「役職・身分の掛け持ちと転籍」第189回目です。
今の日本でならば、総理大臣になるのにあらかじめ国会議員である必要があり、その他の大臣の場合でも議員でもない者がなる事はめったにない物でしたが、ヴァイマル体制の元では別段そんな必要はなかったのです。
ヒトラーも議員にならないままに帝国宰相に就任して、もはや議員に就任する必要などなかったのですが、3月にはその無用であるはずの国会議員になりました。しかも、その月には全権委任法が成立しました。ますます議員である必要などなくなったのでして、それはその他の議員にとっても別の意味で議員である事が無意味な物となって行きました。それでもせいぜい名誉職的な意味合いで議員としての価値は維持されて、それだけに本来議員とはかけ離れた職務にある者の掛け持ちとする事が可能となりました。
その一例として親衛隊の高官であったエーリヒ・フォン・デム・バッハ・ツェレウスキーは1932年以来国会議員でありましたが、それとは無関係にその後も親衛隊の中で治安部門での役職に就き、その過程で1941年には警察官の身分も獲得しました。
さらに1943年には、既存の役職たるHSSPF「ロシア中央」に就いたままで、対パルチザン戦専門部隊の司令官に就任しました。
長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^
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