「役職・身分の掛け持ちと転籍」第198回目です。
1944年7月20日、ヒトラー暗殺未遂事件が起こりました。この事件自体はそのタイトルが示す通り失敗に終わったのですが、その事で、ヒトラーの陸軍不信が著しく強まり、本来陸軍の中の組織のひとつであるはずの補充軍の司令官に親衛隊帝国指導者のヒムラーが就きました。この事で、武装SSの部隊に対する補充がますます有利になった事は否めません。
そして年末には西部戦線において、本来G軍集団に任せておけば良い地域の一部をオーバーライン軍集団に分割して、その司令官としてヒムラーが任命されました。既に戦局はドイツにとって望みない状態にあったとは言え、それでもヒムラーの指揮するいくさは大局的には悲惨な物だった事は否めず、にもかかわらず、年が明けると、今度はソ連軍の大攻勢が始まっていた東部戦線においてヴァイクセル軍集団が新設され、その司令官としてヒムラーが転任して来たのでした。
こちらの方も同様に悲惨な物でして、それでもそこでのヒムラーの司令官としての地位はふた月維持されて、3月になってようやくお役御免となりました。
さて同様にこの時期になってお役御免となった人物として、ハインツ・グデーリアンがいました。彼は1943年以降、装甲軍総監の地位にありましたが、7月20日事件以降参謀総長を兼ねていたのですが、3月になって参謀総長だけ罷免されました。
長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^
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