いわば「正社員」と「非正規社員」…旧日本海軍の「面倒極まりない人事制度」が戦後に残したもの「先任、後任」の序列 明治以来、泥縄式に複雑化した人事制度は、当時はもちろん戦後の人間関係にまで影を落とした。これは海軍の罪なのだろうが、現代社会でも総合職と一般職、正社員と派遣社員とフリーランスの関係など、似たようなことはあるのかもしれない。
もちろん、戦場で生死をともにした人の間には、階級や出自、年齢の垣根を超えた信頼関係で結びついた人たちも多い。立場の違いを乗り越えさせる唯一の要素は「人柄」だった。自らの地位にあぐらをかいている将校に反感を抱く予備士官や下士官兵でも、戦場で率先して危険な任務につき、進んで部下たちの輪に入って声を聴くような上官には心を許した。部下を心酔させ、束ねるだけの人間的魅力、すなわち「将器」をそなえた将校も少なからずいたことは、特筆しておかなければならない。
そんな、部下に慕われた将校たちのうち生き残った人の多くは、戦後も身を削ってまで旧部下の世話をした。ある特攻隊指揮官は、職にあぶれた部下たちを食わせるために、彼らを集めて豊後水道の掃海(B-29が撒いた機雷の除去)活動を指揮したし、またある戦闘機隊指揮官は、「住む家のないやつは俺のとこに来い」と、常時10数名、狭い家の押し入れまで寝床に使って旧部下を住まわせていたという。
そんなわけで、とかくわかりにくい旧海軍の人事制度だが、ひとつだけスッキリしていることがある。それは「先任、後任」の序列である。海軍兵学校の卒業成績は「ハンモックナンバー」と呼ばれ、それが先々までついてまわった。たとえば士官室やガンルームでの食事のさい、座る席は階級順で、同じ階級なら出身期の古い順、同じクラスならハンモックナンバー順と決まっていて、好きな席に座ることはできない。いざ戦闘となったら、同期生であっても成績が下位の者(後任)は上位の者(先任)の指揮を受けなければならない。戦闘を目的とする軍隊では指揮権の所在はつねに明らかにしないといけないから、これは必要なことだった。
ハンモックナンバーは、その後の勤務成績で入れ替わることもあったが、海軍の名簿や辞令公報は必ず先任順に記されているし、食事の配膳もその順番だから、部下に隠せるものではない。現在でも、現存するいくつかの名簿や辞令によってハンモックナンバーや先任、後任は容易に確認できる。
少なくとも10年ほど前までは、旧海軍の戦友会や慰霊祭はさかんに行われていて、そんなとき、懇親会や記念写真の席順は旧軍時代の先任順にするのがもっとも穏便で、誰からも苦情が出ない方法だった。
――以上、とてもややこしい話になったが、最低限こういうことは押さえていないと、テレビドラマに登場する軍人の衣装ひとつ正確を期せないのだから、人の世は面倒なものである。そんな考証の入っていないドラマも多く、ときに階級章が上下逆についていたりすることもあるが、そこまでは筆者の知ったことではない。
また、NHKでいえば登場するのはなぜか予備士官や主計科士官が多く、正規将校が重要な役で出てくることはまずない。例外的に「真珠湾からの帰還」(2011)の主人公は海兵出身の少尉だったが、DVD化はされたものの、なぜか一度も再放送されない。ちょっと腑に落ちないところではある。
ところで、ドラマの企画段階でときどき浮上するのが、「貧しく無学な少女とスマートな海軍士官の恋」という設定である。最終的に二人は結ばれる、ということになるのだが、そんな話を耳にするたび、「それは絶対にありませんよ」と注進している。
なぜそんな設定があり得ないのか――これについては、またいずれ機会があれば触れてみたい。
やはり日本の軍人事が格別特殊だったのでしょう。ドイツ軍はそうでもなかったと言う事でして、日本のような非常に几帳面な先任序列と言う物にこだわる事がありませんでした。
一例として、スターリングラードの戦いに従事した第6軍司令官としてフリードリヒ・パウルスがおりますが、彼は1942年1月に大将に昇進した上で第6軍司令官に就任しました。
我が軍でならば、軍司令官と師団長が、中将と言うおんなじ階級の者が任命されていると言う事は当たり前でありましたが、そこには軍司令官の方が先任であると言う事が確定していたのに対して、ドイツ軍の方はそうではなく、同じ階級であれば先任も後任もなしにある意味平等と言う事になっていたようでして、パウルスの部下として着任する軍団長の中にはパウルスよりも年長であるのみならず、「先任」の大将もいました。
そのひとりとして第8軍団長であったヴァルター・ハイツは1878年生まれで、1937年以来大将でした。
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