ウクライナに憲法9条があれば侵攻されなかったのか? 日本は「平和憲法」という幻想への〝信仰〟から目覚める時期【日本の選択】
国際法を無視したロシアのウクライナ侵攻は、多くの日本国民に衝撃を与えた。わが国の「平和憲法」の幻想が、所詮は幻想にしか過ぎないという事実を明らかにしたのである。
【写真】キーウ近郊ブチャで、通りに散乱したロシア軍の車両の残骸
「憲法9条を守っているから日本は平和だ」
幾度となく繰り返された不思議な論理である。なぜ、憲法9条を維持し続ければ日本の平和が守られるのか、そこに合理的な説明は何もない。だが、「リベラル」を自称する多くの人々には常識的命題として受け止められてきた。そして、憲法9条を改正しようとする人々を、あたかも平和の破壊者であるかのように攻撃してきたのが彼らであった。
合理的説明を拒むが、ある人々にとっては明白な事実と受け取られる命題。これは信仰の領域に属する命題といってよい。
「死者の復活」など、信仰を持たざる人間からすれば、まるで信じがたい非論理的な事柄だが、信仰する人々にとっては重大で明白な事実として受け取られる。
信仰は論理を拒絶する。宗教に論理がないわけではない。信じるという決断をした人々を待ち受けているのが神学だ。確かに神学は論理的だが、神学から信仰は生まれない。信仰から神学が誕生するのである。信仰する人々の間でのみ通じる論理が神学だ。
信仰は自由だし、他人の信仰を否定する人間は野蛮だろう。だが、国防は宗教とは異なる。安全保障政策は信仰の対象ではあり得ない。なぜ、憲法9条を守れば日本の平和が保たれるのかについて、論理的な説明が求められて当然のはずだ。
しかし、彼らは論理的な説明を一切拒絶し、自らの信仰の正しさを語るばかりであった。いわく、「平和憲法を守れ!」「憲法9条が平和を維持している!」「憲法9条を世界遺産に!」…。信仰せざる人々にとっては、まったく受け入れられない非合理的な説明、絶叫でしかなかった。
「リベラル」は「平和憲法」の論理を語ろうとしなかったが、論理以前に事実が「平和憲法」という信仰が虚妄、幻想に過ぎないことを明らかにした。仮に、憲法9条が一国の平和を維持し、他国の侵略を妨げるとするならば、憲法9条が存在すればウクライナの平和が維持できたことになる。
だが、誰もウクライナに憲法9条が存在しなかったから、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が侵略を決断したとは考えないはずだ。
国際法を無視し、国際秩序を蹂躙(じゅうりん)してでも自らの野望のために他国を侵略する国家が存在する。こうした過酷な現実を受け止めるときだ。「平和憲法」という幻想から目覚める時期が到来したのである。
■岩田温(いわた・あつし) 1983年、静岡県生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、同大学院修士課程修了。大和大学准教授などを経て、現在、一般社団法人日本歴史探究会代表理事。専攻は政治哲学。著書・共著に『「リベラル」という病』(彩図社)、『偽善者の見破り方 リベラル・メディアの「おかしな議論」を斬る』(イースト・プレス)、『なぜ彼らは北朝鮮の「チュチェ思想」に従うのか』(扶桑社)など。ユーチューブで「岩田温チャンネル」を配信中。
現実にはロシアのウクライナへの侵攻が行われました。その理由に関して、百歩譲ってロシアの肩を持った解釈をするのであれば、西側がロシアを攻めるためにウクライナに進駐するかも知れないと言う懸念があったからでして、そのように解釈するのであれば、よしんばウクライナがロシアを攻めないと宣言して、軍備を持たないとしても、ロシアの側に、ウクライナが西側に利用されるかも知れないと言う懸念があれば、予防的な措置として、ロシアの方で先にウクライナへ「進駐」する必要があったと言う事です。
当然それはウクライナからすれば、侵略だと言う事で、抵抗は必然だった訳ですがね。
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