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竹島はわれらが領地なり

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他人願望⑨

皆さんこんばんわ。前回のエントリー「他人願望⑧」にいたっても、まだ中身が抽象的になってしまって、一体何か言いたいかと言う事が充分に伝わってこないような気がしますので、要するにわたしは営業が嫌いと言う事です。
それがよしんば会社の大義に基づく物であろうとも嫌いな物は嫌いであってやりたくないと言うことなのです。いかに個人の成績を勘定し、良い成績を出した者には表彰なり、その他の良い待遇を与えようと言う前提があったとしても、そもそもそのような物を欲しがるくらいならば、始めから営業専らの仕事に就けば良いだけの事であって、会社の大義がどこにあろうともよそのセクションに営業を付回すなど、単なる営業のエゴでしかありません。
よしんば百歩譲って会社の大義優先で物を考えるのであれば、個人の成績を詮索して、表彰をしようと言う発想に何の意味があるのでしょうか。営業をやる事が本業にとって有利な環境をもたらすと言うのであればいざ知らず、一方的に割を食う結果となっては、ますます敬遠される行為になると思います。本業の足しにならない環境の元ではいくら表彰を意図したとしても、それは営業が会社の大義のためではなく、ただただ利己主義によってしか成り立たないと言う事を示す事にはならないでしょうか。
そもそも自分としては本業の足を引っ張るだけでしかないかような行為にはかかわりたくないのであって、仮にそれで良い成果を挙げて上司の覚えめでたい結果となっても、それが会社の利益と無関係な個人の利益に直結する事態をもたらすのでなくては、そうした上司らの反応にはかかわりたくないのであります。
仮に営業活動で良い成果をあげたとしても、所詮は、それは会社の大義に貢献するためだけであって、利己主義の追求ではないから、別段、無視されても構わないと思うのです。何しろ、営業にかかわる事自体が利己主義に反するのですからね。
さて、タイトルにもある「他人願望」と言う物がここで思い起こされます。この場において、なまじ特定の名前を有する立場であれば名指しで賞賛され、名指しで後々の期待をされます。いかに周囲に良い印象を与えたとしても、それは自身の望んだ姿ではないのですから、そんな姿が自分自身であっていいはずがありません。いっその事、赤の他人、あるいは馬の骨であってくれればと思います。

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他人願望⑧

皆さんおはようございます。ただいま日本に台風が迫っており、昨日以来、雨が続いております。さて本題としては、昨夜のエントリーが中途半端になってしまったと言う思いから、補足といたします。
昨夜の言い分としては、なまじ個人の成績にこだわったとしても、別段個人の利益にかなう訳でもないのだから、よしんば会社が良い待遇を口にしたとしても、却って従業員の立場としては敬遠してしまうと思います。そこでは個人の成績と言う発想は追及する価値のない、苦痛でしかないのです。
別段、やりたい事でもないことで良い成績を得ても、自身にとっては面白くもないし、周囲から名指しで賞賛されたとしたら、却ってその事に関して疎ましく思います。周囲は自分自身がそれを行う事に対して後ろ向きである事に対して理解せず、ただ、出来が良い事ばかりを理解して、後々もより多くの事が出来るのではないのかと期待するでしょう。
考えようによれば、それは賞賛と言う名前の鞭打ちでしかありません。自身としては、そんなやりたくない事にはかかわりたくないと言うのが本音でして、既に述べたように究極の利己主義は会社の利益からかけ離れた物なのです。
もちろん、日章旗、君が代に反対する教師たちのような発想でいて言い訳ではなく、会社の構成員としては会社の利益にも配慮しなくてはならない事は重々承知であります。しかし、いちいち個人の成績にこだわっては、野球で言えば送りバントのような行為もできなくなるとなれば、会社の利益にもならないのではないでしょうか。
いくら個人の成績と言う物を強調した所で、所詮は会社の利益から外れる事が出来ず、個人の利益が抑制されてしまうのであれば、個人の成績自体に却って魅力を欠いてしまう結果となり、個人の成績を追求しようと言う事自体が馬鹿馬鹿しくなってしまうのではないでしょうか。あるいは、会社の利益と言う大義をでっちあげて、やかましく個人のエゴを追求する事につながるのではないでしょうか。
そう言う事態を回避するためにも、むやみやたらと個人の成績にこだらわらさせる事にはわたしは反対します。

