「浪人対部屋住み」第32回目です。
武士の雇用形態ぱ個人でと言うよりは家と言う概念で行われたと言うべきでしょう。
まあ、それでも戦国時代以前のようにそれなりにいくさの需要が時代でならば、一族郎党の範疇で、嫡子庶子のいかんを問わず出撃しては、それなりに有用性を認められたと言って良いでしょうが、江戸時代のような太平の時代ともなると、主家に対する奉公はその家の代表者ひとりが出仕すれば良いと言える状態になった物だから、跡継ぎたる長男ですら、家の主たち父親が健在である間は部屋住みと変わらない状態でして、父親が隠居してようやくそうした部屋住みの状態から解放されたのです。
それが世襲の本質でして、とても個人でとは言えないありさまだったのです。
そんな環境の中では、次男以下の人間にとってはなおの事窮屈な環境にあったと言う事は言うまでもないでしょう。兄が健康で、無事に家督を継いでしまえばそれ以下の人間には存在価値がないのです。主家たる大名が知行アップで余分に家臣を雇える状態になれば、別途知行をあてがって出仕させてもらえたかも知れませんが、そうでなければ別の武士の家で跡継ぎのない家に養子に出るか、その対象は必ずしも家中に限る事はなく、よその大名家でも良いのですが、それだと浪人と大して変わらないのかも知れません。
長くなったので、続きは次回といたします。(^0^)/^^^^^
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