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映画、ドラマ:戦争映画や時代劇が中心。アイドルやトレンディドラマの類は興味なし
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過剰期待されたヒーロー

皆さんおはようございます。今日の映画・アニメ・ドラマネタはちょっとマニヤックに行ってみましょう。ルパン三世第二作第76話の「シェースクピアを知っているかい」からどうぞ。
作品は、ボロディウス連邦で黒人解放の抵抗運動を指導している、オセロ博士の救助を行ってくれと言う要請がルパン三世にもたらされた所から始まっています。その要請を行なったのはオセロ博士の元にいる尼僧のアンジェリカでした。アンジェリカの要請は直接は次元に対して行なわれた物でしたが、ルパン三世とのセットとなるのは必然ですね。
さて、アンジェリカがかような要請を次元に対して行なったと言うのは、かつて彼女にとって次元は意中の相手だったからです。
ルパン三世は、そばに峰不二子がいても、他に器量よしの女を見るとすぐに見境なしに鼻下長してしまうし、峰不二子は銭金欲で動く事が日常茶飯である事を考えれば、次元とアンジェリカとの関係はかなりまじめな物でして、特にアンジェリカにとっては、それが永続すると本気で考えていたのでしたが、なぜかしらん長続きしませんでした。
別段、次元にとって彼女に飽きたとか、うっとうしい存在になっていったと言うわけでもなかったのです。それでいて、次元が彼女の元を離れていったのは、彼女の期待に比べて自分が沿いかねると言う思いがあったのではないでしょうか。既に「他人願望」で書いたように、自分に対する期待が過剰だと、却って自己嫌悪に陥る事があり得る。そんな思いから次元はアンジェリカから遠ざかっていったのかも知れません。

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テーマ : ルパン三世 - ジャンル : アニメ・コミック

都合の良い時だけノーサイドかよ③

皆さんこんにちは。本日2度目の更新は「都合の良い時だけノーサイドかよ」の3回目です。
朝鮮学校無償化に関して、つくづく北朝鮮も在日朝鮮人の大人も子供もくずだと言う事です。一般論的には、ある国が悪行をなせば、在外同胞にとばっちりが行く事はいにしえから良くあることですが、北朝鮮政府も在日朝鮮人もそうした自覚が感じられません。
北朝鮮政府の立場から言うならば、終始日本に対して敵対的な態度をしたいのであれば、とっとと在日同胞を引き上げてしかるべきであって、そういう事を一向にしようとしないのは、ある種の棄民であって、かの国の国内の惨状を見るまでもなく、かの国に愛民の精神が欠如している事は明らかであります。
良く、わが国では、大東亜戦争の惨状を引き合いに出して愛国精神に対して否定的な態度を取る人がいるようですが、北朝鮮こそそれに値しない国と言うべきではないでしょうか。要するにかの国を祖国と見なす教育など必要ないと言う事ですよ。まあ、国内にあっては義務と言う名の強制がある事は疑う余地がないのですが、国外にあってはそうした事からは逃れる事が出来るのではないでしょうか。
話は戻って、北朝鮮としてはまともな愛民精神があるのであれば、在日同胞対策として日本との友好を本気で考えるべきでしょう。いちいちわが国に対して厳しい態度を取っておきながら、その結果必然的に生じる在日同胞のとばっちりに対してばかり非難を食らわす筋合いはないでしょう。
せいぜい、「わが同胞がそちらでお世話になっています。どうかよろしくお願いします」と頭を下げるのが一般的な常識であるはずなのに、どうもかの国の下げる頭は常に後ろ方向でしかないようです。

長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^

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テーマ : 政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル : 政治・経済

国旗・国歌物語③

皆さんおはようございます。今日は「国旗・国歌物語」の3回目となります。
国旗・国歌の改正を図るべしと主張する人の論法には、往々にして独伊を引き合いに出すケースが多いのですが、両国とは第二次世界大戦において同盟国だったと言うだけで、万事が共通していたと言う訳ではありません。
ドイツは当時既に共和制だったし、イタリアは日独と違って枢軸国のまま終戦に至る事はなかったし、日本はいまだ君主制でしかも、特定の政党が台頭すると言う事はありませんでした。かようにそれぞれが他の2国と異質な条件を有している以上、国旗や国歌に関しても、それぞれ異なる定義がなされるべきではないでしょうか。
さて、前回はイラクのケースを取り上げました。共和制の元でフセインがバアス党を支配して独裁を行ないましたが、別段、党旗その物が国旗となっていた訳ではありません。国旗の変化からすれば、フセインも所詮はイラク人と言う立場から逃れる事は出来なかったと言う事がそこには現れているのではないでしょうか。
さて、話はイタリアに戻りまして、当時のイタリアの国王の姓、名前、イタリア語で国王を意味する言葉をどれだけの人が知っているでしょうか。こんな疑問を投げかけると言うのも、当時のイタリアが君主国だったからです。
これがドイツならば、遅くとも第一次世界大戦の頃には、皇帝を意味する「Kaiser」がアメリカ人にとっては広く知られた言葉となっており、チャップリンにいたっては、自作の映画の中で皇帝を蹴っ飛ばす場面を登場させました。要するに当時としては、最有力の敵対国の主席としてカイザー・ヴィルヘルム二世はヒトラー同様注目の存在だったのです。
ちなみにドイツ語だけが、一般人の姓として皇帝ばかりか国王(ケーニヒ)までも使用されているようです。英語の場合、国王(キング)はあっても、皇帝(エンペラー)と言う姓はなかったですね。