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他人願望⑦

皆さんこんばんわ。久々となりました。「他人願望」です。一応これで完結になると思います。
大阪の方では知事が公務員に対して、日章旗、君が代を国旗、国歌として尊重するよう義務付けるように推し進め、これに対して反対する連中、主に教師ですが、例によって信条の自由に抗う物だと反発しています。
どうでもいいけど、勤務の時くらい自我を抑えていたらどうですかねぇ。こうした教師たちはどんな時でも肩書きのない「個人」であろうとしている訳ですが、勤務中は教師と言う肩書きを有しているのですから、まずはその肩書き優先で行くべきではないでしょうか。
むしろ自分なんかは、勤務中の時はいっその事自我が完全になくなっていてくれていた方が気が楽ではないかと思います。なまじ自我があるからこそ、勤務に関して邪魔をするような気がするのです。
そうした物を邪魔する物は自我の存在に限ったことではなく、往々にして会社が課す、個人の成績と言う物にも当てはまります。会社の言い分からすれば、成績を良くすれば待遇を良くするということでしょうが、我々雇われ人の立場からすれば、会社が与える待遇の向上と、こちらが欲する物とは必ずしも一致しているとは限らないのです。
所詮は、会社の与える待遇の向上とは、従業員と言う肩書きを有した馬の骨の一つ一つに対して与える物であって、異なる名前を有した個々人がめいめいに欲している物とは限らないでしょう。
つまり、会社は往々にして、従業員に対してある種の利己主義をあおる訳ですが、究極の利己主義は会社の利益とはかけ離れたケースが多く、結局のところが、そうした意図は矛盾しているとしか思えません。
わたし自身の体験に基づくならば、会社が課す「個人の成績」とは往々にして本業から外れた行為に対して追求されている物であって、その成績に関していちいち個人の名前をさらす事で、ますます会社全体の利益から外れて行くように思えます。何しろ、それを達成しても、本業の足しになる訳でもなければ、それだけに個人の利益に貢献する事はあり得ません。
ここで言う、個人の成績とは営業活動に関する物なのですが、元来よそのセクションによってのみなされる行為に狩り出される訳でして、本業を全うしようとする物にとっては迷惑以外の何物でもありません。百歩譲って、それを行う事で会社の収入増大に貢献したとしても、本業から外れた行為である事には違いがなく、それを行う必然性はただただ会社全体の利益のために行うと言う点にかかっているのであって、個人の成績を追求する事に意味があるとは思えません。
何しろ、わたし自身はそれがやりたくて会社に属しているのではないのですから、こうした行為にかかわる段階で個人の利益と言う物が否定されているのです。要するに追求する価値のない事のために個人の成績が強調されているのです。
そうした結果、曲がりなりにも会社の利益が増大し、給与が増えると言う事態になる事もありえるでしょう。しかし、わたしはそれは個人の利益とは見なしません。何しろ、本来の業務から外れた行為にまで狩り出されたのですから、多少の給与の増大では割に合わないからです。
もし個人の利益と言う物に対して、会社がもっと配慮してくれるとしたら、そうした余計な負担に対しても充分な給与を出してくれるべきであって、単に売上増大分だけの増大でしかないのであれば、それはもはや独自の名前を有する個人の利益と言うに値する物ではなく、単に無名な従業員の1人1人と言う馬の骨に対する物でしかないでしょう。
要するに、逆説的に言って、その程度の物しか提供できないのであれば、個人の成績にこだわる事自体が却ってナンセンスであって、むしろ馬の骨と言う前提で営業を考えた方が良いと思います。なまじ個人の成績にこだわらさせ過ぎる事で、成績の足しにならない事はやりたがらないようになる結果に至ると思います。

