緊迫感漂う天丼屋。パワハラ店長では決して良い店は作れない理由 - 榊 裕葵昨夜、夕食をとるために天丼を提供する某チェーン店に入った。
■店長の怒声とミスの発生
席について注文を済ませて待っていると、「なんで落ちているゴミを拾わないんだよぉ!」という怒声と、マニュアルらしきもので壁か机をバンバン叩く音が聞こえてきた。
何だと思って見ていると、新人のアルバイトが店長に怒られているようであった。まだ仕事に慣れていない彼女は、お客様が食べ終わった食器を下げるのに必死で、床に落ちていたゴミを拾い忘れたことが店長の逆鱗に触れた様子であった。
私は「なにも、客に聞こえるところで怒らなくていいのに」と、怒られている店員を気の毒に思うと同時に、若干の不快感も覚えた。
店を見渡すと、他の店員も店長のことを気にして、どこか緊張した様子だった。
そして、ミスが起こった。丼物とうどんのセットを注文した客に対し、冷たいうどんを出すべきところ、間違えて暖かいうどんを出してしまったのだ。幸いなことに、すぐ作り直すということで、大きなトラブルにはならなかった。
店長を気にしながら仕事をしていたからミスが起こったとは断言できないが、部下がお客様よりも上司へ気を遣って仕事をしている職場では、ミスやクレームが 多くなるということは、サラリーマン時代の実体験や、社会保険労務士として様々な職場を見てきた経験から、私はそう感じている。
なお、店長自身はさすが優秀であり、てきぱきと仕事をこなしていた。
その一方で、言葉では表現していなかったが、店長の部下を見る目は「おまえはどうして俺と同じようにできないんだ」と言いたそうな、イライラを含んだ視線であったように私は感じた。
■店長の行動の問題点
私が店内の様子を伺っていたのは約30分に過ぎないので、今回の件に関して、全てを知ったような物言いはできない。
だが、一般論として、上司が部下にこのような態度をとる場合、少なくとも次の3つの点で問題があるのではないかと私は考えている。
■部下は上司と同じことができるわけではないのが大前提
第1の問題は、部下に自分と同じ能力を求めてはならないということである。
部下は、決して上司と同じ能力を持っているわけではない。極端に言えば、上司と同じくらい優秀であれば、上司と同じポジションについているはずである。
様々な個性を持った部下の能力や適性を見極め、その部下たちをどのように配置したり、どのように指揮したりしたら、最大限のアウトプットを引き出せるのかを考えるのが上司の役割である。
そのようなことを考えず、「なぜ俺と同じことがなぜできないのか?」と言ってしまっては、上司としての役割を果たすには不十分である。
■上司と部下はライバルではない
第2の問題は、上司が部下と同じレベルで競争して何になるのかということである。
飲食店であれば、店で一番仕事が正確で速いというのは、確かに素晴らしいことである。
しかし、店長という職責においては、決してそれを誇るべきではない。自分はなるべく作業からは離れ、店全体に目を配ったり、店員が至らない場合にはフォローしたりするのが本来の店長の役目だからだ。
店長は店長、店員は店員の役割をそれぞれきちんと果たすべき、ということである。
営業系の会社でも、上司が「俺と同じくらい契約をとれ」と発破をかけたり、「今月も俺が契約数1番だった」と部下に誇ったりすることもあるようだが、これ も好ましいスタンスではない。上司は、部下と同じレベルで数字を競うのではなく、「上司」という立場から、どうすれば契約数を伸ばせるのか等をアドバイス をすべきである。
■上司が部下を人前で叱るのはNG
第3の問題は、叱り方の間違である。
誰だって人前で叱られたら面目を潰された気持ちになる。叱るなら、本人と2人だけのところが原則である。
信頼関係ができている部下に対して、一罰百戒ためにあえて人前で叱り、あとでフォローするような場合はともかく、入ったばかりのアルバイト店員を客にも聞こえるような大声で叱りつけるのは、パワハラと言われても反論の余地はないであろう。
また、このような上司のもとでは、部下が萎縮してしまい、言いたいことも言えない空気が醸成されてしまう。部下から前向きな提案などが上がってこなくなることはもちろん、それにとどまらず、ミスを隠すような事態も生じてしまう恐れがあるであろう。
