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役職・身分の掛け持ちと転籍63

「役職・身分の掛け持ちと転籍」第63回目です。
後のドイツの戦艦の名前にもあるように、シュレースヴィヒ・ホルシュタインと言う風に、ユトラント半島の根元に、シュレースヴィヒ公国とホルシュタイン公国が連なっています。共にデンマーク国王によって統治される事久しい状態にある事から、かようにひとまとまりな存在ともなっています。ただ前者の方はデンマーク国王の封土となっているのに対して、後者の方は神聖ローマ帝国の一部だった事から、新たにできたドイツ連邦に関してはホルシュタイン公国のみをデンマークとしては参加させたのでした。
しかし、両公国におけるデンマークの支配は1864年の第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争によって終焉を迎え、最終的にはプロイセンへの併合によって公国自体もなくなってしまいました。
ドイツ北部の方にブラウンシュヴァイクが含まれる国の1つとしてブラウンシュヴァイク・リューネブルク公国が存在しました。1692年、エルンスト・アウグストが選帝侯に任命され、以降、ブラウンシュヴァイク・リューネブルク公はハノーファー選帝侯を兼ねる事になりました。この息子、ゲオルク・ルートヴィヒが、1714年イギリス国王ジョージ一世として即位し、さらなる君主の掛け持ちがなされたのでした。
イギリスは連合王国とも呼ばれる訳ですが、元はと言えば、イングランド、スコットランド、アイルランドの国王を兼ねると言う所から始まった物で、1707年にイングランドとスコットランドが合併し、次いで1801年にはアイルランドと合併して、国王のタイトルも1つに集約されて行ったのでした。
ブラウンシュヴァイク・リューネブルク公国はそれ以降、イギリス王国の付属品みたいな状態が、ナポレオン戦争によるフランス支配を経て、戦後、ハノーファー王国を称するようになってからも続きました。何しろ、イギリスの方が王国ですから、こちらの方が格上だと言う事は素人目線でも理解しやすいでしょう。
しかし、サリカ法によって女君主を禁じていると言うのがドイツのほとんどの状態でして、例外としてはハプスブルク家のマリア・テレジアくらいでしょうか。ドイツの範疇に入るハノーファー王国でも、1837年、イギリスで女王ヴィクトリアが即位する事によって、サリカ法に抵触すると言う事から、これまでの同君連合が解消されて、別途ジョージ三世の息子エルンスト・アウグストがハノーファー国王として即位する事となりました。


長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^

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