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国旗・国歌物語⑫

これまでイラク、イタリア、ハンガリーの国旗の変化に関して取り上げてきました。そこで強調すべきは国旗が変化した事よりも、下地となっている三色旗が変化しない事ではないでしょうか。イタリアの場合でも、ドイツと同一線上で論じられる事が往々ですが、単に中央の紋章が抜き取られた事で、ドイツとは異なる変化を持っています。
その事は後に譲るとしても、イタリアにしても、ハンガリーにしても、王国時代には紋章があり、今では紋章のない三色旗が国旗となっている点に注目して、共和国になれば国旗の変化が成り立つなどと考える人がいるかも知れません。
ずいぶんとっぴな解釈です。一体どこの国で、国旗を変えたいために共和国にしたがるのでしょうか。まあ、わが国の場合は、国旗と共に国歌の変更を望む人がいます。そして国歌は「君が代」と言う、天皇礼賛の歌である以上はそれを否定するためにはなおの事日本が共和国になるべしと考えても不自然ではありますまい。
しかし、君主国が共和国になったからと言って、国旗の変更が必然と言う訳ではありません。
ちなみにロシアの場合、ロシア帝国からソビエト連邦。ソビエト連邦からロシア連邦と言う変化の過程で国旗の変更が行われましたが、現国旗である白・青・赤の三色旗(紋章なし)はロシア帝国でも用いられていた物でありました。
ロシア革命は二本立てでありまして、2月革命ではロマノフ朝が廃止になり、10月革命で共産主義政権が成立しました。その点を考えると、ロシア革命が2月革命だけにとどまっていたならば、国旗の変化がないままに今の共和制にいたっていたかも知れません。

長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^

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子供の利益は親の利益の範疇

オバマ氏は08年の大統領選で、一定条件の元で不法移民の合法化に道を開く一方、国境警備隊を強化して新たな不法移民の流入を防ぐ包括的移民制度改革を公約にした。しかし、共和党には法を犯した移民を免責する事に反発が強く、政権発足後、目だった成果を上げられていない。オバマ政権側は昨年12月、幼少時に親に連れられて入国した人など、本人に責任を問えない不法滞在者を対象に、要件を満たした上で永住権を与える移民改革法案の成立を目指したが、共和党の強い反対で頓挫した。(引用ここまで。5月12日分)

まず以って、わたしは「子供に罪はない」と言う言葉が嫌いです。ここで取り上げられた子供もその点を強調してお目こぼしをと言う発想なのでしょうが、そもそも子供に罪はないと言う事は、独自の決定権を否定された前提の元に成り立っているわけでして、子供本人からすれば、親の意志が得になるかどうかも分かった物ではないのです。にもかかわらず、この種の事では親の意志は必ず子供にとっても得になる事だと言う前提で話が進んでいます。親のエゴの巻き添えを食った被害者であると言う可能性に関して全く無視されています。
だいたいからして、子供の独自の意志決定が否定されている状態で、子供の利害認識を詮索する事自体がナンセンスではないでしょうか。たとえば、食事を作る母親にしてみれば、それを自ら食べ、子供に食べさせる時、自らがうまいと思い、かつ子供にとってもうまいと思ってくれると言う前提で食事に臨むのではないでしょうか。
詰まる所が、自分にとって得になると言う前提の不法入国を子連れで行う以上、子供にとっても得になると言う思い込みがあるのです。要するに、子供の行動を親が決定する以上、子供の利害は子供独自の物となる事は出来ず、親の利害の範疇に属する物だと解釈すべきであります。
よしんばそれが子供にとって不満足だろうとも、親の意志の下に事が運んだ以上は親の利益は子供の利益でもあると言う前提が成り立つのが真理であります。
よって、わたしとしては、「子供に罪はない」で子供のみを切り離して滞在させると言う政策に対しては反対を唱えます。子供の滞在が親の意志に基づく以上は、よしんばそれが子供にとって得になっていたとしても、それは親が獲得した不当利益であって、没収の対象なのです。
たとえば、万引きした時、子供が口にする分は弁償の対象にならない訳ではありますまい。盗んだ時点でアウトでしょう。子供をとどめる事は、さながら親が自分が口にした分以外は賠償の対象とは見なさない、他人事の発想であります。
さて、過去に行われた京都での朝鮮学校に対する抗議しかり、埼玉県におけるノリコ・カルデロンに対する抗議しかり、「罪のない子供をいじめるな」と主張するやからがおりますが、わたしの論法からすれば、それらは万事大人のエゴから生じた不当利益であるのですから、表面上子供に対して行われているように見られる非難は、実の所は大人に対して行っているのと同じと見なしています。
何しろ、既に親の利益は子供の利益、親の損失は子供の損失と見なしたわけですからね。もし、親がこうした子供を保護する意図があるのであれば、子供に対する非難は自分に対する非難として受け止めて、子供に対する防波堤となるべきなのですが、「子供に罪はない」と主張するやからは、都合が悪くなれば他人事のごとく振舞う卑怯者でしかありません。

