「浪人対部屋住み」第27回目です。
映画「十一人の侍」と来れば、姉妹作として「十三人の刺客」がありまして、そこでも菅貫太郎が暴虐大名として松平斉韶を演じていました。こちらも、家斉の息子と言う立場から他家へ養子として出たと言うのはフィクションでして、斉韶自身は明石藩の生まれで、養子として斉宣を受け入れる側でした。
さて、江戸時代には持参金付きの養子縁組と言う物がありまして、建前としては禁止されてはいた物の、裏では、金のある家では、庶子を部屋住みのままに放置しないで済ます便法として、金で他家の家督を「購入」する手段として用いられていました。幕府の方でも、多数の家斉の庶子をいつまでも部屋住みのままに放置しないで済ますために、こうした持参金付きの養子縁組を実践していた訳でして、そのひとつとして斉宣の養子縁組がなされました。その実態は、斉宣が明石藩主に就任後に、元々6万石だった所を8万石に加増して、10万石格の待遇が与えられました。
しかし、斉宣は早死にで、しかも跡継ぎがいなかった事で、結局、その後を継いだのは斉韶の実子たる慶憲でした。すなわち養子縁組とは、彼の存在を差し置いての物でして、そのために、慶憲の母は、一説では自殺を図ったとの事でした。
長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^
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