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君主の出撃28

「君主の出撃」第28回目です。
フリードリヒ・カールが司令官を勤める第2軍には、ザクセン軍たる第12軍団が含まれており、さらに王太子フリードリヒ・ヴィルヘルムが司令官である第3軍には北ドイツ連邦に属していない南ドイツの3国の軍隊が加わり、その状態で普仏戦争が始まりました。
相対するフランスの方は、皇帝ナポレオン三世が直々の出撃をする事から、軍隊自体もそれに合わせて再編成され、その中心としてライン軍ができ、ナポレオン三世自身がその司令官として就任し、元来陸軍大臣であった。ル・ブールが、その参謀長として同道しました。
この辺の所は、プロイセンは軍事大臣であるローンを大本営に同道されていたとは言え、それとは別に参謀総長たるモルトケが存在した事とは意味合いが違っています。果たして、はなから双方の君主が出撃したと言う事です。まさしく普仏戦争こそが、双方の君主が出撃した戦った最後のいくさと言えましょう。
最初の戦いは、8月始め、ザールブリュッケンにおいて、プロイセン軍の主力が到着しない間に行われ、兵力劣勢ゆえにプロイセン軍の撤退で終わったものの、この後、プロイセン軍の兵力の集中が進行して行くと、ヴィサンブール、スピシャラン、フシュヴィレール=ワシュ、マーズ=ラ=トゥール、サン=プリヴァと連敗して、戦線はミューズ側にまで移動する事となり、プロイセン軍は軍の再編成を行い、マース軍が新設されました。
その司令官として、それまで第12軍団長であった、ザクセン王太子アルルベルトが就任し、後任の軍団長として、弟のゲオルクが就任し、マース軍の所属として配置替えとなりました。また、最初は近衛軍団の指揮下であった、メクレンブルク・シュヴェーリン大公の弟ヴィルヘルムが師団長であった第6騎兵師団もまた配置替えとなって、今度は第12軍団の指揮下で戦う事となりました。
これより先に、フランス軍はこれまでの連敗からやる気を失ったのか、ナポレオン三世はライン軍司令官の地位をバゼーヌに任せて、一旦はパリに戻ろうと思い立ったものの、皇后ウジェニーに反対され、しかもメッツに陣取るパゼーヌと合流する事も出来ず、シャロンへ移動する事となりました。


長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^


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