「ルパン三世44年の歴史」第10回目です。
「1980 モスクワ黙示録」では、銭形のとっつぁんは、かつての「国境は別れの顔」の時のように門前払いを食らう事なく、歓待された物の、オカチメンコなる器量の良くない女性の職員がモスクワの中での案内人として付けられました。ここでのオカチメンコなる名前はダジャレネーム以外の何物でもなかったのですが、後になってできた「ルパン三世・ルハン暗殺指令」に登場したカレン・クオリスキーと言うのは、今にしてみれば違和感のある物でした。
ロシアには男姓、女姓と言う概念があるようで、この場合、クオルスカヤとなるべきだったのではないでしょうか。もちろん、こんな事を書くのも、今では気付いているからでして、当時としては自分だって気付かなかったから、よそでそうなっているからと言う事で咎める気はないのですが、当時は今よりもずっとロシアにおける男姓、女姓と言う概念に関して知られていなかったと言う事なのでしょう。
それに引き換え、今は、スポーツの世界において、ロシア女性のアスリートの名前を拝む機会が増えてきていまして、それで気付く人も増えて来ただろうと思います。
長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^
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