「役職・身分の掛け持ちと転籍」第173回目です。
ナチス体制の特徴のひとつとして上げられるのが、地位の大盤振る舞いでして、結果的には権限の重複へとつながり、その過程で権限争いかあり、そして地位はあっても実権がないと言う人間が多々輩出されました。
そのひとつとして、無任所大臣と言う地位が多数輩出されたのでした。これに関してはいろいろ言える事でして、単なる名誉職的な者もいれば、よそになんかしらの地位にある者に対して大臣待遇をあてがおうと言う、我が軍にあった軍事参議官のような感覚で与えられた者もいました。
最初の無任所大臣はヘルマン・ゲーリングでして、彼に限ってはヒトラーの任命とは言えない時代の物でしたが、それ以降はヒトラーの任命で無任所大臣の大盤振る舞いが始まったのでした。まずは1933年12月のエルンスト・レーム。彼は突撃隊幕僚長でもありました。当然、彼の地位は翌年の長いナイフの夜事件によって彼の命と共に消滅して行ったのですが、それ以降の人間の場合は、実権がなくなった後になっても大臣待遇でもてなすために最後まで、あるいは一定の時まで無任所大臣の地位が維持されていました。
長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^
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