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浪人対部屋住み26

「浪人対部屋住み」第26回目です。
徳川家斉は、オットセイ将軍と称されたほどの性剛で、それでべらぼうに子だくさんとなってしまったのですが、もはや時代が下って来ると、新たに将軍家の分家なる物を創出する事も出来なくなっていたのです。既に御三家ばかりか、御三卿も存在しているのです。
そうでなくても、べらぼうな庶子を有してしまっている以上は、分家の創出ではもはや解決できる物ではなく、必然的に他家への養子頼みで、部屋住み対策とせざるを得なくなりました。ちなみに、多数の庶子の中には斉順のように、一旦は御三卿のひとつである清水家へ養子へ入った者もいましたが、御三卿自体も広い意味での将軍家の中の部屋住みと言う事でして、彼は後に紀州藩へ養子として出て行ってしまいました。
それだけべらぼうだと、これまでならば、格別に家格の高い所に限定されるべき所が、そんな事を言う「余裕」などなく、条件は下げなくてはなりました。そのひとつが、前回取り上げた舘林藩でして、フィクション(映画「十一人の侍」)ながら、そうした小藩へ養子に出された事で、「家斉の息子としての」松平斉厚は不平たらたらでした。実際は、斉厚は舘林藩生まれで、かつ男子が生まれなかった事で、家斉の息子のひとりである斉良を養子として受け入れる側でした。


長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^

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