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武家社会における名前と地位の相関性②

さてさて、本日はあいにくの曇天ではございます。いまだ日本の大半は梅雨状態ですね。それでも時たま晴天になる日もありまして、それが休みと重なったときなどは、よい休みとなります。


ワ~イ\(^∀^ )/=з=з=з   ε=ε=ε=\(  ^∀^)/ワ~イ


なにがワーイかといいますと、暑い夏の日といえば、みずっけの多い所への遠出にはふさわしいじゃないですか。冬ともなりますと、晴天でも、


サムイヨー((((;゚Д゚)))ガクガクブルブル なわけですからねぇ。


先週の水曜日には、丹沢湖のはるか北の方にある、西丹沢自然教室と言うところにオートバイを停めて、そこを基点に3つの沢(本棚沢、白石沢、陽木沢)に沿って歩きました。


こうした渓谷歩きの中ではやはり象徴的なものとして滝があります。それを画像にて紹介しましょう。



これは「下棚の滝」でございます。


そして、これを上回る、大きな滝として「本棚の滝」と言うものがあります。




どうです。すげいでしょう。(゚∀゚)イイ! 大きいもので、1回で撮り切れずに、上下2つに分割しての撮影です。特に「本棚の滝」では、頭上に晴れ間がずばりとあったのにもかかわらず、滝のしぶきがかかってきては、


スズシーイ((((^0^;)))ガクガクブルブル とまあ、かなり冷えるところでした。


では、本題行きましょうか。「武家社会における名前と地位の相関性」の第2回目です。


第1回目では、徳川家はもともと松平姓を名乗っていたことを述べました。これは、これも既に述べたとおり、多数の庶家との別格化を図ったものでしたが、他にも効果がありました。


周知のとおり、徳川家康は最終的に征夷大将軍になることができましたが、そのためには源氏の一族でなくてはなりませんでした。別に最初からそれを意識していたと言う訳ではないでしょうが、徳川姓が選ばれたのは、それが新田源氏の一族である得川氏だったと言うところにあります。この姓を名乗ることによって、後々、天下を掌握した後で将軍に就任することができた訳です


さて、徳川家康は、彼が生まれた時点でも既に多数の松平庶家があったのですが、これらの庶家は他の大名家のように一族扱いではなく、一般の家臣と同列にしました。その結果、江戸時代でも、「知恵伊豆」として知られる松平伊豆守が老中として就任しました。これは基本的に譜代大名からだけ老中を任命するからです。


江戸時代で大名の色分けの用語として用いられることとなった、譜代、親藩、外様のうちの親藩が将軍家の一族を示しますが、これに当てはまるのは、徳川家康の子供、あるいは異父兄弟(家康は1人っ子で、離縁された母の再嫁先の久松家がそれにあてはまる)の家系でした。


しかし、これらの親藩の全てが徳川姓を認められたわけではなく、将軍家が断絶したときのスペアとしての機能を果たすべく創設された御三家、御三卿だけ(しかも、当主と跡継ぎのみ)が徳川姓を認められていました。


ところで、徳川歴代将軍15人の名前で気になる事はないでしょうか。足利将軍15人でも二代目以降は万事「義」の字が付いていましたが、徳川家の将軍の場合、うち12人が「家」の字が付いていることが強調されるべきでしょう。


松平姓を名乗っていた家康の先祖を見てみると、「家」の字がついていた者はなく、これは家康以降の創作と見て差し支えないでしょう。同じ家系と言っても、三河の一豪族と天下の支配者と言う違いがあるがために、別個のルールをもって名前を作っていこうということなのでしょう。


既に前回述べたように、家康の跡を継いだ二代目秀忠は秀吉によって名づけられた物であって、少なくとも家康の段階では、ルールは決定されていないと見てよいでしょう。


周知のとおり三代目は家光と名乗っていましたが、その父たる秀忠は、正妻たるお江の方に引きずられることが多く、次男忠長に跡を継がせるべきか迷いました。彼自身も家康の跡を継ぐに当たって、存命していた次兄の結城秀康を乗り越えての物であったために、必ずしも長男相続を絶対視しないでもよいと考えてよかったのです。


最終的に家光の三代目継承がなると、家光はと言えば、父よりも祖父たる家康に対する思い入れが強いこともあって、自身を「二世権現」と自称するようになりました。


こうなってくると、秀忠の「忠」よりも家康の「家」の方が強い思い入れが込みあがってくるのも当然でしょう。松平家祖以来「家」の字を持つのは、彼自身と家康のみともなれば、「二世権現」をを自称する家光にしてみれば、これを後の代にも継承して行こうと思ったのに違いありません。


かくして、彼の長男には「家綱」と命名されたのでした。


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テーマ : 歴史 - ジャンル : 政治・経済

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コメント

このあたり

 疎い!
 そうだったですか。
 私の江戸時代は大河ドラマの接続と映画だったりするので、チャンと勉強せねばなりませぬな。
 未だ近代史に四苦八苦状態の私です。

tonoさんへ

たびたびの訪問ありがとうございます。

近現代史に比べて、江戸時代以前は、「自虐史観」が絡んでいない分、その種の嫌な思いをしないで済む分がいいですね。

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