「役職・身分のかけ持ちと転籍」第27回目です。
周知の通り、昭和16年、東条英機は総理大臣に就任しました。それ自体は軍務ではありませんから、文民でも勤まった事はこれまでの総理を見て行けば分かる事でしょう。ただ東条は陸軍大臣を兼ねたままで総理大臣に就任した物だから、現役でい続ける必要がありました。これによって陸軍大臣よりも先任序列が劣ると言う事は考慮しなくて良い事になりますが、それですらも、所詮は内閣の中だけの話であって、参謀本部やその他前線の司令官との比較に至っては依然として度外視された状態にあります。
東条自身は元々中将の階級で陸軍大臣に就任しており、そのままだと大将は翌年になはずですが、総理大臣就任に合わせて急遽大将昇進となりました。よしんば大将昇進したからと言って、依然としてすでに大将になっている他の人間よりも先任序列で劣っていると言う現状を覆す事ができるはずもなく、陸軍省以外での軍事に関する権限に関しては蚊帳の外のままだと言う事が変った訳ではありません。恐らくは総理大臣が最上級の親任官であると言う事に帳尻を付けるために、大将昇進がかなったまでの事だと言う事なのです。
さて昭和19年になると東条は参謀総長を兼ねる事となりますが、現代的な感覚で言うのならば、陸軍の武官のかしらになったと言う風に見られる事がありますが、当時は別段参謀総長はそのような地位ではなく、最高司令官たる天皇にとっての陸軍幕僚長と言う位置づけでしかなく、その地位の価値は前線で言うのならば、軍司令官に従う参謀長のような物でして、配下の師団長よりも低い地位だったのです。
よって参謀総長だからと言って必ず前線の司令官よりも地位が高いとは言えないのです。もっとも役職の価値としては共に親補職として対等だと言う事が言えるのですが、先任序列が劣っていても構わないと言う点では間違いない事であります。
さすがに、中将で勤まる軍司令官よりも参謀総長が先任序列で劣ると言う事はないでしょうが、大将で勤まる方面軍司令官以上となると東条よりも先任の司令官が存在していました。指揮権とはあくまで先任序列が上の者から下の者に対して行使できる物でして、我が国においてはそれは天皇を頂点として成り立っていて、参謀総長はそれを輔弼するために指示権と言う物が認められていたのみでした。
長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^
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