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テーマ : 歴史 - ジャンル : 政治・経済

寄付の手段の多様性

皆さんおはようございます。今日は震災に関して書きます。おかげで、元々書きたい事のストックをちょっとは引き伸ばせると言う不謹慎な事を思ってしまいました。
さて、災害支援のためにいろんな所で寄付が求められているこの頃ですが、自分のライフスタイルが大して現金に依存していないと言う事が反映された一例であります。普段の生活が大抵クレジットで成り立っているために、現金を大して持たずとも成り立っているのです。それゆえに現金での寄付と言う物をほとんどしていません。
その普段の生活を垣間見ると、普段行くスーパーマーケット2店はクレジットカードにて買い物ができます。
遠出に関しても、交通費以外の出費がほとんどないために、クレジットカードさえあればほとんど間に合います。自動二輪を使用した場合ならば、ガソリンスタンド、高速道路の料金所での使用がほとんどですね。
電車の場合も、昨年10月末にパスモ、スイカを入手した事によって、クレジットカードとの抱き合わせ前提のために、オートチャージが利用できる事で、一般乗車券の購入も実質的にはクレジットカードによる購入となります。
そんなわけで、自分の場合、寄付の主流となっているのは、クレジットカードでの決済と各種のポイントサイトでためたポイントの寄付となっています。

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都合の良い時だけノーサイドかよ②

本日の2度目の更新は「都合の良い時だけノーサイドかよ」の2回目です。
引用文は前回の通りです。そこでは身勝手な在日の親の虫の良い発言が取り上げられていますね。子を思う親の気持ちに国境はないとか、子供の人権とか、改めててめえ勝手な発言であります。他でも言える事ですが、結局の所、虫の良い事を主張したところで大人が割りを食らうと言う前提が全く考慮されていないのではないでしょうか。自身身勝手な欲求を追求するために子供をだしにしたのに過ぎないのですよ。
まず以ってどうして日本に居つくために朝鮮人であり続けなくてはいけないのでしょうか。単にそれは自分自身が日本人になりきれないからと言うだけに過ぎないのです。既存の立場の下でもいねさせられる気遣いがないものだから、公然と朝鮮人と言う立場に頑固として徹しているのです。
日本に鎮座する事が当たり前でありながら、そのような教育を子供に対して問答無用で課す事のどこが人権と言うのに値するのでしょうか。何の必然もないじゃないですか。これが、よその外国人で、日本人の肩書きを持たなければ即刻いねさせられると言う懸念から、しゃかりきになって自身ないしは子供に日本人の肩書きを付けたがると言うケースが存在する事を考えれば、なんともわが国を馬鹿にした態度ではないでしょうか。
まあ、馬鹿さ加減を呈しているのは何も大人に限った事ではなく、そうした教育を受けさせられる子供の側にも当てはまる事であります。日本に鎮座し続ける事を考えれば、そのような教育を受ける事に関して違和感があってしかるべきであって、違和感を持たないばかりか、中には無償化に便乗すべく、わが国政府に訴える馬鹿者もいるようで、なるほどこんな有様では子供に罪はないなどと言う世迷言は聞く耳持ちえませんな。
何しろ、北朝鮮の存在は別段わが国にとって得になる事はなく、むしろ有害である事は明らかであろうに、それを考えれば、北朝鮮の側からも歩み寄るべきでしょうが、在日朝鮮人連中にはどうもそうした事は思い当たらないようです。

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国旗・国歌物語②

みなさんおはようございます。今日はこちらは久々と言うべき雨天でございます。勤務もなく、勤務がなく、雨がしのげるだけましと言う状態であります。では、先週始まった「国旗・国歌物語」の2回目をお送りいたします。

