皆さんおはようございます。今日のエントリーは、よそ様のブログに引用されていた記事からの物でして、引用元ではかなり古いものとなっていますが、そこでは多文化共生と言う物の欺瞞が如実に表れています。
●ベトナム人父子送還へ
神戸在住、署名実らず 神戸新聞 2007/02/22 http://mimizun.com/log/2ch/wildplus/1172127044/
在留資格の更新ができない状態が続いている神戸市長田区のベトナム人のブ・バン・タンさん(51)と子ども二人が、日本で住み続けるための「在留特別許可」を求めていた問題で、法務省は二十二日、三人に強制退去を命じた。出頭先の大阪入国管理局神戸支局で仮放免は認められたが、タンさんは三月五日、子ども二人は、学校の終業式後の三月末までに帰国しなければならなくなった。(高田康夫)
タンさんは、日本に永住権を持つベトナム難民の女性と結婚。二〇〇一年二月、当時十五歳の長女ブ・ティ・トゥイさん(21)、
同十四歳の長男ブェト・クンさん(20)の二人を連れて来日した。だが、夫婦間のトラブルから〇四年末に女性が失そう。三人は在留更新の手続きができず、仮放免の状況が続いていた。
トゥイさんは、日本語とベトナム語の通訳を目指し、県立湊川高校(夜間)に通う。クンさんは、長田区のケミカルシューズ工場で大黒柱として働きながら、市立兵庫中学北分校(同)に通っている。二人は「よく働き、よく学ぶ」と評判で、強制送還の危機を聞いた学校教諭や職場の関係者らが、「トゥイ・クン(タンさん一家)の在留を求める会」を結成。
八千人を超える署名を集め、法務大臣に提出した。
二十日、弁護士を通じ、法務省の判断を二十二日に知らされると聞いたトゥイさんは、不安になり、涙を流しながら学校の期末試験を受けた。
二十二日午前、在留特別許可が認められないとの決定が支援者に伝わると、ため息が漏れた。松本隆之弁護士は「日本とベトナムをつなぎたいと、一生懸命にやってきた子どもたちには気の毒」と声を落とした。
タンさんは「日本を離れるのが寂しくて残念ですが みんなとても親切にしてくれて、感謝しています」。クンさんは「この年になって帰っても学校にも行けないし、向こうには仕事もない。いつまでも日本に残りたいという気持ちは変わらない」と涙を浮かべた。
在留特別許可をめぐっては二〇〇〇年、不許可となった旧龍野市のペルー人一家が、取り消しを求めて神戸地裁に訴えたが敗訴し、子どもを連れて帰国している。(引用ここまで)
多文化共生と言っても、所詮は日本と言う条件の整っている環境の中で実行するのに過ぎないきれい事であると、自分はすでに述べました。ここでも、不法滞在の親子を支持する弁護士は当人たちを「日本とベトナムとをつなぎたい」などときれいごとを言っていますが、結局の所ベトナムをスターリングラードくらいにしか考えていない事には変わりはありません。ひたすら日本にとどめておくことばかりを人権のように考えて、ベトナムで暮らす事に関してかくも否定的に考えて何が日本とベトナムとの架け橋なのでしょうか。
本人だにベトナムへいねたがらない主張をしているありさまで、本人からしてベトナムを日本と結び付けようと本気で考えているのでしょうか。せいぜい、やめられないたばこを非煙者の前でも吸い続けるような迷惑ごとを持ち込んでいるだけに過ぎないのではないでしょうか。もし、そのような事を本気で考えているのであれば、もっとベトナムに関して肯定的に考えて、強制送還に関しても、麗しの祖国への帰還として受け止めて欲しいものです。それができないようで、どうして初めからかの国とのかかわりを持っていない我々にとってベトナムに関してより好意的に受け止められると言うのでしょうか。
我が国にはこうした連中を憐憫がって日本に鎮座できるようにしてやろうと躍起になる人間がぞろぞろ出できますが、よしんばそれでうまく行って不法滞在者の特別在留がかなって人助けができたと満足にひたたっとしても、所詮はそれは眼前の人間を「救った」だけの事であって、決してその国を救った事にはならないのです。むしろ、国そのものはくそのような存在として見捨てられたままなのです。それは多文化共生的な視点から見た場合、まずくはないでしょうか。眼前の人間を「救った」ところで、その国は居住に値しない国だと婉曲にみなしている事に他ならず、そんなメンタリティでよそ国文化に対する理解を持つ事に何の意味があるのでしょうか。
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