「イスラム教考察」第13回目です。
すなわちイスラム教とは、昨年思い付いた新解釈における、殿様商法のような物ではないでしょうか。イスラム教の中央からすれば格別布教活動と言う営業を行わないでも、ある程度信者の獲得だか維持だかはできるのです。しかしそれでは決して外部者をイスラム教へ引き込む事にはつながらないのです。
実際、イスラム中心の国では新たに信者になる事は社会の常識みたいな物なのでしょう。もっとも、そうした国では親が我が子に入信する事を「義務付ける」だけですら、我が国的な社会の常識と言う発想を持ち出すまでもないのでしょうがね。
それに引き換え、そうでない国にあっては、イスラム教と無関係に生きている外部者の中から一向にイスラム教徒になる者などおよそ現れる事などなく、そこでも既に信者である者の中だけで世襲の如く成り立っているのに過ぎないのではないでしょうか。
あるいは、それは殿様商法のような物でなければ、マルチ商法のような物なのかも知れません。イスラム教徒にとっては新たに信者を獲得すれば、来世における極楽浄土への道を有利にすると言う発想があったのかも知れません。どこで暮らそうとも我が子をイスラム教徒に仕立てる事は、そう言う事なのかも知れません。
長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^
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