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君主の出撃30

「君主の出撃」第30回目です。
大日本帝国では、天皇は陸海軍を統帥す、とあるように最高司令官としての権限が定まっていました。そんな有様だから、よそのくにでも、イギリスのように既に議会民主制が確立しているような国はともかく、それ以外の、より民主的な度合いが低い国であれば、軒並み君主が最高司令官としての権限を有しているかと思いきや、必ずしもそうではないと言う事であります。
現に、第一次世界大戦時におけるロシアとオーストリアなどはそれが当てはまっていました。
ロシアでは最初皇帝ニコライ二世自身が最高司令官に就きたがっていたのが、側近の大臣たちに制止されたと言う事でした。つまり、そこでは、ロシアではあらかじめ皇帝が最高司令官としての権限を有していると定めていなかったと言う事なのです。
さて、それでは代わりに最高司令官として就任したのは、ニコライ二世から見て、従叔父にあたるニコライ大公でした。もっとも、それも1年と続く事がなく、翌年の3月には、ニコライ大公は罷免されて、ニコライ二世がその後釜に座り、首都ペトログラードを後にして、大本営への「出撃」となりました。
その大本営となっていたのがエストニアに近いプスコフでして、1917年の二月革命が成立すると、この地においてニコライ二世は退位を強いられました。
一方、その主要な敵たるオーストリア・ハプスブルク帝国においては皇帝フランツ・ヨーゼフ一世が1848年革命以来、60年以上の長期在位状態でして、よしんば大本営をウィーンにとどめておくと言う前提があったとしても、80過ぎのご老体と言う事を思えば、自ら最高司令官の地位を勤めさせると言うのは酷と言う物でして、別の者に最高司令官として任命すると言うのも、ある意味仕方のない物と言えましょう。
そうして任命されたのが、ナポレオン戦争時にオーストリア軍の最高司令官として従軍したカール大公の孫であるフリードリヒでした。フリードリヒの場合は、ニコライ大公同様、そうした地位は形式的な度合いが大きく、実際のいくさを指導したのは、参謀総長であったコンラート・フォン・ヘッツェンドルフでした。


長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^


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