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テーマ : 海外ニュース - ジャンル : ニュース

洗脳教育?

皆さんおはようございます。
どうせ見ないドラマにしては3度もエントリーすると言うのは珍しいのですが、「ハガネの女」に関して書きます。
前回はこのドラマの初期設定からして不可解でして、人権派連中が強引に子供を日本に押しとどめたのではないかと解釈するのでなくては、とてもありえない事だと思いました。そこで、今回は勝手な推測に基づいて進めていきます。
自分としては、とある外国人で、自身の不法滞在がばれた時、強制退去の折に、連れてきた子供を一緒に退去させるのが当然だと思います。これは子供に罪があるとかないとかの次元ではなく、親の立場として、そのようにするのが自然であると言う発想からの物に過ぎません。
それゆえに人権派連中の強引な手段によってのみ、子供の残留が成り立つと考えられるわけです。しかし、このドラマでは、子供(タオ)が、よしんば最初の時だけでも日本に対する嫌悪感をあらわにした訳でして、親と一緒に退去させても別段問題はなかったと思います。
要するに、人権派連中は嫌がる子供をお構いなしに日本にとどめておいた事になるわけですが、それと言うのも、子供に嬉々として日本からいねられては自身の主義主張を貫くのに不都合だからです。
連中の主張するところでは、人権とは常に日本にとどまる事によってのみ存在するのであって、子供の意志がどうであれ、日本からの退去は人権と見なしていないのです。退去を一概に人道に反する行為と主張するためには、子供に嬉々としていられては説得力がなくなるわけでして、そのためには子供を日本に閉じ込め、さながらシベリア抑留の時の洗脳教育のような物があったと考えられます。
具体的には子供にとって日本がとどまるに値する良い国だと言う風に強制するのです。そのように持って行けば、いざ退去の時に、散々嫌がってくれるから、人権派連中にとって好ましい状態になるじゃないですか。

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テーマ : テレビドラマ - ジャンル : テレビ・ラジオ

国旗・国歌物語⑪

皆さんおはようございます。今回で「国旗・国歌物語」は11回目となります。
左巻きの感覚からすれば、自身の主義主張を貫くためには自国ばかりか外国の歴史までも歪曲する事をいとわないようで、よしんば枢軸国だからといっても、その中はいろいろでして、一概にひとくくりできる物ではありません。日独伊ですら、それぞれ異なる点があったのですから、それ以外の国にいたってはなおの事です。
ハンガリーが失地回復を欲した矛先の国のひとつとして、ルーマニアがあります。前大戦においてドイツ同盟国だったハンガリーは早くからドイツとのよしみを持っていたのに対して、ルーマニア自身は協商国側だったため、大戦初期、四面楚歌状態だったポーランドの唯一の友好国として、亡命政府や敗残軍の逃亡ルートとして受け入れられていました。
さて、翌年、ドイツはバルカン諸国の枢軸陣営引き込みの一端としてウィーン裁定を行い、ハンガリーとブルガリアに対してルーマニアが領地の割譲を行うように求めました。要するにルーマニアとしては割を食う結果となる事となりましたが、一方ではソ連からもたかられていた事もあって、ドイツの援助は欠かせないために、かの国の憎しみはハンガリーに対して重点的に向けられる事となりました。
その結果、両国とも対ソ戦争に軍隊を派遣する事になりましたが、うっかり両軍が隣り合わせになろう物ならば、その場でいくさと言う事態になったために、両軍を指揮下に置く事となったドイツ南方軍集団は両軍が隣り合わせならないように部隊配置をするように配慮しなくてはなりませんでした。
それから3年経ち、戦局利あらず状態になり、ハンガリーは連合国との休戦を模索する事となりましたが、ドイツは当地のファシスト「矢十字党」を後押しして、クーデターが起こります。この結果、久しく摂政の座にあったホルティは失脚し、矢十字党党首のサーラシがその後釜について、ホルティが意図していた休戦を撤回してしまいます。
この後、ハンガリーはイタリアのように王国の元で降伏する機会を失い、ソ連軍に全土を取られ、それに追随していた共産主義政権に取って代わられました。
では、この過程でハンガリーの国旗がどのように変化して行ったかを見てみましょう。前大戦終戦直後の短期間を別として、王室はなくなってしまったとは言え、制度上ではハンガリーは王国である以上、王国としての国旗を維持しても差し支えありますまい。
それが戦後となりますと、旧来の紋章に差し替えて共産主義国家としての新たな紋章を国旗に付け、冷戦終結後に西側張りな共和国になるに従って、そうした紋章もなくなって今では、「のっぺらぼう」な緑・白・赤の三色旗となっています。