引用文に関しては前回掲載した通りでして、改めて馬鹿丸出しな発想と言うべきであります。安易に戦前戦後で区分する事も、独伊を比較対照とする所なんかその代表なのですよ。意外と言うべきか、この場合、戦前戦後と言う区分は余り意味がないのです。また、独伊との比較にしても、所詮はよその国の事ですから、それぞれ異なる事情の下に変化があったと言うのに過ぎません。
よしんば同じ動機に基づいての変更であったとしても、元が違っていたのならば、変化の仕方も同一とはなりえません。
そもそも独伊を同列に論じるのであれば、ナチスとファシストは共に悪の代名詞のような扱いとされていると言うのが通り相場であるのですから、ナチスの鉤十字に拮抗する、ファシストの紋章とは何であるのかが分かっているのかと言うところを詮索して欲しい物ですがねぇ。たいていの人は知らないでしょう。この辺の所は、当ブログでも、かなり前に紹介した通りです(世界の識別マークのあれこれ②を参照の事)。
鉤十字に比べれば、ファシスト党の紋章であるファスケスは知名度が著しく低かった訳ですが、それと言うのは国旗にならなかったからに他なりません。この事は、独伊の2国間だけの比較においても、同列に論じる事は出来ないと言う事を示すのではないでしょうか。
ちなみに近年までイラクではフセイン独裁がなされていましたが、フセインが率いていたバアス党の旗をそのまま国旗としていた訳ではありませんでした。2008年制定された現国旗と別の国旗がフセイン時代に存在していた事は確かでしたが、メインとなる赤白黒の三色旗に変化があったわけではありませんでした。イタリアの国旗の変化と言うのもこの程度だったと言う事をまずは強調しておきます。

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テーマ : 歴史 - ジャンル : 政治・経済

不要不急な買い物は慎もう

ティッシュペーパーがなくなったので近くのドラッグストアへ15日、出かけて驚いた。開店から30分も経っていないのにレジに並ぶ顧客が広い店内を一周している。目的のティッシュは1人1箱の限定付きで購入できたが、パン、牛乳、即席めんなどの棚はから。その他の商品でも品切れしている物が多数あった。
通院している病院に出かけてまた驚く。近くのガソリンスタンドに車が入りきれず、道路に列をなし、そのために交通渋滞を引き起こしている。
多分、こんな現象はわたしの周りだけではあるまい。計画停電の余波だろう。ただ、ろうそく、懐中電灯、灯油、ガスボンベなど停電時に必要な買い物は理解できるが、それ以外の多くは急ぐ必要ははずだ。ガソリンにしても、福島原発から200キロ以上も離れた首都圏からどこへ避難しようと言うのか。群集心理が働き、パニック状態に陥っているとしか思えない。
こんなときこそ冷静に行動しよう。買い物は必要な物だけにとどめよう。原油の輸入がストップしたわけでもないのだから、生活用品はなくならないはずだ。被災したわけでもない首都圏での買いだめは、被災地への物資供給を妨げ、物価の高騰を引き起こす可能性だってあるのだ。(引用ここまで。3月20日分)

わたしの職業の元では、直接現場がなくならない限りは、停電だろうとガソリン切れだろうと、操業停止にはなりえません。遅れても良いから出勤を行い、電車が止まっていれば、自動二輪で出勤し、渋滞がひどいから、事によったら自転車での通勤も考慮しました(幸い火曜日以来以来、本数削減とは言え、稼動してくれたので必要ありませんでした)。
いったん出勤したならば、最も切実だったのはガソリン不足でした。私物の自動二輪はもっぱら道楽のための物でしかなく、ガソリン不足で並んでまで給油する必然性はありませんでした。いまだ夏ではないですから、その種の需要は高が知れていますし、タンク容量が大きいですから、すぐに給油する必要はありません。
それに引き換え、勤務で使用する自動二輪の場合、タンク容量が小さく、普通に勤務していれば、3日とは持ちません。さりとて自転車での配達は負担が大きく、よほど近距離で利用が少なくないと移動だけでも多大な時間を要するので、好ましい選択ではありません。
ちなみに年賀の折には、自転車を以って行う非常勤の採用が久しくご定番でしたが、最近では正社員中心の配達となっています。量が多いという事を考えれば、これが正論なのでしょう。
かようにわが勤務においては自動二輪は不可欠でして、ましてや小さいタンクを満たすためにはひんぱんな給油が必要となるのですが、案の定、指定のスタンドでも給油可能な時間帯は狭められ、しかも、列をなすという有様でした。
しかしまあ、投書人が主張するまでもなく、一般の人たちが乗用車を以って給油に押しかけると言うのはいかがな物でしょうか。乗用車ならばタンクの容量が大きく、普段からして給油までのインターバルが長くて済むはずなのです。こういう時期に押しかけずとも良いのではないのでしょうか。タンク容量の少ない我々の乗り物のように遠からず燃料切れに陥る可能性は少なく、不要不急の乗用車使用を忌避すればよいのです。

渋滞してまで、不要不急な買い物はしないようにしましょう。

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テーマ : 東北地方太平洋沖地震 - ジャンル : ニュース

