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役職・身分の掛け持ちと転籍91

「役職・身分の掛け持ちと転籍」第91回目です。
「後の」ナチス時代ならば、複数の外交機関が並立して、競合しあう形で存在すると言う事がありました。その類の事は何も外交に限った事ではなく、いろんな所で頻繁にあった訳ですが、ヒトラーにしてみれば、部下の権限を不安定な物にしておいて、自分に対して抗いにくくするようにする事に仕向けたと言う事なのです。
それに対してビスマルクの場合は、既にプロイセン外務大臣に就任していて、別段競合する物を用意してよその誰かをけん制しなくてならない事を必要とはしませんでした。彼自身にも、帝国とプロイセンの外務省を併存させるだけの合理的な理由があったのでしょう。
しかし、彼の後任者の段階では、両方が存在する意味と言う物が疑わしくなったのです。後任のカプリ―ヴィはもっぱら軍人としてのスキルを有するのみで、政治家としての能力としては問題外ではありましたが、そんな人間が、帝国宰相、プロイセン総理大臣のみならず、プロイセン外務大臣まで兼ねさせられたのでした。
そんな状態でしたから、外交の際に関してはビスマルクに到底及ばないまでも、帝国外務長官としてのマルシャルの存在がある意味、「脚光」を浴びる事となったのです。ビスマルク時代ならば、誰が外務長官になろうとも、山川出版社のドイツ史第2巻には名前が載らなかったのが、ビスマルク退任後になって就任した事で、マルシャルは記載されたのでした。
1894年、カプリ―ヴィの帝国宰相の地位は、ホーエンローエにとって代えられる事となりましたが、それとは別個に、マルシャル自身はその後3年間外務長官にとどまる事が出来たのみならず、その時から、プロイセン外務大臣の地位を兼ねる事となりました。
後任の帝国宰相たるホーエンローエは、普仏戦争前には、バイエルンで総理大臣と外務大臣を兼務していた事があり、また、ビスマルクの下で外務長官として勤めた事もありましたが、彼自身が帝国宰相就任に当たっては、前任者と違って、プロイセン外務大臣までは兼ねる事がなく、プロイセン総理大臣だけが兼務の対象となりました。


長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^


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