「浪人対部屋住み」第24回目です。
分家を創出するためには、主のみならず家臣の存在もまた不可欠でして、甲府、舘林両家の家臣は幕臣からの抽出によってなされました。その中でも代表的人物として牧野成貞は長岡藩の部屋住みだったのが抽出されて舘林家の奏者衆となりました。
既に徳川忠長が改易されていて、それらの家臣は元々幕臣だったはずなのですが、主が改易なる懲罰を食らった事で、彼ら何進もまたそのとばっちりで浪人になったのに対して、成貞の場合は、主たる綱吉が将軍になると言う栄転ゆえに、それに同道して幕府の側用人になる事が出来ました。
甲府家も舘林家も家光の血統を残す事にこそ意味があるのでして、他家からの養子を取ってまでもそれらの家を維持するまでの物ではありませんでした。それゆえに、両家の当主を将軍として「取り上げた」以上は、家臣を幕府に戻して両家は消滅と言う風になるのは仕方がないと言う所でした。
ただし、家宣の弟たる松平清武の場合は、家光の血統を有していたのにもかかわらず、そうした役割から外れていて、後になっても将軍世子となる事はなく、別途創出された家を維持するために尾張家からの養子をもらっていました。
長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^
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