「浪人対部屋住み」第30回目です。
家斉がべらぼうに実子を有した事で、その矛先がいろんな大名家に向けられた物でして、水戸家もターゲットとしたかったようですが、最終的にそれを阻止したのが水戸斉昭でした。彼自身家斉に引けを取らない子だくさんの人でして、養子を受け入れるよりもむしろ彼の方でこそ他家へ養子を出したいと言うありさまでして、後に将軍になった慶喜は一橋家へ養子へ出た他は、岡山、鳥取の両池田家、御三卿のひとつである清水家などへ養子を出す事で、既に水戸家の分家が藩祖頼房の血統で維持されている状態に飽き足らず、水戸家の血統をよその家にも拡散していたのでした。
また、彼の祖父治保に至っては、息子のひとりを尾張藩の分家たる高須藩へ養子へ出ていました。つまり尾張家では藩祖義直の血統は少なくとも大名レベルでは絶えていて、高須藩からの養子とは言え、尾張慶勝は祖父の代から水戸家の血統だったと言う事です。
そして、会津藩へ養子で入った松平容保もまた慶勝の弟と言う事で、彼もまた水戸家の血統と言う事になりまして、この容保の子孫の中には今の徳川宗家の当主がいます。
長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^
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