わたくしがない悲劇のヒーロー

皆さんおはようございます。今日は久々に「映画・アニメ・ドラマ」のカテゴリーでお送りします。
「ロボコップ」はTV版がTVKでも放送されました。三作できた劇場版とは整合性がかけている訳ですが、それはさておき、主人公が、公務中に惨殺された警察官アレックス・マーフィの脳みそを移植されたロボットである事はご存知の人も多いでしょう。
この結果、ロボコップをわが社の持ち物と見なすオムニ社の幹部だけでなく、オムニ社が支配するデトロイト市の治安を担当する警察もロボコップがアレックスの成れの果てである事は存知よりとなるのですが、曲がりなりにもそんな事は公然と事としてはいけません。公式にはアレックスは殉職者であって、ロボコップとは別人物扱いと言う事でなくてはいけません。
さて、作品の冒頭において主人公役リチャード・エデン以下紹介される5人のキャストの1人(サラ・キャンベル)によって演じられるガジェットなる少女が分署の奥にある、ロボコップのメンテナンス場所に迷い込んで、ロボコップの素顔を拝んでしまう場面がありました。
しかし、それでもガジェットにとってのロボコップ感に格別な変化が生じる事はなかったし、ロボコップにしても同様に「シマッタ」と言う風に感じる事はありませんでした。何しろ、ガジェットとアレックスとの接点がなく、ガジェットにとってはどの道、ロボコップと言うヒーロー以外の認識は持ち得ないからです。
しかし、アレックスには妻子ばかりか両親もいた訳で、こちらの方では却って隠蔽に徹しなくてはなりません。警察の同僚にとっては彼は仕事を同じうするベストパートナー足りえるために、「マーフィ」と呼んで従前どうり足りえても、家族相手の場合はそうは行きません。多くの覆面ヒーローの場合は、いつでも可能な時に覆面を外すことで、普段の自分に戻れるのですが、ロボコップはそうした覆面ヒーローのように、普段のアレックスに戻る事は出来ないのです。
そのためにロボコップは、アレックスとしての意識を有しながらも、妻子や両親と面を合わせる場面があっても、アレックスとは別人物と言う前提で接しなくてはならなかったのです。

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テーマ : ★海外ドラマ★ - ジャンル : テレビ・ラジオ

長持ち時計の効能

皆さんこんばんわ。大地震のために計画停電が叫ばれながらも、なぜかしらん我が家では指定された時に停電すると言う事は全くありませんでした。停電は外出中だけで、それに気付かなかったという指摘もあると思いますが、そこは、我が家にある最も古い家電である、パネル式のデジタルクロックを見れば一目瞭然です。まあ、他の新しいデジタルクロックの場合でも、いったん停電してしまえば、回復した後はそこから0時と言う前提で時を刻んでいくでしょう。それとも、PCのように、自動的に正しい時刻を表示してくれるかも知れません。
しかし、それだと、いつ停電になったのか、あるいはどれだけ停電していたのかは分かりません。パネル式ならば、先週は停電中の帰宅だったために、停電時刻で停止している事を確認できました。もし、外出中に3時間停電していたならば、帰宅後には3時間遅れの時刻で稼動している事でしょう。
しかし、昨日は川崎駅前でしたたかに停電状態で、信号も停止状態でいたのにもかかわらず、自宅近辺では停電している事はなく、家に入ってみると、件の時計は遅れている事もなく、規定通りの時を刻んでいました。
さて、そのパネル式のデジタルクロックは電源さえ入れていれば、後はほったらかし状態で良く、あとはパネルの早送りで時刻調整を行う事と(この点では針の方が早く調整できますね)、目覚ましタイマーの調整だけが随意に動かす行為となっていますので、ビデオデッキやPCに比べて長持ちするわけです。

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テーマ : 東北地方太平洋沖地震 - ジャンル : ニュース

都合の良い時だけノーサイドかよ①

皆さんこんばんわ。早速ながら引用文をご覧ください。

わたしは息子2人を朝鮮学校に通わせているが、先日、参院議員会館での「要請」集会に参加した。わたしのようなオモニ(母)が国会議員の前で発言できる。その点で、少なくとも表面上は日本の戦後民主主義も前進したようだ。しかし4日の文部科学相の「不測の事態に備え・・・手続きを停止している」との回答には失望した。
国籍や教育内容を問わず、日本に居住する高校生すべてに適用されている無償化が、なぜ朝鮮学校にのみ適用されないまま、3年生は一生に一度の卒業式を迎えなければならないのか。これは明らかに差別であり、憲法違反、教育権への侵害であり、政治家による「子供いじめ」である。
新聞でも紹介された大阪朝鮮学校高級高校ラグビー部の権裕人くんが集会に駆けつけ「ラグビーにはノーサイドの精神があり、体をぶつけて戦った者同士がノーサイドのホイッスルが鳴った瞬間から友達になる。日本と朝鮮半島もそのような関係になって欲しい」と語った。架け橋となるべき彼ら生徒たちの心に傷を残すことなく、嬉し涙で卒業させてあげたい。子を思う親の気持ちに国境はないはずだ。(引用ここまで。2月17日分)
まず以って、この親の主張には書いている最中でも腹立たしく感じました。全く以って身勝手虫が良い。そんな風に感じました。そもそも子供朝鮮学校に通わせる事自体が人権と言うのに値するとは思えません。そうじゃないですか。わが国に比べればど貧乏で、おそらくそれが最大要因で日本からいねたがらないで、世襲でい続き続ける。そんな有様で、そんな国を「祖国と」称する教育を課す事が人権とは言えないでしょう。もし、それが人権と言うのに値するとするのならば、とっとと北朝鮮へ帰国すべきであり、少なくとも、かの国で暮らしてみたいと思うように仕向けるべきでしょう。
ですが、ある筋の連中からすれば、彼らの北朝鮮への帰国推奨は追放と言う、人権侵害と言う事らしいのですから、非常におかしいではないでしょうか。改めて、それならそれでかの国を祖国と称する教育には何の意味もないと考えるべきではないでしょうか。