そのような上司は、ミスが発覚したとき、「なぜミスを隠したのだ!」と激怒するであろうが、その原因が自分であることには決して気が付こうとはしない。
■まとめと示唆
今回のケースである飲食店のような多店舗展開の業態の場合には、店長の振る舞いに問題がある場合、店内に店長の暴走を止められる人はいないので、エリアマネージャーのような店長を統括する立場の人が見抜かなければならない。
エリアマネージャーが「あの店長は汗をかきながら一番走り回っている。非常によろしい」という評価をするならば、エリアマネージャーも感覚がズレている。
日本企業では、マネージャーとしての能力に難があっても、プレーヤーとして優秀な人が評価されやすい傾向にある。しかし、そういうマネージャーが組織に肯定され、居座ってしまうと、その下で働く部下が疲弊してしまう。時にはメンタルを病んでしまうこともある。
私自身もサラリーマン時代にそのようなタイプの上司に仕えたことがあるが、上司についていけず退職をしたり、休職に追い込まれたりしていった同僚を見てきた。
確かに、プレーヤーとして優秀な成績を挙げた人が、マネージャーとして抜擢されるのは自然な流れではある。
しかし、マネージャー登用時の研修で、プレーヤーとマネージャーの役割の違いを教えたり、マネージャーの人事考課では、マネージャー個人の成績よりも、部下の管理能力などに重きを置いた評価をしたりしなければ、組織としての成長は望めないであろう。
私は、会社が大きく成長するためには、本当の意味で「マネージャー」と呼べる人をどれだけ採用、あるいは育成できるかにかかっていると、強く思っている。
第一次世界大戦末期のドイツで開発されて、少数ながら実用化された戦車では、プロパーの指揮官のポジションが用意されていました。それは後にキューポラと言われる所から、外部を観察できる所でした。よその国の戦車では、そうした配慮で遅れており、指揮官のポジションも、別に何かをさせる事が前提となっているケースが多い物でした。
アメリカの爆撃機では、操縦手のポジションが機長となっていましたが、あれは視界良好のコクピットに存在している物でして、そう言う環境でならば、機の指揮を執る事は容易だったのですが、戦車の場合は装甲によって防御する必要性から、視界は非常に悪くなってしまう物でして、操縦手に指揮官の役目をあてがう事は決して好ましい物ではありませんでした。
その場合、指揮官は周囲の状況を観察する役目に徹して、それ以外の事ではある種の暇人でいる事が好ましい物でした。先の操縦手にしても、自らスリットから外部を覗いてよりも、ひたすら指揮官の命令に従って方向やスピードの調整に徹している方が良いのです。
軍艦でも、操舵手は外が見えない所で、ひたすら艦長の命令で操舵すると言うケースが多かった物です。
とまあ、管理職には管理職としての役目が必然的に存在しているはずでして、それは平社員としての役目とは異なる物でして、平社員としてできが良い者が必ずしも管理職として優秀になれると言う訳ではない物なのです。
だからこそ、管理職イコール出世イコール至高の利益と言う発想に対して自分はもっぱら否定的に考えているのです。管理職には管理職としての異なる仕事があり、異なる能力、異なる責任が必要だと言う事が分かっていれば、まずもってそうした異なる物に自分が向いているか、務まるかと言う事が詮索される事は当然でして、往々にしてそれを忌避すると言う発想を抱いた所でなんの不自然があるでしょうか。
パワハラ管理職が往々にして存在してしまうのは、そうした本来詮索されるべき事がないがしろにされて、一概に管理職になる事が利益につながると言う認識だけがいにしえから強調されすぎて来たからに他ならないのです。
管理職として無能なくせに、我欲だけが強い人間が管理職になってしまったばかりに、そうした管理職が自身の無能を隠ぺいするために、パワハラに走ってしまうのです。そのような人間を管理職にしてしまう会社、そして社会の風潮と言う物が問題ですな。
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