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君主の出撃29

「君主の出撃」第29回目です。
ナポレオン三世が移動したシャロンには、エルザスから退却してきたマクマオン軍や第7軍団が合流し、それらの軍が再編成されて、シャロン軍となり、司令官としてマクマオンが任命されました。マクマオンは、メッツに陣取るバゼーヌ軍との合流を目指しつつ、プロイセン軍を側面から攻撃しようとランスを経由して、ミューズ川への進出を果たしたものの、プロイセン側は第1軍と第2軍でメッツのバゼーヌ軍を包囲する一方で、第3軍とマース軍を以て、シャロン軍を迎撃する事となり、一旦はナンシーへ進出した第3軍とマース軍を北方へ転進させ、9月1日のセダンでの戦いに突入します。
この戦いでシャロン軍は包囲され、包囲突破の戦いへと進展しましたが、翌日までにそうした戦いは見込みのない物となって行き、ナポレオン三世も降伏を認め、捕虜となりました。
これに伴いシャロン軍は完全に捕虜になり、また、バゼーヌ軍もメッツで包囲されており、もはやフランス側に継戦能力がない物と見られ、この直後、パリではクーデターが成立し、フランス第二帝国は終焉を迎えました。こうしたクーデターも、ドイツ側としてはフランスの側から遠からず講和を申し出る物だと見られていたのですが、意外とフランス新政府は徹底抗戦の姿勢を取りました。
プロイセン軍はパリへ進撃し、包囲を開始し、それは4か月以上もの長い物となりました。そして大本営も、ヴェルサイユへ進出しました。
その包囲の戦いが完結しない間に、いまだ北ドイツ連邦に加わっていない南ドイツ諸邦もそれに加わる事に同意し、1871年1月1日に北ドイツ連邦はドイツ帝国へと拡大発展し、連邦主席であったヴィルヘルム一世は、歴代のプロイセン国王の戴冠日に合わせて、18日に皇帝即位と相成りました。
帝国に属する諸侯も必ずしも全ての者が本人ないし一門の者をいくさでは参加させていなかった物の、ヴィルヘルム一世の皇帝即位の式典には、こぞって本人ないしは代理の者を「出撃」させました。もっとも、だからと言って、全ての者が、それを嬉々として受け入れたとは言えませんでしたが。実際、バイエルン代表として参加した国王の弟オットーなどは、その式典に関して否定的な内容を兄ルートヴィヒ二世に書き送った物でした。


長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^


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