さて、この件に関してはまだまだ書く事があるのですが、夜も遅くなった事ですし、次回に持ち越しといたします。「国旗・国歌物語」に比べれば大した事はないとは言え、こちらの方もちっとは長くなりそうです。

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テーマ : 難民、移民問題 - ジャンル : 政治・経済

国旗・国歌物語①

皆さんこんばんわ。歴史ネタとして「戦陣訓と降伏忌避の理」が半年かけてようやく終わりました。そこで早速、次としては「国旗・国歌物語」をお送りいたします。これまで左巻きの連中が日本の国旗・国歌にけちを付けるようになって久しいのですが、よくよく考えれば、わたし自身はそれに対する反駁的な意味合いを持った記述を行なっていませんでした。例によってと言うべきか、いったん始めてしまえば結構長くなるでしょうねぇ。まずは、それに関連して、日本の国旗・国歌に対する批判を行なった投書をご覧ください。

戦中派のわたしは日の丸に最敬礼を、君が代が聞こえたら遊んでいても直立不動の姿勢をとれと教育されて、太平洋戦争必勝を疑う事もしなかった。敗戦後、修身の教科書を焼き、国史の教科書に墨をぬらされて初めて、国民を思考停止に陥らせた教育の恐ろしさに身震いした。
そのわたしに戦前のままの国旗国歌の強制を合憲とする1月28日の東京高裁判決は納得できない。国旗国歌は尊重すべきだが、旧憲法下、戦争に突き進んだ軍国主義が称揚した国旗国歌を強制してよいものか。
ドイツは戦後、軍国主義の反省に立ち、ナチスが国旗としたハーケンクロイツ旗をワイマール共和国時代の旗に変え、国歌もナチスが国歌とした歌詞1番を廃し、統一・権利・自由を歌う3番を国歌にした。イタリアでも戦後、国旗国歌を改めた。
国旗国歌は、一国の精神の礎である憲法の基本理念をこそ反映すべきではないのか。世界の国々が日本を見る、国際的信義の指標でもある。
2006年の教育基本法改正で愛国心が教育の目標とされた。また、戦前戦中のように国旗国歌の遵守をてこに、教職員や児童・生徒が萎縮し思考停止に追いやられる事態が是認されるならば、この激動の時代、日本の経済・政治はいっそう地盤沈下するばかりであろう。(引用ここまで。2月4日分)

思考停止ってねぇ・・・。そのように思い至るのは所詮はまけいくさありきではないのですかな。早い話が勝者の押し付けでもあるのですよ。負けた過去の事を一概に間違っていたと主張するのは簡単です。なまじまけいくさに至らず、せいぜいイーブンで済んだ北朝鮮の場合はいかがな物でしょうか。
こちらの方がよほど始末が悪いのではないのでしょうか。かの国にとっては、かような「思考停止」な教育は「負けた過去」の事ではなく、いまだ継続中の事なのです。侵略をした国=悪い国、侵略された国=悪くない国と言う安直な発想ではいけません。まあ、北朝鮮は韓国を侵略したわけですがねぇ。そうした事の是非以前に、今の自国はすばらしい国と言えるのか。むしろよそのよりましな国に移りたいと言うのがそこの人間の多くの本音でしょう。
まあ、今回は引用も含めましたので、また次回と言うことで。

長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^

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他人願望⑥

皆さんこんにちは。本日2度目の更新は「他人願望」の6回目です。大地震に対する寄付が各所で呼びかけられているこのごろです。
タイガーマスク寄付に至る心理の1つとして考えられる物として、有名人だったり、元犯罪者ややくざ家業にいそしんでいる人など、何らかの形で周囲に強いイメージを持たれている人なんかも匿名で寄付をやりたがると思います。
この辺の所は、既にアイドルタレントが正体であるパー子や、タイガーマスクが元来悪役レスラーであったと言う事を書いた事でもなんとなく理解できると思います。
お金持ちならば、その寄付の額によっては、あの人は自分らよりも稼ぎがいいんだから。もっと寄付すればいいのにと言うけちが付いて回る事だってありえるでしょう。そうならないまでも、タレントなどでも世間に知られたイメージばかりが付いて回って、せっかく寄付を行っても、一個人の良心自体が無視されてしまうようでは寄付をした本人としても、余り気分の良い物ではないのではないでしょうか。
タレントなどで高い知名度を有しても、それは自身の職業上の必然性であって、そうした立場を離れた上での行動までそうした知名度が付いて回る必要はないでしょう。寄付を行なう動機は所詮は個人の良心に基づく物であって、タレントとしての地名度がさせる物ではありません。また、高い知名度を有していたからと言って必ずしもそれが所得に連動するとは限りません。低い所得であるのにもかかわらず、高い知名度応分の寄付を強いられたとしたらたまった物ではないでしょう。
また反対に元犯罪者ややくざ家業にいそしんでいる人たちの場合は悪いイメージが付いて回るケースが多いですから、良心に基づいて寄付を願い出る場合でも、悪いイメージのために、なにやらよからぬ魂胆でもあるのではないかと勘ぐられて、せっかくの寄付を拒否されるなんて事もあるかも知れません。