長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^

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テーマ : 歴史 - ジャンル : 政治・経済

苛政猛虎ならぬ苛政原発か?

皆さんおはようございます。昨日の午後から派手に雨が降っています。まずは引用文をお読みください。

2年前の来日以来、我が家で何かと助けて来た中国からの女子留学生がこの春、日本の外食チェーンへの就職が決まった。彼女は名古屋の大学で大震災を迎えたのである。
日本にいた外国人の中には帰国した人も少なくないと言う。彼女もおそらく帰ると思って、「まだ名古屋にいますか?」とメールを入れた。彼女はすぐ返信をくれた。「中国の親は帰国を促しますが、わたしは帰りません。もうしばらく日本でがんばる。日本が好きだから」
この3週間、胸の張り裂ける思いで災害地の光景を見ていたわたしは、彼女の一言で勇気と心の温かさをもらった。
「配属先が決まりました。災害にあった千葉県です。先生も東京へおいでの節はお寄りください」。彼女がそう知らせてきた。我が家で東京へ行こう。彼女の笑顔を見て、そしてそのさらに北の地で手助けするために。(引用ここまで。4月7日)

立場を逆にして、わが国から海外への留学生があって、そうした留学生の一体どれだけの人が現地で就職までするのでしょうか。それに比べれば、その反対たる、海外からの留学生が卒業後もそのまま日本で就職すると言うケースは余りに多すぎるのではないでしょうか。
今回の投書は、あたかも、この留学生は他の多くの外国人に比べて臆病ではない。とでも言いたいようですが、どうも投書人は留学生が元の国で就職しない事に関してなんとも感じていないとしか言いようがありません。この事は何も投書人に限ったことではなく、わが国ではそのように感じている人が多いと言う事を示しているのではないかと思います。
裏を返せば、元の国ではまともな就職先がないのではないかと勘ぐるべきであって、だからと言って安易にわが国での就職されてしまえば、わが国で割を食う者が続出してしまうのです。ましてや、今回の大震災で失業した人がいると言う現状からすれば、なおの事、自国民の就職優先で考えてもらいたい物ですね。

