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役職・身分のかけ持ちと転籍39

「役職・身分のかけ持ちと転籍」第39回目です
神聖ローマ帝国は、皇帝が別段世襲で成り立っている訳ではなく、ある意味あまり皇帝に即位する事に関して魅力が感じられる地位とは言えませんでした。
皇帝の地位は選帝侯と呼ばれる、帝国内の選ばれた等族の中で選ばれる物でして、その選帝侯からしてプロバーの地位とは言えず、その選ばれた等族によって兼務する地位と言う事でした。ハプスブルク家にしても、ベーメン国王と言う地位に基づいて、その権限を有している状態でした。また、後に第二帝国の頭、すなわち皇帝として君臨するホーエンツォレルン家も、当時としてはブランデンブルク辺境伯と言う地位の元に選帝侯の地位を得ていました。
1519年、神聖ローマ帝国皇帝としてカール五世が即位していた訳ですが、それはオーストリアを中心としたハプスブルク家とは別物として成り立っていたと言う事であります。前回も述べたように、そちらの方では弟のフェルディナントが統括していて、カール五世はドイツ第一帝国たる神聖ローマ帝国皇帝でありながら、その帝国の中にいなかったと言う事でした。彼の意識としてはスペインの方に軸を置いていたのでした。
その結果、晩年の1556年、カール五世は神聖ローマ帝国皇帝の地位はフェルディナント(一世)に譲り、スペイン国王の地位は息子のフェリペ(二世)に譲り、日本で言うのならば、大御所のような状態で余生を全うしました。これによってハプスブルク家のオーストリア系とスペイン系との分離が完了したと言っても良いでしょう。後のスペイン継承戦争では、オーストリア・ハプスブルク家がスペイン国王の地位を要求した所、実際国王の地位を得たのは、フランスのブルボン家でした。
その話は18世紀が始まっての事でしたが、その後になって来ると、オーストリア自身にとっても男系での継承が困難になってきて、これまで事実上ハプスブルク家の世襲で成り立ってきた神聖ローマ帝国皇帝には、バイエルン選帝侯カール・アルブレヒトがカール七世として即位しました。
この時まではハプスブルク家の頭が皇帝を兼ねると言う状態でしたが、皇帝は決してはハプスブルク家の私財ではなく、家の私財たるハプスブルク帝国とは別物と考えなくてはなりませんでした。果たしてハプスブルク家と言う私的な地位には家の血統を有したマリア・テレジアが就いたのでした。

長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^

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