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映画、ドラマ:戦争映画や時代劇が中心。アイドルやトレンディドラマの類は興味なし
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竹島はわれらが領地なり

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戦陣訓と降伏忌避の理(ことわり)⑱

戦争映画では、往々にして、捕虜になった者が氏名階級認識番号以外の事に関してはだんまりを決め込む場面があります。これは捕虜になった時の基本的な心得として知られている事です。
ジュネーブ条約においては、捕虜の義務に関して、上記3つの事柄の他に生年月日を申告する事を求めています。これはよくよく考えてみれば、単に義務と言うだけでなく、捕虜自身が自分の生存を本国に正しく伝えるための権利と言う側面もあったと言えましょう。
捕らえた側は、捕虜のデータを赤十字を通して敵対国に通知する義務を負っており、これにより、捕虜に対する家族などからの差し入れや手紙の送付が可能となります。
しかし、認識票さえ取り上げてしまえば、尋問などせずとも捕虜に関するデータを確保できる事を考えれば、生年月日も必要だったと思います。これがなくては、事によったら戦死者を捕虜にでっち上げて、差し入れを詐取すると言うせこい事が起こりうる事も考えなくてはなりません。戦死者の認識票を利用して、その兵士に成りすますなんてケースは良くありますからね。
捕虜にならずとも、兵士は自身の身元を正しく示さないと自国の軍隊から敵のスパイとして懲罰の対象となりうる物でして、捕虜になった場合においても、同様の事をしないと捕虜としての権利を認められずにスパイの扱いを受ける事があります。
かように、いったん捕虜になっても、それが発覚する事は容易ではないと言う事です。敵の側が受け付けずに始末する事があるかと思えば、勝利を誇大に指し示すために虚偽の捕虜人数を公表する事だってあるでしょう。
そう考えると、よしんば敵がジュネーブ条約にしたがって誰を捕らえているかと言う事を教えてくれたとしても、いい加減な手順を踏まれていたならば、その内容に信憑性がないでしょうし、上記の通り、戦死者を捕虜とする虚偽がある事も考えれば、確認作業が必要でしょう。まず、くだんの兵士が行方不明になっている事、所属していた部隊、その部隊の作戦行動など。そうした事を照合する事でようやく捕虜になっている事を確認していくのです。


長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^

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テーマ : 歴史 - ジャンル : 政治・経済

どっちつかずの態度をやめろ

皆さんおはようございます。まずは在日韓国人の投書からご覧ください。

「日本のためにがんばり、在日の新しい歴史を」と言うサッカーの李忠成選手に関する記事を読み、感動した。日本代表の彼は、在日コリアンである事にも胸を張っているのがすばらしいと感じたのだ。あのアジアカップ決勝戦は、日本サッカーにとって忘れられない試合になったと同時に、在日コリアンに夢と希望を与えてくれた。彼は在日4世だ。日本には、芸能人やスポーツ選手らで、自身が在日だと言う事を隠して活動している人たちが多いと聞く。有名になるのは「在日韓国人」の印象はもたれない方が良い、と言う考えからだろう。今でも日本には在日韓国人を快く思わない人が少なくないと思う。
そんな中、李選手は本名を隠さずに活躍している。これを快く思わない人がいるかも知れないが、本人はそうした理不尽な現象を受け入れながら、日本と在日同胞への強い思いを心に秘めていたのである。その思いが、あのすばらしいボレーシュートにつながったのではないか。
李選手は、我々在日コリアンに、夢と希望を与えてくれた。わたしもその1人として、なんか日本と在日同胞のためになる事をしたいと思う。在日である事をひとつのチャンスと考えて。(引用ここまで。2月11日分)

まず以って、李選手はわが国に帰化した以上はわが国の立場で動いて当然です。何でもこの人は最初韓国の側でサッカーをしたかったそうですが、袖にされたからやむなく日本で、と言うのが真相のようです。要するに韓国の側は、かような日本の臭いがぷんぷん付いて回る彼を忌避したと言う事です。
かくも日本における韓国人に対する寛大さに比べて、韓国では日本人ばかりか日本暮らしの長い同胞に対して相当閉鎖的であって、その結果、日本人になる気もなければ韓国で暮らす事をしようとしない人が非常に多いのです。
要するに韓国における日本に対する態度は、万事韓国側の意識改善にかかっていると言うべきであります。わが国を嫌う割には一向に在日同胞を受け入れる事を大々的に行おうとしない。考えようによれば、彼ら自身が在日同胞を厄介者と見なしているわけであって、そう考えればわれわれとても、いい気分がしないじゃないですか。あたかも、わが国が廃棄物処理場のごとく扱われているのです。
まあ、韓国側がわが国に対して少なからず敵対的な態度を取るのはまだ理解ができますが、在日連中がそんな国を祖国を見なしていると言うのはとても理解できません。自ら祖国と見なしている国が、自身の居住国を敵視していると言う事は、彼ら在日連中にとっても居住国たる日本は敵のような存在であって、そんな国にい続けると言うのは正気の沙汰ではないでしょう。
もっと理解できないのは、そうした祖国から疎外され続けている割には、必ずしもわが国に同心しないくせに、そんなよそ国にい続けて、いつまでたっても日本からよそ者の立場に甘んじている事です。
しかも、それは単なるよそ者ではなく、わが国を害する意志を持った国の国籍を維持している事なのです。そうした在日連中のためと言う意志が李選手にあるとしたら、それは韓国との縁を完全に遮断する事に他ならないのではないでしょうか。