中国に苛政猛虎と言うことわざがあります。ひょっとしたら、中には原発を猛虎程度に考えている人もいるのではないでしょうか。

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国旗・国歌物語⑩

皆さんおはようございます。
当ブログにおける歴史カテゴリーにおいて「ファシズムの定義」はかなり前に構想があったのですが、実際に書いたのがおととしから昨年にかけての10回分。それも日本の分だけで、本来はヨーロッパの分も取り上げたかったのですが、他にもいろいろ歴史カテゴリーで思いついた物が優先されてしまって、このままだと永久に書く事はないでしょう。せっかく、「国旗・国家物語」によってヨーロッパのいくつかの歴史を取り上げる機会にめぐり合ったので、この場を以って加えていこうと思います。
さて、前回は東ヨーロッパの君主国に関して、とりわけギリシャについて書きへました。それらに付いて言える事は君主国から共和国へと変化する過程は必ずしもファシズムがどうした、第二次世界大戦でどちら側だったと言う事は意味がないと言う事です。それなりの条件が整えば、どちらにしても共和国になって、場合によっては国旗の変化も生じると言う事です。
さて、今回的を絞るはハンガリーです。素人的には第一次世界大戦後にオーストリアから独立したと言う風に解釈されそうですが、当時としてはハプスブルク帝国の片割れたるハンガリー王国としては存在していました。オーストリア帝国とハンガリー王国双方の君主としてハプスブルク家の主が君臨する事で国外的には1つの国家として成り立つ二重国家でした。
こうした事情から、第一次世界大戦後、独自の国家を持つに当たって、最初は共和制が敷かれ、一時は共産主義国ともなりましたが、国内ばかりか周辺諸国に反発を買って、ルーマニア軍がブダペストまで進撃し、共産主義体制は崩壊しました。共産主義国が外国軍の侵攻で倒れると言う珍しい出来事が生じたわけです。
一方、国内ではホルティ提督率いる国民軍が台頭し、王政復古がなりました。もっとも、ハプスブルク家の復活は国内でも周辺諸国でも歓迎されなかったために、国王の代わりにホルティが摂政に就任する事で両立がなりました。
この後、ハンガリーはドイツ同盟国の一国となり、枢軸国としてソ連と戦います。その過程でハンガリーにもファシズムな政党が登場しますが、ホルティ自身は必ずしもファシズムと言うには値しないのではないでしょうか。そもそも彼の摂政就任はイタリアのローマ進軍に先行しているし、敗北によって失った領地の復活と言う発想は別段ファシズムに限らず、いろんな国でも普遍的なナショナリズムとして発生する事ですからね。

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国旗・国歌物語⑨

皆さんおはようございます。今日でゴールデンウィークは最後ですね。人によってはせいぜい明日が落とし穴状態で、再び土日の休みでまだゴールデンウィーク感覚でいられる人もいるでしょう。
では本題「国旗・国歌物語」の9回目をどうぞ。

日章旗と君が代を国旗・国歌の立場から外そうと考えている人の感覚で言うならば、侵略する国=悪い国。侵略される国=別段悪くない国と言う感覚でしょうが、そんな感覚で見ていくと、歴史を見誤る事になります。
前回は第二次世界大戦において廃止になった王室は必ずしも枢軸国の物ばかりに限った事ではないと締めくくったわけですが、違和感を持たれる人もいるでしょう。なるほど、西ヨーロッパで当時君主国であった国はいまだ君主国であります。北からノルウェー、デンマーク、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク。これらドイツ軍の侵攻を受けた国すべて、いまだ君主国であります。
しかし、視点を転じて東ヨーロッパを見ていくと、当時君主国であった、ルーマニア、ブルガリア、ハンガリー、ユーゴスラヴィア、ギリシャとすべて共和国となっています。
この中でギリシャの場合は、他の国と違って戦後直後に共和制へ移行したわけではなく、しばらくは君主国でいたのですが、その中身はイタリア軍の侵攻を受けたから連合国になったからと言っても必ずしも善良な国だと片付けてしまえる内容ではありません。
フランスにおいてすら、反独レジスタンスにおいて共産党が無視し得ない貢献をしており、もしフランスがドイツの東にあったならば、フランスが戦後共産主義国になった可能性もなくはありませんでした。
ギリシャにおいても反独レジスタンスは旧来の君主制を支持する王党派と共産主義者の2派が存在しており、大戦末期になってドイツ軍が撤退した後で両派の間での内戦が起こりました。こちらの方でも後者が勝利すればギリシャにおいても共産主義体制が成立する事になったでしょうが、地中海に面していたと言う地理的条件から、イギリスがよそのバルカン諸国においてはソ連優位を認めても、少なくともこの国だけはイギリス優位の発言力をスターリンに要求した事もあってか、内戦は王党派優位に終わり、ギリシャの共産化は避けられる事となりました。
ここで取り上げる分に関しては、国旗・国歌の話に関してはずれてしまうわけですが、イタリアで述べた通り、体制の変化は第二次世界大戦における自国の立場や勝ち負け、ファシズムであるかどうかとは無関係にありうると言う事を示す一例として取り上げるに値する事だと思います。

