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そんな事は日本だけと言う訳でもあるまい

桶狭間の戦いに真珠湾攻撃…「日本人は奇襲好き」は正しいか―華字メディア


2022年3月29日、日本華僑報は、織田信長が今川義元を破った桶狭間の戦いと、山本五十六が仕掛けた真珠湾攻撃では、いずれも相手の虚を突いたものの本質は異なる攻撃だとする文章を掲載した。以下はその概要。

ネット上では、桶狭間の戦いと真珠湾攻撃を取り上げて「日本人は昔から奇襲を愛する民族だ」と論じる向きがある。しかしこの結論には検討の余地があると言わざるを得ない。

桶狭間の戦いは日本の歴史を変えた三大戦役の一つとされ、信長の英雄的イメージを際立たせるような描写がしばしば行われてきたが、信長が用意周到にこの戦いを企てたことを示す事実は少なく、日本人がよく口にする「タイミング」が戦いの結果を大きく左右したというのが実際のところである。

史料を見る限り、戦役中に土砂降りの雨が降った、今川義元軍があいにく桶狭間という窪地を休息場所に選んでしまった、そして4万5000人と強大な今川軍に対してわずか3000人の織田軍にとってはまさに背水の陣であったという、「天の利、地の利、人の利」の三要素に信長の巧妙な采配が相まってこそ成功した奇襲だったと考えられる。

一方、真珠湾攻撃は計画性のある真の奇襲、しかも大奇襲である。太平洋戦争を引き起こし、第2次世界大戦の状況を変えたこの奇襲は、2年近くもの時間をかけて計画が練られたうえで実行したものだからだ。

指揮官の山本が初めて真珠湾攻撃の構想を明らかにしたのは1940年に行われた航空兵の春季演習中だった。そして翌41年1月7日、山本は海軍大臣にその計画を提出した。それから約1年の画策期間を経て、同年12月7日に全世界を震撼させた長距離の大奇襲を実行し、少ない代償で大勝利を収めたのである。計略的、計画的な奇襲のお手本ともいうべきものなのだ。

それゆえ、桶狭間と真珠湾では性質が異なる。前者は色々な要素がうまく組み合わさって成功した不意打ちであるのに対し、後者は純然たる計画的奇襲であり、同じくくりで語るべきものではない。中国語で言えば前者は「奇襲」だが、後者は「偸襲」であり、「偸」には盗人的なニュアンスが込められているのである。

そして、「奇襲」にしろ「偸襲」にしろ、日本人の専売特許ではない。弱いものが強いものに勝とうとする時に、全世界の戦争の意思決定者に等しく愛されてきた戦法なのである。(翻訳・編集/川尻)



ここで「日本人は奇襲が好き」と言った所で、別段日本を称揚する気などなく、むしろずるい奴と言うニュアンスの方が強いのではないでしょうか。アメリカでも、大戦末期に、日本本土進攻に備えて対日戦のマニュアルとして「The punch below the belt」と言うタイトルで製作しました。
タイトルは、ベルトの下をパンチと言う意味でして、要するにそれは卑怯な手段でして、当時のアメリカ軍の対日観を反映した物だと言う事が言えます。
いくさの上では卑怯ならずとも結構いんちきもありまして、当たり前すぎる事ではなかったでしょうか。よその国の人間は、全くそうした「卑怯」な手段をいにしえから全く用いなかったと言えるでしょうか。だととしたらむしろ愚かだと言うべきでしょう。


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