「浪人対部屋住み」第31回目です。
最終的には尾張義直の血統は家臣のレベルで残ったのみで本家分家に関しては絶えてしまった物の、初期の段階においては2代目光友の庶子2人義行、義昌によって高須藩、梁川藩が成立していました(藩として残ったのは高須藩のみ)。
これに対して紀州藩の場合は、最終的に残った分家として頼純に始まる西条藩のみでしたが、2代目光貞の庶子たる頼職、頼方がそれぞれ越前国に3万石をもらってそれぞれ高森藩、葛野藩として存在していました。
これらの両藩に関しては、あくまで光貞の血統を強化するためにしか存在価値はなく、その地を統治すると言う視点からすれば、紀州藩の飛び地のような感覚で存在するのみでした。頼職、頼方の家臣団を充実させて独自の藩政をさせる事ができるようにする事はせず、統治に関しては少数の紀州藩の家臣が派遣されて行われました。
頼職、頼方に関しては、実態としては部屋住みのまんまという事でしたが、それでも形式的に大名になれたと言う事で、建前としては正妻を持てる事となりました。まあ、それも長生きできればと言う話でして、後に将軍にまでなれた頼方にしてみれば兄がことごとく早死にしてしまった事で、そうした分家たる小藩は用済みとなってしまったのですが、兄が長生きであれば、実質部屋住み状態のままで葛野藩を維持するために子供を得る事に汲々とした事でしょう。
長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^
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