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テーマ : 韓国について - ジャンル : 政治・経済

戦陣訓と降伏忌避の理(ことわり)⑰

人によっては、戦陣訓が、中国兵の残虐さに対する降伏忌避の心得書きであると解釈するようですが、なるほど通州事件の例を挙げれば中国兵相手に降伏すると言うのは考え物と納得が行くのですが、それと戦陣訓とは別物じゃないのかと思います。
まず以って、支那事変はわが軍が勝って当たり前の戦いでして、そうした戦いの元で捕虜が出るなんてめったにあり得ないのではないでしょうか。そもそも戦前にあらかじめ作成されていたのならばいざ知らず、支那事変は戦陣訓が製作された時点で既に3年半経過しており、そうした長期化した戦いにおける経験が反映してしかるべきでしょう。
そう考えれば、もし戦陣訓に降伏忌避の意図があったとしたら、それなりに捕虜が出ていたと解釈すべきなのですが、だいたい捕虜が出たとどのように判断するのでしょうか。既に書いたように、真珠湾攻撃では特殊潜航艇のクルーの1人が捕虜になった事がアメリカ側の報道によって判明していました。
真珠湾攻撃自体は発案者たる山本長官が軍令部に対してごり押しした結果、実行可能になったのですが、特殊潜航艇による攻撃に関しては、山本長官は元々反対だったのが、登場するクルーたちにごり押しされる形で実行されました。
特殊潜航艇は、普通の潜水艦と違って万事バッテリーで稼動する物で、それを考えれば、空気の供給を別とすれば浮上しているメリットなどなく、ほとんど潜航して敵地に向かいます。そう言う使われ方をしている以上、いったん攻撃を受けてやられたならば、まず生存は望みなしと考えて良いでしょう。
そう考えると、やはりアメリカ側の報道がなかったならば、5隻未帰還だった以上、特殊潜航艇のクルーはすべて戦死で、新聞報道も10軍神としてすべてのクルーの写真が載った事でしょう。
映画「戦争と人間」の完結編で、支那事変の中の一シーンとして、現実になかった「三光作戦」が行われていました。その中で、左巻きの兵士標(しめぎ)耕平が、「作戦」を実行しない事で、上官から半殺しの目に会い、その直後、八路軍が攻撃して来て、日本軍は撤退を余儀なくされました。
その時、自力で動けなくなった事で標は置き去りになってしまい、八路軍の捕虜になってしまいましたが、その事を知る者は視聴者のみで、作品中の登場人物は彼が死んだ物と思っていました。その時の状況からすれば、そうした解釈は別段驚く事ではないでしょう。

長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^

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テーマ : 歴史 - ジャンル : 政治・経済

中身より外見が必要とされる時

皆さんおはようございます。時代劇で悪役が多い俳優の1人として中尾彬が最近ではCMで見る事が出来ます。これに対して立川三貴や内田勝正など他に悪役で登場する俳優でCMで見かける事がありません。この辺の所は中尾彬はバラエティでも登場して、物まねのネタにされると言うことも関係しているのでしょうか。
ちなみに神奈月と言う物まね芸人のネタの1人に萩原流行がいます。萩原流行は時代劇で悪役として登場したのを見た事がありますが、悪役中心と言うわけでなく、また、CMで見かけた事があります。悪役中心の人はCM向きではないようですね。
さて、タイガーマスクは元々悪役レスラーだったわけで、少なくともそうした悪いイメージが付いて回る状態では、よしんばその本人である伊達直人が善人で、養護施設に対する寄付が公共福祉と言う前提の元で行われたとしても、やはり覆面は外して行うのが正論でしょう。
なるほど、寄付を行う伊達直人は子供たちにとってはヒーローだったかも知れませんが、タイガーマスクに悪役レスラーとしての悪いイメージが付いて回る状態の下では、子供たちはリングの上では別の者をヒーローとして求め、タイガーマスクは叩き潰される悪者でしかないと見なすでしょう。
そうした状態の下では、タイガーマスクのまま寄付を行っても嫌がられて受け付けてもらえないでしょう。悪いイメージを置いて来るためにも、タイガーマスクの覆面は外すべきなのです。
考え方を変えて、タイガーマスクを基準にしたならば、悪いイメージを隠蔽するために伊達直人の覆面を必要としたと言うべきでしょう。

