「イスラム教考察」第11回目です。
前回は、イスラム教徒は肩身が狭い思いをするくらいが丁度良いと書いた物ですが、別段差別を意図する訳ではなく、またイスラム信仰を否定する物ではない事も付け加えておきます。
ただ彼らの場合は、他力本願の傾向が強いのではないかと言う危惧があるのです。所詮は彼ら自身の信仰なのですから、彼ら自身が、既存の法律の中で自己完結していれば何も文句はないのです。
例えばハラールの場合にしても、自分で料理する事に終始していれば良いのですが、子供を公立学校に通わせている場合、その学校に対して、我が子の給食に関してそのようにすべしと要求をぶっかける事を当然視している事があります。どうも彼らには自分の信仰の事しか頭になく、それで他人が手間を食らう事などお構いなしなのです。決して信者以外の人間はイスラム教に対して奉仕するしもべなんかではないのです。しかし、にもかかわらず、そのような本質が彼らに存在しているのであれば、決してイスラム教がよその者に対して受け入れられる事はないでしょう。
長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^
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