FC2ブログ

プロフィール

DUCE

Author:DUCE
趣味:緑地や山のほうへのハイキング
映画、ドラマ:戦争映画や時代劇が中心。アイドルやトレンディドラマの類は興味なし
外国関連:中国、韓国、北朝鮮と言った反日三馬鹿国は嫌いです。

竹島はわれらが領地なり

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

キター!

キター

plugin by F.B

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

役職・身分の掛け持ちと転籍85

「役職・身分の掛け持ちと転籍」第85回目です。
俗に軍事系の大臣とは、往々にして軍隊全体のトップと称される事がありますが、それはあくまで現代の発想でして、元々はそう言う発想などはなかったようでして、プロイセン初代の軍事大臣であったシャルンホルストからして少将の階級でその地位に就いたのです。大将で任命される事の多い軍団長の方が上席だったと言う事です。その点では参謀総長だって似たような物でして、後々有名になるモルトケだって、当時としてはプロイセン軍の中においてすら大して知名度の高い状態にはありませんでした。
原語から言うのならばそれは戦争大臣と言うべきなのでしょうが、軍事系の大臣だから軍人が就くと言う事が当時としては当然視されていた訳でして、文民が就いていればもっぱら大臣と言う肩書で高い地位の人間だと評価された事でしょう。軍人と言う、階級によっては師団長や軍団長なども務まる人間と人事を共有できる中での話ですから、その地位は必ずしも軍隊全体の中では高いとは言えない側面もあったと言えましょう。
さて、そのローン自身は軍事大臣就任以前に、と言うか、1月程度第14師団長と兼務であった時期が存在していました。軍事大臣就任は1859年12月であったのに対して、第14師団長は翌年の1月まで勤めていました。よしんば短期の事とは言え、一見異色な人事ではありますが、わが国でも児玉源太郎が台湾軍司令官の権限を含む台湾総督に在任中に内務大臣などの諸大臣に就くと言うケースもあった訳だし、ありと言う事なのでしょうか。
このローンが、1862年に、ビスマルクを総理大臣に就任させるのに一役買っていました。
プロイセンと言えば、軍国主義の代名詞みたいな所がありますが、さりとて、だからと言って、プロイセンに限って軍人が政治にかかわると言う事が当然視されていたと言う訳ではなく、当時としてはよその国だってそう言うケースは存在していたのでして、別段プロイセンばかりが特別と言う訳ではありませんでした。
プロイセン軍の軍政の指揮に関して良い実績を持って、普仏戦争まで突き進んだローンではありますが、その他の政治に関して必ずしも高い能力を有していたとは限らず、だからこそ、ビスマルクにしても、一時一時プロイセン総理大臣の地位を彼に譲ったのでした。彼が自分よりも優れているとは思っていなかったからです。


長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^


クリックお願いします。<(_ _)>

クリックをよろしくお願いしますです。(人∀・)タノム



韓国(海外生活・情報) ブログランキングへ

ブログランキング・にほんブログ村へ 


人気サイトランキングへ





















スポンサーサイト



<< 韓国の四面楚歌はどれだけ寝返りが出てくるかが問われると思う | ホーム | 狂気ましまし・3 >>


コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

 BLOG TOP