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テーマ : 私の見解 - ジャンル : 政治・経済

軍服ファッションはご法度ですよ

中国人民解放軍の機関紙「解放軍報」によると、軍服をファッションとして好んで着る若者や作業着代わりに愛用する人が増えた事から、「軍服の厳粛なイメージを損ねる」として当局が取り締まりを強化する事になった。
同紙によると、南京市で同月中旬、軍服を普段着代わりに着ていた会社員の男性ら7人が摘発された。男性は「上尉」の階級章をつけた2007年式の迷彩服をまとい、新しい軍靴を履いてネットカフェで遊んでいる所を職務質問され、軍人でない事がばれた。
中国では、軍服の製造や着用にについて定めた管理条例が09年に施行され、映画撮影などの例外を除いて軍人以外の着用が禁止されたほか、デザインが似た衣服の製造、販売なども禁じられていた。
ただ、条例の規定を知らない市民も多い。安くて丈夫な事から作業服としても人気があり、闇で販売を続ける専門店も。南京市だけで昨年、約700人が摘発さて、軍服など2万点以上が没収されたと言う。軍人を装って金品をだまし取る詐欺や、歓楽街で女性従業員が軍服を着て接待する飲食店が問題になった事もある。
当局は、市民に軍服を着ないようメディアを通じて呼びかけると共に、専用電話やメールアドレスを設け、不法に着ている人の目撃情報を募る事にした。(引用ここまで。1月7日分)

まあ何ですな。いろいろ突っ込みどころが多いです。(^0^;)(^ ^;)(^_^;)(^◇^;)(;´∀`)・・・
軍人を装った詐欺。これは身分詐称よりも、ものほんの軍人ならば、金品を取っても良いと言うことですか。そちらの方が問題と言う気もするのですがねぇ。かの国ならば公然とそんな事をやっているのでしょう。戦後の台湾でも、蒋介石軍が現地の人間相手に、金を払わずに物を買うなんて事は日常茶飯だったようで、そう考えると、軍人自身のモラルの方も考慮した方がいいですね。
後、女性従業員の「接待」って、やはりかの国だけあって、黄色娘子軍ですかねぇ。こちらの方だけは、コスプレの種類の多いわが国でもありませんな。

とにかく中国は(゚д゚)ス(゚Д゚)ゴ(゚A゚)イ…ヽ(゚∀゚)ノ…ゾォォォォォ!!!!

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テーマ : 国際ニュース - ジャンル : ニュース

特別な存在にあらず!

こんばんわ。2度目の更新は久々に新聞からの引用と行きます。しかも、元旦の物ですので、かなり時期がずれてしまった感が否めません。ではどうぞ。

10年12月。ニューヨークの地下鉄でイスラム教指導者が襲われた。オバマ政権でイスラム教とのパイプ役だった顧問が辞任に追い込まれるなど米国では「嫌イスラム」が相次ぐ。「同時多発テロを機に多くの人がイスラム教の問題点を理解するようになり、米国の文化、社会と衝突する事に気づいた」と、シンクタンク「中東フォーラム」のダニエル・パイプ代表は話す。
酒を持った乗客を拒否したタクシー運転手、メッカ巡礼のために3週間の休暇を求めた教師、イスラム教徒がプールで泳げるように女性だけの時間を作った大学・・・・・。パイプ氏は、「イスラム教の教えを米国社会に押し付けようととする動きは、各地で拡大している」と主張する。慣用の重要性を指摘する一方、「イスラム教徒は、他の米国人と同じ権利と義務がある。でも特別な権利であってはならない」とも話した。(引用ここまで。1月1日分)

まず以って宗教上の自由と言うのは、あくまで自由であって、エゴではありません。いつぞやも、当ブログで、フランスにおいてウェットスーツみたいな皮膚の露出度が極限される水着を禁止した所、イスラム教に対する差別だとごねるイスラム教女性に関して取り上げました。
そこでは自分が主張する権利は万事に優先されるかのような振る舞いで、こんな有様では鼻つまみになるのは当然でしょう。権利にかこつけて、スペシャルオーダーを要求する。その種の物を最大限に欲するのであれば、生まれ国にとどまっていればいいのです。
連中のその種の欲求はアメリカでも日本でも必然性がないのです。別段イスラム教のために日本もアメリカも存在しているわけではないのです。メッカ旅行のための休暇にしても、勤務先の会社におけるよその従業員とのつりあいや自身の有給休暇の持分の範囲内で成り立つのでなくては、始めからそのような人間を雇いたい会社が存在するはずがないじゃないですか。
格別イスラム教徒は特別な存在にあらず。既存の社会の秩序を乱すのであれば厄介者として追放の対象となりうる可能性がある事を理解すべし。