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ああ、大馬姦酷

皆さんこんにちは。今日は久々に嫌韓替え歌集でお送りします。タイトルは「ああ、大馬姦酷」で、元歌は、ドイツ原産の物としては知名度が高いLili Marleenでお送りします。まあ、世間様(要するに日本では)余り当たり前に知られた事ではないですかな。昨今は実際はそれほどでもないのに、マスゴミが空回りな寒流マンセー報道をやるようになっておりますが、それはそれとしてわが道を行くで行きます。
それでははじまりはじまりー。( ゚∀゚ノノ"☆パチパチパチパチ

1番
世界に冠たるかの国はー 年がら年中狂ってる
ウーリーナーラーマーンセー つーねーに大叫びー
あーあー大馬姦酷ー あーあー大馬姦酷ー

2番
世界に冠たるかの国はー よーそを圧する付け火振り
こーくーぎかー道楽かー こーくどはー大火災ー
あーあー大馬姦酷ー あーあー大馬姦酷ー

3番
世界に冠たるかの国はー 辛抱できざるエゴイスト
あーらーゆるー身勝手をー 世界にー撒き散らしー
あーあー大馬姦酷ー あーあー大馬姦酷ー

4番
世界に冠たるかの国はー 世界に冠たる強姦国
年寄りー幼児ー 近しーんごうかーん
あーあー大馬姦酷ー あーあー大馬姦酷ー

5番
世界に冠たるかの国はー 世界に冠たる不潔ぶり
キームーチとふんにょーう 悪臭ぷんぷーん
あーあー大馬姦酷ー あーあー大馬姦酷ー

6番
世界に冠たるかの国はー 常軌を逸した手抜き振り
建てても寿命ー たかがー知れるー
あーあー大馬姦酷ー あーあー大馬姦酷ー

7番
世界に冠たるかの国はー 常識外れたちょんぼ振り
勝利のたーめーにー 手段はとーわーずー
あーあー大馬姦酷ー あーあー大馬姦酷ー

8番
世界に冠たるかの国はー くーにーをあーげたペテン振り
歴史ーねつぞーうー 顔面ーねつぞーうー
あーあー大馬姦酷ー あーあー大馬姦酷ー

今回の替えう歌はいかがでしたかな?(*´∀`)アハハン♪ 
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安易な在日認定にはしゃぐ韓国の愚

先月、モスクワで行われたフィギュア世界選手権において、日本の安藤美姫選手が優勝しました。この事で、韓国では、安藤選手を称して「隠れ在日」だと勝手に同胞呼ばわりしたそうです。
この事で安藤選手は、わたしの親戚に韓国人はいないと否定しました。例によって、日本でできの良い人物を見つけるとすぐ在日認定するという、韓国特有の悪癖が出ました。
しかし何ですなぁ。こんな事をする韓国ってむなしくないのでしょうか。馬鹿げている事だとは思わないのでしょうか。何しろ、ターゲットにしている人物は所詮は日本での貢献でしかないのではないでしょうか。
韓国は、昔から日本ではあらゆる分野で韓国人が活躍し、今や日本は韓国人抜きでは成り立たないと言わんばかりの発言をしていますが、韓国そのものにとってはどうでもいいじゃないですか。いくら自国の民族同胞の活躍を礼賛した所で、得をしているのは日本であって韓国ではないのです。韓国自身が得をするような形に持っていかなくて何が面白いのでしょうか。
考えようによれば、韓国は自国民ですらもいい思いをするのに不都合な環境であって、誰もがいい思いをするために海外へ出て行かなくてはならない有様だと自ら暴露していると言ってもいい状態にあるのだと思います。
ただでさえ、外国での民族同胞の活躍は自国にとって無意味であるばかりか、いにしえから悪しく見なしているわが国での活躍は考えようによれば利敵行為でしかなく、かような人物が登場する事はとりわけ抹殺しなくてはならない事ではないでしょうか。

韓国はもっと自国民にとって居心地の良い国づくりにいそしむべし! 
(# ゚Д゚)バ~カ <`д´; >アイーゴ

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