「浪人対部屋住み」第28回目です。
持参金付きの養子縁組は、養子を送り出す側としては余った我が子のしかるべきポジションを入手する手段となったのみならず、養子先での我が子の状態をよりましな方向に持って行こうとする手段でもありました。いくら部屋住みよりはましだろうと言っても、将軍の実子たる物が取るに足らない小藩程度に甘んじさせるべきではないのでしょう。
そのような最低レベルと言っても良い養子縁組の先となったのが津山藩でして、自称親藩筆頭と言って良い、結城秀康を先祖とする藩だったのが、この時点では5万石の小藩に落ちぶれていたのでした。この藩にしてみれば、2度の改易を経て、この地で再々の出発となった10万国くらいには復帰したいと言う思いがありまして、そうしたチャンスとして、実子の存在を差し置いても、幕府からの養子縁組に応じる事でした。
幕府としてもそのような小藩では養子縁組先としてはふさわしくないと言うのが本来の思いだったでしょうが、それでも有り余る家斉の庶子の養子先として選び、かつ5万石の加増を以て、家斉の庶子の養子先としてふさわしくあるよう取り計らったのでした。こうして津山藩へ養子に入った斉民こそが、唯一、家斉の子孫を現代にまで残したのでした。
長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^
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