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戦陣訓と降伏忌避の理(ことわり)・あとがき

みなさんおはようございます。こちら関東地方では大地震の物的被害はほとんどなかったとは言え、計画停電や、電車本数の削減、ガソリン不足によるスタンドでの長蛇の列など、決して軽微な被害とは申せません。

さて、「戦陣訓と降伏忌避の理」ですが、本来ならば、前回の19回目にて完結としたかったのですが、なにやらまだ書き足りないと思う事があるので、今回あとがきと言う形で付け加えます。かくして「韓国抵抗運動馬鹿列伝に匹敵する大作となりました。

これのせいで死なずに済んだ兵士が大勢自殺に追い込まれたと非難の対象とされる「戦陣訓」ですが、そのように安易に決め付ける事は改めて愚かしい事です。今時の日本人の悪いくせで、当時の良くない事は何でも軍国主義のせいにしてしまう一例です。
それをいちいち軍国主義のせいと決めてかかれるのであれば、公式の決まりとして定めても良かったのではないでしょうか。捕虜になるのがけしからんのであれば、帰還後、処刑してしまえば良いわけで、仮に自殺させるのが好ましいのならば、帰宅させる必要はないでしょう。どうして、捕虜帰還兵の多くが、帰宅後、社会の目を気にした上で自殺をするという事例があったのでしょうか。
帰宅させると言う事は、軍隊にしても、べからざる事をやってしまった者が出たと言う事を世間に暴露する事であって、ある意味、好ましい事ではないでしょう。むしろ帰宅させないで闇に葬った方が良かったのではないでしょうか。
それだけに降伏忌避は公式の決まりと言うよりも社会の常識だったと考えた方が自然だと思うのです。
ここに至るまでに、「戦陣訓と降伏忌避の理」が長くなってしまったのは、捕虜に関していろいろ書き過ぎた事にもあります。そこでは、所詮はいくさの結果による物ですから、捕虜になる事は決して楽な事ではないと言う事です。単に死にたくないとか楽がしたいとかで捕虜になる者は決して多くないと思います。
いくさの相手が、経済水準や物の考え方で近似しているなんて事はそんなに多くないはずです。ましてや命のやり取りをしている以上、大なり小なり相手に対する憎悪と言う物が生じてくる事は避けられない訳で、そう言う状態で自身が捕虜になる事は少なからず危険な行為である事は予測できる事ではないでしょうか。
それを安易に、戦陣訓を非難している連中は、捕虜になる事で一概に命を長らえ、楽ができる物と決めてかかっているのではないのでしょうか。いくら国際法を論じた所で、現実には、敗者ばかりがやってもいない事まで糾弾され、逆に勝者の方は敗者の上を行く悪逆非道をなしても、公然とばっくれる事が出来るばかりか、あらゆるこじ付けを以って敗者に転嫁する事だってしているのです。
敗戦国と言う、究極の捕虜状態がいかなる物か、いまさら言うまでもない事でしょう。それだけに戦陣訓(誤解されている訳ですが)ならずとも、降伏忌避の発想は上からの押し付けでなくても決して消え去る事はないでしょう。この事は決して人命軽視の発想ではないのです。

