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君主の出撃21

「君主の出撃」第21回目です。
普墺戦争において、ドイツ連邦軍第7軍団とはバイエルン1国での編成でしたから、第7軍団とはバイエルン軍そのものでして、軍団長は、国王ルートヴィヒ二世にとっては大叔父にあたるカールが務めました。
第9軍団はザクセン王国、ヘッセン・カッセル(ヘッセン選帝侯国)、ナッサウ公国の3国の寄り合いで編成されており、全てオーストリア支持と言う事でしたが、このいくさはおおむね東西二方面での戦いとなり、ヘッセン・カッセルとナッサウは西部での戦いに従事した事から、第9軍団は分裂状態でして、軍団として成立する事はありませんでした。それは東部においてはザクセン軍として存在するのみで、国王ヨハンの息子アルベルトによって指揮されていました。
そして、最後の第10軍団に関しては、プロイセンの敵対したのは主力となっていたハノーファー王国だけで、他は、後に寝返った国も含めて全てプロイセンに与力してしまって、ハノーファー軍そのものでしかありませんでした。ハノーファー軍の司令官自体は別途アレントシルトが任命されていた物の、国内にプロイセン軍が侵攻してくると言う本土決戦状態であった事もあって、失明状態ながら、国王ゲオルク五世もゲッティンゲンの本営に移動して戦いを指揮しました。
プロイセンとハノーファーの戦いはラングザルツァの戦いによって決着が付き、ゲオルク五世は捕虜となり、ハノーファー自体はプロイセンに併合され、ゲオルク五世は後に解放されて、オーストリアで暮らす事になりましたが、それより先に、プロイセンとオーストリアと言う最終決戦がありました。当然の事として、両国の戦力はドイツ連邦と言う枠に外れるだけの余裕を有していました。とりわけプロイセンは全軍で9個軍団を有していました。
プロイセン側は第1軍司令官として、国王ヴィルヘルム一世の弟カールの息子フリードリヒ・カールが、第2軍司令官として王太子フリードリヒ・ヴィルヘルムが就き、ヴィルヘルム一世自身も参謀総長ヘルムート・フォン・モルトケやビスマルクなどを同道の上でケーニヒスグレーツの近くまで進出して大本営を定めました。
7月に行われたこの戦いにおいて、プロイセンは勝利して、オーストリアはドイツの埒外へと追いやられる事になる、プロイセン主導の新たなドイツの幕開けとなる、北ドイツ連邦成立へと発展して行きました。


長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^


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