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役職・身分のかけ持ちと転籍45

「役職・身分のかけ持ちと転籍」第45回目です。
1206年、テムジンの元にモンゴルが統一され、ハーンと言う、大モンゴルの皇帝として即位しました。この後もモンゴル帝国は膨張を続け、6代目となるフビライ・ハーンの元で、その版図は中国にまで進出し、1271年、国号を「元」と称する事になりました。ここに、既存の大モンゴルと中華帝国との合体した形での新たな帝国が出来上がったのです。
そこでは、中華帝国として新たに皇帝として即位する事はなく、旧来のハーンと言う称号の元で中華帝国の皇帝でもあると言う状態が成立した訳でした。
元来中華からすれば、それは夷狄の王の称号に過ぎなかったのですが、その勢力が中華にまで拡大する事で、中華帝国の皇帝としても認められる事になったと言う事です。この後、1368年に明王朝が成立する事で、俗に元王朝が滅亡したと言う事になっていますが、それはあくまで中華帝国としての元の滅亡であって、モンゴル帝国全体としては、中国からの撤退であって、旧来の大モンゴルは17世紀まで後金によって征服されるまで存続していました。もちろん、中華帝国としての別途皇帝即位がなかった以上、元の滅亡による皇帝退位と言う必要はなく、縮小した国土の中でもハーンの称号が存在していました。
さて、この後金が拡大して清王朝へと発展して行くのですが、最初は満州女真族の王朝でしかなく、君主としてハンと称していました。1636年、2代目ホンタイジの時にモンゴル征服が完了すると、元の玉璽を入手して、モンゴルのハーンとしても認められるようになり、同時に漢族の代表からも中華帝国の皇帝として認められるようになりました。
もっとも、この時点では中華帝国は明が存在していて、ホンタイジの皇帝としての地位はモンゴルと満州のみで有効でしかなく、明への侵攻が必要となるのですが、その前に明は李自成の乱によって滅亡し、それに対する征伐と言う大義名分によって、清が中華帝国としても十分成立するに足る大義名分を得ました。
この後も、清の勢力は西郡へと拡大し、ウイグルやチベットまでも征服しました。しかし、こちらでも完全な併合と言う訳ではなく、皇帝がそれぞれ現地の君主でもあると言う形での同君連合的な統治が行われる事となりました。なんと言っても、女真族は頭数が少なく、必然的に多くを現地に依存しなくてはならない状態にあったのです。

長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^

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