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テーマ : 国際ニュース - ジャンル : ニュース

他人願望④

皆さんおはようございます。昨日に引き続き「他人願望」の4回目であります。
昨日は、タイガーマスク寄付に至る人の心理のパターンの1つとして、人間不信と言う視点から書きました。そこでは、別段、自分が注目を浴びる事を好まず、ただ負担でしかないとなれば、他人のそうした反応に対して否定的に捕らえる所からそうした発想が生じてくるのだと思います。もし、他人の反応が自分にとって得になったり、心地よい物であったならば、格別人間不信に至る事はなかったでしょう。
さて、そうした人間不信が一方では自己嫌悪に陥る物でもあります。何しろ、望みもしない事を「期待」と称して押し付けられるのですからね。そうしたいやな物を押し付ける他人に対する嫌悪感、そして、自分にとって好ましくない姿が自分の姿でもあると見なされるのですから、自己嫌悪にもなるでしょう。
しかし、そうした自己嫌悪がすべて上記のような要因から生じる物とは限りません。元々、他人の注目を浴びる事に関してそれほど否定的でなく、他人の期待なる物も肯定的に受け止められるような人にとっても、場合によっては自己嫌悪に至る場合もありえます。
そうした人は寄付を行う事で、周囲の期待を受けたならば、もっとそれに応じなくてはと張り切る事でしょう。しかし、度が過ぎるとどうなるでしょうか。周囲の期待が重荷になってしまうと思います。そして、周囲の期待に応じられない自分の能無し振りを責めるようになるのではないでしょうか。
仮に世間が寄付をした人をヒーロー扱いにした場合、ヒーロー扱いされた人は、そうしたヒーローとしてのイメージに外れないようにわが身を追い込んでしまう人が出てしまうと思います。
周囲の期待と自分の本質とのギャップが小さいうちはまだしも、それが大きくなってくると、そうした重みに押し潰されてしまいます。世間が思っているヒーローが、実の所はヒーローと言うに値しない取るに足らない存在だとばれてしまったならば、皆さんはどう思うでしょうか。
寄付をしてくれるある種のヒーローのイメージをぶち壊さないために、世間に散らばる数多くの凡人たちが、自身の良心の部分を抽出して結集した姿こそが今のタイガーマスクではないでしょうか。
そこでは、余計な所を見せないで、自分がなりたいだけ、できるだけ、誰もが安心して自身の身の丈に見合ったヒーローになれるのです。ヒーローでいるべきはせいぜい寄付を行う時だけで、それ以外の時までヒーローでなくてもいいじゃないですか。

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他人願望③

皆さんこんばんわ。今日は「他人願望」の3回目といたします。改めてタイガーマスク寄付にいたる人間心理と言う物を突き詰めていく訳ですが、そこには別段、謙虚ばかりがある訳ではありません。この辺の所は、先月も書いた事の繰り返しになってしまいますが、あえて書いていきます。
先月、別段、非難の対象となりえないのにもかかわらず、賞賛すらも嫌がる人もいるのではないかと書きました。大方、そうした人は周囲から賞賛を受けるような事態になっても、格別いい思いをした経験が少なかったのではないでしょうか。かく言う自分自身がそうした思いを抱いているのです。
それだけに、自分自身は注目を受く事が嫌いで、おしゃれなんかも無関心な訳です。要するにその種の事が負担としか見ていない訳でして、よしんばそうした事態に出くわそうならば、応分の見返りを「迷惑料」として要求したい物です。ただ、世間は、そうした事を理解せず、賞賛さえすれば、本人にとっても満足だろうと勝手に決めてかかるのです。
さて、人間と言う物は、往々にして、自身の負担にならないのであれば、他人に対してより大きな期待をしてしまう事がある物です。仮に見返りとしての負担をしなくてはならないのであれば、自身ができるだけの負担応分しか他人に期待しないでしょうが、それがないで済めば、そうした抑制が働かなくなってしまう事があります。
その結果、最初にあった賞賛は次第に減少していっても期待ばかりが膨らんできて、そのうちに露骨な要求が突きつけられるなんて事だってありえます。要するに、タイガーマスク寄付に見られる、寄付者が匿名に隠れてしまう現象は、そうしたずうずうしい態度に出てしまいかねない他人に対する人間不信や、そう言う風に都合よく他人に利用されてしまう存在になってしまった自分に対する自己嫌悪がその一因だと思います。
そう言う厄介ごとから逃れるためにも、自分自身は見えない存在であるべきで、代わって厄介ごとを引き受けてくれる他人として、タイガーマスクと言う架空のヒーローか、あるいは馬の骨を表面に出している訳です。

