「ドイツ元帥物語」第78回目です。
それは単なる昇進とは違って、相当な人事異動と言う物が存在する事から、決して1日だけで完結する事はなかったのですが、モスクワ戦の失敗を含んだ東部戦線全体での停滞は、非常に大きな人事異動をもたらしました。まず陸軍総司令官ブラウヒッチュの罷免に伴い、最高司令官たるヒトラーの兼務となる事を皮切りに、3人の軍集団司令官全てが交代を余儀なくされました。
もっとも、これまででもそれ以外での、単なる人事異動と言う物が全くなかった訳ではなく、去る9月12日にはウクライナにおいて第11軍司令官ショーベルトが戦死していて、既に新たな司令官を迎えていました。それに関しては後述するとして、そうした物を含めた人事異動の結果、軍司令官以上において元帥、上級大将のかなりの減少が見られたのでした。
まずは、全ての軍集団司令官は交代となった訳ですが、それ以前では元帥は「余って」いたのが、今度は「不足」する事となりました。中央軍集団司令官には、第4軍司令官であったクルーゲ(12月19日)、南方軍集団司令官には第6軍司令官であったライヒェナウ(12月1日)と言う元帥が就任した物の、北方軍集団司令官には、第18軍司令官であった、上級大将のキュッヒラー(翌年の1月17日)が就任しました。
長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^
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