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献金に見る在日朝鮮人問題後編

皆さんこんばんわ。本日2度目の更新です。3月10日分の記事の続きです。
前原氏に対して寄付を行った者は例によって言うべきか「差別」を口にしました。よくよく考えれば、寄付と言う、曲がりなりにも出費につながる行為を禁止されて「差別」を口にするという事は、当人にとっては寄付行為が単なる負担にあらざる行為だと言う事を自覚しているのに他なりません。
最近、高齢の在日朝鮮人たちが、自分たちが日本の年金制度からはじかれて、無年金状態にある事に関して「差別」とごねるようになりましたが、前にも書いたようにこれは若い頃に、保険料を払う立場の時には外国籍の立場に逃避してばっくれていたからそのようにごねるのです。今、彼らが日本の年金制度からはじかれていたとしたら、元々保険料を払っていなかったからに他ならず、もし、老いた今、年金が欲しいのならば、若い頃に保険料を徴収されないでいる事に関して「差別」を主張したでしょうか。
彼らが若い頃の時点では保険料は一方的な負担でしかないと言う思いがあったのに違いありません。もし、すぐに自身の利益に反映する物だと言う自覚があったのならば、自分たちからも保険料を徴収するべきだと言う発想に至ったでしょう。
要するに、昨今の寄付は彼らにとっては自身に利益にすぐ反映させる事のできる手段であって、それを行う事を権利だと見なしているのです。なればこそ、それを禁止された事を「差別」だと主張しているのです。
さて、この種の行為がすぐに判明しなかった原因として、「通名」と言う、日本人風な名前を彼らが名乗る事が出来る点にあります。彼らにしてみれば本名を名乗れば朝鮮人である事がばれて「差別」されるからだと言う主張がある訳ですが、よくよく考えれば正気の沙汰ではないですね。
何しろ、それは一概に朝鮮人である事が被差別の対象となっていると言う自覚があるからに他ならないのですよ。自ら、そのような自覚があるのであれば、とっとと同胞中心の祖国へ帰還すれば、同じ条件の中に埋没できる訳で、「差別」から逃れる事が出来るでしょう。
それとも、日本にい続けたいのであれば、朝鮮人の肩書きを捨てて法的にも日本人になりきるべきではないでしょうか。従前から「日本人と同じように暮らしてきた」と言うのであれば、そうした行為に抵抗感なく行えるはずなのに、どうしてそれを行わないのでしょうか。
結局の所、「差別」と言うのも彼ら自身の問題のような気がします。彼ら在日の態度は日本からも半島からもよそ者でありたいと言う、どこか虫の良い発想があるのだと思います。日本にあっては外国籍と言う立場に逃避する。半島の人間としては、かの地に寄り付かない事で逃避する。どっち付かずか、いずれの立場のいいとこどりを目指しているのでしょう。
こんな有様では、彼ら在日朝鮮人はどこへ行っても「差別」と言う冷遇から逃れる事はないのではないでしょうか。

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戦陣訓と降伏忌避の理(ことわり)⑲

皆さんこんにちは。先週は三陸沖を震源とする大地震で散々な事態となりましたね。わたしの居住地においても、その瞬間はど派手なゆれが勤務中にあったので、帰宅後、ペットボトルを利用したポトスの苗が転倒して床に土を撒き散らしているだろうと思いきや、逆の意味でおお驚きの状態で、あれだけ揺れたのにもかかわらず、およそ床に転倒した物がなかったと言う奇跡的な有様でした。その代わり、電車が止まったために、べらぼうな負担を要して徒歩で帰還した物です。

では本題行きましょう。「戦陣訓と降伏忌避の理」です。開始から半年経とうと言うのにいまだ完結に至っていません。どうも歴史ネタは長くなってしまう事を常々感じます。

支那事変において日本兵が降伏忌避に至るとしたら、それは後のベトナム戦争におけるアメリカ兵と同程度のメンタリティがなせる業ではないでしょうか。映画におけるベトナム兵はゲリラは言うに及ばず正規軍も捕虜虐待がご定番となっていますが、実際は必ずしもそうとはいえないでしょう。
何しろ、大東亜戦争当時の日本ですら国産の兵器で戦うのが当たり前であったのに対して、ベトナムは共産圏からの供給か、捕獲品に頼るほどのレベルで、要するに出向くアメリカ兵からすれば日本以上に貧乏で、いったん捕虜になったらなおの事待遇はよろしくないだろうと言う思いがあった事は間違いありません。
ベトナム兵が残虐であると言う思いも、そんな所から尾ひれが付いたと言う可能性も否定できません。いずれにしても、そう言う待遇のよろしくない所に降伏したがらないと考えるのは自然な発想だと思います。
さて、映画「脱走特急」では元々イタリア軍が管理していた捕虜がドイツ軍の手に渡った後で負傷者を処刑する場面がありました。他の映画でも、敵は負傷者を捕虜にしない(要するに捉えた時点で処刑する)と主人公の側が決め付ける場面を見受ける事があります。
これとても、敵を残虐だと見なしたいある種の願望から生じている場合もあり、実際は上記の通り、非裕福だからそう言う事が容易でないと言うだけなのかも知れません。
「ブラックジャック」に登場するドクター・キリコと言えば殺し屋ですが、殺し屋と言ってもゴルゴ13の場合とは違って、依頼人自身がターゲットとなっています。要するに、不治の病にかかって死にたいと言う人を殺すのが彼の仕事となっていますが、そうなる動機は軍医として野戦病院で医薬品欠乏状態に出くわしたからです。
そこには瀕死の重傷者が多数いたのにもかかわらず、まともな手当ての手段を欠いていたので、そう言う状態の元で負傷者に安楽を提供する手段として毒を盛る事でした。
ベトナム戦争に従軍したアメリカ兵で捕虜になった者は、普段に比べて悪い環境の元で暮らす事で、病気にかかり、手厚い医療を受ける事が困難な状態の元で少なからずの者が死亡したと推測されます。まあ、この事は大東亜戦争にも言える事です。
どうやら長かった「戦陣訓と降伏忌避の理」も完結にこぎつけそうです。降伏忌避は必ずしも上からだけの押し付けだけでなく、現場に出向く兵士が自主的に、上記に見られるような悪しき環境に落ちないように意識する物でもあると言う事なのです。
日本の場合でも、降伏忌避は公式な決まりと言うよりは、社会全体の常識だったと考えるべきではないでしょうか。公式な決まりでないからこそ、現実に捕虜になった者の処分自体が一律した物ではなく、かなりアバウトだったのです。

