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君主の出撃⑥

「君主の出撃」第6回目です。
第二次世界大戦では、もっぱらヒトラーだけが、首都を離れた形でいくさの指揮を執ると言うのが基本となってしまいました。当時としては、それ以外の国の国王も、大統領も、総理大臣もそこまでしていくさの指揮を執ると言う事はありませんでした。それが世界的な常識と言うべき物でしょう。まあ、首都が敵の進撃に脅かされて、そこに留まれないと言う状態になれば、その時になってやむなく、首都を離れると言う事態も生じる事でしょう。そんな状態は、本来まずは退避ありきの行動と言う事に他ならない訳ですか、さりとて、だからと言って、必ずしも、もっぱら退避だけに終始したとは限らず、戦ったと言うに値するエピソードもない訳ではありませんでした。
ベルギー国王レオポルド三世は、王太子時代に第一次世界大戦があり、一兵卒として従軍しました。1934年、父アルベール一世の崩御により、国王に即位し、第二次世界大戦では国王と言う、最高司令官としていくさに従事する事になります。元々は断固とした中立の発想でしたから、ドイツの脅威が迫って来た状態でも、ぎりぎりまで英仏軍の進駐は認めず、よしんばドイツ軍の侵攻があったならば、独自で国防を目指す意図でしたが、結局は1940年のドイツ軍の侵攻に対しては英仏軍との共同での戦いとなりました。
国境での戦いに敗れる事で、レオポルド三世はダンケルクに退避し、そこでいくさの指揮を執る事となりました。こうした戦いがあればこそ、ベルギーでの戦いはすんなり終わる事なく、イギリス軍のダンケルク撤退を可能たらしめたのでした。
そうしたドイツ軍の侵攻を受けたよその国では、政府も国王も国外逃亡と言うのが大抵でしたが、ベルギーでは政府だけが亡命し、レオポルド三世は最高司令官として降伏し、このためにベルギーではこの後も国際法上では依然として戦争状態が続き、レオポルド三世は終戦まで戦争捕虜として抑留される事となりました。
1941年、ドイツ軍の侵攻はユーゴスラヴィアに及び、国王ペータル二世はイギリスに亡命し、正規軍の生き残りを中心としたチェトニクが建前的には対独抵抗運動を行う事で、ペータル二世はそれをイギリス共々支持する一方で、自身はイギリス空軍に志願する事となりました。もっとも、現役の国王の従軍と言う事で、他の人間同様のリスクからは逃れられるように配慮されたと思います。
大戦を生き残りながらも、国土を掌握した共産パルチザンによって帰還を拒まれて、退位宣言をしないままにアメリカで客死しました。


長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^

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