日本のグループじゃないかと思ってしまう人がいると思います。
だからこそ寒流と言う事を強調しなくてはならないのかと思うのですが、それでは個々の良し悪しを詮索する事が出来ずに、なにやら寒流と言う「ソース」を目いっぱいかけた食事を出されるような感じがしないでしょうか。
また、日本公演のために日本語で歌うと言うと言う事は、来日する彼ら自身が日本語を習う必要が生じてくる訳ですが、考えようによれば、それは国内需要と別仕様の日本向けの輸出品を作っているような物じゃないでしょうか。
しかも、この種の「輸出品」は「国内向け」と両立する事を前提に「製造」する事が出来ないのです。「国内向け」を削る事を前提に成り立っていると言えましょう。そう考えると、K-popなる物が韓国で大人気と言うのも怪しいと考えなくてはなりません。国内の需要が潤沢ならば、「輸出品」の「製造」なんかとてもできないはずです。
これだけ日本で寒流大旋風と言われている事を考えたならば、相対的に見て韓国では余り需要がないのではないかと判断すべきでしょう。国内の余り物を処分するために日本へ「輸出」したと言うのが寒流の実情と言っても差し支えありますまい。
先月も韓国ゴルフが強いとマスゴミが吹聴する事例がありましたが、あれとても、始めから外国で稼ぐと言う事が前提で成り立っているのです。これらの事は内需が弱く、経済発展のための貿易依存度が高い韓国の実情を反映する一例ではないでしょうか。

K-pop は余剰在庫の処分の如し!

クリックお願いします。<(_ _)>

クリックをよろしくお願いしますです。(人∀・)タノム

にほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村 歴史ブログへにほんブログ村 その他ブログへブログランキング・にほんブログ村へ 


テーマ : 韓国人歌手・ミュージシャン - ジャンル : 音楽

謹賀新年2011年

まずはあけましておめでとうございます。
この時期は休みが少ない一方、特別番組が頻発しており、まだまだ昨年分が未消化状態にあると言う、この時期のご定番状態にあります。今年の7月には地デジ化完全移行に伴い、そうなってくると旧来のビデオはせいぜい再生にしか利用できなくなり、新規の録画には地デジ対応のDVDレコーダーに頼らざるを得なくなり、昨年末に購入しました。ビデオの場合、2倍速再生と言う物があったのに対して、こちらの方では1.5倍速しかなく、その分「消化」に時間がかかると言う不利はあるものの、1台で2番組同時再生が可能であるばかりか、録画中でも再生が可能と、おおむね満足な状態にあります。
さて昨年は、年初より民主党政権が年末にまでいたると言う悪しき状態で1年が覆われ、そのせいか、在日外国人問題がますます顕著化していったと思われます。この辺に関しては当ブログにおいてもてきめんに反映されており、元来国内ごとは万事「社会」のカテゴリーで取り上げられていたのを、新たに「在日外国人諸問題」なるカテゴリーを新設して既存のエントリーの中から配置換えを行った所、実に半分近くが対象となり、しかもその内の半分程度が昨年の分で占めてしまったのです。

クリックお願いします。<(_ _)>

クリックをよろしくお願いしますです。(人∀・)タノム

にほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村 歴史ブログへにほんブログ村 その他ブログへブログランキング・にほんブログ村へ 

テーマ : (´Д`;) - ジャンル : 日記

| ホーム |


 BLOG TOP