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献金に見る在日朝鮮人問題前編

皆さんこんにちは。今日は前原外相が献金に関してちょんぼがあった事に関して書いて行きます。
ちょんぼとは、前原氏に対する献金を行ったのが在日朝鮮人だった事にあります。このケースは他の政治家にもありそうな事なのですが、在日と言えば通名を使用する事で、外観上日本人を称する事が出来ます。その結果、その通名によって献金をすれば日本人からの献金だと勘違いする事だってありうるでしょう。
話は変わりまして、俳優のマクシミリアン・シェルは最近になってオーストリア出身である事が判明しました。演じる役を見れば、同じドイツ語の国と言うこともあって、連邦共和国の方だと勘違いしてもわれながら無理からぬ事だと思います。
要するに日本人の名前を名乗っても、外国人である可能性がないとは言い切れないでしょう。そうでなくても、通名ならぬ偽名だったらどうでしょうか。別段タイガーマスク寄付のような正体隠蔽状態での寄付ではなく、前原氏にとっては子供の頃からのよしみがあるとなれば、その正体は明らかでしょう。
政治献金は外国人からは禁止と法律で定められているわけで、そこには見返り抜きでの寄付などありえないだろう。必ず自身の利益に反映させる事を前提にする打算があるからであって、当然、無制限に行われて良い物ではありません。寄付を行う者はその素性を明らかにする事は当然でしょう。
それでいながら、寄付を受ける政治家の中には、名前が日本人だから気付かなかったと言い逃れをする者もいます。寄付を行う者にとっては何がしかの打算があるからこそ行うのであって、一方、寄付を受ける側とても、そうした人物を邪険にできるはずもなく、持ちつ持たれつの関係が出来ていく事は間違いありません。
そうなってくると、寄付を行う者の素性を明らかにする事は必然であって、それを確認しない事は寄付を受ける者としては怠慢のそしりを免れないのではないでしょうか。

さて、本来は、この場を以って在日朝鮮人が往々にして称する「差別」に関して書く事になっていたのですが、長くなりましたので、次回に持ち越しといたします。

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狂気の国家大姦民酷

皆さんおはようございます。今日は非常に久々となりました「嫌韓替え歌集」にいたします。
(*゚▽゚ノノ゙☆パチパチ
今日のタイトルは「狂気の国家大姦民酷」。元歌はLied der Panzergruppe Kleist でお送りいたします。

世界に彼らは大いに示した いかなる時も狂気なりーと
妄想はとどろき 秩序は乱れ いかなる常識覆す
よーその迷惑かーまわずに おもむくままに突き進む
ファビョーン ファビョーン つーねにファビョーン
ファビョーン ファビョーン どこでもファビョーン
ファビョーン ファビョーン ウリナラマンセー
狂気の精神で進むのだ
きょーきのこーか大姦民酷(繰り返し)

 
今回の替え歌はいかがでしたかな?(*´∀`)アハハン♪ 
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他人願望⑤

皆さんこんばんわ。今日は「他人願望」の5回目であります。
人間と言う物はいろいろなタイプの人がおりまして、一方では目立つのが嫌な人がいるかと思えば、逆に目立ちたがりの人もいます。では、そうした目立ちたがりの人だからと言って、必ずしも本名で寄付をしてくれるかと言うば、そうとは限らないのではないでしょうか。
と言うのも、有名人ならばしょうもないことでも目立つ事があるでしょうが、そうでもない一般人の場合、目立つからには行いや外見に頼るしかありません。その場合、当然のこととしていちいち本名を名乗って目立つ訳ではありません。
一般人にしてみれば、目立つ事をやっても、自分自身の知名度など高が知れているわけで、それを繰り返す事で、ようやく名乗って知名度を確保する価値が生じるのです。
要するに、いきなり自分の名前を名乗った所で、よほどの事をやらなくては、そう簡単に自分の名前が知れ渡る事がないわけで、もし、手っ取り早く衆目を得よう物ならば、有名人に成りすますのです。
まあ、実際にそれに当てはまる行為は、子供の遊びにある、○○ごっこでしょう。有名になっている行為。具体的に言えばいろんな職業の真似事をする。あるいは、テレビで流行のヒーローの真似をするなんて物もあります。
また、大人ならば芸人がタレントなどの物まね芸があります。これはタレントのような有名人の真似だから、迅速に衆目を得られるのです。自分の親や隣人の真似がうまくできても、世間が知らない人間では意味がないじゃないですか。
タイガーマスク寄付にもこれはあり得ることでして、本当に匿名を意図しているのであれば、全く名乗らないでもいいでしょう。そこを有名になっているタイガーマスクを称する所は、中には寄付と言う、自分の行為を大きく目立たせようとする、目立ちたがりの発想で行う人がいる可能性も否定できません。

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