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由来もなく休みにならない祝日

本日は祝日に関して書いていきます。昨今、お上は祝日法改正を行って、祝日の分散化を目指すようです。これまでのハッピーマンデーと言うことも絡めて、こうした改正を通じて連休を創出したいようですが、いかがな物でしょうか。
そもそも自分の場合、第三次産業に属していて、必ずしもカレンダーの色で休みが決まると言う立場にありません。と言うか、第三次産業自体がたいていの場合、これに当てはまり、しかも先進国ほど第三次産業のウェイトが大きい傾向が高いと言う点も指摘すべきであります。
自分の職業で言うならば、元々通常書留の配達は通常郵便物と一緒に行われ、通常郵便物の配達を行わない日は同様に休みにしていたのですが、今では年中無休で行っています。これは対面配達であるために、休みの日ならば受取人としても在宅している可能性が高いからと言う合理的な発想からの物であります。
この結果、赤い日の勤務需要が高くなり、土日連休である事よりも、共に出勤である日の方がはるかに多い事が当たり前になってきました。日曜日の場合は、毎週あるので、普通は週休として勤務をしないですむ日として日曜日に主にあてがわれる所を、この日勤務の場合は、別の平日にあてがわれる事が容易で、別段、休日返上で出勤しているわけではありません。まあ、祝日の場合は、毎週あるわけではないので、それをやってはその週の全体での勤務が窮屈になってしまうので、さすがにこの場合は休日返上となります。
世間には、かようにカレンダーでの色に無関係に業務を行っている会社がごまんと存在しています。そう言う事をしてくれなければ、せっかく休みがあっても、「ドラえもん」にあった、ぐうたら感謝の日のごとく誰もが休んでは、何にもできない事になって面白くないじゃないですか。
そうなってくると、祝日の変更にそれほど意味があるとは思えません。単に休みの数を確保したいと言うのであれば、有給休暇の取得が容易になるような政策を行う事の方が好ましく、ましてや、祝日に至っては、それぞれの由来があって存在しているのですから、せめて、そうした由来を指し示す意味からでも、安易な変更は好ましくありません。しかるべき由来もなく、しかも、確実に休めるわけでもない祝日に何の意味があるのでしょうか。

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テーマ : 政治・経済・時事問題 - ジャンル : 政治・経済

戦陣訓と降伏忌避の理(ことわり)⑯

皆さんこんばんわ。夕方になって次第に雨足が強くなってまいりました。サムイヨー((((;゚Д゚)))ガクガクブルブル
さて本日2回目の更新は「戦陣訓と降伏忌避の理(ことわり)」です。
捕虜の取り扱いを示したジュネーブ条約は所詮国際法です。もし、国内戦争や、国際戦争の場合でも、捕虜が所属する国が完全に征服された場合はどうなるのでしょうか。
国内戦争となったならば、国内法が優先される事は間違いありますまい。中には交戦団体である事を主張すれば、国際法の適用が認められる事になっていますが、これとてもかなり怪しい物です。この場合も、国内法が優先されるのが普通でしょう。
その国の政府からすれば国際法違反の反政府ゲリラも国際法で認められた交戦団体も、国内法では等しく反逆者と見なされるのが当然でしょう。いずれにしても、元来自分らに従って当たり前の連中なのです。
かつて、日本が蒋介石政府に対して満州国の公式認知を求めた所、蒋介石は、自分の妻がこさえた間男との関係を公式に認知できるはずがないと言う論法で拒否したと言う話があります。交戦団体の認知もこんな次元で否定される物なのでしょう。
一方、国際戦争の場合でも、第二次世界大戦最初の戦いであるポーランド戦はドイツとソ連によっての山分けによって終結しました。この場合、捕虜となったポーランド兵にしてみれば、釈放されても帰国できる国などないのです。国家そのものが捕虜みたいな物ですから、よしんば釈放と言う事態があっても、余り意味がないのではないでしょうか。
ましてや、ソ連の映画では、ポーランド東部を征服したと言う事実自体が否定されていて、そこは始めからソ連領と言う前提で進行しています。そうなってくると、戦闘が生じて捕虜が出たと言う事も否定されなくてはならないでしょうから、そうした事につじつまを合わせるべく、始めから存在しなかった者として処分される事もありえるでしょう。あるいは、ソ連に対する反逆者と言う扱いで処刑。
案外、カチン村でのポーランド兵処刑もそんな論法で実行されたのかも知れません。

長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^

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主人公にあらざる主人公

皆さんおはようございます。昨日は川崎でも雪でして出勤者としては散々な一日でした。今日は休みですが、出勤する人は凍結で苦労するのでしょうな。では本題行きます。今日も例によってかタイガーマスク寄付にちなんだ記事でありますが、結果として、ある種のヒーロー列伝と化した感もなくはありません。ではどうぞ。

