「役職・身分の掛け持ちと転籍」第190回目です。
海空軍と違って、陸軍に対してはヒトラーはなるべく直接支配しようと言う発想が強く、それからすれば陸軍総司令官と言う役職も、彼にしてみれば、参謀総長よりもましな、陸軍における幕僚のひとりと言うのが本音で考えられていた所ではありましたが、それでも、モスクワ戦での失敗に伴い、総司令官であったブラウヒッチュを罷免して、ヒトラー直々にその地位に就く事となりました。
そして、翌年には、カフカスの油田を目指した新たな作戦が催されて、最初は南方軍集団によって、プラウ作戦として執行されたのが、7月にはそれはA軍集団とB軍集団に分割されて行きました。その中でも肝心な、直接油田を目指すべきA軍集団では、進撃が尻すぼみになって行く事で業を煮やしたヒトラーは、9月にはその司令官たるヴイルヘルム・リストを罷免して、ヴィニッツァに進出させていた総統大本営から、そのA軍集団を直接指揮する事としました。
もっとも、ヒトラー「直々の」指揮においても、カフカスでの進撃がはかどる事はなく、しかも、11月にはスターリングラードの方で、ソ連軍の反撃が始まって、それに対処する必要もあってか、カフカスでの進撃もあきらめてしまって、それまで兼ねていたA軍集団司令官
の地位を放り出してしまったのでした。
長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^
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