「役職・身分の掛け持ちと転籍」第128回目です。
1933年成立した内閣はヒトラーが帝国宰相と言う事で一応頭と言う事ではありますが、その実態は、筆頭政党ながら連立でも過半数を確保できなかった事で足元を見られて、ナチ党の大臣は3人だけと言う不利な状態にあって、副宰相のパーペンが中心になると言うのが最初の「予定」でした。
しかし、ナチ党の側でも逆転の秘訣があったようでして、どう言う事情でそうなったかははっきりしないのですが、帝国政府において無任所大臣に就任していたゲーリングがプロイセンにおいて内務大臣となっていました。本来そこではパーペンが総理大臣となっていたはずでしたが、こちらの方ではパーペンがゲーリングを抑え込めないままに、ゲーリングの土壇場が進行していました。
内務省とは治安にかかわる組織でして、ゲーリングはその職権において、ナチ党に不都合な警察官を大量に解雇し、その代わりを突撃隊、親衛隊、そして連立勢力たる鉄兜団の団員を、正規の警察官、あるいは補助警察官として採用して、治安においてナチ党に好都合な状態を確立して行きました。
長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^
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