仮面ライダーは変身ヒーロー物の走りだそうですが、その最初の主人公として設定された本郷猛役は藤岡弘でした。今になってみれば、損な役回りと言う気がします。仮面ライダーでの出演が藤岡弘の知名度アップに貢献したようですが、それは大人の発想であって、子供の立場で考えればそうとは思えません。
自分にとって時代劇の最古参的な存在として「宮本武蔵」を上げるのですが、そのおかげで萬屋錦之介は古くから時代劇のスーパースターとして知っていました。それに比べれば、仮面ライダーはそれよりも見たのは古かったのですが(公開年では逆になりますが、自分の年齢では公開年に見る事は不可能でした)、仮面ライダーは覚えても、本郷猛が記憶に残る事はなく、ましてや藤岡弘にいたっては同様に記憶できるはずがありませんでした。
それでも藤岡弘が自身にとって注目の人となったとすれば、この後「関が原」や「五稜郭」などの時代劇ドラマで出演したからであって、それに比べれば、その後の仮面ライダーのシリーズの主人公に関してはいまだにそれほどいまさら蒸し返す気にはなりません。
宮本武蔵を演じるのに特別のスーツは必要なく、主人公役の俳優が素顔をさらして演じるのは当然ですが、仮面ライダーの場合はそうは行きませんね。しかも、初期は別としても、スーツを着て仮面ライダーを演じたのは藤岡弘ではなく、別の俳優でした。
だから、作品上では本郷猛が変身して仮面ライダーになると言う設定であっても、実質的には藤岡弘は本郷猛を演じていても、主人公役とは言えないでしょう。いかに素顔と名前が明らかになろうとも、本郷猛は実質的に仮面ライダーとは別の存在、しかも前座のような物でしかありません。
よって、そのように考えると藤岡弘は前座の役でしかなく、仮面ライダーほどには注目の対象とはなりえないのではないでしょうか。そして、それは当然のことながら、同様に実質的な主人公役も注目を浴びない事を意味します。何しろ、いかに仮面ライダーが注目を浴びようとも、演じる俳優はスーツに中に隠れて素顔をさらす事が出来ないからです。

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テーマ : 懐かしいテレビ番組 - ジャンル : テレビ・ラジオ

願望のミックス

皆さんこんばんわ。タイガーマスク寄付は昨今の国内での現象でありながら、かくも自身のブロクで短期間に沢山記事にする事が思い当たる物としてはまれな物となりました。今日もまたしかりであります。<(_ _)>

さて、昨日記事にしたパー子は星野すみれなるアイドルタレントである事を隠蔽する事を欲しました。これは「暴れん坊将軍」における徳田新之助のケースと同じ馬の骨願望の類と見て良いでしょう。いずれにしても、普段の注目される立場から逃れて、それほど注目されたくない立場に時折変身しているのです。
しかし、双方のケースを見ても、それは別段、注目される普段の立場からの逃避のためだけに徳田新之助やパー子と言う立場が用いられた訳ではありません。パー子にしても、結局、ヒーローとして注目を浴びる立場になってしまっているのです。
そうなってくると、これまでに定義した事も少々訂正しなくてはならないのではないかと思います。ヒーロー願望に関しては、人によってはおしゃれ願望、他人願望、あるいは馬の骨願望の元で行われると言う風に定義しましたが、これらの3つの願望自体も実際には、たいていの場合はごっちゃになった状態で個々人が抱くのではないかと思います。
パー子の場合は、星野すみれと言う普段の立場から離れるために、自身の正体は格別注目を浴びるでもない一般人であると言う前提のためだけに馬の骨願望を持っていたのであって、それ以外の面では、パー子として注目を浴びる分には問題はないと思っていたのではないでしょうか。
徳田新之助にしても、徳川吉宗として注目を浴びたくないと言う点だけでの馬の骨願望であって、それ以外ではやはり万事人の目を避けていたいと言う訳でもありません。人間不信になりかねない本来の立場に比べれば、徳田新之助として知り合いは万事信ずるに足るいい奴ばかりと言う風に思える訳で、一種の理想郷だったのです。

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テーマ : アニメ - ジャンル : アニメ・コミック

アイドルである必要がない時

本日は6日に引き続き「パーマン」を題材にいたします。
バードマンによってパーマンに任命されたのは3人と1匹で、外部に対してこそ正体をばらす事は禁じられていましたが、内々である分には容認されていました。しかし、パー子こと3号に限ってはそれすらも忌避して、自身の正体を隠蔽していました。パー子の正体に関しては視聴者は存知よりで、星野すみれなるアイドルタレントで、1号たるミツオがファンでありました。
もし、星野すみれが一般人であったならば、別段正体をばらす事に不都合などなかったでしょう。アイドルタレントである事が却ってすみれをして、自身の正体をばらす事をためらう要因となった事は間違いありますまい。
彼女のファンであるミツオにいたっては確実にパー子をすみれとして注目してしまうでしょう。そして、パーマンとしの役目に関して、「すみれちゃんにもしもの事があったら」と言う思いから、負担の大きな事はやらせないようになってしまうのではないでしょうか。
つまり、正体がばれる事ですみれは常時すみれでしかなくなり、パー子でいる事が出来なくなってしまうのです。すみれにしてみれば、それでは面白くないでしょう。せっかく、パーマンに任命された以上は、必要な時だけでもパー子に徹してすみれから離れていたいと思ったのではないでしょうか。パー子になれば、すみれとして出来ない事が出来る事だってあるのです。

