「イスラム教考察」第15回目です。
イスラム教中心の国にとどまる分でならば、それが社会の常識だからと、まあ、そんな感覚は日本的なのでしょうが、ともあれ我が子に対してもイスラム教を押し付ける意味と言うのもあるのでしょうが、一旦イスラム教中心の国から離れて、しかも、もはやそんな国で暮らすのはごめん被ると言う発想に至ったのならば、自分自身だつてイスラム教を捨て去るという事があっても良いのではないでしょうか。
いわんや、我が子に至っては、はなから非回的な環境で暮らすと言う事が当たり前になっているのであれば、イスラム教を無用の物と捉え、イスラム教への入信を嫌がると言う事だってあり得るでしょう。そうなり得ると考える方が自然なはずです。
そんな環境で暮らしてなお、イスラム教にこだわり、あまつさえ我が子に対してそれを押し付けると言う事が当たり前の様でして、不可解さを禁じ得ません。そもそも親本人からして、心からそれ、すなわちイスラム教を良い物と思っているのか、そして我が子をイスラム教に入信させる事が正しいと思っているのでしょうか。およそ信じがたい事です。少なからず、そうした事は一切考えないで、とにかく自ら信仰を続ける、そして我が子に対しても入信させると言う事に凝り固まっていると言うのが現実なのです。
長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^
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