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正体がばれる弊害

本日2回目の更新はタイガーマスク寄付にちなんで「パーマン」を題材にいたします。パーマンはよその星からやってきたバードマンから3人と1匹が選ばれて正義の執行人としての役目に就きます。
狭義のパーマンは須羽ミツ夫なる、大してできの良くない少年が扮する一号であります。本来は、そうした正体をばらす事は禁じられており、それを破ったならば、相応の制裁を受ける事になりますが、ここではもし、正体をばらしたならば周囲の反応はいかがな物かを推測していきましょう。
その前に、同じ原作者の作品にして、かつ、同じくテレビ朝日で放送されたことのあるアニメーション「ドラえもん」と「エスパー魔美」に関して少々述べていきます。
ドラえもんの方は、のびたの余りのできの悪さのために子々孫々にまでとばっちりが言ったと言う悲劇を食い止めるべく、未来から送り込まれたロボットでして、のびたと一緒に暮らします。既にその正体は明らかになってしまっているために、往々にしてのびたのどうしようもない欲求に付き合わされる日常であります。
一方、エスパー魔美の方は、タイトルが示すとおり、主人公は超能力の持ち主であり、かつ、そうした能力を有している事を周囲に知られた場合の弊害と言う物に気づいているために、真相は1人だけに明かしたに過ぎません。
何しろ、とりわけテレパシーなどは、口に出さずとも腹の内を読まれてしまう訳で、そんな人間がいる事自体うっとうしいと思うじゃないですか。かくして魔美は自身の能力を隠蔽したまま、超能力の善用に徹するのでした。
このように2人の別の主人公を引き合いに出した事は、パーマンにしても、正体をばらす事はバードマンの制裁がないにしても好ましい結果をもたらすとは到底思えないからです。
周囲からちやほやされる。あるいはのびたのごとき個人的な欲求に付き合わされる。ママからは、パーマンと言うヒーローにふさわしい学力を持つべしといっそう勉強に駆り立てると言った事が予想されます。
そして1番厄介なのは、ヒーローなのはミツオではなく、あくまでパーマンであって、そのパーマンになるにはパーマンセットさえ着用すれば良いと言う点にあります。このために、パーマンセットを奪おうとする者がミツオを狙う事は明らかであり、そうした襲撃に対処するためにも常にパーマンでいなくてはならないのではないでしょうか。
まあ、こうした危険に備える以外でも、結局の所、正体がばれてしまった時点でミツオは常にパーマンでしかありえなくなってしまうと思います。その事は、いかにできの良くないと言っても、本来のミツオである事を全く否定されてしまう事になるのです。常にパーマンと言うヒーローであらねばならないとしたら、ミツオとしてはいかがな物でしょうか。

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戦陣訓と降伏忌避の理(ことわり)⑮

皆さんおはようございます。今日は「戦陣訓と降伏忌避の理」第15回目となります。

ドイツ軍にあっては格別降伏忌避の発想があったわけではなく、そこには実利的な発想がうかがえます。役に立つ分には再利用する。捕虜帰還兵を何食わぬ顔で原隊復帰ないしは空いている部署に配置すると言う、英米に近い発想を持っていました。
映画「マッケンジー脱出作戦」は珍しく、ドイツ軍が捕虜の側で、脱走を企てる内容となっています。そこでは英米側の脱走を取り上げた「大脱走」のような相互扶助と言う物が欠如していて、何やら目的のためには味方をも殺すと言うすさまじい場面がありましたが、一方では、ひそかに作られた無線機で外部との交信やスパイの配置、そして脱走捕虜を収容するために潜水艦が迎えに来ると言う場面があり、ドイツ軍全体としては自軍の捕虜救出と言う物を考えていた事を示しています。
この事は映画上でのフィクションでしかないとは言え、ドイツ軍の発想自体は比較的ノーマルであった事はいなめないでしょう。かつて大日本絵画発行のビデオで「Die Deutsche Wochenschau」なる戦時中のニュース映画を編集した物の中に大戦末期、西側連合国との捕虜交換で帰還できた自軍捕虜を報道した物が映っていました。
さて、「マッケンジー脱出作戦」では潜水艦が迎えに来る場面がありましたが、潜水艦と言えば、司令長官たるデーニッツが後にヒトラー自殺後の国家主席に任命される旨、遺書にありましたが、くだんのデーニッツは前大戦において潜水艦艦長として作戦中に艦が故障して捕虜になった経験を持っていました。
戦後のヴェルサイユ条約でドイツ海軍はべらぼうなリストラを必要とし、しかも潜水艦べからずの有様であったのにもかかわらず、デーニッツ自身は予備役に退く事はありませんでした。もっとも、再軍備まで潜水艦関係の役職に就く事はなかったのですが、ドイツ海軍は言うに及ばずヒトラーですらも、こうした前歴には一切お構いなしだったのです。
ドイツ軍の感覚としては捕虜になる事はタブーではなく、ただ、自軍を害する事がタブーだったのです。終戦直後、許可なく軍から抜け出して帰宅しようとした水兵に対してデーニッツは処刑を命じました。
さて、映画「サハラ戦車隊」では、ドイツ軍の包囲をかいくぐって逃走を図るアメリカ戦車に搭乗する一団に捕まった二組のドイツ兵が登場します。1組目は戦車を襲撃して返り討ちになった戦闘機乗りで、もう1組は一団がとどまった涸れ井戸がある廃墟にやってきた偵察隊の2人です。
後者に対して、主人公が尋問を行い、それに応じて水を飲んだ兵士が、釈放後、もう1人の伍長に殺されました(「サハラ戦車隊」にはリメイク版があり、そちらの方では大隊長じきじきに処刑)。
前者の捕虜たるパイロットは、後々水を求めて占領しようとする友軍に対して、そうした行為の無駄を知らせるべく、一緒に捕虜になっていたイタリア兵が協力しないのに腹を立てて殺し、脱走して友軍の元へと奔るのですが、後から追っかけてきたスーダン兵に殺されてしまいました。

長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^

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オリジナルは公共福祉にあらず

皆さんこんばんわ。ただいまの所、奥が深くなってきた「タイガーマスク寄付」に関して、思い当たるところが多くなっています。今回は、そのオリジナルたる「タイガーマスク」自身に対して的を絞っていきましょう。
現実の世界においてタイガーマスクは孤児院へ寄付を行うある種のヒーローとして模倣された存在となっていますが、オリジナルの方は元来、悪役レスラーであって、別段、ヒーローでありえる存在ではありませんでした。
ただ、自身の育った場所である孤児院への寄付を行う事でそこで暮らす子供たちにとってはヒーローであった事は間違いありますまい。一般的には、この点が模倣されている訳なのですが、オリジナルの伊達直人にとっては、それは自分のふるさとを思うわたくしの心からであって、公共福祉ではなかったのです。
よって、彼にとってそこで暮らす子供たちは、弟や妹のような存在であって、彼らの前では覆面を外すのは当然であったと言えましょう。これに対して、現実の世界において彼を模倣している寄付は、赤の他人に対して行われる物でしかなく、公共福祉の役目を個人的に行っているのです。オリジナルの伊達直人と違って「覆面」を外さないのはある意味当然なのかもしれません。

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戦陣訓と降伏忌避の理(ことわり)⑭

皆さんおはようございます。今日は「戦陣訓と降伏忌避の理(ことわり)」をお送りします。今年はタイガーマスク寄付のせいでしょうか。こちらの方がおろそかになってしまった感があります。いずれもまだ完結には至りませんので気長に行きましょう。ではどうぞ。

第二次世界大戦の頃のドイツは周知の通り、ヒトラーが存在していて、負けいくさのたびに現地に踏みとどまれとか最後の一兵まで戦えとか、この辺の所はチャーチルよりは大真面目に主張していました。
ただ、こうした過程で往々に生じる捕虜に関してはスターリンに比べれば案外寛大だったように思われます。スターリンの場合、ドイツ軍に捕まった自軍兵士で、戦後帰還した者をシベリア送りにして、自身が死ぬまで懲罰の対象としました。
これに対してドイツ軍の場合、現実の世界においてもメルダースやハルトマンと言った著名な撃墜王でも捕虜経験者で、メルダースはフランスとの休戦の後の釈放。ハルトマンはソ連軍に捕まるも脱走し、いずれも戦闘機乗りとして復帰しています。
降下兵でも、クレタ島では最初苦戦して、イギリス軍に捕まった者が後に追いつめられたイギリス軍に釈放された折、負傷の程度が軽い者は極力病院行きを忌避して原隊復帰を望みました。
これらはいずれも空軍の所属でして、要するに空軍総司令官たるゲーリングもこうした事例に関してお構いなしに考えていたと言って良いでしょう。
さて、映画「地獄の河」では、登場するヘンケ大佐が冷酷であると言う評判を持っていました。どのように冷酷かと言いますと、パルチザンの側から、ドイツ軍が捕らえているユダヤ人と、パルチザンが捕らえているドイツ兵との交換を申し出た所、これを拒否して、ユダヤ人を処刑し、ドイツ兵に関しても殺さば殺せとばかりに、捕虜が抑留されているとある村落に対する攻撃を命じました。
パルチザンはドイツ兵を置き去りにして撤退したために、捕虜を殺したのはヘンケ大佐が命じた砲撃による物でした。
上官はパルチザンの撃滅に貢献しない、こうした攻撃に対してたいそうなお冠でしたが、別段、ヘンケにしても、捕虜になるような奴は死んじまえとまで考えていた訳ではありませんでした。せいぜい、勝利のためには犠牲はつき物、悪く思うな程度の感覚でして、パルチザンから捕虜交換の交渉の折に釈放されたクルト大尉に関してはお構いなしで、この後、新たな任務を与えて送り出したのでした。

長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^

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